第197話 違う世界を正す者
ドスンとすぐ近くに、何かが落ちる音がした。
ゆっくりと目を開けると、生きた屍の如く地面にうつ伏せに倒れ、ぷるぷると腕を伸ばしている人間がいた。
………何かの遊びだろうか…
と思ってしまうほどに、先程までの空気が一気に変わった。
「な、にすんのよ! 絶対に許さない!! 私はヒロインよ! あんな雑で蔑ろにして乱暴するなんて!!」
私の前でわーわー喚いているのは、さっきラファエルの精霊に攻撃され、私の心の中に押し戻されたアマリリスだった。
「………気が済んだかしら」
「っ!?」
ハッとアマリリスがこちらを見た。
「なっ…! あ、あんたまだくたばってなかったの!?」
「失礼な。私の身体よ。私がここで消滅させられるわけないでしょ。逆に貴女が侵入者。じき貴女の方が消えるでしょうね」
胡座をかいて手を組み、アマリリスを引き戻そうと念じていたが、彼女がここに来た時点でもう終わり。
精神統一にはちょうどいい格好だと思って。
僧侶の修行みたいな?
ゆっくりと立ち上がる。
「………さて、少しは理解したかしら」
「何をよ!」
「王女という者の立場を」
「なんですって…?」
「ラファエルとお兄様、そして侍女だけにしか接触してないけれど、誰か1人でも貴女を肯定する人はいたかしら?」
「っ…!!」
私の身体だもの。
少しずつ時間が経つにつれ、精霊達が私の元へ来てくれた。
さらにアマリリスが目で見たものは、私の元へと届いていた。
「これ以上好き勝手されて私の行いが悪い方向へ向かうと困るから、ラファエルが貴女をここまで落としてくれて助かったわ。まぁでも、貴女があれ以上に好き勝手して王宮を滅茶苦茶にしてくれてたら、貴女はもっと自覚するでしょうね」
「何をよ!」
「――人はその姿ではなく、その行いによって評価が変わる、とね」
「なっ…!!」
スッと一歩アマリリスに近づく。
するとアマリリスがバッと立ち上がった。
「確かに私の容姿は普通。貴女から見たらブスでしょうよ。でもさ、人ってそれだけで区別されると思う? 貴女がどの年代から来たかは知らない。けどどの時代でも同じだと思うわよ。確かに容姿で差別する人間もいると思うけど、性格美人ブスでもその人を判断してくれる人もいる。優秀さ、能力値で区別されたりね。――貴女は容姿だけが大事みたいだけど」
「な、何を偉そうに!」
「………そう突っかかってくるけど、実際問題ラファエルは美人な貴女に見向きした? お兄様は? 他の男の人は操らなくても貴女を見てくれていた?」
「っ……」
………まぁ、私も人のこと言えないんだけど…
やっぱり私は美人な人とか可愛い人を見ると、羨ましく思う。
ああいう容姿なら、ラファエルと並んでも見劣りしないのかな、って。
ラファエルの気持ちはもう疑ったりしない。
ラファエルが浮気したり、別の人に心奪われたりはないだろう、と。
私をずっと今まで愛してくれている。
例えこの先そんな事が起きたとしても、多分ラファエルは私を捨てないだろう。
私にはこれまで利益を生み出すアイデアを出してきた。
ランドルフ国としては手放したくない存在だろう。
………自分で言ってなんだけど…
まぁ、これは0に近い可能性の1つであり、今の私は全然ラファエルを疑ってはいない。
けれどいざという時、考えていたことと考えていなかったことが起きた場合、圧倒的に考えていたことの方が対処は早い。
だって、私はラファエルから離れるつもりは1mmもないもの。
だからこれは可能性として遊び感覚で考えている。
実際そうなったら私は泣いてラファエルに縋りつくだろうし。
――逆にラファエルはそんな私を見たくて、わざと素っ気なくする可能性があるな…
ま、まぁ、ソレは置いておいて。
ラファエルが私自身を好きになってくれた。
ラファエルのために、民のために手助けしたいと思ってやってきた。
自分のためじゃなく、人のために。
それが今の私の現状を作り上げてきた。
徐々に人の信頼を得てきたと思う。
まだまだ未熟な私だけれど。
民も、自分たちの生活を豊かにしてくれる者を信頼する。
信頼を得るためには、それに足る実績がなければならない。
すぐに信頼関係など出来るはずもない。
アマリリスは今まで好き勝手生きてきた。
そんな信頼関係が私以上に作れているとは思えない。
顔は確かにアマリリスの方が断然いい。
でも、私は容姿以外で努力してきた。
王女という…王族という重責を生まれながらに負わされて。
多分、その差が今の私と彼女の立ち位置の差にもなっている。
「ここにゲームの世界の人間などいない。1人1人が感情のある人間ばかり。心臓が動いている、冷たくない、作り物の人なんて誰もいない」
「………」
「ヒロインの立場に固執しているようだけれど、貴女は実際何をしたの?」
「何って……」
「シナリオ通りに行動するだけ。貴女自身が何かを考え、人のために、その人のために出来ることを何か1つでも考えた?」
「そ、そんなこと考える必要――」
「あるわよ。だってここは現実世界。コントローラーや攻略本なんてない。ゲームのようにエンディングがあった? エピローグなんてあった? 周回なんてあった? 最初からって画面が目の前に出た? リセットできた?」
「………」
そんな事出来るはずがない。
「貴女は心臓が動いていない? 感情がない? 相手に何も思わない? そんなわけないわよね? 貴女も私もここに生きているのだから」
静かに言うと、アマリリスがガクッとその場に座り込んだ。
「ここから見ててやっぱり思ったわ。貴女は王女になれやしない、とね。だって貴女、自分が贅沢することしか考えていない。国庫の財を簡単に使おうとした。国庫の財っていうのは民が必死で働いたお金を、国を豊かにしてくれると王族に思った分だけ納めてくれるもの――つまり信頼が形になったもの。その信頼に応えられなければ、たちまち国庫は空になり、王家は沈む。民は王がいなくても生きていける。けれど王家は民がいなければ生きていけない。貴女のように好き勝手すれば、ランドルフ国王族のように粛清される。民の血税で生きている王族に対して羨むだけな、贅沢だけが目的な貴女に、私の立場は渡せない。サンチェス国を壊させたりしない」
「………なによ……偉そうに…」
文句を言うが、アマリリスは座り込んで俯いたままだった。
もう彼女に抵抗の意思はないようだった。
「アマリリス。貴女を拘束させてもらうわ」
「………はっ……今の私は拘束できないでしょ。戻る身体はないし、もうあんたの身体を乗っ取る力なんてない……このまま私は消えるんでしょ」
何もかも諦めたような、覇気のないアマリリスが自虐的な笑みを浮かべた。
「何バカなこと言ってんの」
「え…」
私はアマリリスの腕を引っ張り、無理矢理立たせる。
「サンチェス国の土地を壊し、王女の私に害を与えた責任取らずに死なせないわよ。ついでにラファエルを奪おうとした責任も取ってもらうわ」
「は!? 私は死んだのよ!? 責任も何も取らせられないでしょう!? それにラファエルがついでなの!?」
「ついでよ。だって、ラファエルは私にゾッコンだもの。そのラファエルが私以外に見向きするわけないし、あっさり私じゃないって気付かれてたじゃない」
「ぐっ……そ、その自信はどこから来るのよ! ブスのくせに!」
「ラファエルが可愛いって言ってくれているから容姿は関係ないし。人の婚約者奪おうとしたんだから、ちゃんと償ってもらうわよ」
「だから! 償えって言われたって私はもう死ぬだけでしょ!!」
調子の戻ったアマリリスに対し、私は口角を上げた。
そしてアマリリスの腕を掴んでいない方の腕を上げ、合図したのだった。




