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「どうしたの? 」


川澄は立ち往生している俺にごく自然な第二声目を掛けてきた。


「あ、いや」


明らかに意識している俺。 あの日のキスがフラッシュバックする。 あの日あの部屋で不意討ちにされたキス。 その日以来真正面から川澄の顔を見ることが出来ないでいた。 言葉が詰まれば詰まるだけ形勢が不利になっていく、 川澄にしたっていきなりキスしてきたものの、それっきりでその後何か言い出す訳でもなかった。 それで余計に気まずくなってしまった。 不恰好に、 それでもなんとか保たれていたバランスが川澄の先制パンチで動こうとしている。


「あれ? 動揺? 」


「ど、ど、動揺してねえよ」


「フフ、 分かりやすいのね」


川澄は笑いには余裕がある。


「せっかく雨が上がってるんだから今のうちに帰らないと自転車だと40分は掛かるんでしょ? 」


まだ雨雲の残る薄暗い空を指して川澄は言った。


川澄はあの日のキスをどう思っているのだろう、 川澄から仕掛けてきた不意討ちのキス。 けれど素直に好意だと受け取れないもどかしさだけが残っている。


「分かってんだけど、その…… 」


「うん? 」


「鍵が、 見つからないんだよ」


「あら、 スペアのキーとかは? 」


「家」


「じゃあ一緒に帰ろうよ、たまには電車で」


優しい笑顔。


そんな川澄の微笑んだ瞳は、彼女のことを信じきれないでいたさっきまでの俺の気持ちをすべて拭い去るほど魅力的だった。


普段は電車に乗る機会などほとんど無かった。 車窓には俺があまり見たことのない俺の住む街が映し出される。 側に続く国道には帰宅時間のせいか、なかなか進めないでいる車が列をなしていた。 俺たちを乗せた二両編成のコバルトブルーの車輌はその渋滞を横目に静かに進んで行く。 電車はガタンゴトンと揺れながら走るものだと思っていたけどこんなにも静かで振動もほとんどないことに初めて気付いた。 気付けたのはきっと隣に笑いながら楽しそうに話す川澄が居るからだろう。 気持ちが休まる。 余裕が出てくる。 川澄と居るとやっぱり楽しい。 ずっと心に引っ掛かっていたもどかしさの正体はきっと俺自身の余裕の無さだったのだろう、 俺、やっぱり川澄と付き合いたい。


駅に着いて川澄は預かり所から自転車を押してきた。


「瀬野君が運転ね」


川澄の自転車は荷台の付いたシティサイクルだった。 川澄は嬉しそうに俺にハンドルを預けると自分は荷台に横向きに座る準備をした。


「危ないから持ってろよな、その…… しっかりと…… 」


「こう? 」


川澄は俺の腰に腕を回してイタズラっぽく笑う。


その感触が少しくすぐったかったけどもったいないから我慢してそのままペダルを漕ぎ出した。


普段上田やヒロトたちとニケツしたって全然重くもないしバランスも崩すことなんかないけど腰と背中に当たる川澄の身体が俺の緊張の度合いを限りなく引き上げた。


「おっ! おっ! おっ! 」


「大丈夫? クネクネしてるよ」


川澄は楽しそうに俺をからかう。


「キャー、 ハハハ、 転けないでよ、 キズモノになったら責任取ってもらうからね」


それはそれで良し! ならばと思いきって俺はペダルを漕ぐ脚に一気に力を込めた。


「速い速い! キャー 」


「恐い? 」


俺も調子に乗ってからかうように聞いてみた。


「恐くなんかないよー、 死んだっていいもーん 」


「俺と一緒になら? 」


なんて、さらっと言ってみた。


「ざんねーん、 ミスキャストね 」


「なんだよチクショー! 」


笑いながら軽くあしらわれたが、それでいて川澄の身体はより一層俺の背中にピタッとくっつき、温もりが薄いシャツを素通りしてダイレクトに伝わってきた。


イケる!


今日ならイケそうな気がする!


「どうしたの? 急に黙っちゃって、 あれ? もしかして落ち込んだ? 」


「ん? あ、 考え事してた。 あのさ、俺今日ならイケそうな気がするんだ」


「何が? 」


「アイツ、 ほら、 目の前のアイツ」


川澄は俺の背中越しに自転車の進む方向を確かめた。


「アイツって? 」


「あの坂道、 俺まだ一度も自転車で登り切ったこと無かったけど今日ならイケそう、 勢い付けるからしっかり掴んどけよ」


「えっ!? 私を乗せたまま? 一人でも成功したことないんでしょ? 」


「川澄を乗せたままじゃなきゃ意味ねえんだよ、行くぞ! おりゃぁ」


俺は坂の60メートルほど手前から全速力でペダルを漕ぐとそのまま一気に駈け登った。


イケる! イケる! いかなきゃ!


「お…… ど…… りゃぁ…… 」


やっぱりイケる! 一人の時とそれほどキツさは変わらない。


あと3メートル位か? もう首を伸ばせば坂の向こうの景色も見える。 雨はすっかり止み、目の前にいつか坂の上から途中で諦めた俺を嘲笑っていたでっかい夕日が現れた。


絶対(ぜってー)登ってやる、 チクショー…… 川澄! 俺が登り切ったら…… 付き…… あっ…… 」


息も出来なくなってきた。 もう少しなんだ、 ひと呼吸するだけでも身体中の力が抜けてしまいそうだ、 頭に血が上る、 やべぇ鼻血出そう。


「付き…… あって…… く…… 」


あと一漕ぎ、 この右足を踏み込めば!


「れ! 」


スッと自転車が軽くなり全力を込めた右足は勢いよくペダルを蹴り俺を坂のてっぺんまで運びきった。


「よっしゃー! 川澄…… ぜぇ、ぜぇ、 あれ? 川澄? 」


軽くなった自転車の後ろに川澄は乗っては居なかった。 急に自転車が軽くなったのは川澄が飛び降りたからだった。


「ごめんね、瀬野君。 一緒には登れない」

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