第8話・小話
エーデルの身体ができた直後。
召喚術編。初めて悪魔と知り合う。
小話なのに一万字超えるとか意味がわからない。
書いてるのは作者なのに、なんてこったorz
アオイが十二歳になった年。エーデルが自分だけの身体を得てから二日が経過した。携帯端末に宿っていた情報生命体事エーデル・シュタインはこの世界で漸く行動の自由が確約されたのだ。これからはアオイと常に行動を共にする事ができる。うっかり忘れられて机の上に放置されるような事もなくなる。閑話休題。
これはそんなとある日の出来事だ。
場所はアオイの工房の癒しスペースのある隅っこ。四畳半の畳が敷かれてその上には四人が足を突っ込むに十分な大きさの炬燵が鎮座している。炬燵の中に足を突っ込むのはアオイとその右側にエーデルだ。炬燵の上には蜜柑が小さな籠に積まれている。既に二つの蜜柑を完食したアオイは三つ目の蜜柑に手を出していた。隣ではエーデルが何も言わずに急須を手にアオイの湯呑みに緑茶を淹れている。
「あっ」
そんなほのぼのしていた光景の中でピシリと陶器の割れる小さな音が響いた。アオイは視線を音の聞こえたほうへ向けた。するとそこには無表情ながらどこか気まずそうな雰囲気のエーデルが居り、手には緑茶の注がれた湯呑みが罅割れていた。
「あー……」
「……申し訳ありません」
なんとも気まずい。エーデルが腕を一振りして罅割れた湯呑みを空間格納庫に投げ込むと同じく新しい湯呑みを取り出すと緑茶を淹れるとアオイの前に差し出した。
今回で通算十一個目だ。前回は夕食の時にメインの料理が載った皿を欠けさせていた。新しく緑茶を淹れるエーデルの表情からはわかりにくいが落ち込んでいる事がアオイにはわかった。
「ほ、ほら元気出しなって。それくらい気にしないからさ」
「……お気を遣わせてしまい、申し訳ありません」
ずーん。励ましたのに更に落ち込ませてしまった。表情にも身体の動作にも一切の乱れはないが、どこか暗い。これに対してアオイはどうしたものかと考える。
エーデルは自分の身体というものにまだ慣れていないせいかどうにも僅かな力加減を誤る事がある。今回のように力加減を間違える事など最たるものだ。エーデルは情報生命体として保有する知識は豊富でも四年余りしか稼働していないためにまだ幼い。知識と経験は二つが揃って初めて身になるものだから、まあなんとも難しい。
差し出された緑茶を一口啜る。ホッと一息。
「うん、エーデルの淹れてくれたお茶は美味しいなあ。ははは」
「…………お気遣い、本当にありがとうございます」
「あーうー……」
更に更に暗くなった。今までが十二分に優秀だったせいでこのような壁にぶつかった事がないから、ものすごく落ち込んでいる。アオイを前にしての失態というのも悪い意味で拍車を掛けていた。
本当にどうしたものかとアオイは考えた。考えて、考えて、考えた。
「ああ、そうだ」
出た答えが一つあった。これならエーデルの機嫌も直るのでは、と思った。
「エーデル。ねえエーデルってば」
「……はい。なんでしょうマスター」
「ちょっと目瞑っててもらっていい?あとセンサー類もいいって言うまでカットしてくれるとありがたいかな」
「わかりました」
即答だった。例え落ち込んでいたとしてもエーデルは即応だった。雰囲気は暗いのに仕事や対応はほぼ完璧とはなんともいやはや驚きである。
これでいいですか、と目を瞑ったエーデルは他の感覚と各種レーダーやセンサーを一時的に停止した。今のエーデルは限りなく落とした聴覚以外に外界を把握できない状態だ。
「うん、ありがとう。すぐだから、ちょっとそのままで待ってて」
「はい、マスター」
がさごそがさごそ。アオイが炬燵から出た音がすると、今度は布切れの擦れる音と硬くて鈍い音がした。やがてその音はエーデルの前、つまりは炬燵の上に置かれたようだ。
アオイが目を開けるように言った。
「……――これはっ」
復活させた五感とセンサーが捉えたものは――メイド服だった。エーデルはある意味で驚き、声も出なかった。
「むふふっ。どうよどうよ。昨日徹夜して作ったエーデルの新しいメイド服。全部俺が一から作った特注品だ」
得意満面の笑みでアオイがなにやら誇っている。今エーデルが着ているメイド服は彼女が無理を言ってイングバルドが用意したものだ。ただの衣服という以外に機能は皆無。敢えて言うなら肌触りがよくて着心地がとてもいいくらいだ。
だがアオイの作ったメイド服は違う。このシンプルにしてスタンダードなメイド服はまだ試作品だがトンデモSF技術が満載されている。基本としてシルク顔負けの肌触りで着心地も最高だし万が一の防御効果も勿論ある。しかも生地自体が特殊加工されていてどんな汚れも弾いてしまい決して汚れないし皺にもなり難い。
どうでもいいところに拘ったアオイの無駄に高い技術力が無駄に使われていた。
「素晴らしいですマスター。早速着替えてもよろしいでしょうか?」
「いいよいいよ。エーデルのために用意したんだ。是非とも着替えてみてくれ」
それで意見を聞かせてくれれば尚いい、とアオイが破顔一笑した。この男、更なる改良をする気だ。デザインもエーデルの意見をできる限り取り入れるつもりのようだ。ただしスタンダードタイプに限って。
「ではお言葉に甘えまして」
そう言うとエーデルは炬燵から抜け出して立ち上がると、なんとそのまま脱ぎ始めた。アオイが目を点に愕然とした。
床に落ちる白く清潔なエプロンドレス。続いて黒のワンピースに手を掛けて上半身が露わになりこれまた真白で清潔なブラジャーが見えたところでアオイの意識が再起動した。
「ちょっと待てええ!なんでここで着替えるのさ!?そこに仕切りがあるんだから、ここは使うところじゃないか!」
「???仕切り、必要でしょうか?」
「わかってない!?エーデルって自分の容姿が美人さんだってわかってない!?必要だよ仕切り!ついでに羞恥心も大事!」
「はあ。いえ、マスターがお作りになられたのですから私の造形が美しいのは当然の事かと。故に、なんら恥ずべき所などありません。一体どこに問題があるのでしょう?」
言葉の端々から絶対の自信が読み取れる。アオイが作ったのだから美しいに決まっていると絶賛するエーデルにアオイは赤面するも嬉しそうだった。
「うっ。流石に面と向かって言われるとテレるな……じゃなくて!だったら仕切りを使おう!エーデル、女の子!俺、男の子!おわかりー?」
「それは理解しております。マスターは立派な男性でいらっしゃいます。ですが何が問題なのか私にはわかりかねます。ここに居るのはマスターと私だけです。何を隠す必要がありましょうか?」
「お、おおぉぉおっ……!」
己の内から何かが沸き上がるのを我慢するように悶絶するアオイと、それを無表情ながら理解できなくてキョトンとして小首を傾げるエーデル。
どうでもいいがエーデルは上半身が下着姿だという事をアオイは忘れているのだろうか。
「単純に男の視点から考えるとエーデルの気持ちは嬉しい。綺麗なお姉さん大好きだ。あーでもでも仮にも男女の差があるし、気心知れた仲といっても羞恥心や倫理的な問題があるよな?うん、あるよ。ぶつぶつ……」
よくわからないがエーデルはアオイが悶絶している間に着替えを再開した。
脱ぎかけだった黒いワンピースから足を抜いて床に落とすと、次にガーターとストッキングも外した。陶磁器のような白い肌を隠す上下の下着すら取り払った。たわわに実った大きな果実が揺れている。最後にメイドの証たる真白なカチューシャを取った事で、芸術的なまでの造形美を持つエーデルの裸体が露わになった。
「いやいやいや、何を考えてるんだ俺。エーデルは家族じゃないか。いつかは俺の許を離れる時が来るかもしれない。嫁に行くかもしれないし新しい主人を見つけるかもしれない。下心のある思いはダメだって。ぶつぶつ……」
だというのに未だに色々な葛藤で悶絶するアオイは気付かない。しかも聞こえてくる内容が内容だけに流石にイラッとした。嫁に行く?次の主人?冗談ではない、それではまるで尻軽ではないか。生涯の主人はただ一人アオイのみと決めているのに、これを疑うような台詞だけは聞き捨てならなかった。
「ふむ」
落ち込んでいた気持ちはどこへやら、苛立たしい思いを晴らすため、主人に思い知らしめるためにシミ一つない絹のような美肌を惜しげもなく曝したエーデルはアオイが用意した新しいメイド服に手を伸ばした。
がさごそがさごそ。先程とは逆手順でメイド服を着用していく。ご丁寧にも下着まで用意されていたのには呆れたが、これがアオイの趣味なら喜んで着ようとするのがエーデルだ。因みに用意された下着は白と青の横縞パンツとブラだった。
最後にメイドの証カチューシャを頭にセットした。最後に空間ウインドウを鏡代わりに身嗜みを整えて完了だ。どこもおかしくない。満足そうに一つ頷いてまだ悶絶していたアオイに向き直った。
「マスター。着替え終わりましたよ、マスター」
「そうだよ、エーデルを愛するのは家族として当然じゃないか。大体さ、うん?おっ!?」
「どうでしょうか?マスターのお気に召して頂けますでしょうか?」
「…………」
言葉もないとはこの事だ。外見だけ見るなら同系のメイド服に着替え直しただけなのに、今のアオイにはなぜかエーデルの周りが輝いて見えた。
エーデルの外見年齢の初期設定は十代後半だが、機械人形の特徴である銀髪や彼女の醸し出す透明な雰囲気が二十歳前後の落ち着きと華やかさを両立させた魅力的な女性に思えた。
つまり何が言いたいかと言えばドキッとした。精神年齢的には三十路を越えるのに年甲斐も無くときめいたのだ。男女のそれのような、誇らしい家族のそれのような、ともかく表現は難しいが今のアオイは湧き出た感情に戸惑っていた。
「マスター?」
「っ!あ、ああ、悪い。想像以上に似合ってたから驚いた。うん、綺麗だ……」
「ぇ、ぁ、その。あ、ありがとうございます。お気に召して頂けたなら幸いです」
これまた珍しくうろたえたのはエーデルだった。頬も薄く染めている。
確かにアオイを見返すつもりだったがこうまで直球で賞賛されると嬉しいのだがなにやらこそばゆい思いがある。
「えーと……」
「あの……」
アオイとエーデルが視線を他へ彷徨わせて時折り視線が合って急いで逸らせるというやり取りを繰り返している。
「…………」
「…………」
やがてどちらともなく炬燵に入り先程と同じ位置に座った。
この時も視線を云々は繰り返されている。なんというべきか、実に桃色だ。両者を中心にして空気がわかり易いくらいに桃色だった。こうなるとこの甘酸っぱい空気は例えるに小学生の恋愛レベルでこそばゆい。
今の二名を目撃したなら思わず苺味の砂糖を吐くほどに。
「あはは」
「うふふ」
この空気は二時間ほど続き、最後は二名が微笑み合うと落ち着いてエーデルがアオイに新しいメイド服に注文をつけて終わった。
アオイは更なる改良を施す事になるが、最後までエーデルが頑丈な軍用ブーツを所望した事については謎が残ったのだった。
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召喚術。簡単に言ってしまえばそれは他者を使役する術だ。召喚契約には一時契約、専属契約、限定契約、以上三つの方法がある。
召喚契約は召喚主が召喚時または対象者たる被召喚者に対して条件付けを設定する。被召喚者が契約条件に同意した場合にのみ契約は成立し、契約主と被契約者の間に魔法的な繋がり、“絆”で結びつく。
召喚術において多くの場合は召喚主よりも下位の存在を使役するものだ。ただし、契約時に方法と場合、条件付けによっては召喚主よりも強大な存在を使役する事が可能になる事も稀にある。
そのように召喚術には様々な場合が存在する。現在十二歳のアオイが六年前、当時六歳の時にグリフィンのシブリィとグレイハウンドのクスィの二頭と専属契約を結んだように。
そして今、アオイは魔法文字と図形が複雑に絡み合った魔法円が床や壁、天井など一面に描かれた部屋に居た。この部屋にアオイを連れて来たのはイングバルドとクロードだ。
「うわぁー。なに、この部屋」
アオイの呟いた声に二人が苦笑する。初めて入る事を許された部屋を物珍しげに見ている息子が微笑ましいようだ。父がアオイの呟いた疑問に答える。
「ここは魔法の儀式で使われる部屋だ。安全策が幾重にも施されてるから、あらゆる魔法的な儀式が安全にできる。例えば今回なら、召喚術で召喚対象を呼び出したりするんだ」
「へぇー。……え?」
父の説明を半分聞き流し気味に返事をしたが、召喚術という単語に父を凝視した。
次いで、ギギギと錆び付いた機械のように首を動かしイングバルドを見る。
母はいつも以上に笑顔であった。笑顔だった。大事な事だから二回。これは何かある。怒ってはいないが何がしかの想いがある証拠だ。
これに対して、痛い事にアオイには思い当たる事が多くある。
特に今日の召喚術について。
六年前、仲のいい魔物の二頭に無断で召喚儀式を行使した上に専属契約までして強固な絆まで結んでいる。これに両親、特に母が大激怒した。長い時間を正座して説教された。
あれは二度と体験したくないアオイは口元を少しだけ引き攣らせた。
「そうよー。今日は召喚術を実地でするつもりなの。昔、どこかの誰かさんがママ達の知らない間に召喚契約、それも専属契約なんて強固な関係を結んだ子が居るからねー」
「はは、ははは……」
イングバルドの笑顔とジトッとした視線にアオイは更に顔を引き攣らせた。思い当たる事が的中したからだ。やはり今専属契約している二頭についてだった。
そこにクロードがやんわりと割って入った。
「母さん、もう過ぎた事だし、いいじゃないか。愛息子だって十分に反省したはずさ」
クロードが『な?』と問えばアオイはコクコクと頷いて返すしかない。
それを見てイングバルドはあっさりと矛を収めた。もともと本気で言っていたわけではなく、召喚術は魔法の中でも上位に位置するほどに危険な技術であるために念のために改めて釘を刺す意味があったからだ。
この忠告を破り、もしも今度同じような事があった場合は、いや、考えるのはやめよう。アオイはブンブンと頭を振っていやな考えを追い出した。
「さてそれじゃ早速だけど召喚術の実地訓練に入ろうか」
「ちょ、父さんっ。いきなり?ほら、いつもは実習に入る前に座学とかやるじゃない。何かないの?」
「はっはっはっ。何を今更。基本的なところは独学で押さえてるし、あとはイングバルドから教わっただろう」
「それは、そうだけど」
事実だった。更には言外にシブリィとクスィに召喚術を行使した事も含めて言っているだけにアオイは口篭るしかない。
他者を召喚術式に則って契約を交わして使役する術式だ。使役する対象は多岐に渡るが主に悪魔や魔物の場合が多い。
契約対象となる者を正の力に位置するマナ存在や負の力に位置するカルマナ存在、この二つも踏まえて考えるならそれは契約主の存在のあり方に左右される場合が多い。勿論、例外はあるがこれは純粋に相性の問題だ。
因みにアオイが契約した二頭だがシブリィは魔物の中で魔獣に分類されるがマナ存在である。これはクスィも同様だ。
二頭の親もそうだが生まれてから食物や環境でマナを多分に内包して成長したためだ。
今ではアオイと契約した事で絆を通して更にマナ存在としてのあり方を加速させている。
「それじゃ疑問もなくなったところで本当に始めるぞ。今回は悪魔を召喚してみよう」
「はーい。じゃあ俺は見てるね」
壁際へ寄ろうとしたアオイの肩がガシッと摑まれた。
振り返るとそこには破顔したクロードの姿があった。
「はっはっはっ。おいおい、何を言ってるんだ愛息子よ。お前が召喚するんだよ」
「え゛っ!?」
そんなの聞いてないと驚きアオイは目を丸くした。
講義としては初めての召喚実習だからお手本を見せてくれると考えていたのに、いざとなってみれば自分がぶっつけ本番でやれと言われたので驚いていた。
「さて、召喚術式は知ってるな?前もやったんだから」
「それは、まあ知ってるけど。でも、あれは気心知れたシーちゃん達だったからであって、なんの親交もない悪魔と契約できるか不安だって。むりむり」
「無理じゃないさ。なぁに大丈夫だ。何かあっても父さんと母さんが愛息子を守ってやるさ!はっはっはっ」
「あらもう、パパったら。うふふ」
その“何か”が怖いからお手本が見たいんだ、とアオイは強く強く思った。両親の雰囲気に圧されて思うだけで声には出せなかったが。
「さあ、やってみるんだ!!」
「がんばってアオイちゃん!!」
「はあ」
二人の応援を背にしたアオイは憂鬱な溜息しか出なかった。失敗から暴走したら、と考えるとひどく気を重くさせた。
それでも最後には腹をくくり目には闘志を燃やしていた。
やる時はやる。今なら失敗しても安全は確保されてる。ならば迷う必要はない。
アオイは部屋の中央へ進み出て瞑目する。静かに深呼吸を繰り返して精神を集中した。高めた精神を切っ掛けに身体の内にある魔力を燃焼させた。アオイを中心に赤い魔力の燐光が迸る。
部屋の魔法円が強く輝きだした。術式補助、魔法強化、対象への対抗処置など様々な効果が重なり合う魔法円が脈動するように点滅する。
安全対策が済み、次の段階へ。脳内の無意識下に刻まれた数多ある魔法術式の中で召喚術式を選択、悪魔を対象とした術式を起動させた。
身の内で歯車が噛み合った幻聴を聞いた。魔力を燃料に、歯車を回しクランクが連動してピストンが動く。
「来たれ魔の眷属よ。我と汝が交わる時は今。古の契約により冥府の門より現れ出でよ」
古い時代に異界に封じられた魔の眷属を召喚する即興詠唱。特定の悪魔を呼び出すものではなく不特定多数の中からランダムで一柱をする召喚術式。一時契約を目的とした術式。
蜘蛛の糸を垂らして伸ばすように魔力を放出する。赤い燐光が空中の一点に少しずつ収縮する。
――ぴくん。
伸ばした魔力に“何か”が触れた感触があった。アオイは眼を開いた。
「――時は今!!召喚!!」
召喚の鍵。最後の言霊を発すると同時に収束させた魔力を異界へ押し込むように解放した。魔力は小さな黒い点に吸収されるように流れ込むと眩しいまでの赤い魔力の閃光が迸る。
舞い上がった魔力と煙に視界が塞がれる。
手応えはあった、とアオイは初めてながら確信した。“何か”を呼び出した事は間違いない。
結果はまだ判断がつかないが、アオイは慣れない悪魔召喚に消費した魔力から疲労を感じ、荒い呼吸を繰り返す。
収束した魔力光が治まり、舞い散った煙が晴れていく。
「おおっおぐぼっ!?」
驚きとも喜びとも取れる父の歓声が鈍い打撃音とともに消えたのをアオイは意識の端に聞いた。
が、アオイは目すら向けない。それというのも今はそれ以上に気になるものが現れたからだ。
「んっんー。久しぶりの現世だわー。んふふ」
「な、な、なっ」
収束した魔力の中心には一つの姿、猫のように身体を伸ばして解す女性が居た。
美人だった。赤黒い髪と血のような真紅の瞳を持つ女性。頭の左右から生えた羊のような角。背中で折り畳まれた蝙蝠のような翼。鏃のように尖った先を持つ黒くしなやかな尻尾。
紛れもなく、誰もが想像するような女悪魔の姿だった。
その女悪魔はアオイを視界に納めるとにんまりと笑って言った。
「うふ。召喚に応じたサネルマ・クレータ・レフヴォネンよ。短い時間だけどよろしくね小さなご主人様」
「…………」
妙に甘ったるい声とウィンクでそう自己紹介した女悪魔サネルマは返事がない事をいぶかしむ。
アオイは俯いて何かを我慢するようにプルプル震えていた。
サネルマはそれをただただ不思議そうに見ていた。初めての悪魔を前に恐怖に震えているのかとさえ考えたが、どうもそうではない様子だった。
やがてアオイがバッと勢いよく顔を上げるとサネルマの前まで駆け寄り声を張り上げる。
「なんて格好してんのさッ!!」
「きゃんっ!?」
透けた水着、紐水着といっても過言ではない霞のような薄い布の服装で現れたサネルマにアオイは腹の底から怒鳴ったのだった。
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場所を移して区画の近くにある談話室。ここは地下施設の中にあって珍しく和室の体をなしていた。この世界ではアース大陸の東にある国の様相だ。アオイの住んでいた元の世界の日本文化に酷似していた。
それぞれが囲炉裏を囲んで座布団に腰を下ろしている。エーデルも合流して甲斐甲斐しくアオイの世話に精を出していた。
「あいたたた。いやー、ひどい目に遭ったな。まだジクジク痛むよ」
「ふむ、だ。パパが悪い。当然じゃない。ママは悪くないわ。アオイちゃんもそう思うわよね?」
「えーと……」
クロードとイングバルドの会話。これだけだと意味がわからないが、どうやらクロードがサネルマの薄い水着姿を見て喜んだ事に対してイングバルドが嫉妬して殴り潰したらしい。
最初は肋骨が数本折れていたが今は治療されて完治している。
嫉妬一つで肋骨折られるとかいやだなあ、とはアオイの言葉にできない思いだった。
「ともかく、だ。無事に悪魔召喚が成功したようで何より。流石は愛息子だな!」
「父さん、あんたってヒトは……くっ」
「アオイちゃん。時には触れたらいけないことも場合によってはあるものよ?」
それを母さんが言うか、とは言葉にしない。それを言ってしまえばまず間違いなく自分にも被害が来るから。
「ぅわっぷ!?」
「あーッ!!」
イングバルドの絶叫が上がる。突如アオイは背後から抱き寄せられた。エーデルは何も言わずに傍に控えているが静かに怒気を発していた。
アオイは今、サネルマの膝の上に座らされて、お腹に回された腕で固定され身動きもできない。更にアオイを悩ませるのは頭が大きくたわわに実った果実に挟まれていた事だ。
男としては感涙ものの嬉しさがあるが、今は状況が悪い。両親が見ているしエーデルも居るからだ。
「どうでもいいけどさー。私は何をしたらいいのかしら?……あっ、何もないならこの子アオイを食べていい?」
「あらあら、まあまあ。そんなのダメに決まってんでしょう。私の目の黒い内は誰にもやらせないわよ」
「なによー。ケチねー。いいじゃない、ちょっとよ?先っちょだけならアリでしょ」
「もう、そんなこと言ってもダメよ。ほんとになに言ってるのかしらこの駄悪魔は」
「ちぇー。ひどいなー。でもさー」
「でも、じゃないわ。何を言われてもダメよ」
静かな言い合い。イングバルドの凄まじい笑顔とサネルマの淫靡な雰囲気が鬩ぎ合う。
本当にどうでもいいけどヒトを挟んで言い合うのはやめてほしいな、とアオイは脱力した。
溜息が出そうになって視線をずらしてみれば、そこにはエーデルが幾つものナイフを研ぎだした姿……なんて見えないったら見えない。
イングバルドとサネルマの言い合いは今暫く続きそうなので背後に居る女悪魔の事を考えた。
サネルマ・クレータ・レフヴォネン。
アオイが初めて悪魔召喚した女悪魔の名前。悪魔としての位は中級程度。力もそれに準じて強いものだ。性格は、今二人のやり取りを聞いての通り自由奔放で愉快そうだとアオイは感じた。
クロードが目を釘付けにされたほどにいい身体をしている。しかも服装が薄着の紐っぽいものでムッチムチだから尚更だ。
改めて軽く自己紹介した時に悪魔族以外に淫魔族の系統を四分の一ほど継いでいるというのも理由としてあるのかもしれない。
そんな事をつらつらと思い出していると二人の言い合いを見かねたクロードが動き出した。
「二人ともそこまでにしないか。愛息子が困ってるぞ」
「あらまあ」
「でもパパ」
「でも、じゃない。それとサネルマも愛息子を放してくれ」
「えー、もう少し……しょ、しょうがないかなっ」
ギンッと睨むイングバルドの殺気溢れた視線にサネルマが慌ててアオイを解放した。今の視線は、それだけで確実に殺せた類のものだった。
エーデルが両手に複数持ったスローイングナイフを振り被っていたから、というわけではないはずだ。
やっとの事で安堵した思いのアオイは緑茶の注がれた湯呑みを手に取り眉を顰めた。
「エーデル」
「はい。マスター」
主語は抜けていても、ちょっとした仕草や声の調子からお茶のお代わりを望んでいる事を即座に察して、エーデルはいつの間にか熱々の急須を片手に冷めたお茶を淹れ直していた。
正に阿吽の呼吸だ。下手すると熟年夫婦のそれに近いかもしれない。
どうぞ、と差し出された湯呑みをアオイは手に取り一口飲む。
「ずずず。ふう。うん、やっぱりエーデルの淹れてくれたお茶は美味いな」
「ありがとうございます、マスター。こちらのお茶菓子もどうでしょう?」
「うん。貰う。ありがとね」
「はい。このお菓子は初めて作りましたのでお口に合えばよろしいのですが」
「そんな心配は無用だよ。十分に美味しい」
「はい。マスター……ありがとうございます」
茶を啜るアオイと当然のように傍に侍るエーデル。
実に自然に寄り添い合う一人と一体はもう数百年を共にしているかのような雰囲気だった。
この主従を見ていた三名は部屋の隅に寄り、小声でヒソヒソと喋りだす。
「ねえ、なにあれ?なんであんなに老成しているの?まだ十二歳なんでしょ?おかしくない?」
「ははは。そんなにおかしいかい?愛息子は少し大人っぽいだけだと思うんだけどな」
「それにしても、あの空気はなんとかならないの?まるで熟年のそれよ。ちょろっと聞いたけどあの二人の付き合いって五~六年くらいなんでしょ?やっぱりおかしくない?」
「あらあら。私達は長命種だもの。これが普通なのかもしれないじゃない。一概におかしいとは言えないわ」
「あーそう。それならそういうことも……ん?長命種!?」
「やだもう。声が大きいわ。なんなのよ」
なにやら騒がしくなった。
なんだかんだ意識してないところで初めての悪魔召喚で高揚していた気分を落ち着けていたアオイは絶叫のような悲鳴が上がったほうへ向いた。そこに寄り合っていた三名を見て不思議そうに眉を顰めた。
そこで『一体何を騒いでるのさ?』と声をかけるとサネルマがドタバタと慌てて駆け寄ってきた。
「ちょっとアオイ!あなた長命種って本当なの!?」
「は?いきなり何を」
「いいから!ほ、本当なの?」
「そ、そうなんじゃないかなあ。……父さんと母さんが言ってるだけで自覚はないけど」
素直に答えるとなぜか頭を抱えて蹲った。冷や汗がひどくてなにやらブツブツと呟いている。アオイの後半の言葉は聞こえていないだろう。
「ありえない……私達を異界に封じた種族が……しかもあの二人が当事者……?アハハ、ハ。し、知らなかったとはいえなんてことしたのかしら……あれ?私ここで死ぬの……?」
呟かれるが声が小さすぎてよく聞き取れない。随分と顔色が悪いサネルマをどうしたものか、とアオイは首を傾げて悩んだ。
「父さん、母さん。何言ったのさ」
どうせ何か変なこと言って脅したんでしょというようにアオイは呆れた目を自分の両親に向けた。
「別に変なことは何もしてないはずなんだけどな。ふぅむ?」
「そうよね。特に何もしてないはずなのに、どうしたのかしら?」
「不思議だな」
「不思議ねえ」
「あーそぉー」
真剣に考える両親を塵ほども信じていない風でアオイは捨て置く事にした。
とにもかくにも当人であるサネルマにどうしたのか聞いたほうが早いと感じたので動いた。
今も頭を抱えて震えているサネルマに近寄り肩に手を置いた。
瞬間、ビクッと硬直して強張った顔でアオイを見詰める。その目には涙が溢れんばかりに盛り上がり、過呼吸のように息が短く荒い。顔色は最初に赤かったが徐々に青くなり、次に白くなると差後には土気色になった。
何を怯えているのかわからないアオイは困惑する。
「大丈夫だ。ここにサネルマを害するものは居ないから」
「ほ、ほん、とうに?」
「本当だって。何もしない」
「ほんと、うに、ほんと?」
「不安なら誓おう。身の安全を保障する」
「……ぅぇ」
涙ぐんで、そのまま小さく一声漏れ出ると『よかった、よかった、よかった』と繰り返して言葉とともに心底安堵して泣き出した。
負の勢力に属する悪魔とは言え角や翼、尻尾などを無視するなら間違いなく美女だ。そんな女悪魔が蹲って恥も外聞もなく泣きじゃくる。そんな美女の頭を撫でたり涙を拭いてあげたりと慰める。
この時のアオイは、なんかもうすみません、としか考えられなかった。こんな事態になったのは十中八九で両親のせいだと確信していたから。
気付かれないように注意してから溜息が漏れる。
折角の召喚術。しかも初めての悪魔召喚がこんな結果でいいのか。よくないだろ。
アオイは内心で嘆きながらも表面では優しく泣きじゃくるサネルマを慰めていた。
結局その日はそのままお流れになり後日再召喚する事になった。
再会した時は元の自由奔放な女悪魔に戻っていたことをアオイは素直に喜んだのだった。
エーデルとアオイの甘酸っぱさが表現でき照れば成功ですね。
話しの実体は無垢なエーデルにメイド服を着るように強要してる変態ですが!
まあ最初はエーデルにも小さな苦労があったのですよ、という話しだったりします。
力加減間違えるとか一歩踏み込んだらヒトの頭をリアルトマトバーンしてしまうじゃないですか!(ガクガクブルブル)
おかしい。こんな話じゃなかったはずなのに。
解せぬ……。
サルネマの尋常じゃない怯え方。
遠い過去に負の勢力(主に悪魔族など)を問答無用で位階に封じた本人達とその息子を前に怯えるなとは言えないと思う。
逆上して襲い掛かっても滅ぼされるだけでしょ。主にイングバルド(リアルチート)さんの手によって。
ではでは。




