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その日俺と芽衣は光彦先生の手伝いで職員室にいた。
授業で使う光彦先生自主製作の課題プリントを五ページ分、芽衣が揃えて俺がホチキスで綴じるだけの単調な作業だったので、芽衣は手を動かしながら絶えず喋っていた。
「でね、達哉ったら夜までずっと屋根の上に隠れていたんですよ。 で、馬鹿だからそのまま寝ちゃって寝返りうった時に屋根から落ちて見つかったんです」
「ハハハハ でもよく無事だったね」
「ちょうど大きな木が屋根にくっ付くように植えてあったからそれがクッションになって、でも小学校三年生がですよ、ナオミちゃんに怒られたからって屋根の上なんかに登るなんて」
あれは九年前だった、俺が芽衣の家の隣のアパートに母ちゃんと二人で住んでた頃、一度だけ母ちゃんにもの凄く怒られたことがあった。 芽衣が話したように結末が屋根からの転落事故という騒動に発展したこともあり、その怒られた原因自体は有耶無耶になったし俺自身どうでもいいんだが。
外傷は木に当たってずり落ちた時に出来た擦過傷ぐらいだったんだけど、心配した芽衣の父ちゃんが車で病院まで連れて行ってくれたのだった。 後部座席で俺を膝枕していた母ちゃんが何度も何度も「ごめんね」と繰り返してるのを俺は申し訳なくは思いながらもここぞとばかりに「ゲームが欲しい…… 」って小さな声で呟いた。
母ちゃんは「分かったよ病院終わったら買いに行こうね」って小さな俺をギュッと抱きしめて震える声で言ってくれた。
結局検査の結果もどこにも異常がなくすぐに帰ることになったのだけど、帰りの車でも母ちゃんも芽衣の両親も芽衣までも優しく声を掛けてくれたのを覚えている。
「凄いね、達哉君は不死身のヒーローだ」
光彦先生がおかしそうに笑うと芽衣はわざとらしく大袈裟に身体を震わせながら「ゾンビですよ、不死身の」と隣に座る俺から逃げるように言いやがった。
「そのあとだってしばらくの間、達哉ったら被害者面してやりたい放題だったんですよお見舞いに持っていった私の分までケーキ食べたり」
「あれは芽衣がくれるって言ったんじゃねえかよ」
「返事聞く前にもう口に入れてたでしょ! アンタはいつもそうなのよね、私のキ…… 」
「なんだよ」
「な、なんでもないわよ! 」
芽衣が何を言おうとしたのか、そう、はっきり覚えている。
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「大丈夫? 達哉」
「スー スー スー」
「寝てるの? 」
「芽……衣…… め…… い…… 」
「ん? なあに? 」
「め…… 」
「よく聞こえないよ、なあに? 」
「おおきな…… こえが…… でない…… ち、ちかくに…… きて…… 」
「達哉? こう? 」
チュッ
時間が止まった。
二人とも子供過ぎたのか、俺はテレビで見たことがあるキスってやつを一度やってみたかっただけで、芽衣は何をされたのかも分からないような表情のまま。唇と唇が微かに触れたその瞬間、周りの景色も、雑音も、怪我の痛みも、すべてが消え去った。
我に帰った時計の秒針が慌てて動き出す。カチッ カチッ カチッ と、恥ずかしさを紛らわすように大きな音を立てて。
「早く元気になってね」
何もなかったような芽衣の反応だったから、俺はてっきり芽衣はキスってものを知らなかったんだと思ったし、あれから何年も経ってきっと芽衣は忘れているだろうと思っていた。コイツ、しっかり覚えていたんだな。
「さあ、それで終わりだね。 二人ともありがとう、おかげで今日は早く帰れそうだよ」
綴じたプリントをきれいに積み直し、くるっと椅子を半回転させると光彦先生は深々とお辞儀をした。




