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アナタは異世界で何をする?  作者: 鉄 桜
第一章・幼年期から青年期まで。
50/64

第19話

この作品に目を向けてくれた方と評価してくれた読者様に感謝をッッ!!

こうして目に見える形だとちょっとテンションが上がりますよね。

しかしまあ相も変わらず思った以上に文字数がかさみます……orz

もう少し絞れたらいいのになっ。



 


 


 険しい渓谷の間を轟々と風が吹く。複雑に入り組んだ渓谷が吹き込む風を更に複雑にして増幅し暴風となる場所。嵐のような暴風が日常的に吹くようなところだ。

 アース大陸の南東に位置するこの場所は強大な魔物も多く生息しており別命を“魔の峡谷”とも“轟竜の谷”とも呼ばれ、決して人々が近付かない危険な場所とされている。

 そんな危険な渓谷で風も緩く数少ない安全地帯となっている場所はあった。


「――さようなら。エーデルちゃん、アオイちゃん。みんな」


 荒々しく風が渦巻く中で女性の声で呟かれた。しかし声には力がない。深い悲しみの色と心残りが見られた。

 そこへ近付く気配が一つ。


「イングバルド様、何か?」

「なんでもないわ、アーフ」


 アーフと呼ばれた女性。ごちゃごちゃと腰周りに機械を取り付けた薄手のボディスーツを着ている。機械人形(アンドロイド)である事を示す銀髪に金の目を持つ彼女はイングバルド専属従者である。

 エーデル達と違い、感情は希薄で表情もどこか硬いがイングバルドとクロードからの信用は篤く、エーデルが生まれるより前の数年ほどはアオイの身の回りの世話もしていたほどだ。


「それよりも準備はできてる?始まったらもうあっと言う間に終わるわよ」

「全て滞りなく。後はイングバルド様とクロード様だけです」

「そう」


 吹き荒れる風の向こう側を睨みつけるように見据えながら答える。

 その視線の先にはおぼろげな黒点が数十見える。遠くに、まだ遠くにある“それら”は複雑に絡み合い吹き荒れる風に抗いながら真っ直ぐこちらへ近付いてくる。

 その正体は帝国軍の航空戦闘艦の大艦隊だ。

 無駄な事を、と思い溜息を一つ吐いて一緒に居るはずの人に声を掛ける。


「だそうよ、クロード?最短で終わらせるから変な下手は打たないでね」

「ん?ああ、わかった。わかってるんだけど……はあ」


 イングバルドとアーフ、そして今呼ばれたクロード。この場には三名が居た。

 イングバルドとクロードの二人は特殊繊維で作られた上下のゆったりとした服、その上に風除けのローブを羽織っていた。指輪と腕輪、首飾りその他装飾品など一見そうは見えないが魔法的に見ると第一級の重武装だ。

 これから始まるあらゆる事を想定して用意した装備だ。だというのにクロードの反応は鈍い。肩を落としてどよよーんと影を背負ってすらいる。


「……ねえ?もしかしてまだアオイちゃんと離れるのに未練があるのかしら?」

「っ!当たり前じゃないか!だってまだ二十二歳なんだぞ!?まだ子供じゃないか!せめて十万年くらいは一緒に居たいよ!だって家族だもん!!」


 筋骨隆々の大男が滂沱の涙を流しながら力説する姿は、その妻をもってしても引くものがあった。


「だもん、とか。え-と、クロードみたいな筋肉ムキムキの男が言っても気持ち悪いだけよ?まあ気持ちはわかるけど」

「返しが辛辣だ!?でもイングバルドだって寂しいだろ?寂しいよね?前に後一万年くらいはお世話したいみたいな事言ってたじゃないか!」

「クロードよりマシよ。私の場合は成人までだわ。でも今貴方は十万年って……どれだけ箱入りにする気なのかしら?」


 気持ちはわかるけどね!とは言わない。割り切ろうとする彼女にだって思うところはあるのだから。

 長命種。改めて言うなら人間族でいうところの二十歳前後まではほぼ同様に成長するがそれ以降はエルフ族や一部の上級魔族のように一切の老化しない身体となる。エルフ族などと違うのは明確な寿命が存在しない事、つまり不老なのだ。

 人間族の理想とも言える種族だが、ただし不死ではない。銃弾の一発、短剣の一刺しで命を落とす。故に不老であって不死ではない。

 精霊よりも古い種族。膨大な時間の果てまで生きるとされる長命種は脳構造が通常の生物とは比べ物にならないほどの質と量を持つ。脳の質量は人間族の約二割増し、脳細胞の密度に関しては数倍以上だ。思考能力の高さは随一といえる。

 閑話休題(それはともかく)、クロードはイングバルドの箱入り発言に微妙な顔をした。


「箱入りとか愛息子に全然似合わない印象だと思うんだけど。模擬戦では銃砲とかミサイルとかバカスカ撃ってくるし……ああ、思い出した!この前なんて憂さ晴らしとか言って極小規模の擬似反応弾なんか使ってきたな!あれは流石に死ぬかと思ったよ!」

「あらあら、やだわ。ちゃんと除染したの?変な菌とか発生してたら私いやよ?」

「慰めるどころか距離を取られた!?擬似物質だから汚染とかないし!僕の愛する奥さーんっ!君の夫はどうしたらいいのかわかりません!!」

「うふふふ。犬のように従えばいいのよ」

「わふーっ!?」


 ほんの悪ふざけ。これからの別れを思い少しでも寂しさを和らげようと夫婦で笑いあう。

 永遠を生きる長命種にとって誰かとの別れとは避けようのない事実。しかし、逆に生きていればまた回り逢えるとも確信している。何せ思いを馳せる相手は二人の息子だ。同じ長命種ならそれが何年経とうとも何百年何万年でも待つことは出来る。

 だからこそ寂しさはあっても悲しみは、少ない。

 一通りじゃれあうと満足したイングバルドが先ほど睨んでいた方向を見る。だいぶ近付いていた帝国軍の艦隊を見てクロードを急かした。


「まあそれは冗談として」

「いや今の本気だったろ?どうも君は愛息子が生まれてから僕への態度が雑になってる気がするんだけどな」

「気のせいよ?」

「いや、でもさ」

「気のせいよ」

「だから」

「気・の・せ・い・よ」

「はい……」


 どこの世界、たとえ異世界でも男は女に勝てない。いや、この世界では女のほうが男よりも強いのかもしれないが。

 ここでアーフが咳をする。わざとらしいそれは夫婦の緩んだ空気を緊張感あるものに換えた。意識を切り替えて、事に挑む時が来てしまった。


「それじゃ行こうか」

「ふふ。そうね。……アーフ」

「承知。先に行きお待ちしております。お二方は存分に」

「ええ。一瞬で終わらせるわ。……後は、よろしくね」

「は。ご武運を」


 戦神と戦女神が出陣す。

 威風堂々とした二人の背中を見送るアーフは何を思ったのか。それを知る者は本人以外に居ない。そして去り際の言葉も……。


「アオイ坊ちゃま。勝手ながら後の世にてお幸せになれるように願います、どうか……」


 


▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽


 


 帝国空軍。皇帝陛下直轄の近衛軍を中核に第一から第三の航空艦隊からなる数十隻の航空戦闘艦が一路南東部を目指して突き進む。

 吹き荒ぶ暴風は彼らの侵入を妨げるようにその分厚い装甲を殴りつけている。駆逐艦級以下の小型艇は風に舵を取られて頼りなく揺れているが、皇帝の御座艦である旗艦グラドレスや周囲を守る艦艇は多少揺れても静かなものだ。


「ついに、ついにここまで来たぞ。ククク」


 御座艦の艦橋、艦長席の更に後方の一際豪華な玉座にて初老の男が暗い声でクツクツと嗤った。この男こそミロス帝国の頂点に立つ皇帝だ。

 彼女を見初めてから執拗に追い続けた。

 彼女を初めて目にした時より数十年、もう老齢に差し掛かったがその思いは未だ色褪せることなく光り輝いている。

 皇帝と彼女。二人はたった一度の会合だ。しかも極めて一方的なものでしかない。

 しかし、それだけで魅了された。

 当時、皇帝がまだ皇子であった頃は全てを持つ者ゆえに全てに対してひどく冷めていた。須らく世界が灰色に見えていたのだ。

 どんなに素晴らしい音楽を聴いても心が感動することはなかった。

 どんなに素晴らしい絵画を目にしても心が動かされることはなかった。

 どんなに素晴らしい料理を食しても心は満たされなかった。

 美酒を口にしても酔うこともなく、美女を抱いても空しい。

 全てが凍り付いた灰色の世界。それが皇帝の見ていた世界だった。

 そんな時だ。彼女、イングバルド・ルメルシエを見たのは。

 戯れに視察に来ていた一領地、武力で捻じ伏せた領土だったために根強い禍根が残っていた。どこからか皇帝が来ると知った反乱軍が視察団を襲撃したのだ。

 その火の粉は戦禍となって訪れていた町をも飲み込まんとした。そんな時に彼女が現れたのだ。喧嘩両成敗とでもいうように武器を持つ者は全員が叩き伏せられた。それでも死者は一人もいない。ひどいものでも火傷くらいのものだった。

 一瞬で魅了された。

 初めて心の底から欲しいと思った。何を対価にしても、何を代償にしても、幾万の命を犠牲にしても欲しかった。

 一目惚れと言えばそうだろう。それほどまでに彼女は鮮烈にして美しく、何より“生きて”見えた。

 奪い取ってでも欲しいと思ったのは初めてだった。


「ようやくじゃ。ようやく我が女神をこの手に出来る。クク、カカカ」


 年齢を感じさせる深い皺のよる顔や手。大好物のお菓子を前にした子供のようににんまりと笑う顔は、それとは逆にどす黒い欲望に塗れていた。

 殺せ。奪え。犯せ。

 だがあれは、あの戦女神だけは我が手に捕らえるのだ。誰にも触らせぬ。我のものだ。

 カカカと笑い皇帝は醜い欲望に目を爛々と輝かせていた。

 俄かにざわめく艦橋で声が飛び交う。艦長が頷くと一人の将校が玉座に座る皇帝の前に跪いた。


「恐れながら。皇帝陛下」

「……よい。なにがあった?」


 いい気分でいたところへ邪魔が入り苛立つも今だけは抑えた。

 何とはなしに艦橋の窓から外を見やれば吹き荒ぶ暴風の中で停船している事がわかった。

 何かしらの報告があるなら耳を傾けよう。大事な情報、例えば戦女神についてなどであったなら言うことはない。

 尤もこれから将校の口から出る言葉は当たり障りのないものであるようだが。


「はっ。間もなく目標地域です。索敵しましたが周囲に反応は見られず、また攻撃の予兆もないとの事。こちらに気付かれていないかと思われます」

「フン。そのままゆっくり進むのだ。そして警戒は厳重にせよ。あれらは神出鬼没であるからの。どこから現れて何をしても不思議ではない」

「心得ましてございます」


 将校は立ち上がり敬礼をすると下がった。将校が命令を伝えると間もなくすると艦長が微速前進を指示した。艦隊がゆっくりと前進する。

 それらを先程とは打って変わって面白くなさそうに皇帝が眺めていた。


(動きがない?そんなわけがない。これだけの大艦隊がこれ見よがしに動いているのだ。確実に奴らは気付いている。奇襲か、逃走か。この先には何かがある)


 口の中でにちゃにちゃと舌を鳴らして内心で毒づく。あの戦女神を捕まえようとして何度煮え湯を飲まされたことか。深い皺を刻む顔が不愉快げに歪み更に深くなる。

 特に“あの男”だ。戦女神の隣に侍るあの男が気に食わない。

 欲望と憎悪に顔を歪めて吐き捨てた。


(我が戦女神を手中にした暁には必ずや始末して――)

「緊急!前方地上部に高魔力反応あり!魔力量なおも上昇中!」

「っ!!」


 艦橋員が突如感知した膨大な魔力反応に騒然とした。艦橋内に緊張が走る。

 魔力反応が観測された地点ではマナから魔力へ変換された真赤な燐光が吹き荒れる風に乗りある種幻想的な空間を作り出していた。


(おお!あの輝き、あれこそは我が戦女神に相違ない!カカカ!見つけた!見つけたぞ!クハハハハ!!)


 一瞬の沈黙の中で唯一皇帝だけが暗い喜悦の表情をその皺だらけの顔を醜く歪めていた。喜悦、愉悦、恋慕、情愛、憎悪、親愛、淫猥。ありとあらゆる感情が老いた皇帝の胸中で暴れ狂う。

 その事に気付かない艦長を始めとした艦橋員が騒ぎ出す。艦長は目の前の現象を黙考していると彼の隣に立つ副長が索敵班の艦橋員に怒鳴るように確認する。


「なぜ見逃した!?索敵班は何をしたか!」

「わかりません!本当に突然現れました!っ、なおも魔力量の増大を確認!際限なく集束されていきます!」

「なんだこれは!機械の故障ではないのか!?もう一度観測しなおせ!」

「もう二度も走査しました!機器に異常はありません!ああ!たった今魔力量が計測不能になりました!」

「ならば、ならば原因は何だというのだ!こんな事があってたまるものか!!」


 正体不明の魔力反応。それも凶悪なまでに強大な力が突如観測された。それらを捕捉した観測機械に不具合はない事も判明すると、ついには副長が取り乱さんばかりに怒鳴った。


「今そのようなことはどうでもいい。副長。君も皇帝陛下の御前である。もう少し落ち着きたまえ」

「っ!申し訳ありません。取り乱しました……」


 恥じ入るようにとどまる。帝国では絶対の権力者たる皇帝の御名を出されては無様な姿を見せられない。

 とは言え私達の事など眼中にないだろうが、とは艦長の内心だけで呟いた。ちらりと背後に追わす皇帝陛下を見やれば、あの赤い魔力の燐光に目を奪われていたのだ。


「さて、反応について報告してもらおうか」

「はっ!魔力反応は我が艦隊より前方地上部約二十五km地点から観測されています。反応点は至近に二つ、今も膨大な魔力量が集束中。何らかの広域攻撃魔法を準備中かと思われますが詳細は不明です」

「報告ご苦労。他に何かわかったら知らせてくれ」

「はっ!」


 さてどうしたものかと嘆息する。出来る限り頭を冷静にして考えるが、それでもマナが収束する光景を前にすると畏怖にも似た感情に囚われてしまいそうになる。


「これだけ目立った魔力反応……囮か?しかし陽動にしてはあからさまで雑すぎる。だが無視するには驚異だ。あれが攻撃魔法である事は確実だろう。放置は愚策、かといって情報が少ない」


 問答無用で押し切るには観測された魔力量から脅威度が高すぎて、どうしても二の足を踏んでしまう。


「進軍せよ」


 まずは先遣隊を出して様子見しようと考えを纏めている時にその声が聞こえた。

 その声はしわがれた然程大きなものではない。それでも老人とは思えない張りがあった。


「……は?」


 聞き間違えではないか。一瞬なにを言われたのか理解できなくて艦長席から背後を振り向いた先には声を発した本人である皇帝が欲望に目をぎらつかせていた。


「聞こえなかったのか?進軍しろと言ったのだ」

「し、しかしお言葉ながら陛下!これほどの魔力反応は尋常ではございません。ここは慎重に動かなければ全滅の危険もあります」


 ただでさえ暴風が吹き荒れる危険地帯なのだ。ここで選択を誤るのは危険すぎた。

 敵と思われる魔力反応の収縮現象は記録にない攻撃魔法でもあるのだからここは慎重に行動するべきだと艦長以下副長と参謀達は紛糾する。


「艦長――」

「っ、は……」

「三度言わぬ」

「っ!!……っ、了解、しました」


 しかし反対する部下は皇帝の小さくも重い、たった一言で鎮火する事になった。

 苦悩する艦長や副長達のことなど皇帝は一目たりとも気にした様子もなく収束する真赤なマナの光だけを凝視していた。


「各艦に打電!全速前進!全艦隊密集陣形を取れ!敵目標を射程に収め次第攻撃せよ!」


 皇帝陛下直々の命をもって艦長が命令を発した。

 声を張り上げながら考える。無謀な突撃にも通じるこの行為で果たしてどれだけの将兵が生き残れるのか。それは誰にもわからない。

 一方、愉悦に顔を歪ませた皇帝は眼前の光景に目を奪われたまま嗤っていた。


「クカカカ。進め進め、突き進め。我が女神はすぐそこぞ。クカカ、ハハハ」


 子供のようにというには邪悪に過ぎて、豪快というには暗い感情に過ぎた。

 最早その目には彼の地に居るであろう“戦女神(イングバルド)”だけしか映していない。


「逃がさぬ。今日こそは手に入れる。絶対に逃がさぬ」


 決意の表れか、老人の枯れ木のような腕が前へと伸ばされる。そのまま何かを掴み取るように握られる手は奇妙なほど不気味だった。

 密集陣形をとった艦隊が進み、もうすぐ砲撃射程内に捉えるというところで状況に変化が生じた。

 つい先程まで眩いまでに輝いていた真赤なマナの発光が徐々に治まっていく。その様子を見た索敵班は一様に警戒した。


「なんだ?魔力の集束が止んだ?儀式に失敗してマナが拡散した?いや、違う、これは、この反応は空間への強制介入式?まさか、これは……広域空間への攻撃魔法!艦長!敵に動きあり!敵の目的は――」


 索敵班の報告はそれ以上の言葉にならなかった。

 マナの発光現象が完全に消えたと同時に艦隊のほぼ中央、つまり旗艦の正面に当たる中空付近の空間が水面の波紋のように揺れた。


 ――次の瞬間に罅割れた。


 ガラスの割れるような軋んだ音が連続して響いた先に見えたもの、それは暗闇の中が怪しく光る不気味な空間としか言いようのないものだった。不気味な空間は艦隊を飲み込まんとばかりに広がっていく。

 最初に飲み込まれたのは旗艦の前を飛んでいた戦艦だ。その戦艦は加速して逃れようとするも、まるで無駄だと言わんばかりに艦後部から少しずつ引き摺り込まれるようにして不気味な空間の中に飲み込まれてしまった。

 そうして次の艦、次の次の艦、次の次の次の艦というように艦隊を飲み込んでいく。

 その光景を目にした将兵の誰もがおぞましいくらいに嫌な予感に襲われた。


「全速後退!全艦対防御体勢!衝撃に備えろ!」


 艦長の咄嗟の命令は言葉少なに途切れ、突然の衝撃に艦が大きく揺れた。


「グッ!っっ!!」


 この強烈な暴風の中でも旗艦や大型艦の艦内は静かなものだったはずが、今は理不尽なほどに上下左右に内部を掻き乱すように激しく揺れていた。

 その衝撃は凄まじく、計器類は火花を上げて軒並み壊れて機関部は過負荷に耐え切れずパイプが破裂して循環中のエーテルが噴出した。修理しようにも衝撃と振動は止む気配がないため歩く事すら間々ならない状態だった。

 そのような危機的状況にも関わらず皇帝は目を血走らせ狂ったように声を荒げる。近習達が必死に宥めようとするも効果がない。


「後退は認めぬ!進め!進むのだ!我が戦女神は直ぐそこなのだぞ!」

「陛下!?」

「全艦隊に攻撃させるのだ!あの目障りな空間干渉を消し飛ばせ!」

「お言葉ながら!あの規模の空間干渉に立ち向かうなど無謀です!どうかご再考を!」

「余に意見すると申すか!?邪魔をすると申すのか!?」

「陛、下ッ!?ぐぎッ、ぐぅぅ……!!」


 激しく揺れる中で玉座にしがみつき、皇帝が口角沫を飛ばしながら吼えた。長年追い求めていたものがもうすぐ目の前にあると思うだけで近習達の言葉も耳に入らない。

 それどころか皇帝は手にした短剣で身を挺して止めようとした近習の胸に突き立てた。

 響き渡る悲鳴。近習達が皇帝から、正確には皇帝の狂気から逃れるために離れた。


「ふう、ふう、ふう……!!」


 極度の興奮もあり呼吸が深く荒い。手に持つ真っ赤な血に塗れ短剣が凄惨さを際立たせていた。

 艦橋員にも皇帝のどろりとした狂気を感じ取ったのか怯えている。それでも必死になって操艦するのは、身も凍る狂気から逃れるためだったのかもしれない。


「へ、陛下?なにを、何をされたのですか?あなた、は……」

「ふう、ふう。――艦長」

「ヒッ……は、はっ」


 見えない圧力が恐怖となって襲い来るのを感じ取り、小さく息を呑むような声を上げかけるもギリギリで飲み込んだ。


「こう、攻撃せよ。あ、あの、あの目障りな魔法など吹き飛ばせ!あのようなものに余の大願を阻まれてなるものかよ!塵も残らぬように消し飛ばせ!完全に!完全にだ!」

「りょ、了解っ」


 屈辱と我慢と憤りにより噛み締めた奥歯が砕け、血混じりの口角沫を飛ばして獣の唸り声のように怒鳴った。

 艦長はただただ従うしかできない。

 彼とて軍人だ。戦場の狂気は見飽きて珍しくもない。それでも今の皇帝から発せられる執念とも妄執とも思える激しい感情は今まで感じてきたどれよりも強く禍々しいものだった。


「こ、ここまで来たのだぞ。この程度で、あき、諦められるものか。諦めてなど、やるものか……!」


 血反吐を吐くように絞り出された声には激しい執念が感じられた。

 全艦隊の魔導機関は全速後退するために全力で稼働していた。エーテルの殆どを回していたのに今度は一転して全力攻撃するために動き出す。

 エーテルが廻り、魔導機関が重低音の唸り声を上げる。速度を犠牲にしたそれは全魔導砲門に魔力を集めて一斉砲撃の準備を急速に整えつつあった。


 


▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽


 


「撃てえええッ!」


 帝国の艦隊が数多の砲撃を繰り返す音が轟き響く。魔導砲の砲身から撃ち出されるたびに仄かに赤い魔力の残滓が弧を描いた。

 全ての攻撃が向かう先には中空に現れた暗闇のような空間。暗闇の中は怪しく光り不気味さが醸し出されている。

 既に何百発と撃ち出された魔導砲は、暗闇の空間へ着弾時の爆発音は起きずに色あせるように飲み込まれていた。


「――ッ!どうなってるんだ。まるで効果が見られない」

「四番艦チグリオ、七番艦ギャラティー!飲み込まれました!攻撃を続けていますが効果弾なし!攻撃は依然継続中!」

「チィィ……!」


 索敵班の報告に艦長、他は歯軋りした。

 艦隊の旗艦、その艦橋では攻撃開始から今まで、艦長の背後、玉座に座す皇帝からはどろりとした威圧感が発せられて、艦橋員は曝され続けている。それにも関わらず誰も彼もがこの非常事態にして異常事態に翻弄されながら必死の対応をしていた。

 今も何隻目の艦が暗闇の空間に捕まり飲み込まれたのかもわからない。だが、艦隊の戦力は半減していることだけは確かだ。

 当初、この暗闇は密集陣形を取っていた帝国空軍艦隊のほぼ中央に発生した。

 急速に拡大した暗闇は瞬く間に艦隊の前衛を飲み込み、前衛艦隊は壊滅した。一瞬の事に後衛の前部に位置していた旗艦グラドレスと以下艦艇の乗組員は誰もが呆然としてしまった。

 ――ゾッとした。

 音もなく膨張する暗闇が前衛艦隊の全てを飲み込み終わると今度は残りの艦隊へ向けて動き出したのだ。

 呆然から立ち直った彼らは魔導通信を一斉に交わす。情報処理が追いつかないほどの通信量に通信士達は悲鳴を上げながら対応した。

 それらの騒音を切っ掛けにして艦隊は動き出す。

 反撃に魔導砲を一斉砲撃した。至近にあった暗闇に時間差なく着弾し爆発する……はずだったが暗闇は魔導砲の魔力弾すら飲み込んで無力化してしまった。

 それだけではない。甲板に上がった魔法師の攻撃魔法、固定銃座から撃ち放たれる銃弾、爆発物まで使い迎撃するも、その全てを無駄と言わんばかりに飲み込んでしまった。

 それからは一方的な蹂躙劇の始まりだった……。

 艦橋の奥にある玉座に座る老人、皇帝が暗い瞳のままに怒りを燃やしていた。


「なぜだ……」


 蜂の巣を突いたように慌ただしい艦橋の奥で呟かれた。喧騒に紛れた声は誰の耳にも入ることはなかった。

 皇帝は自分の脳裏にぎちぎちと軋む音が聞こえる。


「なぜ余をこうまで拒むのだ……


 愛とも憎しみとも取れるその絞り出されるような声は呪詛となっては虚空へと消えていく。怒りのままに喚きたい衝動を辛うじて抑える。

 誰に聞かせるでもなく呟かれた言葉はただ前に迫る暗闇の空間を、その奥に居るだろう戦女神を見据えていた。


「こんなにも愛し求めておるのに、なぜ……!」


 ぎしり。もう何度噛み締めたかわからない歯軋りをした。噛み締めすぎて奥歯は既に欠けている。

 近習を一人殺してから歯止めが外れたかのように今まで以上に強い狂気を発している。

 近習達は恐怖に負けて逃げ出してしまい艦橋には居ない。艦長以下艦橋員は目を背けるように仕事に集中していた。

 その一方で状況は目まぐるしく変化していく。


「戦艦ロエル沈黙!飲み込まれました!このままでは左翼が崩れます!」

「予備戦力から分艦隊を抽出、左翼の援護に入ります!」

「右翼も被害甚大!残存戦力が六割を切りました!増援を要請されました!」

「ならば予備戦力から分艦隊を向かわせろ!」

「先ほど向かわせたのが最後です!予備戦力はもうありません!」

「っ!!」


 もはや絶叫に近い声で報告が上がり、それらを誰も彼もが苦虫を噛み潰したような顔で聞いて、艦長たちは指示を飛ばした。


「全艦隊の残存戦力が四割を切りました!継戦能力大幅に低下!」


 それでも、崩壊の時はやってくる。

 参謀たちの絶叫にも等しい報告は聞いていた誰もが目の前の現実を否定したくなった。

 現帝国の武力の象徴。帝国航空艦隊のおよそ四個艦隊、数十艦以上の戦力を集中運用して、今のこの無様とは。

 帝国魔導機械技術の粋を凝らした兵器らは、たった二人を相手に全滅の危機に遭っていた。

 これは軍事用語の全滅ではない。文字通りの“全滅”。艦艇の一隻どころかヒト一人すら相手は逃がす気がないらしい。


「艦長。戦線は崩壊しつつあり、これ以上の戦闘継続は不可能です」


 そんなことはわかっている。こうしている間も一隻また一隻と飲み込まれて被害を拡大していることもわかっている。

 暗に撤退しましょうという進言に、艦長は手が白くなるほど強い力で肘掛を握った。

 副長の進言は正論だ。だが……。


「艦長。ご決断を。このままでは全滅してしまいます」


 言われなくともわかっている!!

 再度の進言にそう怒鳴りそうになるのを無理矢理に飲み込んだ。その代わり、握り締めた肘掛は震えるほど強く力を込められている。

 ああ、それができたらどれほどよいか。


「……撤退は認められていない」

「しかし……!?」


 そう言うと艦長は反論しようとした副長を目で押し止めると自然を装って背後に座す皇帝を見た。

 苦虫を噛み潰したような顔の艦長の言葉に、副長は言葉から滲む本音と視線から理解し下唇を噛んだ。

 本当にどうしようもないのだと理解させられた。

ああ、このくそったれな世界に呪いあれ!我らが帝国に栄光あれ!








どうしよう、アップしたはいいけどちょっと気になる。

どうせチョイ役なんですけど皇帝の名前とか決めておくべきだったかな、と。

違和感に我慢できなくなったら、ちょいと手を入れるかもしれません。

ああ、でも、感想・メッセージなどで要望があれば即座に検討しますよ?

ではでは。


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