第93話
ラックは現状に満足することなく、すぐに次のスペルを唱える。
「アンガリア パー ベレーポ!」
ライトブルーの光がツバサを包む。これは視界確保の補助スペルである。剣は接近戦でないと戦えない。この場を覆う白い霧を利用して、相手の懐へ切り込めということなのだろう。
魔法の種類は多岐に亘る。ツバサも、恐らくはカノンでさえ、その全てを見たことはないし、勿論把握もできていない。スペルカードを見ただけでは、それがどのような効果をもたらすものなのか瞬時に判断できないこともある。しかしラックにはそれがない。全ての魔法を把握し、自由自在に操る。魔法に限って言えば、WGSで彼の右に出るものはいないだろう。
「行けツバサ!」
ツバサはラックの言葉に首を縦に振り、白い煙の中に突っ込んだ。通常であれば相手の姿さえ捉えることはできないだろう。しかし今のツバサには雲のような水蒸気が薄まり、向こう側がはっきりと見える。
まず狙うはゼノンの秘書。ツバサは足音をできるだけ殺しながら、彼女が手に持つ銃を弾こうと向かう。ツバサは剣を左下に構え、間合いに入ったところで右上に向かって振り上げた。しかし、ツバサの剣先が彼女の銃を捉えることはなかった。
「!?」
ツバサが剣を振るのを見越して相手が避けたような、そんな感じがした。
相手におれが見えている!?
そんなことはないはずだ。今ツバサは青い光を纏っているが、強く光を放っているわけではないし、視界が悪い今の状況であんなに機敏且つ無駄なく避けられるはずがない。僅かな隙が命取りになるこの状況なのだ。では一体どういうことなのか……?
コンマ数秒の内にそんな疑問が湧いたが、ツバサの思考はそこで中断された。彼女は見えないはずのツバサに向かって銃口を向けたのだ。
「――――っ!?」
パンッというくぐもった音が響く。ツバサは俊敏に体を逸らしたが、完全には無理だった。左頬から一筋の切れ目が横に入り、そこから細く血が流れる。
一体どうして!?
ツバサは奥歯を噛む。一方、秘書は見えないツバサに向かって銃口を向け続ける。
彼女にはなぜか自分の居場所が分かるのかもしれない。そう思い、ツバサは頬の血を拭って再び剣を構えた。飛び道具の銃相手ではツバサの方が不利だが、そういう相手でも距離を詰める方法はWGSの実戦訓練で学んできた。
秘書は動くツバサに向かって、狂いなくその方向へ発砲を重ねる。ツバサは剣を縦に据え、弾と剣が触れるその刹那に剣の傾きを変えて受け流す。僅かでもそのタイミングがずれれば、剣に罅が入ったり、当たりどころが悪ければ折れてしまうことだってあるだろう。しかしそれでも戦わなくてはならない。剣を自分の手足だと認識し、伝わる感覚を研ぎ澄ます。そうしてツバサは剣の角度を変えているのだ。
銃弾を着実に受け流し、秘書が再びツバサの間合いに入った。彼女が次に引き金を引くよりも早く剣を振り上げる。オートマチックピストルは秘書の手から弾かれ、宙を舞う。そして音を立てて彼女の後方に落下した。
「やるわね……!」
相手から称賛の言葉が微かに漏れ聞こえた。ツバサは刃先ではなく剣の側面を向ける。そして右上にあった剣をそのまま彼女の肩へと落とした。しかし秘書はスカートに挟み隠し持っていた刃先の長いナイフを取り出し、受け止める。それから女性のものとは思えない力強さで交錯するツバサの剣をナイフで滑り弾いた。その後も激しい剣戟が続く。
白い霧はそろそろ晴れてきて、皆の視界がクリアになっていく。