展覧会の絵 Ⅰ
それから、またひと月が過ぎてゆき、和香子は健人がいない日常にも慣れてきた。生きていくために、思ったよりも人間の心というものは逞しくできているらしい。少しずつ以前のように夜も眠れるようになった。
時折健人への想いが募って、どうしようもなく切なくなるけれども、その痛みを感じなくなるのには、もっと時間が必要なのだろう。
そんな毎日を過ごしていたある日の朝、同僚の美術教師が上気させた顔で、和香子のところへやってきた。
「石井先生!君、絵のモデルなんてやってたんだね!!いゃ〜、ビックリしたよ〜」
「……え?」
なんのことを言っているのか分からず、和香子は首を傾げた。絵のモデルなんて、健人にも頼まれたことがない。
「いえ、私は……。人違いだと思います」
その美術教師の話では、今開催されている県美展を見に行ったら、その大賞に入っていた作品に描かれている女性が、和香子にそっくりとのことだ。
「なんだぁ、石井先生じゃないの?なんだぁ…」
と、美術教師のガッカリしたような含みのある言い方と、意味深な目つきも気になったが、話の内容の方が和香子の意識に引っかかった。
だけど、勤務の間を抜けて、県美展が開催されている美術館に行くことはできず、和香子は休みの日を待って行ってみることにした。
――もしかして……、健人が……?
和香子の周りで美術に関わりのある人間といったら、健人くらいしかいない。
――でも、あの健人が絵を描いた……?
和香子と一緒に暮らす間、一枚の絵も描くことのなかった健人が。しかも、〝別れた〟和香子をモデルにして?
期待と疑いが入り混じって、和香子を落ち着かせなかった。
休みの日で、展覧会の会期も終わりに近いこともあって、美術館は思いの外多くの人で賑わっていた。
入選したたくさんの書や写真、彫塑をよそ目にして、和香子は絵画の大賞作品を探す。……すると、美術館のちょうど真ん中、いちばんメインとなる場所に、それは展示されていた。
高さが2メートルを超える大きな油絵。淡い色彩で描かれているそれには、等身大の一人の女性が描かれていた。
その絵の美しさと迫力に、和香子はしばし圧倒されて立ちすくむ。
そして――……
「……っっ!!」
思わず声にならない悲鳴をあげ、両手で口を覆った。
その女性は紛れもなく和香子だった。
窓辺にたたずむその姿は、天女の羽衣のような薄衣を身にまとっただけの裸身で、乳房やヘソの横にあるホクロも、太ももの内側にある小さな赤いアザも、細部にわたって忠実に描き込まれている。こんな絵が描けるのは、和香子の体の隅々まで知り尽くしている健人だけだ。
「やだ!!見ないでください!見ないでくださいっ!!」
和香子は真っ赤になって絵の前に立ちはだかり、絵に描かれているヌードの自分を、両腕を伸ばし全身で隠した。
「お客様、展示品にはお手を触れないでください!」
和香子の行動を見咎めた美術館の係員から声をかけられても、和香子はそこから動こうとはしなかった。押し問答のようになって、却って周りにいる観覧者の目を引いてしまう。
「……和香子?観に来てくれたんだ?」
その時、懐かしい声が響き渡る。
和香子が振り向くと、美術館の係員の背後に、健人が立っていた。