プロローグ
異世界に召喚された介護士…新しいジャンルを考えていたらこうなりました。
自分が経験した内容から書いていけるかなあ、と。
空。
一面に広がる青空。
蒼穹は鮮やかに、澄んだ空気は今迄住んでいた都会と比べるべくもない。
これが休日にピクニックにでもきたのであるならどんなにか楽しかっただろうか。
「……何処だ、ここ……?」
直前までの記憶が、無い。
いや、正確にはどうしてこんな場所にいるのか経緯が解らない。
「確か、昨夜は一人で居酒屋で飲んで…」
特になんの変哲もない一日だった筈だ。
夜勤をして、アパートに帰って…それから一寝入りした後夜に起きて居酒屋で遅い夕食をとりながら飲んでいた。
「いまいち曖昧だが…店を出たのは覚えてるんだがそれからどうしたっけ…。」
犬塚信乃。
父親が南総里見八犬伝のファンで苗字が犬塚だからと言う安易な理由でつけられた名前だが我ながら嫌いではない…幼い時分に女の子扱いされたのだけはいただけないが。
職業は介護士。
高くもない給与で、所謂嫌われ仕事をする存在だ。
介護をしている人間はとかく世間からはこう言われがちだ。「立派な職業」「私にはできない」「優しいんですね」と。
確かに…最初はそうかもしれない。
しかし、大半の介護従事者は家族でもない高齢者の世話を生業とする内に歪んでいく。
おじいちゃんやおばあちゃん達が喜んでくれたら、社会な役に立てる人間に……。
そんな理想もいつしか擦り切れ、女系社会の波にのまれて変容していく。
もちろん全ての人がそうじゃない、しかし皆が皆聖人君子にはならないし、なれない。
次第に大きくなった歪みは、高齢者をまるで物みたいに扱いはじめたり、同僚に当り散らしたりと酷い人格を形成していく。
介護士だけではない、忙しく厳しい病院勤務を終えたベテラン看護師も似たようなものだ。
年経て流れ着いたベテランはお局化して手に負えない。
「……ああ、なんかまた暗い気持ちになってきたなあ。」
青空に癒された次の瞬間に反射的に仕事の事を考えてしまい鬱々とした気持ちが湧き上がる。
「いやそうじゃないそれよりまずは現状把握だ。」
立ち上がり、腰回りの砂を払う。
石畳みらしい床は壁すらない為か、砂埃が薄っすら積もっている。
足元には何かの模様だろうか、意味不明な幾何学模様が刻まれている。
フェンスも無いが、煉瓦造りの壁がその代わりになっていて、西洋の城や万里の長城を思い出した。
実際、広がる青空の下には牧歌的な風景が見える。
草原、放し飼いの家畜。
中世みたいな煉瓦や石造りの民家。
そして…自分がいるのはどうやら高い塔の上らしい。
見回せば幾つかの尖塔が建ち並び、どうやらお城のような建物の一角だとわかる。
こんな場所にジーンズにスニーカー、ユニク◯の黒シャツに一張羅の革ジャン一枚羽織って立っている姿は外国旅行にきたお上りさん気分だ。
「おい、お前。」
不意に、背後から声がした。
凛とした美しい声。
「はい?」
振り向いた先に居たのは蒼穹を背に立つ大輪の薔薇を思わせる美少女だった。
年の頃は16〜18歳くらいだろうか。
金の瞳に気の強そうな少しつり上がったまなじり、唇は健康的なつやを持ちながら薄く引かれた紅がその美貌をきわだたせ…長い栗毛色の髪は風に揺れ、日の光を浴びて透き通った輝きを返す。
時代錯誤な、赤と黒を基調としたドレス姿だが似合いすぎるほどに似合っている。
「貴様が召喚された戦士か?」
召喚?
何を言っているんだこの子は。
「いや、戦士…って…俺介護士だけど?」
「介護士…それは如何なる武具、魔法を使う?」
「いや、戦わないから。介護士がやることは高齢者…ご老人のお世話だよ。」
「……召喚された者は例外なく強い力を発揮する一騎当千のツワモノの筈なのだが…。」
ゲームのし過ぎじゃないかな…コスプレはお台場でやろうよ、とは言えなかった。
なんだか真剣な表情で悩んでいるからだ。
「まあいい、私はこの魔城チェイテの主…エリザベート…お前は?」
「犬塚信乃…介護士、です、うん。」
チェイテ?エリザベート?
それって確か殺した人間の血を浴びて若さを保とうとした昔の貴族じゃなかったか。
…やっぱ、コスプレ?なりきり?
「戦士でないのは残念だが…使い道は何かしらあろう…ついてこい!」
スカートを翻し、歩いていく先には階段があり、カツカツと早足になる彼女を慌てて追いかけた。
「…夢…?」
頬を抓りながら歩いてみたが、痛かった。
甚だ不本意ながらも、どうやらコレは現実の様だ。
逃避気味の思考を持て余しながら。
長い長い螺旋階段を降りていく。
異世界生活は、始まったばかり。
次回、魔王様に謁見。