序 章 朝比奈 夢
「いってきまーす」
彼女──
朝比奈夢は、真新しいセーラー服に身を包み、カバンを大事そうに抱えながら、朝食も早々に慌しく玄関を飛び出した。
暖かい日差しが全身を包み込み、駆け足で走り出した、時折吹くそよ風がその日差しの暑さを調和し気持ちの良い朝だった。
春とは多分こういったものだったのだろう、ふと思った。
春休みも終わり、今日からやっと中学生である。
正直小学校6年になった頃辺りからランドセルが嫌で、近所のよく見かける中学生のお姉さん達が着ている、制服のセーラー服や学生カバンに憧れていた。そんなささやかな願いが叶って、嬉さで足取りも軽かった。
セーラー服に身を包んだだけで、1歩大人の仲間入りが出来たと思った。
夢は肩で揃えた黒髪を風になびかせるように、これから自分が通うことになる中学校への道を駆ける。
朝だというのにその道は極端に人通りは少なかった、薄暗い細道という訳ではなく、大通りという訳でもないが、住宅地に面しているそれなりな道だ。
しかし、普段なら少ないながらも車通りや、近所のおばさんたちの井戸端会議、出勤途中のサラリーマン、そして自分と同じように各々の学校へと向かう者、それらの姿があって然るべきなのだが、今はその誰一人として見かけることはなかった。
静かな道、そこには何も無いかのように──
ただ、道があり家があるだけだった。
「おはよう」
暫く走っていくと、前をゆっくりとしたペースで歩いている自分と同じ制服を着ている少女を見かけたので、後ろから話しかける。
制服の少女は何も聞こえなかったかのように無反応で、勿論彼女から返事は帰って無い──
しかし夢はその制服の少女の横を、何事も無かったようにそのまま通り過ぎた。
制服を着た少女も、何の反応すら示さず、ただ黙々と変わらないスピードで歩いていた。
そのまま真っ直ぐ数百メートルほど住宅街を走ると、大通りの交差点が見え、徐々に走るペースを落とした。
横断歩道に差し掛かった辺りで夢は立ち止まる、信号は青だった。
周りをきょろきょろと見る、しかし先ほどまでとほぼ同じように、車の通りや人影は一切見えなかった、後ろを振り返ってみたが同じように何も無かった。
なおも夢はその場に立ち尽くす。
「何か変……」
ぼそりと呟く。
確かに変だった、夢はふと考え込む。
(誰も居ない…)
(あれ…そういえばさっき話し掛けた子は…?)
後ろを振り返えりながら、暫く見つめる、だが誰もこちらへ来る様子は無かった。
(…さっきの子に話し掛けてそんなに私走ったかな…でもここまで真っ直ぐ来ただけだし…なんでだろう)
恐る恐る、後ろを振り返って確認をするように見やる。
来た道を振り返っていても誰も来ない──
(戻ってみよ……)
そう思い、ゆっくりとした歩調で、来た道を戻りながら辺りを見渡し進む。
(確かこの辺りだったかな)
先ほど少女とすれ違った辺りまで来ても、誰もいなかった、勿論その途中でも。
落胆し、肩を落として顔に手をあて考える。
(あれ…そういえば私何処に行くんだっけ?)
顔を上げ何の脈絡も無く、思う。
(あれ…何…してたんだっけ…)
(学校へ行こうとして…家を出て…)
はっと、気がついたかのように手元を見る
(カバンも持たずに…学校…?)
手には何も持っていなかった。
(朝、家を出たとき…持ってたっけ…あれ? 朝…?)
上を見上げる、太陽の日差しはもうそこには無かった。
焦るように辺りを見る。
(あれ? あれ? あれ?)
そこには何も無かった、先ほどまであったはずの家も、地面にあったはずのアスファルトの道も、日差しも風も───
あたかも最初から何も無かったかのように文字通り消えていた。
夢はただ真っ白な、上も下も横も何も感じない場所に立っていた。
(何だろ…思い出せ…思い出せ…)
声に出して呟く。
「学校へ行こうとして─
今日が中学初めての入学式で─
私はしゃいじゃって…赤信号で…車が来て…」
はっと気がつくと夢は横断歩道に居た。信号は赤だ。
そこに1台の車がブレーキ音を立てて夢の立っている場所へ突っ込んできた。夢は呆然と車の方を見て立っていた。
車はそのまま夢の体を通り抜け、車体を大きく揺らしガードレールにぶつけながら停車した。
ふと下を見ると、そこには”自分”が倒れていた。
腕は変な方向にもう一つ関節があるかのように曲がり、糸が切れた操り人形のように倒れている。
徐々にその”自分”から赤い液体がにじみ出てきた。
(ああ…そうだ…私事故にあったんだ…)
周りで人の叫び声が聞こえる。
倒れている自分に人がたくさん寄って来ている。
瞬間───
再度白い世界が夢の目の前に広がった。しばし立ちすくみ、顔を上げ被うように手を当てる。
「はは…なんだ…また忘れてたんだ…」
あたかもそこに地面や重力がるように、その場にへたりと倒れこむ。
「壁」
そう言い、手を目の前にかざす、パントマイムのように手は白い空間に壁があるかのように滑る。
顔を上げ、座った姿勢のまま、後ろに寄りかかる。
そこには何も無いが、背もたれがあるかのように寄りかかっている。
「…夢の中で夢を見るなんてね…笑っちゃうよね…」
ぼそりと呟き、無気力にただその場にうずくまる。
どの位の時間が過ぎたのだろうか、そもそも時間という感覚があるのだろうか。
それなりの時間は経過したであろう。
「今日は何処行こうかな…今日? 今日って何よ」
一人で自問自答し、くすりと笑う。
可笑しかったのだろう、どのくらいが今なのかすら分からないのに、今日と思える自分が未だにここにあることが。
すくっと立ち上がる。
そのまま夢は白い世界を消え去りそうに歩き出し始める。
そして、その世界に溶け込むように、本当に消えていった。
頑張って続きコツコツ書きます、読んでいただけると幸いです。