第15話その2
その2です。
プリーゼ村。
元はエルフ族の住む村だったがここ数十年で色々と様変わりした。今では数多くの獣人族と少数ながら人間族の住人の姿がある。この多くがアース大陸の西部に位置するミロス帝国が侵攻して来た時の避難民であり、他にも東の戦災から逃れてきた者が多い。東西から南へ難民が流れている。
現状、帝国に領土の約半分を奪われた連合は領土こそ削られているが、総合的な人口は増加の一途を辿っているという矛盾した状況に陥っていた。
それでも豊かな自然に囲まれ、恵まれた土地を多く持つ連合は食料生産が盛んだからこそ食糧危機による崩壊だけは免れていた。
この点だけは今も危機的食糧難にある北部とはえらい違いだとは南部に移住してきたヒトの言葉だ。
因みに閉鎖的だったはずのプリーゼ村の事を考えて同行者を絞ったらしいのだが無意味になっていた。知り合いも既に住居を変更していて所在が不明だった。父と母が愚痴っぽく溢していた。
何年も何十年も何百年も来ていないからそうなるのだとこれで自覚してもらえるだろうか。自分達の時間経過の感覚がヒトとズレていることも自覚してくれると非常にありがたい。元人間、元日本人としてはやはり微妙な感覚のズレが気になってしまうから。
自分が長命種とかいう種族であるとか未だに違和感がある。自分的にはまだ人間族の気分だし。このあたりの違和感は時間が解決してくれると願うばかりだ。
などなどの一部誰かさんの愚痴を交えつつも説明を皆から道中にて受けていた。
「しかしながら現在ミロス帝国はその強引な統治から民から強い反発が起きております。また制圧された各国の亡命政府が北と南に移されてからは抵抗軍が発足され小規模の紛争が西部全域で勃発しております」
「それなのにミロス帝国は国内の鎮圧だけでなく北の防衛と南の侵攻を継続してるのです。当時の帝国の領土は南北と同等だったのに国力戦力は質と量ともに群を抜いて高いのです。軍事国家なのですよ」
そんなわけで今はエーデルとリーリエから世界情勢を聞きながら村とは名ばかりの規模である町の中を歩いていた。前を両親が先導してその後ろに俺がついて歩き左右にリーリエとエーデル、背後にイリスが陣取っている。
どうでもいいけどやっぱりエーデル達のメイド服姿は目立つな。繁華街に入った今は彼女達が美人さんなのも手伝って周囲からの視線が気になって仕方がない。
そうして視線を彷徨わせていると、ちょこんと左手を軽く摑まれた。掴んだ先にはリーリエの姿がある。
「王さま。ボク達の話しちゃんと聞いてるのですか?」
「え、勿論だとも。要するに今の連合は危機的状況にあるって事だよね」
「わかってるならいいのです。それと言い忘れてたのですが、基本的なところなのですが言語体系も違うのです。ボク達が今話してる言葉が大陸共通語なのですよ。うっかり元の単一言語を使わないように注意するのですよ?」
地球の英語に近い言語体系である大陸共通語はアース大陸全土で使われてる言語だ。小さな部族や一部の地域では独自の言語もあるらしいが一般的には大陸共通語が使われている。
反して地球の言語で例えるのは難しい単一言語は――これは俺も“外”に出るに当たって初めて知ったのだけど――太古から長命種でのみ使われてる言語らしい。
もしも、この場で単一言語で話し始めたら周りのヒトは意味不明な音の羅列、もしくは暗号染みた言葉に聞こえるみたいだ。
なんてこった。今年で十九歳になるが、今まで両親の意向で引き篭もることになっていたから今の世情に疎くなっている。これではまるでどこかの貴族のボンボンじゃないか。
本当に言語が早期に覚えることができて良かった。同時並列思考の技術がなかったら覚え切れる自信がなかったくらいだ。
などと思い出し内心で苦労を嘆きながら意識を現実へ戻すと、そこにはジッと見詰めてくるリーリエが居た。
「わかってる。流石にそこまでマヌケじゃないつもりだから大丈夫だよ」
「むむ、王さまがそう言うならいいのです。だけど心配なのです」
リーリエよ。それは暗に俺がマヌケだから心配だと言ってるのか?おい。
まあ俺にとっては初めての外出、初めての異世界散策で自分でも軽い興奮状態にあるのがリーリエの注意によって嫌でもわかった。
だとしてもリーリエの言うようにヘマをするなんてしないって、母から事前に言語関係を一通り脳に直接叩き込まれたのだからそんな無様な真似できるわけがない。そんな事したら母から鬼のような折檻が、ががががっあるああるあるかもしれないじゃないかかか!?
「マスター。心拍数の異常上昇と不自然な体温の低下を感知しました。どこかお加減が優れませんか?」
「え゛っ。いや?そんな事ないよ?大丈夫じゃないかな?うん?」
「明らかに動揺しておられますが、マスターがそう仰るならとやかく申しません。ですが何かあればお申しつけ下さいますように」
「あ、ああ。わかった」
言えるわけがない。母の折檻を思い出して気分が沈んでいたなんて情けないこと言えるわけがない。
なぜか胸元に抱くラーちゃんが妙に温かく優しく感じられた。
気分を取り直してそれにしてもと思い、町並みを見て感じさせられる。
見るもの全てが新しく、聞こえる喧騒の全てが懐かしく、ヒトの生活臭が前世の日本での生活を思い出させた。
建物の外観は向こうで言う所の十九世紀を髣髴させるのに、パッと見で使われてる技術は現代に相当する。
それなのに魔力や魔法なんかが存在するから魔法技術の恩恵もある。まるでゲームの世界に入ったようでなんとも不思議な世界観だった。
それでも露天で売られている果物や小物が物珍しくてあっちへこっちへ目が移ってしまう。
「うう。いいなあ、私も閣下とお話したいなあ。いやいやっ、私には護衛という重要なお役目があるのだっ。我侭を言ってはならんっ」
うう、でも……と背後からイリスの声と視線を感じた。今まで気付かない振りをしていたけどそれもそろそろ限界だ。いい加減に気になって仕方がない。大体、護衛というならエーデルとリーリエも同じなのだから気にしないでもいいと思う。
そうと決まれば少し立ち止まり振り返る。
「イリス」
「はひっ!なんでしょうか閣下!?」
「後ろになんか居ないでこっちに来て話さない?エーデル達の話しもひと段落したみたいだからさ」
「ぜひっ……あっ、ちがっ!んんっ!お、お気持ちは嬉しく思いますが私は護衛です。どうか、どうかお気遣いは無用に願います」
「そ、そう?ありがとう?」
礼を言いつつもならその未練がましく葛藤するような顔は難なのかと聞きたい。
なんとなく気まずくなったので歩みを再開させた。後ろから『あー、私のバカバカ!』と小声で喚き散らすなんて無駄に器用な事をするイリスの声を聞いた気がした。
そのまま聞かなかった事にしてしまうのも手なんだけど、気遣う時や伝えたい事があるならちゃんと言葉にするべきだと俺は思うわけで。
「でも無理はしないでほしい。イリスも楽しんでくれたほうが俺も嬉しいからさ」
「っ!?はッ、今回の護衛任務を最大限に楽しませて頂きます!」
今度は恥かしいから振り返る事無く声だけかけた……のだけど、一転してキラキラと目が輝いていらっしゃる!
背中越しだけど声だけで察する事ができた。まさか気遣いが変なほうへ解釈された?観光を楽しめと言ったつもりなのに任務によく励むように激励したと思われた!?ああ、どうしたらこんな誤解をされるんだ。
見ろ、前を歩く父と母の肩が揺れてるじゃないか。微かに笑い声も聞こえる。
「王さま。イリスはいつもこうなのです。気にしたら負けなのですよ」
「肯定。これが正常なのでお気にされる事もありません。寧ろマスターのお言葉があるために一層奮起する事でしょう」
「いいのかなあ」
意図したものじゃないけどせっかくやる気を出してるイリスに水を注すのは気が引ける。背筋を伸ばして追従してくるイリスを見ると、服装がメイド服だし見た目が十代前半だから護衛や騎士というよりも御付きの侍女のようだ。でもなんで?
「なんでメイド服にしたのかなあ……」
「それはマスターのご趣味から最適なものを選択したまでです」
「率直な答えをありがとう!」
そうだった!始まりはエーデルだったよな!まだ情報生命体の時に男女の性別がわからなかった時にメイド談義を熱く語って聞かせたものな!あれは今思い出しても生涯を通して一番の失態だった。
それからはエーデル達のメイド服が目立つ事や世界情勢については一旦棚上げにしてただただ観光に集中した。赤白黒の原色の服装とメイド服の六名は人通りの激しい通りの中でも目立つものだ。それに見る人が見れば服装は特殊だけど物は上質だとわかる。だからこそ露天の商人や屋台の店主が声を張ってアピールしてくるわけで屋台定番の肉の串焼きや切り分けられたフルーツにワッフルのような焼き菓子の店主まで売り込んできて、銀細工のアクセサリーから古物商など様々な商売人が居た。
「おっ、あの串焼きなんか美味しそうじゃないか。この香ばしい匂いがまたなんとも」
少し小腹が空いてる今この匂いは食欲を刺激してくる。無意識に口の中に唾が溜まる。
「では購入されますか?」
「そうだねえ。そうしたいけどお金ないからさ」
「それならばご心配無用です。資金のほうは予めご用意しておりますので」
「へえ、そうなんだ。……で?そのお金どこから?」
「……クロード様からです」
「そう……」
言葉に詰まったエーデルが気にならなくもないけど、あの父が関わっているなら問い質すのは間違いだ。どうせ碌な事じゃないだろうし。それならと考え直してエーデルにとりあえず人数分より少しだけ多めに買うように頼んだ。
エーデルが串焼きの屋台の前に立つ。
「店主様。少しよろしいでしょうか?」
「へい!らっしゃい!って、こらえれぇ別嬪さんだな!」
「串焼きを六人分頂きたいのですが、適当に詰めてもらえますでしょうか?」
「お、おう!お任せとは剛毅じゃねえか!うちのは全部美味いからハズレはないぜ!」
うわー、店主さんデレデレして鼻の下伸ばしてるし。でも同じ男だからこそわかる。エーデルのような美人さんに声かけられたら舞い上がるよな。注文が終わるとサービスのつもりなのかポンポン品物詰めてる。それをエーデルが受け取った。……ちょっと多くね?
「確かに。お代はいかほどでしょう?」
「本当なら百二十グランなんだが、アンタ別嬪さんだから百グランでいいぜ!」
「ありがとうございます。ではこれを」
「毎度あり!また来てくれよ!」
エーデルが銀貨を一枚取り出して店主さんに渡した。商品を受け渡した店主さんは最後までエーデルにデレデレしていた。同じ男としてわからなくもないけど。
銀貨一枚が百グラン。通貨単位は“グラン”であり、銅貨百枚は銀貨一枚に相当するから、金貨は銀貨百枚分の価値がある、と市場を巡る道中に父から聞いた。
日本の金銭に直してみると銅貨一枚あたりの価値は大体十円から十五円程度か。
それから戻ってきたエーデルから串焼きが十数本入った包みを受け取り皆に配ってから俺も食べ始めた。遠慮するイリスだけには少々強引に押し付けた。こういうのは皆で食べたい。仲間ハズレみたいで落ち着かなかったから。
「んぐんぐっ。うんっ、甘辛のタレが美味しい。大陸中が戦乱状態にあるって聞いたけどこの村は活気あるし。あむっ、んーっ!幸せだあ」
「この村は連合の中でも後方に位置しておりますので余程の事がない限りは安全地区と言えましょう。――むっ!程よく香辛料が利いています。きっと長年継ぎ足して使われているのでしょう。あの店主様侮れません」
「あー、それでか。あむ。んっ、もう一本」
「うまうまっ、なのです。あむっあむっ」
両手に串焼き持ってパクつくリーリエが可愛すぎて生きるのが辛いねっ。まだ成長してないから十歳くらいの見た目で串焼きの肉を頬いっぱいに頬張ってもきゅもきゅ食べてる姿が実に微笑ましい。
エーデルは一口一口味を確かめるように食べていた。目が真剣すぎてよくわからない迫力を感じた。
「うむむっ。閣下のご厚意だったのでつい受け取ってしまったが護衛の私がこんなでいいのだろうか。あむあむ」
そう言いつつも食べてくれるイリスが俺は大好きだ。羞恥心と葛藤から頬を赤く染めてるのなんて抱き締めて愛でたくなるほどだ。
「イリス。こういう時は素直に食べて飲んで楽しんだもの勝ちだって。気にしたら負けだよ?」
「はあ、そういうものですか。あむ……あっ、なくなってしまった」
歩調を遅らせてイリスの隣に陣取った。最初渡された串焼きに色々と葛藤していたけど最後にはイリスも食べきったようだ。
「ははは。ほら、もう一本食べなよ」
「うっ。かたじけないです。あれ?」
ここでふとした思い付きから渡そうとした串焼きをついっと遠ざけた。受け取ろうとしたイリスは不思議そうに首を傾げていた。
「せっかくだから食べさせてあげよう。ほら、あーん」
「かっ、かかかか閣下っ!?な、にゃにをっ!?」
口元に串焼きを突き出されたイリスは顔を真赤にさせて恥じ入っていたから楽しくて仕方がない。が、この瞬間、いきなり温度が急激に下がったような気がした。
おそらく周囲に居る男共が嫉妬の視線を向けてきてるのだと思う。イリスを始め皆が美人だからな。俺でも嫉妬したくもなる。
「いいからいいから。ほら、あーん」
「いやっ、しかしですなっ!?えとっ、そのっ!は、はずかっ」
「あーん、しなさい。イヤってわけでもないだろ?」
「うぐっ。そ、それはまあ、ぐぅぅ!あ、あー……んむ。ん、おいひい、です」
それはよかった。
そのまま甘辛く美味な串焼きを渡して、イリスの横に並んで歩いていた。
普段は男勝りな口調のイリスが少しずつ食べる所が女の子らしい一面だった。何気なく串焼きなんか渡してるけど彼女達機械人形って普通に食事が可能なんだよな。
自分で作っておいてあれだけど、食べたものは全て水分と固形物に分解されて自身を構成する生体ナノマシンやエネルギーなどに作り変えられて微々たるものだけど吸収される仕組みになっているし。
「あむ、ん――?」
「リーリエ、どうした?」
自分で作っておいてなんだけどなんて無駄に高度なSF技術なんだろうか、などとこの世界というか長命種の理不尽さを再認識していたら、リーリエが足を止めてどこか宙を睨むように見ていた。
屋台を見ているようでその奥、建物や遮蔽物の向こう側を覗き込んでいるように感じた。
何があったのかと思って聞いてみても返事がない。イリスはどうかと思えば彼女も同じ方向を睨んでいたからますますわけがわからない。
「二体とも。マスターがお呼びだというのに無視するとは――」
「閣下!今度はあれ!あれなどはいかがですか!?」
「そ、そうなのです!ふっくらした焼き菓子なのですよ!?」
「ちょっ?そんなに押さなくても屋台は逃げないってっ」
エーデルの静かなる叱責に慌てる二体に背中を押されて焼き菓子の屋台へ向かった。
それはともかくとして俺は見てしまった。
注意したはずのエーデルも一瞬だけ二体と同じ方向を見たのを。
同じように視線の先を追った限りではレンガ造りの建物と屋台があり、多くのヒト達が行き交っている程度だ。その更にその奥を眺めても、そこには村を囲む大きな木々が見えるだけだ。
だからか、特別みんなの意識を引くものは見当たらないからとても不思議だった。
▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽
夢中で集落を見て回っていたら時間はお昼になっていた。
ラーちゃんも居るからオープンカフェのある喫茶店に入った。今まで屋台物を食べていたのでここでは軽く昼食を取る事になった。
ただし足元ではラーちゃんが屋台で買ったカットフルーツ盛り合わせを美味しそうに食べている。
「きゅーっ!しゃくしゃくっ」
「ははは。慌てなくて大丈夫だよ。ゆっくり食べて」
「きゅー。しゃくしゃくしゃく」
今はリンゴを無心にパクパク食べている。
頬いっぱいに膨らませている姿を見て無理もないと思った。
俺達が歩いてる時は食べられなかった事と、ラーちゃん自身が魔物といっても基本的に草食系だからお肉は食べられないからだ。
「それで次はどこ行くの?大通りはさっきので大体は見て回ったしさ」
それになにやらイリスとリーリエは大事な用があるとかで別行動している。
皆初めての外出のはずなのに何があるのかと気になったけど、エーデルはなにほどでもないと言っていた。
「村の中心地にある森の水源を見に行こうと思ってる。僕らも立ち会ったのだけどあれはこの村が作られた時からあるんだ」
「へえ。じゃあ随分古いものなんだ」
「まだ千年も経ってないからそこまで古いとは言えないけどね。」
「あー、そうなんだ……。でも実はこの村に入ってからずっと気になってたんだよね。あれだけ大きな水球はまだ見た事ないし、赤くてキラキラしてて綺麗だしさ」
遠目からだから正確な大きさはわからないけど、たぶんガスタンク並に見えた。
宙に浮いた球状の構造物で赤い水面が日光に照らされてキラキラ輝いていた。宝石に例えるなら純度の高い大粒のルビーのようだ。
あの大量の水をどうやって浮かせているのか気になるところだ。
「そうだろうそうだろう。あの森の水源は父さん達も少しだけ手を貸したんだけどエーテルでできてるんだ」
「えーてる?」
「ん?ああ。エーテルだ。純水に高濃度のマナを溶かし込んで作られる溶液。簡単に言えば魔水晶の液体版かな。魔力を内包したもので昔は神の水とも呼ばれたもので、魔導具や魔法の媒体にも使われることも多い」
えーてる……エーテルか。
どこかで聞いた気がする。あー、どこだったか。確かあれは、母の講義で最近それっぽい事聞いた気が……そう、近代史か現代論、いや歴史で聞いたはずだ。
父の言ったように昔は魔法の媒体に使われていたけど、現代では魔導機関の燃料に使われてる、だったか。
つまりは前世で言う所のガソリンのようなものだ。ただし、大気汚染などほぼ皆無の極めてエコな代物だ。精製方法は省くけど主成分が純水だから環境にも優しいらしい。
「森の水源は元々当時のエルフ達が、村と森周辺に魔物避けの結界を張るためにその触媒として作ったものなんだけど近年ではそれに加えてもう一つ」
「魔導機関の燃料にも使われている、だっけ?魔水晶からの魔力抽出式からエーテル循環式になってから魔導機関の開発が急発展した、って母さんの講義で聞いたけど」
「その通りだ。よく勉強してるな。愛息子は母さんからよく学んでるようだね。流石は僕の愛する奥さんだ!」
「もうパパったら恥かしいわ。でも、私も愛してるわ!」
「あー、また始まった……」
愛してるわ!僕もだ!
母と父の熱烈なやり取りに少し圧倒される。時たまスイッチが入って一旦こうなると最低でも一時間は続くから困ったものだ。
結婚して何年も経つと聞いていたのに今も両親の仲は冷める事を知らない。
内心で溜息吐いて茶器を手に取り紅茶を一口……と思ったら既に空だった。
「エーデル。どうしようか?こうなると長いし」
「私はマスターのご意思に従います。お望みなら実力行使しますが?」
「それは……後が怖いからいいかな」
エーデルの冗談のような提案を笑い飛ばそうとしたのに、その後を想像したら顔が引き攣るのを感じた。
やったらやったで絶対に後で鬼のような折檻を半日コース、いや下手すると四十八時間耐久コースが待ってるかもしれない。
……置いてくか?
「いっそのこと書置き残して二人で行こうか、なんてね。ははは、は?」
半ば冗談で言ったらそこには真剣な表情で考え込むエーデルの姿があった。なぜか身体が寒くもないのにブルッと震えた。
「二人きり?マスターと私の二人きり?今イリスとリーリエはネルケの応援に出ている。イングバルド様とクロード様もいま暫くはこのままでしょうし、ふむ、ふむふむ、これは邪魔者が居ないということに他ならない。という事は――我が世の春が来た?」
なにやら小声でブツブツと呟いてる。小さすぎて何を喋ってるのかちっとも聞こえやしない。この子ってたまにこうなるんだよなあ。
何かものすごく葛藤してるようにも見えるし、あくどい計算をしてるようにも見えるような。
やっぱりよくわからない。マンガやアニメのように鈍感ってわけでもないけど。
とりあえず散策するのに反対ではないだろうと独断で決め付けた。
そうと決まればとバッグから紙とペンを取り出して『忙しそうだからエーデルと一緒にちょっと森の水源まで行ってきます』と書置きをしたためた。
「エーデル。エーデル、行くよ?ラーちゃんもおいでー」
「きゅ?きゅー!」
「そして日が暮れてしまい、ついには宿を取って部屋に入るなり私はマスターに押し倒されて抵抗する間もなく甘美なる一線を越えて――え?マ、マスター?お待ち下さいませ!マスターっ」
真剣にまだ何かを呟いていたエーデルに声をかけつつもサクサクと通りを進んでいった。
目指すはこのプリーゼ村の象徴である森の水源だ。
最近の悩みは、これも成長の表れだろうけどエーデルが何を考えているのかわからなくなってきた事かな!
「愛してるぞ!イングバルド!」
「私も愛してるわ!クロード!」
ち、父と母の事でも少し悩んでるかもしれないなあ。
俺だって彼女が欲しいよ!い、いやそこまで贅沢は言わないっ。あと、普通のお友達が欲しい! う、ううっ。
▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽
「ああ、そういえば」
イチャつく両親を置いて森の水源へ行く道中でふと思った。
「マスター、何かありましたか?」
「いや、思えばこうしてエーデルと二人きりってのも随分久しぶりだなってさ」
プリーゼ村の中央まで続く石畳の大通りや、最近作られたと思しきレンガと鉄筋コンクリートの町並みを横目に、エーデルとラーちゃんを連れて目的地目指して歩いていた。
慣れているとは言っても人前でエーデルという飛び切りの美人を連れて歩くのはどうにも気後れして落ち着かない。男共の視線が特に気になる。
だというのに当人は微塵も意に返した様子すらない。
「二人きり……。ええ、確かにその通りかと。近頃はヒトも増えた事で必ず誰かが一緒でしたから」
「ははは。皆元気だし個性的だから賑やかで楽しいよ」
思い出すのはこれまでの日常生活の事。本当に賑やかで毎日何かしら事件というか祭りというかイベントが起きた。
爆発とか壁抜きとか爆発とか、あと爆発とか。……クッ、あれ?爆発が殆どじゃないか。
こほん。
マグノリエは女王然とした気品漂うのに何かを切っ掛けに変になる。風呂上りに遭遇した時にいきなり鼻血を噴出したのには驚かされた。
イリスは忠義心溢れる騎士だけど少しからかうと顔を赤らめて俯いてしまうのが可愛らしい。やりすぎると涙目になってしまうからそこそこに加減しないとダメだ。
ペルレは聖職者のように静謐さがあるのにふとした時に黒くなる。でも普段は秘書のような事をさせてデータ整理や管理を任せられる頼れる女の子だ。
アイゼンはサバサバした性格だから話しやすくて工房に居る時はエーデルに次いで多く一緒に居るかもしれない。物作りを手伝ってくれる頼れる助手だ。
リーリエは幼い外見相応に好奇心旺盛で頑張り屋だ。今後の成長次第では大きく化けるかもしれない子だから期待している。
昨年新しく加わったネルケは、ネルケは……あー、えー、あの子はエーデルの姉妹機だけに個性的だ。
いつも寝惚け眼で何を考えてるのかわからないけどイタズラ好きで、でも最後の一線だけは守るから憎めない。そんな不思議な子だ。あー、あとエーデルに対して胸の事で気にしてる風でもあったか。
あれ?今振り返ってみるとからかわれてるのってイリスしか居ないような。……が、がんばっ!
「きゅ!?きゅー!」
「あっ、ラーちゃんを忘れてたわけじゃないって!ちょ!?あはははっ、くすぐったいって!」
足に体当たりしてきた柔らかくてくすぐったい衝撃に身を屈めるとラーちゃんが俺の身体を伝って左肩に上ってきた。ふわふわの毛並みが首筋に触れて妙にくすぐったくて堪らない。どうやら自分達を忘れないでというちょっとした抗議、いや自己主張のようだ。
「きゅー!きゅー!」
「あははははっ!?」
勿論忘れてはいけない。大事な二頭と一羽の召喚獣達を忘れるはずがない。
グリフィンのシブリィは種族らしく気位が高く少し高圧的なところもあるけど根はとってもいい子に育っている。四m近い大きな体躯がそれ以上に大きい翼を広げて飛ぶ姿は実に凛々しく頼もしく思えた。
巻き起こす風は局地的な嵐のようだ。多少嫉妬深いところもあり拗ねるとガジガジと少し強めに甘噛みしてくるから痛いったらない。その時はご機嫌を取るのが一苦労だ。
次にグレイハウンド改めホワイトハウンドのクスィ。イリスのように忠義に篤く義理堅い騎士や武士のような風格がある。
シーちゃんにも負けない体躯とそれ以上の脚力で大地を疾走し、召喚契約で後天的に身に付けた雷撃を放つ姿からは電光石火という言葉が最も正しく当て嵌まる。
ただしこちらも嫉妬深いところがある。シブリィのようにあからさまなものではないけど、成長して精神的に落ち着いてきた今は静かに無言で訴えかけてくる事が多くなった。
最後にアルミラージのラミィだけはちょっと訳ありの参入だったけど概ね不満はないようだ。
まだ幼いから少し甘えん坊なところはあるけど、順調に育っていて今では通常の成体の五十cmほどになっていて額に生えた角も十五cmほどになった。
時々、他の二頭から『非常食?大きくなったら食べるの?』という目で見られてると悩んでいるらしい。冗談だと思うけど注意はしてるから大丈夫、だと思う。たぶん。
「本当に賑やかになった」
思えばエーデルを始まりとしてこれだけの数の機械人形を作ったのだ。
なぜか機体製作が後半に行けば行くほどなぜか先に誕生した彼女達から女性型機械人形を作るように強く強く推奨されたが、特に拘りがあるわけでも性能的にも何も問題はないので流されるままに了承してきた。
その結果が気付いてみれば今の圧倒的な男女比を生み出していたのには脱力ものだったけどな。
肩に乗るラーちゃんが温かいと感じて何とはなしにクツクツと笑ってしまった。
「マスター?」
「いや改めて思ったけど本当に賑やかになったなってね」
自分の身内が、と伝えるとエーデルは少し微妙な空気になった。
「確かに賑やかになったかもしれません。主にマスターの工房で爆発が頻発するからですが」
「それは言わない約束だって」
エーデルの冷ややかな視線にゾクゾク……しないよっ。そんな趣味はないからっ。
「以前も反物質の収縮実験で爆発が起きました。その前は光子の収束実験で壁に大穴が開きました。更にその前は」
「し、失敗は成功の母って言うじゃない?ねえ?」
「ただの爆発ならまだよろしかったのですが反物質の収縮実験だけは極々小規模の消失現象に発展しました。被害もそれ相応に代価を支払う事に」
「命あってのモノダネだよな!」
ぐぬぬぬっ。
この件については反論すら考えられない。今思い出してもあれには肝が冷える。
あの実験は外界と遮断する障壁で隔離してたからこそ被害範囲を数m以内に抑える事ができたと言える。そうじゃなかったら今頃は俺や工房が丸ごと消失していたはずだ。
いやはやあれは本当に失敗だった。でも次はもっと上手くやるさ。
「マスター、黒い顔になっています。ここは反省する所かと」
「失礼だな。反省はしてるって。ただ、次は上手くやるって決意を新たにしていただけで」
「もう少し爆は……安全性の高い実験に方向性を見出してはいかがでしょうか?」
「今爆発って言いかけたよな?いつも通り淡々としてるけど言いかけたよな?」
「ああ、それは気のせいです。きっとマスターはお疲れなのでしょう」
「え?気のせい、なのかなあ……。まあいいか。大体な俺だって失敗ばかりしてるわけじゃない。植物の栽培実験は一応してるじゃないか。ほら安全だ」
俺だっていつも失敗して爆発騒ぎを起こしてるわけじゃない。危険性の低い実験もしてるし、ちゃんと成果は出てるのだから一概に大失敗というわけではない。
「天樹ユグドラシルをお作りになられた事は私も賞賛する思いです。ですがそれで他の危険性がなくなったわけではありません。どうか今後はご自愛下さいますようにお願い致します」
「むむっ、むぅぅ」
これでも十分に大事にしてるつもりだ。
そもそも俺が色々な実験や身体を鍛える訓練をしてるのは全て自分の身の安全のためだ。
まあ実験で爆発に巻き込まれて死に掛ける事もあれば、父の訓練で命の危険に遭わされた事もあるから本末転倒な気がしないでもないけど、それでも俺なりに日々を必死に生きてる。
「前から思ってたけどエーデルって二人きりになると容赦ないよね」
普段は人目があるからか厳格な主従関係って感じなのに今はなんというか軽い雰囲気だ。
「そのような事は……気のせいではないでしょうか。私はいつも通り、変わりありません」
「そう言う割に今は直ぐ隣を歩いてるじゃないか。いつもは三歩後ろを付いてくるのにさ」
ほら、とエーデルの手を取ってみる。白手袋に包まれた彼女の手はシットリとしたいい肌触りだった。
「お、お戯れはお止め下さい。周りの方が見ております」
「そう言いつつも手を振り解こうとしないエーデルであった、まる」
「マスターっ」
言い寄ってくるエーデルを笑って誤魔化した。エーデルの右手を取った手は放さずに歩き続ける。
メイド服姿が珍しい事やそれを着ているエーデルが目も覚めるような美人だから周囲からの視線――主に男から――がすごいことすごいこと。
少しだけどエーデルの頬も赤く染まっているように見えた。
「いや、だったかな?」
「……いや、ではありません」
「ふふん。ならいいじゃないか」
「ですが私は従者です。こうも人目が多いところでは」
「大丈夫だ。気にするな。俺は気にしない」
「マスターっ、むぅぅ。もぅ……!」
せっかくの“外”なのに普段の事ばかり話しながらエーデルと二人きり(+α)でプリーゼ村の象徴とも言える森の水源を目指したのだった。
とりあえず第一章で主なキャラクターは出揃った感じです。
第二章でも増えますが、それはまだ先の話です。
幕間(上・下)を挟んでからその3へ続くのですとよ。
イリスとリーリエのちょっと”その1・幕間”に関係した反応がありましたね。
わかりにく!?エーデルなんて描写すらないじゃん!ww
なんて自分でも思いました。ハハハ……。
第一章の本編はアオイ視点なので書きにくいのですよ。
やはり、これからは三人称をメインに持って行くしかっ……!
ではでは。




