第8話・ニューフェイスは天然ドラゴン娘?
本作品の九割はメイドさんです。残り一割がアオイ君(えっ?)
朝、チチチと小鳥の囀る声がする。朝日に照らされるアスガルドは朝露に煌めいており浮遊島として幻想的ですらある。
「ん、んー……! ふぅ……」
ベッドから身を起こして伸びをする。昨夜用意しておいた衣服に着替えると洗面台へ行くと洗顔して歯を磨く。さっぱりした後は待ち構えていたエーデル達と朝の挨拶をして食堂へ行って朝食だ。
いつも通りの朝。アオイが現代に目覚めてから早いもので二か月が過ぎていた。その間に現代知識を主に言語学と一般的な習慣や風習について再学習していた。エーデルが陣頭に立ちペルレとマグノリエが補佐する。地上については現地活動が主であるネルケが担当した。
圧縮学習のため四苦八苦しながらアオイも脳を茹だらせて学んだ結果、言語関係は多岐に渡ったが日常会話程度なら問題ないし、地上の習慣や風習についても一般知識に少し足りない程度にはなっていた。
勿論勉強ばかりではなく休息日には城内で働くヒト達と交流したりユグドラシルの根元でお昼寝したり、シブリィ達を連れてアスガルドの森林散策をした。
ところで、とある地域では“異性と素手で握手するのは求婚の合図である”とは一体どこで役立つのだろう。他にも“未婚の女性に小刀を渡すのは婚約の申し出である”とか“右耳用のカフスは未婚を意味している”とか。
なぜにこんなにも婚姻関係目白押しなのか。これはあれか、彼女が居ない自分への当てつけか?
学び終わってからアオイは意味も分からず頭を抱えたものだ。もしかしたら今ではアスガルドよりも地上のほうが詳しいのではなかろうか。色々な意味で大いに頭を悩ませる結果になった。
食後の緑茶を啜りながら、このひと月以上を振り返って眉間に皺を寄せて悩んでいたら何とも言えない微妙な感になっていた。
「マスター?」
「いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけだから」
「はあ。然様ですか」
傍に控えていたエーデルが無表情ながらに心配していたようだ。今も、何でもないと言ったのに確認するような目を向けていた。
事実取るに足らない事で頭を悩ませていたのだからアオイは苦笑するしかない。いらぬ心配なのだから話題を変える事にした。
「それよりも旅に同行者が居るって聞いたけどどんな感じ?詳しく聞けなかったから知ってたら教えてほしいんだけど」
「……それをどこでお聞きになられました?」
「え、マグノリエとリーリエからだけど」
瞬間、名前の挙がった二名は食堂から脱兎のごとく逃走した。エーデルは逃走者へ視線を向けるがそれも一瞬だけですぐに元に戻した。
見逃したのではない。お仕置きが持ち越しただけの事だ。この場に居るアオイとエーデル以外の皆がそれを理解して心の中で合掌した。チーン。
「…………」
「あのぅ、なんでいきなり不機嫌になる、の?」
「いえ、遺憾ながら今回の送り込まれる人選に少々思うところがあるだけです。ええ、不本意ながら」
「思うところ、あるんだ……」
意味が分からないので力なく笑うだけ。それ以外にどう言えと。一体同行者の何がエーデルの癇に障ったのかは知らないアオイは視線を彷徨わせる。視線の先に居るペルレやシブリィ達はサッと視線を外して関わろうとしない。朝の挨拶をして食事中も歓談していたのに、この話題が出てから一言も発していない。
アオイは目の前が真っ暗になった……気がした。気がしただけだ。別にヒノキの棒を装備して魔王と戦うわけでもないし宇宙戦争で連邦が滅亡するわけでもない。
なぜか無表情なのにエーデルが溜息を吐いたように見えた。
「……竜族から雌が一頭ほど」
「はい?」
「ですから、マスターのお側役にと、ひと月ほど前にヴァナヘイムの長アウレール様から強い薦めがありまして。お断りした後も何度も、何度も何度も……ついには不本意ながら断れませんでした」
「は、はあ」
「不覚です。マスターの目覚めに際してこのような事態も想定していたのに、まさかここまで強硬に要望を押し通してくるとは」
あのお披露目の時に目をつけられたようです。エーデルが忌々しげに呟いた。
アオイはよく状況が呑み込めないのか頬を掻き頭の上に疑問符を乱舞させていた。
「えーと、なんかマズイの?」
「そういうわけでは、今は行儀見習いに来ているのですが能力に不足はないかと。名前をクラウディア様というのですが仮にも古代竜の長アウレール様のご息女ですから能力は高いです。ただ……」
「ただ、何?」
「まだ年若いこともありまして力の制御を誤る事が多々あります。幸い負傷者は出ていませんがクラウディア様の割ったお皿や花瓶、窓ガラスは千を超えています」
「あー……」
言葉がなかった。誰だってドジっ娘雌ドラゴンだなどと聞かされてなんと言えばいいのかなんてわかるものか。
「それと少々性格的に大らかというか天然というか、どうにも不適切な発言があります。本人に悪意はないのですが、どうにも一言多いというか無遠慮というか。クラウディア様が何気なくマスターに無礼を働くのではないかと私は憂慮しています」
まだあったのかと思うと同時に、こうまではっきりと断言されてしまうといっそ清々しい思いがするアオイだった。寧ろそのクラウディアというドラゴン娘に会ってみたいと興味すら湧いたくらいだ。
そもそもアオイは長命種として時間に縛られない種族ゆえか元々の気質なのか楽天家の気がある。また、己が種族を嫌でも自覚してからはそれが顕著に表れており、今では余程の罵詈雑言でもない限りは不快にすらならない自信があった。
ただし気分やなところもあるので、何が逆鱗になるのかわかりにくい部分もある。
元日本人という感覚が薄れてきているようだ。もうアオイはダメかもしれない。
「なんというか、色々と愉快なヒトだってのは理解できたよ」
「たった一言で済ましてしまわれるとは、流石ですマスター」
この言葉、実に皮肉めいて聞こえるが本心から褒めている。この場に他に人目がなければ胸元に抱き寄せていーこいーこと撫でていたかもしれない。
簡単にヒトを信じるアオイ、マジ可愛い。byエーデル。
過保護な彼女の本心とは時には知らないほうが幸せなことが多いものだ。
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数日後、出発の前日。明日にはここを発ち地上を旅する事になっている。なので、今日がアスガルドで過ごす最後の日となる。
そんな日のお昼にヴァラスキャルヴ城最上階、アオイのプライベートエリアにある食堂にて食後のお茶を楽しんでいたアオイはとある人物の訪問を受けていた。
「古代竜が長アウレールが一子、クラウディアです。至らぬ点もあるかと思いますが今後とも末永くお願いいたします」
メイド服を綺麗に着こなした彼女は見本のような礼をして見せた。
彼女クラウディアは煌めく金髪は長く背に流れて黄金の滝のようだし、おっとりした目元なのに真っ赤な瞳は一本の芯が入っているように力強い印象がある女性だった。
どこかで見た事がある。それがアオイの第一印象だった。
いつだったか、ひと月前? いや、もっと前のような気がする。いやいや最近にも会ったような、と記憶の海を彷徨った。思い出せそうで、あと一歩足りない感じに悶々としていた。
クラウディアがニコリと微笑んだ。
「へえ、こうして見ても貴方が“あの”アオイ・ルメルシエとは思えないのよね。うーん、偉大にして貴き白の君とは思えないわ。目付きが悪いからかな?」
「え? はあ? ……ああ」
不本意ながらこの失礼な物言いから思い出す事が出来た。あれだ。目覚めてからすぐに出会った失礼な竜族の娘さんだ。挨拶程度の接触だったために名乗りはしていなかったが、あの時は他にも慌てん坊のお手伝い妖精さんとダンディーな庭師さんが一緒に居た記憶がある。
アオイは失礼な竜族の娘さんを前に二か月ほど前の出会いを思い出していただけなのだが、この物言いに我慢ならない人物が約二名居た事を忘れていた。
「きゃんっ!?」
クラウディアが小さく悲鳴を上げた。
動いた影は二つ。銀髪の魔女ことエーデル・シュタインとレギオンの騎士イリス・シュタインだった。片や頭を鷲掴みにして首筋に無骨なナイフを押し当てて、片や眼前に剣の切先を向けている。
共通しているのは両者が凍えるような殺意を撒き散らしている事だ。
「教育がまだ足りなかったようですね、クラウディア様」
「え?ええっ、あのこれはっ? それに頭がギチギチと痛い音が、というか痛いのですが……」
「反省していないと見える! 偉大なる閣下に無礼な物言いをしただけでなくこの態度とは! 貴様の行ないは目に余る!」
「はい? あの、イリスさま。あの剣が危ないかなー、なんて思うのですが。というかエーデルさま、お願いですから放していただけませんか? もう痛くて痛くて」
困ったように言っているがその表情はにこやかに笑っている。流石は古代竜の一族というべきなのか、それともただ単に鈍いだけなのか判断に困るところだ。
エーデルは更に圧力を強めて、イリスは肌に触れるほど剣の切先を近づける。
ああっ、イライラが止まらない!
「反省の色がまるで見られない……」
「姉上。もう殺してもいいのでは? バレませんって」
「馬鹿ですか。ここは再教育するのが定石です。何度も何度も何度も、何度でも言い聞かせて……洗脳します。忠実な手駒にしてマスターの雌●隷に仕立て上げましょう」
「おおっ! 流石です姉上! ですが私は殺したいです! 雌●隷なら私が立候補しますし!」
「ダメです。却下です。その役目は私だけで十二分ですので」
「独占ですか! いつの間にそんな関係に!?」
エーデルとイリスが恐ろしい事をさらりと話し合っていた。本人を前にこうも堂々と殺害計画から洗脳計画、果ては調教計画まで相談するとはどうなのだろうか。
この二名、もうダメかもしれない……。
因みにアオイの名誉のために明言しておくと、彼にそのような趣味は一切ない。関係も持ってない。……今のところは。
「え、えーと 私なにか変なこと言いました?」
当の本人クラウディアは困惑しているも笑顔は崩れていない。エーデルに掴まれた頭は割れそうなほど痛いが、それよりもこの状況が理解できていないようだ。
エーデルとイリスが手を放し武器を収める。その代わりに頭痛を堪えるように頭を押さえた。
「ご自覚しておられない? ああ、この方は一体何度ご注意申し上げれば改善していただけるのでしょう」
「姉上。もう直接身体に教え込むしか手はないのでは?」
「そうですね。いや、しかし……」
またもや物騒な発言が飛んだ。イリスはどうあってもクラウディアを調教したいようだ。問われたほうも困り笑いするクラウディアを前に真剣に検討に入っているようにも見えた。
「エーデルさま? それとイリスさまも、一体これは何なのですか? 姉妹喧嘩でしたらおやめください。皆仲良くが一番ですよ。ね?」
「け、敬愛する閣下を侮辱しただけでなく惚けるだと! ここまで侮辱されたことは久しくなかった! くっ、いっそ始末してしまいたい。……が、今はその許しもない。なんと口惜しい! 無念だ!」
「はいはい。イリスはちょっと落ち着こう。肩の力抜いてね」
ついには話も進まない事からアオイが出陣するに至った。イリスの両脇から手を入れて羽交い絞めにして引き摺って離れていく。
アオイと密着した状況にイリスの頬が羞恥と喜びで赤く染まっている。
「か、閣下! よいのですか!? あの無礼者は偉大なる閣下に暴言を吐いただけに飽き足らず惚ける始末! これは即刻処罰すべきです! 具体的には首を刎ねましょう! もしくは肉●隷!」
「いきなり死刑とかないから、つか女の子が肉ど……んんっ!とかそんな言葉使っちゃダメだって!」
「あうっ!? か、閣下。耳に息を吹きかけないでください。くすぐったいです……」
「乙女! いきなり乙女だな! 可愛いじゃないかこのっ! さっきまでの発言が嘘のようだ!」
「かわっ……!? そ、そんな、うへへ」
この娘もこういうところは変わらないなぁ、とアオイは嬉しく思った。
稼働当初は凛とした騎士然としていて少し頑固だったのに、今では更に確固とした信念を持ち絶大な忠誠心をもっている。それでいて初心な乙女のような反応をするところは変わらない。
自分の知らない二万年の間に何があって何を思ったのかわからない。だけど有意義な経験も、不利益な経験も積んだことは何となく察していた。
ちょっと天然が入っていると思われるドラゴン娘ことクラウディアは、銀髪の魔女ことエーデルの手によってくどくどと洗脳染みた説教を展開されて、皆の主アオイは羽交い絞めにするも騎士イリスは抵抗するどころか自分から擦り寄っていく始末。
意味もなく混沌とした場はしばし続いた。
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収拾のつかない食堂から場所を移して、食堂から出てすぐのところにある談話室の一つへアオイとエーデル、レギオンシスターズ、そして件のクラウディアは集まっていた。
席についているのはアオイのみで、他は彼の傍で背筋を伸ばして直立している。
「改めましてクラウディアです。アオイさまの旅にお側役として同行させていただきます。よろしくお願いいたします」
「これはこれはご丁寧に。アオイ・ルメルシエです。気軽にアオイって、むっ、わかってるって、睨まないでよエーデル」
「ご理解ありがとうございます。従者の私、そして他者には威厳をもって接してくださいと以前に申しましたこと覚えていただいたようで何よりです」
「だからわかってるって。でも公の場だけだよ? 私事の時まで威張り散らすのは疲れるんだから」
「マスター。それではあまりにも……」
エーデルは呆れたような難しい声でアオイを諌める。
つまりアオイは暗にこう言っている。必要な時以外威張り散らすつもりはない、と。
現在のミドガルドにおいて浮遊島アスガルドは秘匿された存在である。人々の伝承やお伽噺として語られるもので、真実は一切明らかになっていない。
対外的交渉など地上に置かれたネルケ達の活動拠点やダミー会社が行なうものばかりでアオイには直接的関係性がない。そのためエーデルの言う公の場などアオイにとって無いに等しい。精々がアルフヘイムかヴァナヘイムとの交流の場くらいのものだが、それさえも宴会込みのもので畏まった場など滅多にないと言えた。
真相は最初の宴会の場で一応は慇懃に振る舞ってみせたのだが違和感が強すぎてやめたというところである。
その裏でこそこそと話すヒトの輪がある。
「……王さまも嫌なら素直に面倒だって言っちゃえばいいのです」
「……陛下は私達臣下の忠言を真摯に受け止めてくださっているのです。簡単のようで王としてなかなかできるものではございませんわ」
「……ああ、我が君。少し困ったお顔も可愛らしいですわ! 許されるならお持ち帰りして抱っこしてすりすりして、そして……ぐふ、ぐふふふ」
リーリエ、ペルレ、マグノリエ。それぞれがアオイとエーデルについて話し合った。約一名はハートを乱舞させて別の事で興奮して息を荒げていたが、それについてはもう諦めている。
冷たい気配が威圧してきた。
「貴女達、こそこそするならもう少し静かにしなさい」
目障りです、とエーデルは最後に彼女達の足元へ細身のスローイングナイフを投擲した。
はいっ! と三名の声が重なった。絶対に逆らいません、だから四肢のぶつ切りはもう勘弁して! 顔色を真っ青にしながらの命乞いはいつでも必死だ。ここアスガルドの住民達――とりわけ極々身内――の間では『あの理不尽から逃れるためなら今ある大陸を滅ぼしてもいい』という危ない覚悟すら決めているほどだ。
アイゼンとイリスが個性的な姉妹達を他人事のように見ながら呆れたように溜息を吐いていた。
「騒がしくてごめんねクラウディアさん」
身内の恥を曝した事を申し訳なさそうにアオイは謝った。
「お構いなく、賑やかなのは嫌いではありませんから。それよりもアオイさま。私に敬称は不要です。どうかクラウディアと、そうお呼び下さい」
「いや、殆ど初対面の女性を呼び捨てにするのはちょっと抵抗があるというか、ねえ?」
「ですがエーデルさまや他の方々がそうですのに、私だけではなんだか仲間外れにされているようで寂しいです。どうしても、と言われるなら愛情たっぷりに“お姉ちゃん”と呼んでいただいても……」
「なるほど。クラウディア様はどうしても斬首刑に処されたいと?」
「あら?」
音もなくエーデルが背後を取った。なおも続く冷たい言葉と共に鋭いアレが背に当たる。それでもちょっとしたじゃれ合い程度としか考えていないらしくクラウディアの微笑みは陰る事がない。
「ああ。それとも洗脳処置をお望みですか? どちらにしろ完璧なメイドとして再誕する事をお約束いたしますが」
「もう、冗談ですよ、エーデルさま。ですから背中に当てたその物騒な物を退けてくださいな。ちょっと刺さってます」
「以後、お気を付けくださいますように」
威圧感がなくなり、なぜか『いつでもお前を見ているぞ』と聞こえた気がしたクラウディアだった。本人的には『お友達ですね? 素敵!』くらいにしか感じていないが。
またもや場が混沌とし始めた。パンと手を打つ音が二度響く。
「はいはい。また脱線してるよ。そろそろ本題に入るから皆も落ち着いてね」
エーデルは何事もなかったかのように彼の背後で控えていた。
壁際にはレギオンシスターズが居り、それぞれに思うところがあるようでその目はエーデルやクラウディアへと向けられている。大方『あの姉は理不尽で困る』『ねー?』、『これだから天然は……』などと似たようなことを考えているのだろう。
ごほん! アオイが咳を一つした。三度目はない、と目が言っている。
「それじゃ皆も落ち着いたことだし、旅行の話をしようか」
にこやかなアオイに対して全員が黙って頷いた。
一番怒らせてはいけないのは普段穏やかな人物だと思い知った瞬間だった
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旅行計画の最終確認を終えたアオイ達。解散後の今はアオイとエーデル、クラウディアの三名が夕食まで待つ中で、少しでも相手の事を知ろうとお茶をしながらお喋りに花を咲かせていた。
主に話しているのはクラウディアとアオイで、エーデルだけは変わらずアオイの背後に控えて給仕に従事しており、話し中に出た疑問などでは捕捉や訂正をしていた。
交流を目的としていただけだが概ね良好だったと言える。
「――そうしたらお父さまったら相手を殴り飛ばして半死半生にしてしまったの。ふふっ、おかしいでしょう?」
「ハハハ。そうだね。おかしいね……」
…………。
交流は良好だ。ただ、特に意識したわけでもないだろうに、なぜかクラウディアは物騒な話題をさらりとぶちまけては何でもないように笑っていることから、アオイに変な誤解や過剰な認識を与えてしまっているかもしれないだけのことだった。
今の会話は彼女が卵から羽化してまだ百にも満たない幼い時に父アウレールが娘に若い雄竜が付いたと勘違いして問答無用でぶちのめした時の事を話していたようだ。
過保護なんですよ、とクラウディアは楽しそうに笑っているのだが、それを聞いているアオイは『あれ? もしかして自分もピンチなんじゃね?』と心配になり内心では顔色を青くしていた。
長命種と竜族。どちらも長命な種族としてはそれこそ億を越える歳月を共にしているが千年万年音沙汰なしという事も多々あった。この場合は個人間でありお互いがほぼ初対面だからこそ言葉を交わして時には触れ合い理解を深めていると言える。
「私はアオイさまのご両親にお会いした事はありませんがお父さまから『大恩ある方々だ』とよく話して聞かされていましたから、個人的にもアオイさまには興味がありました」
「幻滅したんじゃない? 実際に会ったらさ」
「そうですね。正直に申しまして少しは。ですがそれ以上に興味が湧きました」
「興味?」
「ええ。初対面の時はあれでしたが、あの宴会後のお父さまがアオイさまを絶賛していましたから。一体お父さまに何をしたのですか? 私それがとても気になります」
「特に何もした覚えはないけど……」
答えつつも何かあっただろうかと頭をひねる。そうして思い出そうとしても残念ながらクラウディアの疑問に対する答えを持たない。
思い当たる部分がないのだが敢えて挙げるならあの場では緊張から魔力が身体から漏れてしまった事、エーデルの忠告から多少偉そうな態度を取った事、その二点くらいだが、相手は長命種同様に古い種族の竜族と精霊だ。特に意識するものではないはずだ。
ゆえに、何かあったかと聞かれてもわからないとしか答えられなかった。
「信じられません。あのお父さまが楽しそうだったので何かあったのだと思いましたのに」
「そう言われも思い当たる事なんて何もないって。それにあの時以外に面識なんてないしね」
「あら、娘の私とは隠れて逢瀬の時を過ごしているというのに。うふふふ」
「誤解を招く言いかたしないでくれるかなっ? ちょっ!?」
「……斬りますか」
ぼそっと呟かれた一言と同時に取り出したのは銀月を思わせる大太刀。このエーデル今回は大いに本気で斬り捨てに動いていた。
「待って待ってエーデルお願い待って! 今のは立ち話! 世間話! たまたま廊下で会った時にお喋りしたってだけだからその手に持った大太刀を収めて!」
「せめて一太刀だけ。大丈夫です。さくっと済ませますから」
「だからダメだって!?」
「あらあら? 男女が隠れて会う事をそう言うのでは? 一族の者にはそのように聞いていたのですが、私何か間違えたのでしょうか」
「わかりました。斬りません。脳洗浄しましょう。痛くしません。逆に気持ちよくなります」
そう言うエーデルは大太刀を鞘に納めると怪しげな機材を取り出した。手に持つ機材は妙にメカメカしくてピコピコ光っていた。一言で言い表すなら、とても怪しい。
身を挺して守るアオイの苦労を理解しているのか、クラウディアは人差し指を顎に当てて思案顔だ。
「気持ちいいのですか? 洗浄という事は……あっ、お風呂ですね。私お風呂が好きなんです。半身浴でじっくり暖まるのが気持ちいいんですよ。アオイさまも今度ご一緒にどうですか?」
「ちょっと君黙ってくれる!? ほんっと天然だよね!」
「はい? 天然とは?」
「え? いや、え?」
「あっ、もしかして食材ですか? 天然物は美味しいですよね。野菜なら私はニンジンが好きなんですよ。それとお肉よりもお魚が好きです。脂っこいのはちょっと苦手ですね」
「この娘わかってない!? しかも意外と健康志向!?」
今にも斬りかかろうとするエーデルを押さえつつ、背に庇うクラウディアの呑気な言葉に思わずツッコミを入れてしまった。
自分は彼女達の主ないし上司であるはずなのになんでこんなどうでもいい苦労をしているのだろう。アオイはあっちにこっちにと忙しなく対応しながら思った。
天然ドラゴン娘のクラウディア、アオイ至上主義のエーデル・シュタイン、皆のご主人様アオイ・ルメルシエ。悪意なく場を掻き乱す者と粛清しようとする者、それらを押さえようとする者が声を上げていた。わいわいがやがや、混沌とする場であるはずなのにどこか楽しそうだった。
「王さまー!お夕飯の準備ができたのですよー!」
どーん! と勢い良く扉を開け放ったリーリエが部屋に踏み込んだ。
喧騒はピタリと止んだ。
ぎょろりと動く視線は一つ、エーデルだ。邪魔しやがってと目が言っている。
呑気に微笑む視線は一つ、クラウディアだ。夕飯は何かと目を輝かせている。
縋る目を向けたのは一つ、アオイだ。よく来てくれたと目が泣いている。
「えーと、お夕飯できてるのです、よ?」
向けられる視線の意味が理解できないリーリエは状況が上手く呑み込めず戸惑うのみだった。
その晩、明日アスガルドを旅立つに当たり宴会が催された。ユグドラシル前の広場で行われたその宴会は大いに盛り上がる。同時に今回の旅立ちに対してアオイが動くことに疑問の声が上がっていたのだが、翌日には前言を撤回しており『金の瞳が、金の瞳が……』と恐怖に震えるように怯えていたとか……。
停滞していた時間が動き出す。
天然キャラって難しいと改めて思う今日この頃、皆さんどうお過ごしでしょうか?。
自分はたぶん元気です。おそらく? きっと? うん?
大丈夫。意味はないですから。とっても元気です。
敢えて言うなら寒くて死にそう。寒いの苦手なんですよ……。
ではでは。
当作品を読んでいただいた皆さんに感謝!




