二日酔いの少女
航海士の話を聞かされてから翌日。
レディストから手渡された写真を握りしめたまま、俺が目を覚ましたのは店にある硬いカウンターの上だった。
手元には空になったブランデーのグラスが握りしめられており、肩には柔らかい毛布が掛けられている。
どうやら、昨日の記憶が途中からぶっ飛んでいるらしい、かなり酒を飲みすぎて潰れてしまっていたようだ。
この毛布はおそらくレディストが掛けてくれたものだろう。
「うぇ…気持ち悪っ…」
思わず立ち上がる際に俺は足がフラつきカウンターに寄りかかるとそう呟いた。
ふと、手のあたりからズキリと痛みが走り、視線を向けて見てみると血の様なものが付着している。
全く見に覚えが無いが、これはなんなのだろうか。
「あ! 起きた? ロホ?」
「んぇ? …あー、レディストの姉御、今起きたよ…昨日の記憶無いんだけどさー」
「安心しなさい、またやっちゃっただけだから」
「…そうか、またやっちゃったか」
そう言って、にこやかな笑顔で俺に直ぐに告げるレディストの姉御の表情を見てすぐさまその事を悟った。
どうやら、酒を飲みすぎて記憶自体は無いが、大方予想がつく、誰かを殴り倒したか何かしたのだろう。
俺は女だ。そして、エスケレトプエルトのこんな店でお酒を飲んで酔っていれば悪い虫が寄ってくるのは当たり前。
そして、この街に長く居る者なら俺に近寄るまいとするのだが、新参者となると酔った俺が良いカモか何かに映るのだ。
そんな輩に対して大体、俺は拳か銃で応える、そうなればあとは殺し合いか乱闘騒ぎだ。
「…何人やったかなぁ…覚えてないよぅ…」
「さぁ、3人じゃなかったかしら? 1人は眉間に拳銃で一発。もう2人は腕の骨を折ってた気がするわね」
「うー…。また面倒事が増えそうな気がするー…」
そう言いながら、店のカウンターの上でうつ伏せになり死にそうな声を溢す俺。
まさか、昨日そんなことがあったとは全く覚えてないし、人間を1人殺してると聞けば思わず頭を抱えたくもなる。
しかし、ここはエスケレトプエルトでしかもレディストが経営している店だ。
死人が出ようが誰が死のうがここではなんの咎めは受けることはない。
この店で何が起こったとしてもここでの出来事、逆恨みはしないというのがこの街の掟なのだ。
早い話が死んだ奴が悪いという事である。
しかし、新参者にそのルールが適応されるかと言われれば怪しいところだ。
どっかの盗賊団かギャングか人攫い集団か…、そこらへんがこの街に出張ってくるようであればこのエスケレトプエルトも騒がしくなる事だろう。
しかし、殺ってしまったものは致し方ない、どうなるかは経過次第だ。
「…それで、…死体は…?」
「さぁね、この街なら健康な臓器は高値で売り買いされるからモンストルオに頼んで回収してもらったわよ」
「うへぇ…また借り作っちゃった…」
「ティグレさんにお礼言っておきなさいよ、はい、これ朝食」
そう言いながら、レディストは俺の目の前にトーストと卵焼き、焼いたハムを並べてくれた。
『モンストルオ』とはエスケレトプエルトを掌握する3大ファミリーの一角でこの街で力を持っているマフィアの様な者達の事を指す。
主にエスケレトプエルトの大海賊団を率いるバルバロイの旦那と繋がりが深く、モンストルオのトップであるティグレはバルバロイの妹だ。
そういう経緯か、バルバロイ海賊団とモンストルオには経済的な繋がりがある。
俺を奴隷船から解放してくれたのがバルバロイの旦那。そして、俺を引き取り育ててくれた人というのがモンストルオのトップのティグレだ。
ティグレとは虎という意味らしい、いろんな生きる術を教えてくれる過程で俺は彼女からそう教わった。
「ん…あんがとさん」
俺は目の前に出てきた朝食を口の中に放り込みはじめる。
ここで酔いつぶれて朝を迎えるとこうしてレディストが朝食を作ってくれるのがこの店の良いところである。
レディストの姉御が作る朝食はやはり美味しい、二日酔いがなければ尚良かったのだが、この際、贅沢は言ってられないだろう。
朝食を食べ終えた俺はホルスターにある相棒を取り出して確認する。案の定、やはり昨日眉間を撃ち抜いたやつの返り血が付着していた。
俺は深いため息を吐くとその付着している血を椅子に腰掛けたまま綺麗に拭き取りはじめる。
「…それで、妹さんに会わせてくれるんだっけ?」
「あー、あの娘ね! まぁ、エスケレトプエルトで会うわけには行かないから隣町で会う事になるとは思うけれど大丈夫?」
「隣町って言うと、ここからだとオベッハプエブロか?」
そう言いながら、俺は銃に付着した血痕を拭き取り首を傾げる。
確かにエスケレトプエルトでは治安的にも不安だが、船の航海士として彼女を迎い入れるならばいずれにしろこの街に住まう事になる。
わざわざ隣町まで行かなきゃならない手間を考えると渋りたくもなるが、レディストの姉御の紹介ならばそんな手間もたまには惜しまなくてはならないだろう。
「そうなるかな、一応、連絡は魔導通信機で入れとくけど?」
「そうしてもらうと助かるかな…ありがと」
「そうやって素直に笑って御礼言うと本当に可愛いのにね」
そう言いながら、クスクスと笑いを溢すレディスト。
するとそのレディストの姉御の言葉を聞いた俺は気づけば顔を林檎のように真っ赤にしていた。
普段からそんな事を言われる機会が少ないのでどうにもそれが照れ臭くむず痒いものだったからだろうか、兎にも角にもそんな風に言われるのは柄じゃない。
「な! ちょっ!へ、 下手なジョークでもタチ悪すぎだろっ…!」
「はいはい、それじゃ連絡入れとくわねー、子猫ちゃん」
「…っ!? 誰が子猫ちゃんだ! 誰が!…あいっ〜…!」
そう言いながら大声をあげたロホは思わず二日酔いからくる頭痛に耐えかねて頭を抑えた。
二日酔いはやっぱり辛い、頭痛が響き、心なしか涙が出てきた。
俺の身体は確かに小柄だが子猫扱いはいただけない、確かに猫ちゃんは好きだ、あの自由奔放でプニプニの肉球を見ていると我を忘れてしまう事もしばしばあるし…。
待てよ…、これは、ひょっとしてレディストの姉御からしてみれば遠回しに猫と大差が無いと扱われているという事では無いだろうか。
ペット扱いか…、なんだか泣けてきた。ニャーンとでも鳴いとこうかな。
ひとまず俺は手入れした拳銃を仕舞い、ため息を吐く。どちらにしろ、これからオベッハプエブロに向かわなきゃいけない。
俺は朝食のお代を静かにカウンターに置いてレディストの姉御の店を後にする。あのレディストの姉御の妹が果たしてどんな女なのか非常に気になるところだ。
それから、俺は街の一角にある馬小屋で預けていた馬を受け取りに向かった。
街から依頼の取引で出る事もしばしばある為、一応、愛馬は用意してある、実に可愛げがある奴だ。
馬小屋を管理している中年の黒い髭を生やした小太りのおっさんは俺の姿を見るなりにこやかな笑みを浮かべて声をかけにやってきた。
「よう! ロホ! 仕事かい? 相変わらず美人だねぇ」
「下手なおだてはやめなよ、カシージャの旦那。褒めても何にも出ないぞ? それで、シャンドレの調子はどうだい?」
そう言って何気ない挨拶を交わす俺はおだててくるカシージャと呼んだ馬小屋の男性に声をかける。
このおっさんには俺の愛馬であるシャンドレをよく預けている。馬の管理ならこのエスケレトプエルトで1番頼りになる男だ。
調子に乗って俺の尻を撫でる事があるのがたまに傷だが、それを除けば気前の良い優しいオヤジである。
「相変わらずよぉ、言うことを聞きやしねぇ…。お前さんそっくりだよ」
「そこが可愛いんじゃないか」
「まぁな、よくわかってんじゃねーか」
嬉しそうに笑うカシージャのおやじ。
飼い主によく似るとはよく言ったものであるがシャンドレは牝馬だ。だから、余計に女性に対して下心があるカシージャには単に手厳しいのかもしれない。
しかし、そんな馬の面倒を見るのをカシージャも楽しんでいる節がある。仕事に誠実でやり甲斐があるからだろう、そういう真面目な人間は俺はどちらかと言えば好きな方だ。
まぁ、だからと言って野郎に尻を撫でられるのは正直気色悪いので、硬い拳を毎回、彼の顔にお見舞いしたりしている。
「ちょっと待ってろ今連れてくる」
「蹴飛ばされんなよー」
「大丈夫だ! 昨日、三回ほど軽く蹴飛ばされたばっかだからよ」
「ダメじゃねーか」
そう言って、俺の言葉に大声で笑うカシージャは俺の愛馬であるシャンドレがいる馬小屋へと歩いていく。
三回も馬に蹴られて平気なカシージャのタフさには感心だ。シャンドレも戯れたつもりで蹴ったのかもしれないが大怪我しないか心配である。
それからしばらくして、カシージャは馬小屋から綺麗な芦毛の馬を率いてやってくる。カシージャに率いられる馬の方は何故か不機嫌そうにしていた。
「どうどう! 落ち着かねーか!」
「はっはー、なるほどねぇ、いつもこんな感じか」
「…こいつの背中に乗るなんて俺ぁ、絶対できる気がしないぜ」
カシージャはげっそりとした様子で暴れるシャンドレの手綱をしっかり握りしめてゆっくりと俺に近づけてくる。
そして、俺は久々に顔合わせしたシャンドレの顔を優しく撫でながら笑みを浮かべ首元にそっと手を添えると先ほどの暴れ方が嘘の様に穏やかになった。
芦毛のシャンドレはそっと俺の顔そばに顔を近づけるとまるで再会を喜ぶかの様に擦り合わせてくる。
「あはは、やめろって…、こそばゆいじゃねぇか」
「ブルルル」
「たく…、なんでこうも違うのかねぇ」
思わず、シャンドレの態度の違いにため息が溢れ出るカシージャ。それを見ていると普段、可愛がってる娘に嫌がられるお父さんの様にも見える。
シャンドレは牝馬で俺も女。女同士だから折り合いが良いだけかもしれないが、それにしても普段可愛がってるのだからもうちょっと愛嬌があってもいいんじゃないかとカシージャは愚痴を溢していた。
ひとまず俺はシャンドレに自宅から持ってきた手荷物を順にぶら下げていき、彼女に跨る。
そして、早速、手綱を握って街を出ようとした矢先、カシージャの旦那から俺は忠告されるようにこんな話を聞かされた。
「おい、ロホ、道中気を付けなよ、なんでも荒野にゃ最近物騒な魔獣が出るって話だからな」
「…物騒な魔獣?」
「あぁ、オルトロスだ…なんでも大型の奴で死人が60人くらい出てるってぇ話だからな」
カシージャの旦那はここ最近起きた魔物に関して深刻そうな表情を浮かべるとロホにそう告げる。
確かにオルトロスは遭遇すれば不味い事はわかる。黒い双頭の犬で、鬣の一本一本と尻尾が蛇で出来ている大型の魔物だ。
ただの犬なら眉間を撃てば済むが、頭が二つあって、しかも毒持ち蛇の尻尾と鬣があるならタチが悪いにも程がある。
現にギルドからの討伐依頼も貼り出されているという話であった。対人間なら幾らでも殺したり倒したりする自信はあるが魔物となると面倒この上ない、遭遇しないことを願うばかりだ。
「ご忠告ありがとさん、それじゃ行くよ、隣町だし、そんな物騒な奴には合わねぇだろ」
「気を付けてな、ロホ」
「はいよ」
そう告げると俺はシャンドレの手綱を軽く叩き、走らせエスケレトプエルトの正門から街外へと出て行く。
そして、俺はこの時、予想もしていなかった。
まさか、レディストの妹に会いに隣町に行くのにあんな面倒ごとに巻き込まれることになる事になろうとは…。
自分のツケは結局、自分で清算しなければならない。
そんな、単純な世の常をスラムで生活していた俺が完全に忘れていた事を改めて自覚させられる事になる。