第9話
「いっ!」
あまりの痛さにツバサは思わず声を上げる。メンバーたちはすぐさま声の方に視線を向けた。ツバサは即座に腰を屈め、痛覚が伝う原点に目をやる。
「!?」
ツバサの瞳孔が開かれ、その一点を凝視する。
「モリンスリス!?」
驚きのあまり、それしか言葉にできない。小さなモリンスリスはツバサの左足首に必死にしがみ付き、成長しかけのエッジの効いた歯で地の厚い訓練服の上から噛み付いていたのだ。
ツバサは奥歯を噛んで痛みをぐっと堪え、モリンスリスを引き離す。訓練服には細い穴が二つ空いていた。
モリンスリスの首根っこを掴んだ左手を目の前に運び、その小獣をじっと見つめる。大きさから見て、先ほどのモリンスリスに間違いない。
「……お前、もしかして付いて来たいのか?」
ツバサがそう問いかけた直後、モリンスリスはまるで言葉を理解しているかのように暴れ、尻尾を巧みに利用して左手の甲に回り、そのままガブリと鋭い歯を食い込ませた。
「いってぇ!!」
歯と肉の間に何もない今回の方が、痛み倍増である。
モリンスリスはツバサの手を何度も噛み続けた。しかし、ツバサはそれを振り落とそうとしない。そのせいで彼の手は血だらけとなり、メンバーたちはツバサが何をしたいのかも解らず、ただ呆れ返っていた。
「ツバサ、お前何したいの?」
モリンスリスを一瞥してから、溜息交じりに訊ねるディノ。それに対し、ツバサは半泣きになりながらも、何とか笑みを形成しようとしていた。
「いやさ、こいつをこのままここに置いてっても、餌の取り方が分からないから飢え死にしちゃうのかなって思ってさ。それを本能で理解してて、だからわざわざおれたちに気付いてほしくて付いて来たのかなって」
その発言に、ディノは二の句が継げないといったように深く息を吐く。
「で? もし仮にそうだったとして、どうするつもり?」
すると、ツバサはディノを真っ直ぐ見据え、自信満々に言い放った。
「飼う」
「飼うぅ!?」
ディノは傾いたメガネの位置を修正し、咳払いをする。
「ツバサ君、モリンスリスの餌は血液だよ? そんなのどうやって調達するのさ。まさか、文字通り身を削って育てるとか言うんじゃないだろうね?」
「……他の食料で代替できるものがあるかもしれないから探してみるけど、もしなかったら……それも致し方ない」
「……自己犠牲万歳」
ディノはげんなりしながら、口元を引きつらせる。
暫くすると、モリンスリスは噛み疲れたのか、動きを止めてツバサの右肩に移動した。尻尾をツバサの首元に回し、落ちないように固定した後、伏せをして眠り始めた。
結局、クライアントのペットは他のパーティーが見つけ、終了した。
ツバサは背中の色からモリンスリスに〝モカ〟と名付け、育て始めた。初めは暫く反抗していたが、生存本能が備わっているだけあって空腹には耐えられなかったらしい。徐々にツバサが与えるものを口にするようになった。
ミルクをあげたり、トマトジュースをあげたりしてみたが、どれも好みでなかったようだ。試行錯誤の末、レバーと卵黄とあさりと湯葉をミキサーでドロドロにしたものなら食べてくれることが判った。
こうして、今ではモカに襲われずに一緒に過ごせている。
キャンパス・シップには黙ってモカを持ち込んだが、一週間ほどで教官にバレてしまった。野生だったモンスターを飼うことに対してWGSには強く反対された。しかし、モカは彼らの口を黙らせるだけの賢さがあった。
教官の前で人間に逆らっているところを見られれば自分の命が危ないと理解しているのか、彼らのいる前ではモカはツバサが命令するどんなことにも従った。ペンを持って来い、と言えばペンを運んで来るし、食事の前に、待て、と言えば待つ。教官の前でそれを見せ、何とかモカを飼うことの許可を得たのだった。