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あまやどり

作者: ハチワレ

雨が降ってきたけれど、真っ暗だったから直ぐに雨とは気づかなかった。

家を出た時にはもう暗くなり始めていた。駅の高架下の駐輪所の蛍光灯や信号機、コンビニは真っ暗な夜に浮かんでいるみたいで、時々四角い窓だけの電車が車道の上を通り過ぎて行った。銀行だった場所は今は駐車場になっていて、空きを意味する緑色の『空』という文字が何もない所にやっぱり浮かんでいた。夜にしか見られない光は少し怖くて、なんだか綺麗だと思った。

けれど雨が強くなって、傘を差していなくても雨音が聞こえる様になってきたので、夜の散歩を中断して取り敢えず近くの家のガレージに避難することにした。車が置いてある場所には自転車とバイクが1台ずつ置いてあって、観葉植物や鉢植えの植木がジャングルの様に隙間なく置かれていて、大きなゴミ箱の中には草木に撒く為の雨水が貯められていた。ガレージの空いているスペースにしゃがみ込んで、街灯の前を光の線が真っ直ぐ落ちて行くのを眺めながら、わたしは途方に暮れて溜息を吐いた。

「なにしてるんだ?」

ふと隣から声が聞こえてその方に視線を向けた。けれど、そこには薄緑色の大きなゴミ箱があるだけだった。気のせいだと思ったけれど、一応立ち上がってゴミ箱を覗き込んでみた。中は濁った水が溜まっているだけで、雨どいから引き込まれた雨水が流れ込んでひび割れたところから溢れていた。底の見えない水面を覗いていると、突然水底に二つの黄色い光が見えて、わたしは目を見開いた。驚いて少しのけぞってて顔を上げると、反対に水の中からざばっと頭が現れた。

「意外と驚かないんだ」

街灯の明かりが映り込んだ顔は表面がぬるぬるしていそうだった。口にはちょっと前に水族館で見たカモノハシの様な嘴があって、頭は箒の毛の様で、天辺だけ髪が無かった。わたしが驚かないのには理由があった。見たことのある顔だったからだ。けれど一応尋ねてみる。

「かっぱ?」

わたしの質問にカッパはゴミ箱の淵に両手を掛けてこっちに少しだけ近づいた。

「そうだけど?」

「そうなんだ」

わたしの言葉で会話が無くなって、雨の音だけになった。不思議そうに真っ直ぐこっちを見ているカッパに、ふと疑問が浮かんだ。それは相手も同じだったみたいで、声が重なった。

「なんで」

「なんで」

質問が正面衝突してしまったので、今度は相手の言葉を待ってみたけれど、また雨の音しか聞こえなくなったので、取り敢えず聞いた。

「なに?」

「いや、そっちからでいいよ」

カッパは以外にも気を遣う性格なのだという事が分かった。明日学校で話そうと決めて、わたしは何を聞きたかったんだっけ?と首を捻った。少し前の記憶を辿って、直ぐに思い出した。

「なんでゴミ箱に入ってるの?」

カッパはそんな事か、とでも言いたそうな溜息を吐いてぶくぶくと水の中に顔の半分を沈めた。少し面倒くさそうに、わたしが思いついた疑問を尋ね続けた時のお父さんの様に少し疲れた様な声になった。

「住むところが無いからだよ。知らないかもしれないけど、ここは昔川だったんだよ?」

それは知らなかった。今はただの住宅街が広がっているだけで、空き缶や自転車が沈んでいる水路が在るくらいで、自然の面影はどこにも無かった。

「薄とか葦が茂ってて、ここでよく魚を取ったりしてたんだ。鮎が美味しかったけど、今はオタマジャクシとかボウフラを食ってるよ」

カッパは溜息を吐いてまた水の中に顔の半分を沈めてぶくぶく言った。

「お前は何してるんだ?こんなとこで」

わたしはそのままを答える。

「雨宿り」

「こんな時間に?子供が一人で?」

カッパは人の常識をよく知っているようだった。これも絵本にもネットにも載っていなかった情報だ。帰ったらウィキペディアに追加しとこう。やったこと無いけど出来るのかな?

「お父さんとお母さんが喧嘩してたから、仲直りするまで待ってるんだよ?」

「止めないの?喧嘩」

カッパはゴミ箱の淵に嘴をのっけてそのまま喋ったので、顎じゃなくて頭の方が動いた。

「止めたけど、逆に怒られちゃったんだよ。そんで遊んで来いって言われたけど、誰も遊んでくれる人いないから、散歩してた」

「そっか。じゃあ仕方ないな」

雨が上がるまでだからな?とカッパはこのガレージをまるで自分の家みたいに言った。

「それで、死んじゃったんだ、お前」

わたしはうん。と頷いた。

緑色の光が『空』で、青信号じゃないと気づいたのは、道を渡り切った後だった。ブレーキの音がして、気が付いたときには、もう横断歩道を渡り切ったあとだった。振り返ると斜めに止まったタクシーが急に走り出してライトが見えなくなった。痛みも何もなかったので、わたしはそろそろ家に帰ろうと、自分の体を置いてそのまま歩き出した。雨に濡れなかったから、音がするまで、街頭の前を雨粒が横切って白い引っ掻き傷をつけるまで気付かなかった。

「ホントは、帰れないんだよね」

わたしは笑いながら言った。3年生にもなって自分の家に帰れないなんてなんだか恥ずかしかったから。カッパは前を向いて、ガレージの外で光る雨を眺めていたけれど、独り言みたいに小さい声で言った。

「じゃあ、ついて行ってやろうか?」

「え?なんで?」

「ここにずっといられても困る」

カッパはそういうとゴミ箱の淵にしし唐みたいな指を引っ掛けた。ビニール傘みたいな水かきの付いた手でゴミ箱の淵を掴んで勢いをつけて飛び出した。クラスで一番小さいわたしよりもカッパは小さかった。

「外に出れるの、雨が降ってるうちだけだから、行くぞ?」

カッパがしし唐みたいな指の生えた手を差し出した。わたしはその手を握ると、少しぬるっとしていて、お父さんの田舎で魚釣りをしたときの鮎の感触を思い出した。

「もう喧嘩してないかな?」

少し不安になって尋ねると、カッパはなんでもない感じで言う。

「してないだろ。流石に」

カッパが歩き出そうとしたけど、わたしが動かなかったのでつんのめって振り返る。なんだよ?という様に少し睨んでくる黄色い目に、わたしはふと気になることを聞いた。

「わたしの家、知ってるの?」

「あ…」

カッパは少し気まずそうに顔を逸らした。

「まあ、歩いてれば着くだろ?」

「まあ、そうだね」

わたしたちはガレージを出て歩き出した。雨は静かに夜を黒く塗り続けていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読んでいて飽きないし、作品自体が爽やかなほのぼのとした雰囲気だから想像をしやすい。 [気になる点] 地の文章と会話文との間に間を空けてくれるとバランスが良くなって更に読みやすくなるんではな…
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