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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

桜の樹の下、骨の君

作者: 月子

 高校へと向かう道の途中に、人知れず咲いている桜の樹がある。生まれてからずっとこの街に住んでいる僕も、高校に入るまでこの桜の存在を知らなかった。

 家の塀と塀の間にある小道を抜けた先、木造二階建てのボロアパートの敷地内。四方を家で囲まれているせいで、外から見ただけでは、そこに桜が植わっていることなどまず分からない。僕がこの桜を見つけられたのも、小道から風で流れてきた桜の花びらを偶然見かけたからだ。素人目から見てもかなり立派な桜であるにも関わらず、地元の人間に無名なのは、立地の悪さもあるのだろうが、おそらくもう一つ別の理由がある。

 それは、街じゅうでいつからか噂されるようになった、怪異譚にある。

 ――――身体の一部が骨の女、骨を求めて毎夜彷徨う。特に男は気を付けよ。その怪異の名は、「骨女」。

 高校生にもなって、幽霊や妖怪の類の話で盛り上がるなんて、と思う人もいるかもしれないが、どうにもただの噂と侮れない節がある。なぜなら、骨女を実際に見たという人が、多いのである。しかも、クラスメイトや友人、果てには家族に至るまで、自分に近しい人たちが、「骨女」を見たと言い張るのだ。見た人は皆口を揃えて、骨の右手を持つ、着物の女性だったと言っている。そして、その目撃場所で一番多いのが、このボロアパートの近く。つまりは桜の近くということになる。

 もちろん、街の人全員がその噂を真に受けている訳ではないだろう。だが、火のないところに煙は立たぬというべきか、例え怪異譚であろうと、よくない噂のある場所に人は近付きたがらないものなのである。

 その点、僕は少し人とずれていて、骨女なんて本当にいる訳がないと心の中で否定しつつも、それでも好奇心から、つい桜の近くの道を通学路として使っていた。

 学年が一つ上がっても、骨女の噂は消えることはなかったけれど、僕自身が骨女を目撃することは一度もなかった。小道の入り口の傍を通る度、桜の方へ欠かさず目を向けていたが、骨女どころか人の姿でさえ確かめることはなかった。

 ――そんなある日のこと。その日も、僕はその道を通って家への帰途をたどっていた。小道に差し掛かり、どうせ今日も何もないのだろうと思いながら、それでも目を向けた先。しかしそこには、満開の桜の樹の下にしゃがみこんでいる人影があったのだ。

 それは、菫色の着物を着た女性だった。女性は、右手に持ったスコップでひたすら土を掘っていた。

 瞬間、骨女の話が僕の頭に浮かんだ。だか、その女性の右手は、どこからどう見ても生きている人間の手だった。あの人は骨女じゃない、という事実に少しがっかりするも、同時に一つの疑問が浮かぶ。

 あの人は、どうして地面に穴を掘っているのだろう。左手に何かを抱えているようだが、それが何なのか、僕の位置からではちょうど見えなかった。あまり関わらないほうがいいんじゃないかと思いもしたが、どうしても好奇心の方が勝ってしまい、僕は女性に気付かれない程度の距離まで近付き、そっと左手の中身を探る。

 女性の左手には、白い塊が抱きかかえられていた。白くて丸いそれは、女性の膝の半分を占領していて、遠巻きにそれが何なのかを理解した途端、僕は、あ、と声を漏らしていた。

 その声が聞こえたのだろう。着物の女性は、土を掘る手を止め、ゆるりと顔を僕の方へと向けた。

 その顔を見て、僕は思わず息を呑んだ。背筋が凍るほど美しい人というのは、きっとこの人のような人を指すのだろう。ゾッとするぐらい綺麗な顔立ちをしていた。

「何か用かしら、少年?」

 少し低めの心地良い声だった。見咎められるかと思ったが、その声は、意外にも柔らかさを含んでいた。

「え、あ、いや。用とか、そういうのじゃなくて……」

 しどろもどろになりながらも、僕は白い塊を指差し、

「その猫、僕も近所でよく見かけてたので……、つい声出しちゃって」

 女性が抱えていたのは、家の近所でよく見かける野良の白猫だった。野良にしては人懐こく、自分の方から近寄ってきたため、その度、僕はその毛並みを触らせてもらっていた。そんなちょっとした縁のある猫は、今女性の腕の中で力なく横たわっていた。

「ああ、この猫――。車に轢かれて、死んでいたのを見つけたものだから、埋めてあげようと思って」

「あ……、そう、ですか……。死んじゃったんですね、そいつ……」

 確かに、白猫の姿からは、生気というものが一切感じられなかった。生きていた時の姿と比べると、なんだか悲しみが込みあげてきて、気付けば、穴掘りを手伝わさせてほしいと女性に言葉を投げかけていた。その猫に特別な思い入れがあった訳ではないけれど、せめて弔ってあげたかった。

 僕の提案に女性は微笑んで、

「じゃあ、お願いしようかしら」

と、僕にスコップを託した。

 猫を埋める程度の穴を掘るのに、そう時間はかからなかった。その間、僕も女性も一言も言葉を発さなかった。

「あの、穴掘れたんで、そいつ埋めますね。死体、もらっていいですか」

 そうして僕が手を差し出すと、女性はキョトンとした表情を浮かべる。

「あなた、死体は平気なの?」

「え? いや、平気ではないですけど、猫の死体ぐらいなら、まあなんとか……」

「そう。――じゃあ、落とさないで。ちゃんと埋めてあげてね」

 その言葉に内心首を傾げながら、女性から猫を受け取り、

「――ヒッ」

 僕は思わず、それを地面へと叩き付けた。

「…………非道いことするのねえ、少年」

「ちがっ――」

 違うと、否定の言葉を言おうと顔を上げた先には、薄ら笑いを浮かべた女性の顔があった。

「何が違うの? 猫の感触? ――そりゃそうでしょうね」

 ぐったりしているのは、死んでいるからだと思った。そこにあるべき命がないから、柔らかくて重いのだと。だけど違う。死んでいるからとか、そういう問題じゃない。これはそういう感触ではなかった。これは、まるで。

「だってその猫、骨が全部無いんだもの」

 ぜーんぶ私がとっちゃった。そう嗤う彼女を背に、僕はその場から逃げ出していた。骨女の噂が、もう一度僕の脳裏をかすめる。そんな馬鹿なことがあるものか。だって、あの人の右手は、ちゃんと人のそれだったじゃないか。

 小道から抜け、乱れた息を整えるために走る足を止めた時、よせばいいのに、僕は振り返ってしまった。どうしても、確かめずにはいられなかった。

 着物の袖から見える彼女の右手は、間違いなく、骨の形をしていた。



 六畳半の小さな部屋で、二人の女性が卓袱台を挟んで座っていた。夕飯時なのだろう。卓袱台には質素ながらも家庭味にあふれた料理が並んでいた。ワンピースを着ている片方の女性は、左腕がないながらも器用にご飯をつまみ、目の前に座る菫色の紬に身を包んだもう片方の女性に言葉を投げる。

「――で、その子は逃げ出しちゃった訳だ。あまねさんに恐れをなして」

「怖がらなくてもよかったのにね。私はただ、埋葬してただけなのに」

「骨のない死体をですか?」

「正確には、猫の骨格標本を作るために骨取りした死体、だけどね。ちゃんと縫い合わせて元通りにしてるし、ゴミとして捨てるよりはマシでしょう?」

「そういう問題じゃないと思います。後、ご飯食べながらする話でもないかと」

「そんなの今更じゃない」

「まあ、そうなんですけど。――ああ、そういや順調に広まってますよ、骨女の噂」

「そう」

「そう、って……。何が目的なのか、少しは私に教えてくださいよ。自分をモデルにした怪異譚なんか広めて、その骨が自分の腕であるかのように振る舞って……。噂を広めるのにわざわざ協力してるのに、人のこと利用するだけ利用して、何も寄越さないつもりですか?」

 紬の女性の腕は、両方とも肉が付いた人の形をしていた。しかし、正座する女性の太腿の上には、人間の右腕の骨が静かに横たえられていた。

「目的、ねえ……」

 紬の女性は、持っていた箸を置くと、そのまま自分の指と骨の指を絡ませる。そうして、向かいに座る女性に眇を向ける。

「それ、お前に言う必要ある?」

「……野暮な質問でした」

「全くよ。自分の踏み込んで欲しくないところには、お互い詮索しない約束でしょ。――ところで、今新作書いてるのよね? 進み具合はどうなの?」

「プロットは終わったので、後は書きあげるだけです。しばらく部屋に籠るので、何かあったらよろしくお願いします」

「任せなさい。そのために同居させられてるようなものなんだから。ま、程々にしなさいよ」

「書き始めたら最後まで書いちゃいたいので、その話は聞けませんねえ。というか周さんも、動物の死体を見つけては骨格標本にしようとするの勘弁して欲しいんですが。好い加減寝る場所がなくなりそうです」

「仕事も兼ねてるから、その話は聞けないわねえ」

 その遣り取りに、二人は声を殺して笑いあう。

「お互い様ですね」

「本当にね」

 食事を終え、食器を片付けると、彼女たちはそれぞれ自分の作業へと戻っていく。彼女たちの生活に家族のような温かさはなく、友人のような親しみの欠片もない。奇妙な二人の奇妙な共同生活が続く限り、この街から骨女の噂が途絶えることはないだろう。

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