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第1話

 街は悲鳴で満ちていた。空から押し寄せる航空機。それらから落とされる無数の爆弾。建物は破壊され、炎が酸素を吸って大きくなっていく。


 男は一人の赤ん坊を抱きかかえ、走っていた。まだ生まれてから一年も経っていない。この子だけは助けなくてはならない。父性がそう告げていた。


 男は街を出て、ある場所を目指した。そこは木々に囲まれ、陸地は苔が敷き詰められた空間。青く透き通った水が溜まる湖。その淵まで走り寄り、男は赤ん坊を地面に優しく寝かせた。そのまま踵を返すようにすぐに背を向ける。


「どこに行くの?」


 女の声が聞こえた。儚く消え入りそうな、しかし透き通った美しい声。


「街に戻る」


 男はそう答えた。


「どうして? 今街はとても危険よ。戻ればあなたは助からないかもしれないわ」

「それでも僕は戻らなくちゃいけない」

「どうして!?」


 悲しそうに、だが力強く問う女に男は半身だけ翻した。


「逃げて来るのに必死で、アレを忘れてしまったんだ」


 女の瞳が大きく見開かれる。暫し押し黙り、それからぽつりと呟いた。


「……また作ればいいじゃない」

「そういうわけにはいかない。アレは特別なものだ。もう一度同じものが作れるとは限らない。僕はアレを失ってしまったら、きっと後悔すると思うんだ」

「……どうしても行くのね?」


 男は女から視線を逸らした。彼女の気持ちは解るし、自分だって死にたくない。男の視界に無邪気に笑う赤ん坊の姿が映る。何よりこの子の成長する姿を見たい。生きたい。


 しかし、戻らなくてはならない。


 男は拳を握り締め、静かに頷いた。


「そう……。あなたがそこまで言うなら止めないわ。でも必ず生きて戻って来て。わたしとこの子にあなたの顔をもう一度見せて」

「ああ」


 男はそれだけ言うと、もう一度女と赤ん坊の姿を目に焼き付け、再び危険な街に向かって疾駆した。


 数十分後、街は未だ嘗て見たことがないほど橙に染まり、轟音を世界中に響かせた。女は人知れず涙を零し、それは湖の青に溶けて消える。


 男が女の元に戻って来ることはなかった――。

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