第15話その3
喫茶店から出た俺達。ちょっとした特殊空間に突入した両親と置いて、エーデルとラーちゃんを引き連れて一路森の水源を目指した。
待ち行く人々はエルフの村と聞いていたのに人間族や獣人族の姿が多い印象がある。
事実として他と比較して少しは平和な南部勢力である連合には各地から流れてきた難民が多く居る。それは今も増え続けていた。
そのためこの村のように上層部に作られた木の上の家は古く、地上部分に作られた建物は新しいものが多い。
極端な話しだが公共の場や市場などを除いて上層にはエルフ族が、下層には他の種族が日々を生活しているのが今のプリーゼ村だ。
今は名称が“村”というだけで規模から考えるなら“町”や“都市”と言っても過言ではないとは話し好きな屋台の店主の言だ。
今のプリーゼ村は平和そのもの。だけど。
「こんなに平和なように見えて、村を出て少し行った先には危険が迫ってる。なんて思えないな」
「ですが現実です。この村より東に離れたところにミロス帝国の前線基地があり、その前線基地周辺はいつ何時軍事進攻されても不思議ではありません。」
「そうなんだけど、ね」
エーデルの言うように、プリーゼ村の住民の間では喧騒に紛れて不安が噂となって囁かれていた。
プリーゼ村に到着してからもだが、それは今もこうして歩いている大通りも例外ではない。一見華やかな大通りでは、奥まった店や道端から噂話が聞こえてくる。
平和そうに見えるプリーゼ村だが、やはりミロス帝国の脅威というものは身近に感じ取っているようだ。
そのせいで初めてのお出掛けで高揚していた気分も沈んでいく。
肩に乗ったラーちゃんが心配そうに一声鳴くと身を摺り寄せてくれた。柔らかな温もりが伝わってきて少しだけ気分が和らいだ。
「ご安心を。マスターは私達がお守り致します」
なんとも心強い言葉だった。
俺の実力は高くない。皆の中で下から数えたほうが早いくらいだ。この世界がどの程度の脅威なのか判断できないけど、だからこそ本当に頼もしいと思った。
ここは素直に感謝を示すためにちゃんと言葉にしよう。
「エーデル。ありが――」
「そうです。マスターに敵対した愚か者には速やかに制裁が必要なのです。絶対の死を、我らが鉄槌をもってその身も魂も二度と復活しないように輪廻の輪から消滅するまで粉々に打ち砕いて無に帰して差し上げましょう。いえ、やはり刹那の死では生温い。ここは身体を切り刻み磨り潰し酸で焼いて、魂にまで絶望と恐怖を叩き込み、己が愚行を後悔させるように少しずつ死へ誘ってあげるべきでしょう」
「……ぇー」
こえぇよエーデル、超こえぇよ。肩に乗るラーちゃんがぷるぷる怯えてるじゃないか。
それはもう拷問の領域だ。なんで護衛から拷問へ話題が飛ぶんだよ。
しかも嬉々とした愉悦や吹き上がる憤怒の感情すらなくただただ淡々と述べているとか。無表情に事実だけを語っているような印象に、別の意味で恐怖心が刺激される。
まあ、なにはともあれだ。今は話題を変える必要がある。それも緊急に。
えーと、何かないか何か。……あった!
「ほら、エーデル!見えてきたよ!森の水源だ!」
く、苦しい。我ながら実に苦しい話題転換だ。歩く先に生命力溢れる赤い輝き、目的地たる森の水源が近付いてきたからといって、これはないだろう。
しかし、エーデルにはそうでもないらしい。今まで空気を払拭して何事もなかった――事実、本人は平常通りだった――かのように『はい。マスター』と話しを合わせてくれた。
当時の村の一つとして考えるなら巨大な建物。上部から赤いエーテルの輝きが漏れていて建物はドームのような作りをしていた。
やがて目的地に着いた俺達は周囲のヒト達の流れに任せて建物内に入り、中にあった森の水源を前に感嘆の息を吐いた。
「おお、近くで見るとまた綺麗なものだなぁ」
プリーゼ村の象徴にして安全と生活の要、森の水源は大きな魔力を感じさせる存在だった。
夕暮れのように赤く巨大な球状の液体が重力に逆らい十数mの位置を浮遊して胎動している。球状の液体を中心に周囲には複数の尖った建造物が地面から突き出すように作られていて、その表面には付与魔法で複雑な術式が掘り込まれていた。
少しの間二人して眺めていると近くで案内していた係員からパンフレットらしきものを貰い流し読む。同時に親切なその係員から簡単に説明もしてもらい、最後に立ち入り禁止の場所には行かないように注意を受けた。
説明を聞いていて、まるで昔行った発電ダムの見学会みたいだなと思った。
森の水源。
魔力が濃厚に溶けた液体、エーテル。赤い輝きと力の安定性からそれがマナだとわかる。
この森の水源も昔はプリーゼ村を魔物から守る結界維持のための魔力源として使用されていたが、魔導技術の発展と普及している今では人々の生活は勿論、それに加えて車などに搭載されている魔導機関の燃料にも使われている……と、そのように係員に説明された。
父や母の説明と係員の説明に大きな齟齬は見られないけど、敢えて言うなら現代の使用法や活用法は係員のほうが詳しかったくらいか。
「もう少し近くでご覧になられますか?先程の係の者の説明では、もう少し近くまで行けるようですが」
階段を上った先、やや突き出して鉄柵で区切られた場所を示してエーデルは言った。
ふむ、と少し考える。見学が認められても重要な施設であるのはずだ。間違いでも禁止区画に足を踏み入れたら面倒になるのは目に見えている。
見上げていた森の水源から視線を外して周囲を見やる。
その中で見学に訪れたヒト達もエーデルの指し示した階段を上っていることから、その場所が立入禁止ということもないようだ。係員も反応を示さないどころか、積極的に誘導整理している。
もう迷う必要性はなかった。確かにあの場所ならもっと間近で見学できる。
「行こう。俺ももっと近くで見たい」
「畏まりました。では」
「蹴散らすとか、しなくていいからな?」
「……わかっておりますとも」
なぜか、ものすごく不安になる返事だった。
ああ、それと袖から出た小さなナイフをしまいなさい。危ないから。
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他の見学者と同様に列に並んで階段を上ったそこは思っていたよりも人影は疎らで、他のヒトは近くで見るとさっさと下り専用の階段へ流れていたようだ。
上から眺めていると階下に流れた少数のヒトは立入禁止区画へ係員の付き添いの許で入っていた。
恐らく過去の英知によって作られた森の水源そのものに興味がある学者か関係者だと思う。俺も機会があれば立入禁止区画へ行きたいものだ。
「へえ、下の泉と上の球体で循環してるのか……あれは、湧き水かな?」
「肯定。幾つかの場所で地底の砂が舞っていますから、マスターのご推察の通りだと思われます。」
「え?ここから見えるの?」
「そうですが、それがなにか?」
「いや、別に……」
そうか、見えるのか。たまにエーデルがガイノイドだと忘れそうになる。作った本人としては誇らしいけど、ついつい忘れそうになるから困ったものだ。
赤く輝く森の水源が少しだけ近付いた。それを鉄柵に両腕を乗せて暫し眺めた。
肩に乗り顔を掻いているラーちゃんと背後に控えるエーデルが静かに付き添っていた。
「エーデル。ちょっと聞いてくれるか」
「はい。マスター、なんなりと」
「俺は昨日まで“外”のことを何も知らずに生きてきた。今朝、父さんに言われていきなりだったけど、初めて“外”に出られると思ったら年甲斐も無くわくわくしてさ。楽しみで仕方がなかったんだ」
ははは。これではまるで初めての遠足を前にした子供のようじゃないか。
視線は森の水源に固定したままで背後に居るエーデルに話しかけていた。
今の俺は少しおかしいのかもしれない。夕日のような色合いをした森の水源を前にしてひどく感傷的になっているようだ。
こうして考えると高揚していた感情が、生前の故郷を思っての哀愁か何かで乱れているのがよくわかる。
「実際に“外”をご覧になられていかがでしたでしょうか。ご満足いただけましたか?」
「……まだまだかな」
「まだ、ですか?」
「そう、まだ。俺は強欲だからね。一日だけで満足するほどヒトとしてできてないんだ」
この異世界に転生して初めて“外”を肌で体感できた。しかも戦争や紛争が多発していると聞いていたアース大陸では珍しいらしい平和な村を安全に見て回れている。
それでも平和で幸せな風景ばかりではなかった。少し裏路地の奥などに目をやれば行き場のない薄汚れたヒトの姿もあった。野菜や肉などの露天商の商品を盗む場面も遠目だったけど見ている。
初めての外出は楽しい事は多くあったが、決してそれだけじゃなかった。争いがあると聞いても実感が伴わない。テレビの向こう側の出来事のような感覚がまだある。
だからこそ、俺は恵まれていると素直に思った。
だけど、それは別にして折角の異世界だ。見るもの全てが目新しく、その中に前世との共通点を見つけると懐かしくなったのも事実だった。
俺はなぜ自分が転生なんて意味不明な事象に陥っているのか今一わからないが、この世界を楽しもうと思う。
学生時代にやった剣と魔法を題材にしたロールプレイングゲームや、異世界を舞台にした戦略シミュレーションゲームの世界が、今は現実となって目の前にあって肌で感じられる。
なぜこの世界へ転生した?難しく考えてもわからないものはわからない。
争いがある?死ぬのは怖いがそれなら守る術を身に付ければいい。
これは前世からの持論だが、人生とは楽しんだものが勝ちだ。
俺は転生や話してはまずいと思う事以外をエーデルに話して聞かせた。今までの事や今日村を見て回って感じた事を彼女に知ってもらいたかった。
「だから、また機会があったら“外”に出ようと思うんだ。まだまだ見てないところもあるだろうし。その時はエーデルも一緒に――い゛おッ!?」
それはいきなりだった。村全体に響くほどの轟音と衝撃が襲い掛かってきた。言葉は最後まで形になる事無く途切れる事になる。正体不明の凄まじい衝撃に建物は揺れ、油断した俺は振動に足を取られて床に頭を激しくぶつけた。
明滅する視界と朦朧とする意識。遠のく意識の中で最後に見たものはこちらへ必死になって駆け寄るエーデルと直ぐ傍で心配そうに鳴くラーちゃんだった。
大丈夫。なんでもないさ。そう声を出そうとした俺の意識はそこで暗転した。
「マスター!」
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少しだけ時を遡る。
ネルケが屋根の上を跳んで急行している時に、同じ方向へ移動する複数の怪しい人影を確認していた。
彼ら、彼女らは姿格好こそ一般人のそれだった。手にする武装は帝国軍が正式採用しているものが殆どだ。ただそれだけなら帝国に扇動されて武装した民間人が反乱を起こしている程度の認識だったかもしれない。
しかし、それではおかしな点があった。彼らの移動中の身のこなしが明らかに訓練されたものだった。
人気の少ない道を選定する判断能力。常に周囲を警戒して死角をカバーする連携。道角には常にバックアップを置いて警戒する慎重さ。どれをとっても民兵程度ができる動き方ではない。
屋根の上を跳び、彼らと併走しながら観察する。
「ん。あれが、そうかな」
そして思い当たる。一般人の格好をした怪しい連中。横流しされた帝国製の銃器。彼らこそが、親切な男達が教えてくれた情報にあった連中だ。
身のこなし方から判断して間違いなく軍人、それも特殊部隊の類だと想像できた。
その特殊部隊と思われる連中がアオイの居る森の水源に向かっている。それも速度重視で脇目も振らずに。
あきらかに厄介ごとの匂いがした。
「……ん。行く」
考えるのは数秒だけ。様子見など進行方向から予測するに論外、ここで見逃すのは愚策に過ぎる。
併走していた速度を一気に上げて前に出る。路地を走る連中を追い越すと、艶消しされた黒い苦無を取り出して屋根を蹴り飛び出した。
踏み出した力と落下速度による加速で急激に接近する。狙うは最前列を走る男の首だ。
背後からの奇襲で苦無を一閃した。
「――がはッ」
鮮血の赤が舞い上がる。凍りつく時間と刹那の沈黙。
ネルケが音も無く着地したと同時に熱光学迷彩を解除する。彼らの前――首元から血を噴き上げて倒れた男の横――が数瞬だけ揺れると幻のようにネルケは姿を現した。
「誰だ!?」
「……ん」
誰何の声に答える事無く、血の付いた苦無を一振りして血を払う。
貴様らに答える義理は無い。彼らにはそう言っているように思えた。
「貴様……!」
仲間を殺された男の憤怒を前にしても、ネルケは寝惚け眼のまま注意深く観察するように見ているだけだった。襲われた男の仲間達が一斉に銃口を向けるも意に介した風すらない。
「……んん?」
やるの? というように小首を傾げた。どこかやる気のない声だが裏の意味は無駄な抵抗するの? という意味が籠められている。
この程度の輩など一切合財をどうでもいいと考え、興味がないようだ。
苦無をもう一本取り出して逆手に持った。そして自然を装い、手を上げて。
「来る!散れ!」
リーダー格と思われる男の警告より早く二本の苦無が投げられて、男女二名の首に突き刺さっていた。
それでも入り組んだ路地裏の中をバラバラに走って散って行く。感情ではなく理性で判断した動きだ。仲間意識は当然あっただろうが、それを強靭な精神力で捻じ伏せて任務成功のためだけに動いている。
誰もが、喉を潰されて声も無く倒れる男女に一切の興味を示さない。今ここにあるのは三人の死体とネルケのみだ。
「面倒な……ん」
無視された形のネルケは不快な感情にとらわれるも、一つ息を深く吐き出して次の行動に移った。
慣れた動作で腰に差している忍者刀を抜き放つと、とんとんと爪先で地面を叩く。次の瞬間、ネルケは爆発的に加速した。同時に熱光学迷彩も起動した。
「ん。逃がさない」
加速中の刹那の時間に考えた。状況は多対一だった。個々の質はともかく数的有利な立場にあったはずだ。それなのに迷う事無く逃走を選択した。
考えて、推察して、破棄して、また予測して、舌打ちした。
実に簡単な理由で面倒なことだった。これは単なる逃走ではなく、個々に分散することで追跡者を撹乱する。同時に目標を最優先に考えたものだ。個の犠牲をもって群で目標を達成しようとする考え方だ。
軍人というよりも暗殺者のような裏の者に似た考え方に、ネルケは本当に面倒な事になったと思い更に加速する。
加速したネルケは先ほど確認した彼らを追跡し容赦なく斬り捨てていく。分散させていたままだった小型無人偵察機の何機かを当てているから、追跡はそこまで困難ではないが逃げる相手を仕留めるのは向かってくる敵を相手するよりもずっと手間がかかる。
しかも、ネルケが忍者刀を一閃するたびに悲痛な悲鳴を上げるのだ。
死ぬと理解したからこそ大きな声を上げて無関係な一般人を呼び込み注目を集める。それによりネルケの動きを少しでも阻害しようとしている。
方法は邪道だが、秘密裏に事を進めたい側にとってはある意味で有効なのが、腹が立つネルケだった。
そしてまた一つ命が消える。
「ぐっ、あああああっ!!」
「……ん」
倒れる女をそのままにすぐに跳んで屋根の上を移動する。
今の場所は裏路地だが、大通りから一つか二つ入った場所で近い場所だった。逃げた連中の多くがこうした大通りの近くを通る道に集中しているから接触が難しくなっている。
しかし、今の女性で粗方は片付けた。出くわした連中が全員だったとは思わないが、それでも戦力は削れたはずだ。
当初の目的へ動く――その時だった。大きな爆発が立て続けに起きたのは。
「しまっ……!!」
運が悪い事に屋根の上を移動していたネルケは丁度跳んだ瞬間に下方からの爆発に巻き込まれた。
燃え上がる炎と立ち昇る煙。爆発音を見て聞いたヒト達の絶叫と悲鳴。屋根の上に音もなく着地するネルケ。
「こほっ。ん。今のは失敗だった……」
小型無人偵察機から伝えられる映像には、爆発の炎と衝撃に吹き飛ばされた破片が周囲へばら撒かれた光景が見て取れた。
プリーゼ村内のあちらこちらで煙と炎が立ち昇り、運悪く爆発に巻き込まれたヒト達の悲鳴が上がっていた。規模から見て百数十ヶ所で爆発があったようだ。
予め各所に設置されていたと思われる爆弾が一斉に起爆したことも被害を拡大した一因だ。村人の混乱も拡大の一途を辿っている。
しかし、それよりも気掛かりだったのは別にある。
「やられた……!」
プリーゼ村の上空から見た映像には、アオイが居るはずの森の水源の周辺に被害が集中していたことを映し出していた。わかり易い事にヤツらの目的だった森の水源の制圧に巻き込まれた可能性が高い。
しかもアオイの安全を確認しようとエーデルに通信を入れるがなぜか応答がない。常時接続ネットワークには接続されているようだが応えないのだ。これがとてつもなく不安を煽られた。
「ん。行かないと」
ともかく今はアオイの許に駆けつける事が最優先だと考え屋根を蹴り跳んだ。
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少し昔話をしようと思う。
エーデル・シュタインがアオイ・ルメルシエによって作られてから十一年が経つ。彼女、エーデルがアオイに寄せる感情は忠誠心か依存か、それとも愛情か。またはそれ以外の感情なのか、本人すらわかっていないのが現状だ。
何度かその事について質問があったが、その時の答えが『マスターは私で、私はマスター』というある種の一心同体であるという発言だった。
そんなエーデルだが明確な願い、自己の欲求というものが実に希薄だ。アオイはエーデルに自我と自由、成長する事を与えたが、それはまだ芽吹いたばかりでしかない。
知識は長命種の積み重ねてきたそれを有している。
力、武力はルメルシエ夫妻に及ばなくともそれに準じるものを持っている。
学ぶ事、一般教養は勿論だし戦う術もあり鍛錬は怠っていない。
では今のエーデルに何が足らないのか。
それは願望だ。彼女の、彼女だけの心の底から欲する願いがない。圧倒的に足りない。
人は誰しも心の奥底に自分だけの願望を持つ。その願望を自覚する者もあれば一生気付かない者もいるくらいだ。
アオイによって成長を付加されたエーデルだが表面上は『アオイを守る』と言うが、それは親を子が慕う感情と似たものかもしれない。だが、これもエーデルの願いであることも事実だ。漠然としたものだが、という注意書きがつくが。
エーデルは口に、言葉にする事で自身を納得させている。
そこに葛藤や欲望がない。ないからこそ盲目的に自己を削り奉仕するのだ。
それが悪いとは言わないが、そんなことをアオイは望んでいない。彼はエーデルの成長にこそ期待している。進化や進歩と言ってもいい。
口や態度にこそ出さないがアオイも男だ。可愛い女の子が大好きだ。その上でエーデルが明確な願いとして『アオイを守る』というなら彼も喜んで受け入れるし、幸せだろう。
進歩には試練が必要だ。人工的にそれを成そうというならその難度は跳ね上がる。
ヒトは何を思った時に力を、知識を求めるのか。
金銭。権力。男女。愛情。嫉妬。嫌悪。友情。他にも置かれた環境もある。複雑な人間関係もある。場合によっては気分などもある。それらを踏まえて考えて欲しい。ヒトによって様々だろうが、一際強い感情は復讐心かもしれない。憎悪の炎は強くおぞましいが、儚くも美しい刹那の輝きだ。
その人にとっては大事なものだが、他人には取るに足らないものがある。気付かずにそれを馬鹿にされ、その気はなくとも踏み躙られることなどもある。そんな些細な事で嫌悪を剥き出しにすることすらあるのだ。
そして今、エーデルは強い感情に苛まれていた。
「申し訳、ありません、マスター。私が傍にありながら、私が……」
断続的に響き渡る爆発音と銃撃音が聞こえるたびに激しい振動がプリーゼ村を襲う。
アオイ達の居る森の水源に被害はないが激しい振動によって天井から埃が落ちて、建物が軋む音が響いていた。
何が起きたのかわからない見学者達も係員に誘導されて先を争うように外へ避難した。村では生活の喧騒は吹き飛び、阿鼻叫喚の恐怖に陥っている。
今の森の水源内にはアオイたちの姿を残すのみとなっていた。
「状況はわかっています。わかっていたのに、私は……油断したッ」
アオイの独白に静かに耳を傾けていた。オマケは居たが実質二人きりの語らいだった。最低限の常時接続ネットワークだけに絞り余計な外部情報を遮断していた。……してしまった。
邪魔されたくなかった。
「私はッ……!」
愚かな欲を出したばかりに、この失態だ。機械にあるまじき“欲望”が出た。
最初の爆発の衝撃で体勢を崩して手摺りに頭を強くぶつけたアオイは、額から出血していて意識不明。エーデルはアオイの治療を済ませて、今は膝枕して入念にアオイの身体を精密走査している。ラミィはアオイの意識がない事を心配して寂しそうに鳴いていた。
この二名と一羽は森の水源の赤い明かりに照らされていた。
エーデルの口から獣のような呻き声がした。
「これ、は?なんなのでしょうか、この暴れ狂いそうな衝動はッ……!」
ギリッと歯を強く噛んだ。
数分前にネルケから通信があったようだが出る余裕がその時にはなかった。
アオイが傷付いた瞬間を目撃した時、胸を刺すような痛みに戸惑いを覚えた。表面上は平静を保っているが、内心はとても不快で激しい感情に突き動かされていた。
「グ、グゥゥ……!」
歯を噛み、眉間に皺が寄る。内から込み上げてくるどろどろした赤黒くて制御できない感情を無理矢理に押さえ込み耐えていた。意識のないアオイを介抱していなければ、今すぐにでも感情のままに暴れそうになるほどだ。いっそこのまま破壊衝動に身を任せてしまえば楽になるのではないかと考えては振り払う。もう何度それを繰り返した事か。
「クク、クキキッ……!」
現状は理解しているのだ。常時接続ネットワークではネルケが取得した情報が共有化されているので、外で暴れている連中の正体も判明している。
そして、原因らしい複数の生体反応も随時捕捉している。ネルケと交戦しているらしく、いくつかは脱落しているがまだ数は多い。
建物内まで聞こえてくる戦闘音が教えてくれる。派手に暴れているらしい帝国の特殊部隊の反応が複数とネルケが戦っているのを。
一つ息を深く、深く、深く吐く。擬似的に再現されている肺機能の中の空気を全て吐き出したエーデルが嫌に冷たい目で虚空――ネルケが交戦している方向――を睨むと音声通信のみで開いた。
「イリス」
エーデルは感情の起伏の消えた平坦な声で常時接続ネットワークを通して呼び出した。
ネルケの交戦記録を見る限り、そちらは今のところ心配の必要はない。それよりも未だに交戦しているイリス達が気掛かりだ。
「はッ!何用でしょうか?今は少し手が放せないのですが」
そんなことは知っている。常時接続ネットワークで情報は共有されているのだから。
ここより離れた地で楽しそうにドンパチしていることも、よく知っている。
被害はあれど軽微にして敵の被害は甚大であることも、よく知っている。
あと一時間もしないうちに連合軍が駆けつけるだろうことも、よく知っている。
だが、それでも優先すべき事態とは常に存在するのだ。それが己の失態であるがゆえに腹立たしくもあるが、そんな些事などアオイの安否に比べれば捨ててしまえるほどに安いものだ。
「交戦ご苦労様です。ですが、いつまで遊んでいるのですか」
言葉が辛辣だ。声も冷たい。イリスは一瞬息を呑んだ。
音声だけの通信。エーデルの許に聞こえてくるのは銃声や爆発音、レーザーの空気を焼く音などの戦闘音だ。それらが盛大に聞こえてくるなかで、エーデルは静かに淡々と事実だけを告げる。
「……マスターが、ご負傷されました」
「なっ!そ、それは真ですか!?姉上がっ、姉上がついていながらなぜ!」
ええい、リーリエうるさいぞ!と通信の向こうから怒鳴り散らす声が響く。
一切の雑音もない接続環境で問い質された怒鳴り声は多大な困惑と共に伝わっていた。
イリスからは動揺と悲しみと怒り、他にも様々な感情が綯い交ぜになっているのを感じられた。
今度は比較的戦場の後方に位置した場所に居たであろう別のイリスが通信に出た。
「それよりも閣下は!?姉上!」
「治療は終わりました。今は気を失っていますが、不幸中の幸いにしてお命に別状はありません」
そう答えるエーデルの声がいつも以上に無色透明で感情を感じさせない。
そのことにアオイが一先ず無事であると聞き安堵したイリスは困惑していた。
普段から無表情で何を考えているのかわかりにくい姉だがこれはおかしいと感じた。
「そ、そうですか。……あの、姉上?」
「なんでしょうか?」
やはりだ。いつもなら冷たいながらも感情の揺らぎのようなものがあったのに、今はそれが見られない。声に何も色が見られない。
まるで湧き出る何かを無理矢理押さえ込んでいるかのようだ。
「何というわけではないのですが、いつもと違って怖く感じまして。その、怒ってますか?」
「――怒る、ですか?」
「ヒッ!」
画面越し。それも音声のみ。遠くから通信しているはずなのに寒気が走った。
機械人形の彼女はどろりとした黒い恐怖が襲いかかってくるのを幻視した。
「そうですか。そうですか、そうですか。これがッ……!」
これが怒り!これが本当の怒り!ああ!ああ!ああ!憎い!狂おしいほどに!!
初めての身を焦がすほどの怒りの炎にエーデルは全てを憎悪した。イリスに告げられて気付くなど、なんと鈍いのか。
「クキ、クハハハ……!」
「あね、姉上!」
俯いて目が見えない。口元だけが三日月のように笑っている。
エーデルだって怒った事は何度もある。
例えば、模擬戦でアオイが怪我を負わされた時にも静かに怒り激しくクロードを責め立てた事。
例えば、アオイの寝込みを襲おうとした子――主に今はマグノリエとネルケ――に朝まで電気座布団の上に正座させて無言で威圧をした事もある。
例えば、クロードとの訓練でアオイが重傷を負った時にキレてしまい、殺すつもりで襲い掛かった事がある。
感情があるのだからエーデルだって怒った事は何度もあるのだ。
しかし、それは身内が相手だったからこそ、最後の一線だけは守られていた程度のもの。無意識の内に踏み止まる事ができていたものなのであった。
では、なんの関係もない第三者に感じた怒りはどうなのか?
仮に事故だとしても大事な人を傷つけられて感じた怒りはどうなのか?
そんなのは許せない。許せるものか。――殺してやるッ。
「あ、姉上?」
「ああ、そうだ。殺そう。肉片も残さず消そう。愚かにもマスターが、私のマスターが害された。私が傍に居ながら!これは、これはッ――償わなければならない!なんとしてもッ!首謀者全員を冥府に叩き込み、その魂の一片まで焼き尽くさなければならない!」
身内以外の者がアオイを傷つける事がこんなにも憎いとは信じられなかった。
こんなにも嫌悪するとは予想すらしなかった。
こんなにも……胸が痛いとは思いもしなかった。
ああ、憎い。アオイを傷つける全てが憎い。それを容認する世界が憎い。
コンナ世界ハ要ラナイ!!
要らない?ならばどうするか?
世界征服する?――否。そのような無駄はアオイが望まない。
新しい国を作る?――否。大多数を率いるには失うものが多すぎる。
全人類を抹殺する?――否。無駄が多い。殺戮はアオイが嫌う。
なんとはなしにいつも考えていたが、どうするか?何が最善か?
悩み。悩んで、考えた。
「――ぁ……」
ふとした思いつきだった。だがその思いは加速して、そして至った。
たった今、エーデルが自分だけの願望を得た瞬間だった。
それは敵を屠り踏み躙る、暗い愉悦にも似た感情だった。
「そうです。簡単ではないですか。決めました。マスターに優しくない世界なら、手に入れるしかないではない。丁度いい事に浮遊大陸計画がある。それを少し拡大化してあと一つ二つ浮かべてしまえば、それなら……」
零れる怨嗟の言葉。静かな狂気が満ちる時、一切の音が消えた。
悪鬼羅刹が今、動きだす。
「イリス。命令です。手段は問いません。現行の命令を全て破棄し即刻撤収、すぐに合流しなさい」
「えっ、撤退!?ああっ、いえっ!そ、即時撤退、了解ですっ!ええ、もうすぐに合流します!」
「疑問は不要です。二度はありません。いいですね?」
口答えは許さないと言外の圧力。イリスが何かを口にする前に通信を切った。
今一度エーデルは寝ているアオイの髪を優しく撫で付ける。無粋な白手袋越しだが硬い黒髪の感触と体温を感じられて、この時ばかりは憎悪に駆られていた心が穏やかになる。
彼女だけの願望が言葉となる。
「マスター。私は一つだけ決めた事があります。いえ、目標ができました」
答える声は当然ない。当然だ、エーデルの主であるアオイは眠っているのだから。
数度繰り返して撫でてから、狂気に燃えていたエーデルに怯えて震えているラミィを呼びつけるとアオイの枕にした。
立ち上がり、当たり所が悪かったのか未だに目を覚まさないアオイを見下ろす。
「マスター。私は強くなります。今よりももっと強く」
これは宣言であり誓いだ。今回の事故紛いの凶事を切っ掛けに、今まで漠然としていた想いを強く意識させた。
湧き上がる願望は、明確な願いとなり目標となった。
「強く、なります」
強くて純粋で優しくて、儚くて憎悪に濡れた願いだ。進化の指針が今こそ定まった。
エーデルは踏み出す。新しい目標ができたからか爽快感と高揚感に満たされた。
「さあ、まずは彼らを殺しましょう。敵意を持って殺しましょう」
事故か故意なのか知らないが、何を置いてもまずはアオイに怪我させた元凶を始末する。
話しはそれからだ。
両手に武装を取り出すと、何度も呼びかけられていた交戦中のネルケに連絡を入れた。
この日からエーデルの暗躍が進む事になるのだが、この事実をアオイが知るのは遥か先の未来であった。
思ったよりも文字数が増えてしまったのでもう一つ分割しました。
つぎは”15話その4”ですね。
ではでは。




