第5章 胎動 2
「…弐門君、弐門君」
虚ろ虚ろとしながら、はっきりと耳に聞こえてくる声に反応するように、五感がはっきりとしてくる。指先を何かを探しているかのように、力なくカリカリと長机の上を這わせる感触が伝わり、何処から吹いてくるのか全身に少し寒いくらいに緩やかな風を感じた。
重い頭をゆっくりと持ち上げ、それに呼応するように背筋を伸ばしていく。長机の上を這わせていた指先で、まだ覚めやらぬ目を擦り、瞼を貼り付けるように出来ている薄い目脂を取る。少し頭を抱え、少しぼーっと痛むような感覚に不快感を覚えながら、頭を左右に振る。
「ふー」
一息嘆息を付き、目をゆっくりと開け周りを見やる。
長机を挟んで少し斜め、机の角辺りに一人の女子生徒が立っていた。
歩は目をぱちぱちを瞬きを何度も繰り返し、徐々に戻ってくる視覚と並行するように、我に返っていった。
「……ああ、笹山、おはよう」
少し困ったような表情を浮かべ、机の脇でこちらを見つめている女子生徒の名前を。少しはっきりとした意識で思い出し、それが誰であったかを確認するように、言葉にした。
「うん、おはようなの? もう下校しないといけない時間だよ」
優希はなおも困った表情を浮かべながらも、相槌を打つようにした後、首を傾げ言う。
歩はその言葉に少しだけ状況を理解したのか、周りを見やる。元々本棚の影に覆われた場所だったが、今は蛍光灯の明かりと、本棚から刺す淡い光だけがぼんやりと薄暗く室内を照らしていた。
すっと、制服のブレザーのポケットに手をやり、中から携帯電話を取り出し時間を見る。携帯電話に表示されている時刻は、17時30分を少し過ぎていた。携帯電話をポケットに収め、肩を軽く回し、腕を上方に大きく伸ばし背筋をピンと張り伸びをする。ある程度リラックスでき意識もはっきりとしだし、椅子にもたれ掛かる。
(…夢だよな)
天井を見上げ、感慨深くため息をつき、うろ覚えの夢を思い出し、心に刻み直すように考えた。
(やけにはっきりした夢だった。最後の方は良く思い出せないけど、でも……)
頭をぽりぽり掻きながら、まだ少し気だるい感触を、今は名残惜しそうに感じ。肩を落とし、椅子により深くもたれ掛かりながら、今見ていたはずの夢を頭の中の思考で再現しようとする。
(……草原を走って)
だが、あの日差しや波打つ草むらは何処にもない。
(……海…綺麗だったな)
青白い、蜃気楼のような海は何処にもない。
(……夢の手、暖かかった)
あの温もりは何処にも感じない。
ふと、名残惜しむように手を開き。閉じては開きを繰り返し、ただ呆然と眺め続けた。
「弐門君?」
その行為を不思議そうに見つめていた優希が言った。
「図書館閉めるので、とりあえず外に出ませんか?」
そんな優希を一瞥だけして、なおも呆けていると。続けざまに、おどおどした少し申し訳なさそうな口調で彼女は言った。
視線を優希に向けると、彼女は目を逸らした。歩は一瞬苦笑し、視線を戻し一呼吸置いて、長机の上に置いてあった薄いカバンを手に取り立ち上がった。
「お待たせ」
「あ…うん、ごめんね」
「いやいや、こっちこそ、ちょっとぼーっとしててさ…行こうか」
カバンを肩にかけ、ゆっくりと他に誰もいない図書室を後にした。
自分たち以外他に誰も居ないような静かな校舎を、2人で言葉を交わすことなく歩いていた。
優希は恥ずかしそうに歩の少し後ろを歩き。歩も校舎の外を眺めたりしながら、物憂げに考え事をしながら進んでいく。
(夢…)
歩の頭の中は、つい先ほどまで見ていた夢の中の出来事で一杯だった。
時折何度も、今はもうないあの温もりをいつまでもいつまでも思い出すように、手を握り見つめた。
下駄箱まで到着し、上履きと靴を履き替える。
「笹山ってA組だったんだ」
靴に足を通し、かかとを指で靴の中へと沈めながら、歩は言った。
「うん、弐門君はE組でしたよね」
「ああ、道理で普段会うこともないはずだよな」
「でも…結構図書室の方に来てくれるから…」
「まあねえ、週の半分くらいは行ってるかなー?」
他愛ない会話を交わしながら、靴をしっかりと履き、昇降口を後にした。
昇降口を出ると、外は明るめの夕焼けで染まり始めており、部活終わりの生徒の姿がちらほらと見えた。
「ちょっと待ってて」
歩は少し駆け足で、出てすぐ正面に見える自転車置き場に置いてある、自分の自転車へと向かった。
鍵を外して自転車を引きながら、昇降口前で待っている笹山の元へと足早に戻る。
「送ろうか?」
「え? 悪いよ……」
遠慮気味に少しだけ笑みを浮かべながら、優希は言った。
「起こしてもらったしさ、それに2年間お互い顔合わせて話したりしてるけど、こうやって帰りが一緒になったことないしね」
「そうだね…」
「ね、んじゃ行こうか」
「うん」
半ば強引気味に誘い、一緒に横に並びながらゆっくりと自転車を引きながら校門の方へ進んだ。
校門に集まるように、部活帰りの学生たちがわいわいと集団で談笑しながら、自分たちと同じように帰路についていた。
「歩きみたいだけど家近いの?」
「うん、歩いて15分くらいかなあ?」
「へー、俺ん家もそのくらいだろうけど、めんどくさいから自転車通学」
「そうなんだあ」
少し会話を交わして校門を出る。校門を出るとすぐ正面は道路に面していて、左右に道が伸びている
正面の道路では車通りも激しく頻繁に動いていた。
「えーっと、どっち方面?」
歩は片方の手で自転車を支えながら、左右の道を交互に指差して言う。
「こっち、駅の方なの」
そう言いながら、左の方の道を指差し、そちらの道の方へとゆっくりと並んで歩き始める。
「あれ? 駅の方なの?」
「うん、そうだけど?」
「俺もそっちの方なんだ、って、今まで行きでも帰りでも何で会わなかったんだろ」
「だって…弐門君いつも遅刻か早退ばかりでしょ?」
「あー、そうでした」
ばつの悪そうな顔をして苦笑する。その顔を見て、優希はクスクスと小さく笑った。
「家も一緒の方向で、よく顔だって合わせてるのに不思議だね」
「そうだなあ、いつも笹山、図書室で本の整理してるか、本を読んでるとこ位しかあんま、見たことないもんな」
「うん、弐門君も1年の頃だって、教室で寝てるか、図書室で寝てるかばっかりだったよね」
「まあ…ねえ」
「よく進級できてるなあ、って結構思ってたんだよ」
「結構ギリギリなんだよ?」
「やっぱり?」
お互い軽い笑みを浮かべながら談笑を交し、沈む夕日を背にゆっくりと歩いていった。
20分ほど歩き、幾つか細い路地へと入り、優希の家の前へと到着した。
ゆっくりと歩いていたため、もうすっかり日も暮れ始めて来て、辺りは夕焼け色で染まっていた。
優希の家は住宅街の中にある一軒家で、夕焼けで染まって少し分かりにくいが、真っ白な外装の、新しそうな二階建ての中々大きな家だった。
「送ってくれてありがと」
照れながら俯き、優希はお礼を言った。
「いや、気にしないでいいよ。また学校でね」
「うん……またね、今日は本当に…ありがとう」
優希はちらっと、少しだけ笑みの浮かんだ顔を上げ、すぐに後ろを振り向き、玄関へと駆けていく
軽く手を振りながら、玄関の扉を開け、家の中へと消えていく優希の姿を見送った。
家の中に完全に消えていった優希を確認し、自転車へとまたがり、歩は自分の家への帰路へとついていった。
小説を書いていて、ふと気が付いたように、前に書いた文章を読むと、手が止まり色々書き直したり、書き換えたくなります。まだまだ若輩ゆえ、手直しの部分など多いですが、飽きずに読んで頂けると、とても嬉しいです。
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