日々平穏時々意気消沈
もうすぐ第二章の開始です。
次回には、ですが。
ここまで長かったぁぁ……。
我々の住む惑星ミドガルド。この世界の遥か遠い昔、大海の上にはただ一つの巨大な大陸が存在したと言われている。その名をアース大陸。母なる大地の名を冠する大陸だ。
現在あるエーリヴァーガル、ウートガルズ、イアールンヴィズ。これら三つの大陸と大小の島々は元々一つのアース大陸だったのだと言い伝えられている。過去の文献を読み解くにどれもそれを示唆し共通する文脈が幾つもあることからほぼ確実であると言えよう。
三つの大陸はヨトゥンヘイムという大海を囲むようにあり、そして大海の上を悠然と飛ぶ三つの浮遊大陸がある。
この浮き島を人々は“ヴァルハラ”と呼び崇めていた。古き言語で強者達の集う最後の楽園という意味である。
少し大きな島程度のものだが、あの地には太古より遥かに強大な力を持つ何かが居るとされている。現代の地上では確認されていない上級精霊や古代竜の一族がこれに当たる。他にも居るとされているが、そのどれもが伝説上の存在か絶滅した種族だ。
実に夢があり研究意欲がそそられる考えだが、勿論それを直接確認した者は誰一人としていないとされている。辛うじて地方の最奥に住むエルフ族に伝承が、それも口伝として残されているのみだ。
また叡智の結晶とも言える古代文明の遺産、魔導機械技術なども遺跡から発掘されているが、現代社会はそれらを利用して繁栄している面も多い。
このように後世の我々に伝えられている事実に私は一学者として喜びを感じる。
さて、ヴァルハラだが今までに何度も飛空艦による調査隊が組まれたことがある。
我々人間族は優れた魔導機械技術をもって陸を、海を、そして空を駆けてきた。昔からあるヴァルハラを知ろうとするのは当然の事だろう。
だが、多額の費用をかけて資材や人材を費やしてもそのどれもが最後まで辿り着いた者はいない。不思議な事にヴァルハラにある程度近づくと突然の嵐に見舞われるのだ。これにより空の航行は不可能となり空域を離脱せざるを得なくなる。更に不思議な事に、ヴァルハラから離れると元の晴れ渡った天気に戻るのだ。それでももう一度近づくと嵐が起きる。
実に興味深い。宗教学者などは、ヴァルハラは神々の住まう地であり決して侵してはならない聖域なのだ、と言う。だが私のような歴史学者にして魔導技師にそんな世迷言は意味を持たない。
なぜあの質量をものともせずヴァルハラは空に浮いているのか?
なぜ近づくと接触を拒むように嵐が必ず起きるのか?
そして、あのヴァルハラには何があるのか?
気になる事、知りたい事は山ほどある。しかしこの歳になっても解き明かした事は少ない。否、殆どないと言える。
だが、私は見たのだ。あの日あの時、調査隊として飛空艦の甲板から一瞬ではあったが、嵐の中の向こう側で黄金に輝く巨大な竜種がヴァルハラへ飛んでいく姿を。
あの時の光景を私は忘れられない。発見した時は年甲斐もなくまるで英雄の物語に夢見た少年のようにはしゃいでしまった。その思いは今思い出しても変わらない。
きっとヴァルハラには何かがある。それは間違いない。どうにかしてあのヴァルハラに上陸できないものか。もし上陸できるのなら二度と地上に帰れないことも覚悟している。それほどまでに私はあのヴァルハラに魅了されているのだ。命を懸けてもいいほどに。
ああ、最後に一度だけでもいいからヴァルハラをゆっくり歩いてみたいものだ。
故ヴィンツェンツ・ゲーラー博士の書記より抜粋。
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地上の人々がヴァルハラと呼ぶ浮遊島の近隣空域は今日も快晴だ。青い空、白い雲、そして眼下に広がる青い大海がどこまでも続いている。
一見何もないこの大空だが、そこを航行する一つの何かがあった。その透明な何かは真直ぐにヴァルハラへ向かう航路を取っている。何人にも侵されぬ領域にあって嵐に拒まれることもなくそれはヴァルハラの更に上空を行き中央の大きな浮遊島へ針路を取る。
「ステルス航行を解除。入港準備ですわ」
「アイマム。ステルス航行を解除。入港準備に入りますわ」
やがて地上から確認できない位置まで来ると何かの表面がゆらりと揺れた。
数度瞬きをするように揺れると先端から滲み出るように正体を現す。
それは純白の船だった。細長い花の蕾のような船体は全面を金属質な装甲に覆われている。大きさ的には小型艇に分類されるそれは空を駆ける船だった。
現代の地上人が飛空艦と呼ぶその船の名は――。
「ご苦労様。管制塔へ。こちらはアンゲロイ級駆逐艦ファレグ。警戒任務より帰投しましたわ。入港許可をいただけるかしら?」
アンゲロイ級駆逐艦ファレグ。天使の位と名を与えられた艦船。その艦橋で艦長席に悠然と座る美人が通信ラインを通して言った。美人は二十代前半、リリアン状に結い上げた長い髪の一部を指に絡めていた。
艦橋員は正統派のメイド服を着用している。違うのは腕章による階級章が付いていること、それにチョーカーの色くらいか。
通信先が空間ウインドウを開いて管制官が応答した。
「こちら管制塔。駆逐艦ファレグへ。任務完了、確認しましたわ。二番ゲートから三番ドッグへの入港を許可しますわ。お帰りなさい」
それにただいまと返して通信を切る。そして操舵士の座る席へ目を向けるとそこには管制官と同じ顔同じ人物が居る。
「ペルレ、聞いていましたわね?」
「アイマム。二番ゲートから三番ドッグへ。このまま管制塔の誘導に従いますわね、マグノリエ。失礼、艦長」
呼びかけられた人物、ペルレは十代後半、真直ぐ伸ばした長い髪と優しげな眼元が特徴的な聖女のような女性だ。
彼女は仕事中なので階級で呼び直したがその目は少しだけ笑っている。からかい半分だったようだ。マグノリエと呼ばれた女性もそれを理解してしまい僅かに頬を染めていた。
「……おばか。いいから行きなさいな」
「ふふ。アイマム」
ペルレの操舵によりファレグはゆっくりと降下していく。二番ゲートは港というよりも空港のそれに近い作りをしている。滑走路のような施設に近づくと地面が左右に開いていく。中は空洞になっていてファレグのそれよりも数段以上大きく他にも数隻の船が固定されていた。
そのまま指定された三番ドッグへ船を進めて固定作業に入った。
「それにしてもアスガルドは今日も変わらず平穏でしたわね」
作業中の一言。マグノリエが艦長席の肘置きに腕をかけて退屈そうに零した。指先は自身の髪をくるくる絡めて気を紛らわせている。
ペルレは作業の指示を飛ばしながらもそれに苦笑した。
「ここ最近は地上からの調査隊がありませんからね。その影響が大きいのでございますよ」
「そうですわねぇ。でも退屈ですわ。こうも暇だと身体が鈍って仕方ありませんわよ」
「そうは言いましてもネルケの報告にもありましたでしょう?当分の間はないと。それにこうしてのんびりするのも良いものですわ」
さも楽しいというように作業を進めていくペルレ。操舵士の他に通信士、火器管制など数名のペルレが担当している。機械人形の統一された意思の下だからこそ可能な素晴らしい手際だった。
それに対してマグノリエのほうは嫌な事を思い出したかのように眉間に力が入る。
「それはそうなのですが、こうなるとどこかのおバカさんがまた騒ぎを起こすのではないかと少し不安なのですわ」
「あらあら、確かにあれは……。あっ、でも、いいことではありませんか。それだけ平和ということでございますよ」
見た目通り、聖女のように優しく微笑んでみせるペルレだったが、マグノリエの目は誤魔化せない。彼女の頬が一瞬だけ引き攣りを起こしたように乱れたのを確かに見た。
この前お気に入りのカップを割られた恨みがまだ尾を引いているのだ。間違いない。
それでもその事には一切触れない。それが姉妹間の付き合い方というものだ。触らぬ神に祟りなしと我が君も仰られていましたわ!とは心の中だけで叫んだ。
「え、えーと、あっ、そうですわ。そろそろ艦の固定も終わったのではなくて?」
「はい?ええ、そうね。丁度今終わるところですわ」
「そうですわよね、そうですわよね。それなら下船準備に入りませんと、ね?ね?」
「うふふ。どうしましたの?変なマグノリエでございますね」
変な子扱いには激しく抗議したいところだが、今は置いておく。それが賢い選択というものだ。決してもう恥ずかしい衣装に着せ替えられるのが嫌だったわけではない。へたれたわけではないのだ。
「それでは全艦に通達。仕事を終えたら順次下船を許可しますわ」
「アイマム。全艦に通達しますわ」
今日もアスガルドは平和だ。
どこからか遠くで爆発が起きた音が聞こえた気がした。
「あれは、まさか……」
「そのまさか、でしょうね……」
「…………」
「…………」
「ふぅ」
「はぁ」
やはりアスガルドは今日も平和だ。
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「ごほごほっ!だあああっ!だから言ったじゃないッスか!」
清々しいまでに晴れ渡った青空の下に絶叫が響いた。
広大な実験場の一角に作られた簡易実験施設の中、屋根は吹き飛び青空が広がっている。
そして、この場に居るのは多数あれど在るのは二体のみ。
「だからすまないと謝ったではないか。アイゼンは変なところで細かいな」
「反省してない!イリス反省してないッスね!?一歩間違えたら大参事だったッスよ!」
イリスと呼ばれた女性はいかにも遺憾だというようにその豊かな胸を張って言う。歳の頃は二十歳になったくらい、膝まである髪を後頭部で一つに結っている。メイド服を着ており腰に日本刀を模した軍刀を差している。
対するアイゼンと呼ばれた女性はメイド服の袖をまくって柄の長い大槌を振り回して抗議していた。年の頃はイリスと同じくらいか。こちらは肩まである髪を頭の左右で結って揺らしている。
「むぅ。だがこうして無事だったではないか。他に何がある?」
「この人わかってない!わかってないッス!イリスが台無しにした実験は強化外装の新しい動力炉になる予定だったッス!アタシの今日までの努力が文字通り吹き飛んだッスよおおおっ!!」
「むむ、兵器の新型動力炉だったのか。それは……すまん。反省しているのでどうか許してもらいたい」
流石にシュンとしていた。レギオンの騎士を拝命するイリスは戦う事が本領だ。それもあり、武装関連で失態を犯した事に漸く責任を感じたらしい。
イリスの好きなもの、刀剣類または兵器類、何よりも閣下……オマケで姉妹。
一女性型機械人形としてこの趣味趣向はどうにかならないものか。
「それ関係だと途端にしおらしくなるッスよね。まあいいッスけど」
「言うな。テレるではないか」
「褒めてないッスよ!?」
「むぅ?」
わかってない、この人わかってないッスと今度は頭を抱えてしまったアイゼン。それを不可解そうに見やるイリス。これが二体のやり取りだ。いつもはここにもう一体居て間を取り持つのだが……。
「おお、そうだ。そういえばリーリエはどうしたのだ?珍しく居ないが」
「……リーリエなら鳥さんとワンコのところッスよ。もしかしたらウサギさんも居るかもッス」
「シブリィ達と、だと?」
「そうッス。親方の眠る部屋の前、扉の間で楽しくお茶会するって……あ」
やっべ、口が滑ったと気が付くも時既に遅しイリスはしっかりと耳にした。その証拠に顔が俯き何かを我慢するように身体を震わせていた。
「お、お、お眠りいただいてる閣下のお傍でそのような!な、なんと恐れ多い事か!!」
「あぁぁ、しくったッス……もう!落ち着くッスよ!イリスが取り乱してどうするッスか!」
「だがッ、ぐぬぬ……ふぅ、すまない。しかし、そうか。だから朝から私の認識化にリーリエが一体も居ないのは」
気が付いてみればアスガルド、アルフヘイム、ヴァナヘイム、それら浮遊島のどの施設にもイリスから見える範囲にリーリエの個体を認識できない。いつもなら必ずどこかに居るはずなのに彼女だけ認識できないように避けているようだ。
「それはそうッスよ。アタシも口を滑らせたッスけど、同じ事するなら絶対イリスには秘密にするッス。なぜとか聞くのはなしッスよ。今の自分をよく見ろッス」
「むぅぅ」
自分の何が間違っているものか。イリスはさも不満だという顔をしてみせた。アイゼンは何か言いかけるも、結局は何を言っていいのか言葉にできなかった。
(あーうー。なんでアタシがこんな苦労しなきゃならないッスか。リーリエ、恨むッスよ)
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「ほむ?」
クリームとイチゴのケーキを頬張った十代後半に入ったばかりのボーイッシュな女性が天井を見上げて小首を傾げた。
「あら、どうかしましたかリーリエ。何か不備でもあったかしら?それとも他に気になる事でも?」
「え?んー、そんなことないのですよ、シブリィ。ボクはこのお茶会を楽しんでいるのです」
「そう?そう言ってもらえるならケット・シーらも喜ぶわ。あれらも今日の茶会の準備に励んでいたようだから」
何かと気に掛けたのは真っ白な絹糸のような長髪を背に流して、ルビーよりもなお燃えるような瞳を持つ女性だ。淑女らしい装いの鮮やかな真紅のドレスを身に纏う彼女の名はシブリィ。アオイの交わした召喚契約が三つの内の一つにして後天的だが世にも珍しい純白のグリフィンだ。
誇り高いグリフィンらしく一つ一つの動作が洗練されており高貴な印象を相手に与える。今回のお茶会は彼女が実質的なホストとなっている。
因みに彼女の言うケット・シーとは猫妖精の事だ。黒い猫耳と尻尾がある以外は幼い少女の外見をしている妖精の一種である。戦う力は皆無に等しいが家事が得意なのでシブリィは側役として重宝している。
「まさかとは思うが、侵入者か?必要ならクー・シーらを向かわせる用意はあるが」
「クスィ。それは違うのです。もしそうなら警報の一つでも鳴ってると思うのですよ。それに間違いなくイリスが暴れる轟音が聞こえてくるはずなのです」
「それは……まあ、そうですな。あれが容易に敵を見逃すとは思えぬ」
次に気に掛けたのはもう一方のホストたるクスィと呼ばれた美麗な女傑だった。凍えるような真っ青な瞳を持つ彼女は真っ白な髪を肩まで流しており、鎧でも纏えば天下無双の武威さえ感じさせる。そんな女性が今は黒のタイトなドレスに身を包んでいた。深めのスリットにより白く滑らかな足が露わとなっており、もしもここに男性が居たのならその目を釘付けにしてしまいそうだ。
その正体は遠い昔グレイハウンドと呼ばれた灰色狼の系譜を持つ高位魔獣の一種だ。彼女もアオイの召喚契約の一つである。
そして彼女の言うクー・シーとは忠誠心篤い事で有名な犬妖精の事だ。暗い色合いの犬耳と尻尾を持ち女性型が多い妖精の一種だ。恵まれた体躯と戦闘能力を持つ彼女達は主人に尽くす事を信条とする。まさに騎士然とした妖精だが、その実一度箍が外れてしまうと狂暴な一面を露わにして敵を完膚なく殲滅するまで止まらないという困った一面も併せ持っている。
「あうあう。もしかしてケーキがお口に合いませんでしたか?上手くできたと思ったんですけど」
「だから違うのです。なんとなく誰かに噂された気がしただけなのです。ラミィの焼いてくれたケーキは美味しいのですよ」
「そ、そうでしたか。よかったです。ほふぅ」
ほっと安堵の吐息を漏らすのはラミィと呼ばれた少女だ。赤い瞳とおかっぱにした白髪、小柄な体躯をしており、先の二名に比べて可愛らしさと儚い印象を見る者に与える。
あと頭からウサギ耳が生えている。
この場に居るのは彼女を含めて四名。それぞれがやや大きめの真っ白な丸テーブルと椅子に腰かけてお茶とお菓子に舌鼓を打っている。彼女達の他にはケット・シーら世話係が数名ほど壁際で待機しているくらいだ。
「ラミィよ。そんな不安に思う事はない。お前はまだまだ未熟者だが茶や料理に関しては右に出る者はいない。こうして我らの舌を楽しませるのだから、誇るが良いぞ」
「はぅぅ。ありがとうございますぅ」
シブリィとリーリエは可愛いものだと微笑んだ。
クスィによる思わぬ褒め言葉に、ラミィは恥ずかしそうに耳を垂らして両手でぎゅっと押さえる事で赤くなった顔を隠していた。
万を越える長い年月と主から供給される魔力に適合した事で完全な人型、魔人化しているシブリィとクスィに比べて、元が弱い部類のアルミラージが魔人化したラミィでは、まだ完全に人型を取れずにウサギ耳と尻尾が残っていた。
その姿だけを見るならウサギ系の獣人のようだが、決して劣っているわけではない。純粋な身体能力では戦闘に特化した獣人族を凌駕しているし、専属契約により得た固有能力も戦闘でこそ役には立たないが有用なものだ。
論ずるだけ意味がない。元から能力の高い彼女達の中ではラミィの能力が不足しているという程度の話なのだから。
それを理解しているから皆は能力で劣るラミィを温かく見守っている。
「つい最近まではラミィは非常食と言ってたとは思えないのです。あむあむ。うまうま」
シブリィとクスィからうぐっと言葉に詰まった声がした。ラミィは怖い事を思い出したようにぷるぷると震えている。まるで猟師を前にした獲物のようだ。
「そ、そのようなこともありましたかな。いやいや、あの頃の我らは若かったものだ」
「そ、そうね。育ち盛りでしたから、少々分別が足りなかったかもしれませんね」
はっはっはっ。おほほほ。二名は何かを誤魔化すように笑い飛ばした。
クスィは顔を明後日の方向へ向けており、シブリィは手に持つ真っ赤な扇子で顔下半分を隠している。隠しているが目は泳いでいるので思い当たる事があるのは隠しきれていない。
きっと顔は引き攣っている。きっとだ。リーリエは瞬時に見抜いた。
「二人とも、ラミィに何か言う事ないのですか?」
「うぬ、うぬぬぬ……すまぬ、ラミィ。あの頃はアオイ様がラミィばかり構うものだから、ついな。どうか許してほしい」
「ええ。少し大人げなかったですね。本当に申し訳ありません。怖かったでしょうね」
今更と言えば今更の謝罪だ。もう万の歳月が過ぎてからの謝罪に何の意味があろうか。
現状では良好な関係を作っているのだから大きな意味はない。
「はうっ!?い、いいですよぉ。たしかに怖かったですけど、お兄ちゃ、じゃなくてご主人さまが慰めてくれて温かくて嬉し、でもなくて、あの、その……はぅぅ」
いきなりの事でつっかえつっかえに言葉を紡ぐも最後は真っ赤に赤面して形にならなかった。あまりの恥ずかしさゆえに頭からは湯気が上っているようにすら幻視できる。
「待て。なぜそこで赤くなったのだ?言葉を濁した?あまつさえ『お兄ちゃん』だと?」
「はうっ!?」
「今の赤面は羞恥?慰められたという事は何か恥ずかしい場面を思い出して?」
「はうはうっ!?」
「つまり二人きりの時に何か恥ずかしくなるほどの甘酸っぱいナニかがあった、なのです?」
「はうはうはうっ!?」
三名の目が怪しくギラリと光った。その視線は人を殺せそうなくらいに重く鋭かった。
視線の先、ラミィは寿命が縮まる思いに曝されて身体が無意識に硬直した。
「な、なにもないですよぉ?ちょっと全身をくまなく撫で撫でされたとか、お風呂に一緒に入ったとか、一緒のベッドで寝たとか……ない、ないですよぉ?」
この瞬間、和やかなお茶会が重犯罪人に死刑を言い渡す裁判所のような重苦しい場所へ様変わりした。
立ち上がる三名が震えて怯えるラミィを取り囲んだ。
「はう、はぅぅぅぅぅ」
あまりの恐怖に涙目になっているラミィだが、残念ながら助けに入るものは誰もいない。
「ラミィ」
「覚悟は」
「よいな?」
「はう!?たす、たすけてエーデルさぁん」
「それは反則なのです」
この後、この世のものとは思えない悲痛な悲鳴が響いたが詳細を知るものは居ない。
そしてラミィが最後に助けを求めたエーデルだが、彼女は今日も静かに眠るアオイの許に足を運んでいた。
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扉の外が何やら騒がしい事に僅かな苛立ちを感じたエーデルだが、それよりも今は大切な事があると切って捨てた。
「間もなくです、マスター。その時は……」
貴方は目を覚ましたら何をしますか?
貴方の意志に反した私を破壊しますか?
貴方以外の全てを切り捨てた私を憎みますか?
それとも仕方ないと笑って許してくれるでしょうか?
「っ、馬鹿らしいほどに愚か。そんな事はありえないのに……」
なんと未練がましい事か。許されるはずがないのに、もしも、と考え縋ってしまう。醜いにも程がある。この二万年と僅かな時の間に随分と精神が軟弱になったようだ。
あの日あの時に覚悟していたものが今目の前にするとこの様とは、なんと、なんと……。
「愚かな……!」
叱責されようが、壊されようが、無視されようが、嫌悪されようが、憎悪されようが。全て覚悟していた。覚悟してアオイを選んだのだ。他の何を犠牲にしてでもアオイの平穏を実現するために他を切り捨てた。それが今のこの世界だ。
争いは数あれどアース大陸時代よりは少ない。
貧困は数あれどアース大陸時代よりは少ない。
悲しみは数あれどアース大陸時代よりは少ない。
絶対的恒久平和は無理なれど、争いを緩和した世界なら実現は可能だった。それだけなら裏から操作してしまえばいくらでも手はある。
それは制御された世界であり、管理された世界であり、操作された世界であり、調整された世界だ。それこそが今の世界を形作っている。異質なれどアオイのためだけに用意された世界。
狂気とも言えるこの計画を実現したエーデルの精神力は驚嘆に値する。
常人からは狂っていると言われるだろう。ふざけるなと馬鹿にもされるだろう。
だが、しかし、それでもエーデルは実行せずにはいられなかった。
それはなぜか?
「安心できるわけがない」
初めてアオイが傷ついた光景が脳裏に焼き付いて離れない。怪我そのものは事故のようなものとわかっていても、それでもあの時の自分を縊り殺したくなる。
そこで考えたのがアオイの楽園を作る事だ。
安全な楽園を作ろうと考えた。そのためだけに地上を作り変えた。目覚めたアオイに都合がいいように、全てを。
だが、これでも万全とは言えない。それでも今の地上人は誰一人として自分達が誰かの掌の上で踊っているのだと知らないだろう。そのまま知らずに一生を終えていくのだ。
全てに手を加えるのではなく時代の節目、流れの一点に干渉する事で世界を誘導する。膨大な演算の下で予測された未来を手繰り寄せる。
それは運命を紡ぐ糸のようだ。
「許されなくてもいい。ましてお褒め頂けるとも思いません。それでもマスターに全てを捧げたい」
ただそれだけを目的に今まで活動してきた。
地上で諜報活動するネルケら工作員のために偽装目的の民間警備会社を作った。レギオンシスターズに仕事を与えて陳情にも耳を傾けた。ルメルシエ夫妻に託された各種族の願いも聞き入れた。地上の調査隊や軍隊がアスガルドへ侵入するのを防いだ。他にも色々あった。
それもこれも全てはアオイたった一人の主のために行なってきた事だ。
「マスターが幸せなら私は満足です。貴方さえ幸せなら」
祈るように顔を伏せたエーデルの顔は無表情、なれどどこか泣いているようだった。
ふと顔を上げて装置の中で眠り続けるアオイを見た。擬似的に時間を凍結させたアオイは今にも起き出してきそうだ。
「…………」
ああ。恨み言でもいい。罵倒でもいい。なぜか無性にアオイの声が聞きたかった。
エーデルさんがとってもウツウツしております(´・ω・`)
他は割と自由な感じ、だけど皆多かれ少なかれ似たような思いを抱えております。
そして召喚契約を交わした二頭と一匹が擬人化しております!
何があった!?
ではでは。
…………。
……あれ?ネルケは?
ネルケ「###っ!」
作者「アーッ!!」




