オベッハプエブロ
オルトロスとの逃走劇は熾烈を極めた。
素早いリロードと銃での牽制で最低限、近寄らせはさせていないものの、やはり、体格の大きさからかダメージは通り辛く怯む気配もない。
とはいえ、このまま逃げきれないとも言い切れない。
弾はオルトロスに直撃はしているし、ダメージは通りにくいだろうが、確実に蓄積はしているはずだ。
ただ、リロードに関しては回転式拳銃なので装填のロスはやはりある。そのことを考慮していなければあっという間に仏様になってしまうことだろう。
街に着きさえすれば後はどうにでもなるんだが、こればかりは運次第だ。
「チッ…! 諦めわりーなもうっ!」
俺は懐から手作りで作った火薬玉を幾つか取り出すとそれをオルトロスに向かって投げつけ、炎魔法を含めた弾丸を使って射撃し、無理矢理爆発させた。
眼前で炸裂するその爆発に驚いたオルトロスは思わず雄叫びをあげて怯む、うまい具合に目に直撃していたし、視界を奪うことはできただろう。
さらに、鼻先には火薬の匂いが染み付いた筈だ。流石に諦めるだろうと俺も愛馬を走らせながら少しばかり確信していた。
だが、事はそう上手くはいかないものだ。逆に怒り狂ったオルトロスは俺達の足音だけを頼りに追撃をやめようとはしなかった。
「なんつー…いや、こりゃ本格的にやべーな」
「ガァァ!!」
俺もこれには顔をひきつらせるしかなかった。
だから、モンスターなんかよりも人間の方が楽に狩れるから良いんだと前々から言ってきたのだ。
モンスターは理不尽に出現しては、人を襲う災害のようなもの、そんなのを好んで殺したがるキチガイみたいなやつらの頭の中を一度見てみたいものだ。
生憎、奇しくも一応、俺もその職業の名前で働いた事が少しばかりあるのでその類の人間だったのは否定できないのだけども。
「街は視認できてるし…、よしっ! シャンドレッ! 頑張れッ!」
俺は愛馬の首をそっと撫でながら笑みを浮かべる。
視認できる距離なら、なんとかなる。
笑みがつい出てしまったのは、多分、俺自身がなんやかんやでこういったスリルがあるギリギリの賭博が好きだからだろう。
要はこんなモンスターとやり合うってのは、命を賭けた賭博だ。
どっちが早く決着を着けるのかの勝負。
俺は追いかけて来るオルトロスの脚に向かって銃弾を何発も撃ち込み、少しでも時間を稼げるように励む。
オルトロスの装甲は確かに堅いが、それでも決して破れないというわけではない。
ダメージは必ず蓄積し、そのツケは奴に返ってくる。
そして、何十発目かはわからないが、俺が放った弾の一つがオルトロスの脚に直撃したその時だった。
「グガッ…!?」
オルトロスの身体が右へとヨレた。
本来、オルトロスのような巨体を持つモンスターは4本脚でその巨体を支えている。
右脚にダメージが蓄積すれば、そのバランスは大きく崩れてしまうのは必然だろう。
それを目視で確認した俺はニヤリと笑みが溢れた。そう、これは、俺にとってはかなりの好機だ。
距離が稼げる上にオルトロスのバランスが崩れた事で奴の足の速さが先程よりも衰えているという事が確認できたからだ。
それに、右脚を庇う奴を見た以上、俺がそこを念入りに攻撃しないという選択肢はない。
俺はポーチから火薬玉を取り出すとそれをオルトロスの右脚に向けて投擲した。
「そら、追加だ。とっときな」
そして、投擲したそれを俺は火炎属性を込めた銃弾で撃ち抜く。
銃弾が火薬玉に接触した瞬間、それはオルトロスの右脚で炸裂した。血塗れになる右脚を庇い叫び声を上げるオルトロス。
しかし、それでも俺とシャンドレを追う事を奴はやめようとはしなかった。
だが、その追走劇も終わりを迎える事になる。
街の門が目前に迫って来ていたからだ。
賢いモンスターなら、この街に俺が逃げ込もうとした時点で引き返していたことだろう。
だが、オルトロスは違った。
奴はこれまで討伐隊をいくつも退けた実績がある己の力に絶対的な自信を持っている誇り高いモンスターであった。
人間など、餌程度にしか思っていなかったのである。
そして、その人間からこれだけのダメージを負わされ、奴自身のプライドが傷つけられた。
人間の街など奴にとってはただの餌の溜まり場にしか過ぎない、その程度の認識だったのだろう。
叫び声を上げた奴は怒りに任せ、俺を背後から追撃してくる。
「…ま、それならそれで良いけどな」
俺は追撃してくるオルトロスを観察しながらそう呟き、拳銃をホルスターにしまうとシャンドレの尻を叩いて、さらに街に向かって加速した。
別に街にコイツが突っ込んで来たところで俺には関係ない事だ。
オルトロスに対して、ダメージはそれなりに与えてやっているし、後はそれ専門の奴らにコイツの相手をしてもらえば良い。
頃合いを見てサラッとオルトロスが弱ってきたところを手柄だけ最後に掻っさらって頂くとしよう、とだけ考える。
街の門に差し掛かった時、大慌てで門番達が声を張り上げる。
「ちょっとッ! 待てッ! あんなの引き連れてこの街に入るのは許可でき…」
「はーい、通るよー」
「待てッ!止まれッ!」
だが、俺とシャンドレは門を塞いでいた門番を無視して跳ね飛ばし、無理矢理、街へと流れ込んだ。
当然、街の門はその後、背後から迫り来るオルトロスの巨体で無残にも破壊されてしまう。
だが、騒ぎを聞きつけた街のギルドの冒険者達や騎士団がすぐさま、これ以上、オルトロスが街に入って来られないように立ち塞がった。
そして、逃げ惑う街の人々に紛れて、俺は路地裏まで逃げ込むとシャンドレを降りる。
それから追いかけて来たオルトロスの様子を見に行く事にした。おそらくだが、俺の予想が正しければ、今頃、街のギルドの連中と騎士団が奴と殺りあっているに違いない。
俺がシャンドレと共に路地裏に逃げ込む直前、こんな彼らの声を聞いたことをふと思い出す。
「クソッ! なんでオルトロスが街なんかにッ!?」
「魔法で援護をッ! 一人やられたぞッ!」
頼りないにも程がある。
俺が街に入ってきた時、街に巨大なモンスターが襲撃してくることがよほど予想外だったのか、住民は混乱し、右往左往していた。
当事者である俺はその様子を視認すべく街にある見晴らしの良い家の屋根上から眺めて静かに見守る事にした。
俺は壁を伝い、路地裏から街の屋根まで登る。このスキルは普段からやってる職業柄、自然と身についたものだから難なく登れる。
よくよく考えたら、アレを引き連れて街にやってきたのは相当迷惑だっただろうなとは改めて思う。
ちなみにエスケレトプエルトにあのオルトロスが流れ込んでくるようなら多分、数分あまりで奴は挽肉にされている事だろう。
俺が流れ込んだ隣町のオベッハプエブロが普段が平和な街だからこそ、こんな風な有事の際にはこうなってしまうのだろうなと冷静にそう思ってしまった。
オルトロスの懸賞金が高く釣り上がったのも納得出来てしまう。
とはいえ、オベッハプエブロは様々な分野の学院も点在し、割と規模が大きい街だ。
オルトロスが駆逐させられるのも時間の問題だろう。
後は弱ってきたところを掻っ攫って、俺が討伐してしまえば懸賞金の何割かは貰えるはずだ。
商人や貴族もオルトロスに襲われたような情報もあったのでそれなりの額は付くはず、その事を考えれば、奴が俺を諦めずに街まで追撃してきたのはなかなか美味い。
オルトロスに対して放たれる派手な火炎系魔法や雷系魔法が遠目からでもよく見える。
さて、そろそろ頃合いだろうか。
胡座をかいて見晴らしの良い屋根上から観察していた俺はスッと腰を上げるとオルトロスと戦闘をしているであろう地区に屋根伝いで向かう。
そして、オルトロスが流血をし、弱りきっている姿を屋根上から目視で確認した。
二つの頭はダラりと元気なく垂れ下がり、これなら、殺るのにも苦労しなさそうだ。
俺はポンと屋根からオルトロスの背中に飛び乗ると、背中を駆け上がり、装填した拳銃を構えて、オルトロスの頭にゼロ距離で発砲する。
いくら装甲が堅かろうが、ゼロ距離からの頭部発砲は防ぎようがないだろう。
これで、片方のオルトロスの頭の命は刈り取った。
「なっ…! いつの間にッ!」
騎士の一人が突如現れた俺の姿に驚き声を上げるが、無視して俺はオルトロスのもう片方の頭をターゲットに定める。
オルトロスから屠られた邪魔な死体を蹴り飛ばし、その死体が持っていたであろう短剣を拝借する。
そして、しっかりと足場を確保すると魔法で足に力を込めて跳躍する。
短い赤い髪が揺れたかと思うと、その身体は再びオルトロスの背中に飛び乗り、もう片方の頭に向かって駆け出していた。
勿論、オルトロスも黙ってやられたりしない。
片方の頭のように銃弾を撃ち込まれまいと左右に頭を激しく揺らす。
だが、俺は銃弾をオルトロスの首筋に向かって3発ほど撃ち込み、奴の動きを鈍らせる事にした。
悲鳴を上げるオルトロス、俺は頃合いを見計らって、背中から首へと一気に駆け上がり、拝借した短剣で奴の脳天に向かって短剣を勢いよく突き刺さした。
オルトロスは頭から勢いよく血が吹き出すと、力無く地面に巨体をドサリッと倒す。
倒れたオルトロスから身体を投げ出された俺はすぐさま受け身を取り、倒れた巨体に向かって拳銃をすっと構えた。
しばらく、観察しどうやら動く心配が無いと確認するとそれをホルスターに静かに仕舞う。
そして、オルトロスの返り血で汚くなった己のローブを改めて見て忌々しそうにこう呟いた。
「…だからモンスターってのは嫌なんだよ」
返り血を浴びたせいで錆臭い、さらに、たった一匹デカい狼を倒すのにもどっと疲れる。
とりあえず、ギルドに持っていく討伐の証にオルトロスの目玉を自前のナイフでくり抜いてそれをポーチに仕舞う。
モンスター退治はやはり割にあっていない仕事だと思うばかりだ。
早く風呂に入りたいとため息を吐き何故か街のギルドや騎士団達から拍手を受ける中、ロホは面倒くさそうにその場を後にした。
オベッハプエブロのギルド。
ここにも一応、エスケレトプエルトのような荒くれ者はいる事にはいるが、その冒険者の大半が騎士崩れか、学院を卒業したばかりの新人連中で構成されたパーティーばかりだ。
俺はそんな奴らを横目に見ながら、ギルドの受け付けにドサリと先ほど抉り取ってきた新鮮なオルトロスの目玉を四つ置く。
「新鮮で採れたてホヤホヤだ。サービスよろしくな」
「…は…っ!? え…これって…」
「さっきの騒ぎ聞いてたろ? 見に行ってみな、クソデカい死体が転がってっから」
そう言って、俺は親指で外を指差しながら、懐からタバコを取り出すとマッチで火をつけて煙を吐く。
それを聞いたギルドの受け付けのお嬢さんは目を輝かせるとにこやかな笑みを浮かべて俺にこう話をし始めた。
「あ…っ! もしかしてっ!街を襲撃しにきたオルトロスの討伐を貴女がやってくれたのかしら?」
語弊があるようだが、街を襲撃しにきた、ではなく俺が誘導して襲撃させたというのがこの場合は正しい。
とはいえ、そんな事はシラを切り通せば関係ない。現に俺自身で決着をつけたのだから問題は何もないだろう。
街であいつから殺されてしまった奴はお気の毒だとは思う、運がなかったと諦めてもらうしかないな。
タバコを吸う俺は話しかけてくるギルドの受け付けの綺麗な長い青髪お嬢さんに向かいこう告げる。
「レディストの姉御から話は聞いてんだろ? ロホだ」
「…あ…っ…は、はい…聞いています…色々とその…」
俺が自分の名前を出した途端に受け付け嬢は何やら怯えたような表情を浮かべ目を泳がせている。
エスケレトプエルトの話は隣町であるオベッハプエブロでも良く入ってくる。
オベッハプエブロに住んでいた冒険者が一週間ほど失踪したかと思うと、惨殺死体でエスケレトプエルトの浜辺で見つかったなんて事はざらにある話だ。
奴隷船商売が儲かるので海賊に転職していただの、気づいたら借金を背負わされ海に沈められていたなどなど。
奴隷船商売に関しては俺やバルバロイの旦那が取り締まったりしているのだが、それでも、あの街でやる奴らは幾らでもいる。
その中でもギルド間では俺の名前は良く聞くそうだ。
ギルドから出る殺しに関しての依頼は本来は裏の依頼になっている。
エスケレトプエルトでは他のギルドに比べて特に殺しに関しての依頼は何の問題なく引き受ける事ができるのだ。
その中で、俺は成果を上げている名の知れた荒くれ者という訳だ。
「それで? これ幾らになる?」
「ちょっとお待ちくださいね…?」
「早くしてね」
「はいっ…!」
顔をひきつらせる受け付け嬢は冷や汗を垂らしながら、部屋奥へと向かっていった。
とりあえず、意図せず金も手に入ったし、今日は良い宿でシャワーを浴びて美味しい酒とご飯でも食って寝よう。
俺はタバコの煙を吐きながら、カウンターに寄りかかりそんな事を呑気に考えるのだった。