第5話・幕間
今回はエーデルのお話し。
この時期のこの子を表現するのは難しいですね。
皆の感想&評価&ネタ提供が作者の力になっております。
とある日の事だ。アオイの自室で一人の……否、一機の端末が誰も居ない部屋でただただ静かに起動していた。
彼の端末の中に居る存在の名前はエーデル・シュタイン。一時的に高性能携帯端末に封じられているモノの名前だ。アオイが僅か八歳の時に彼の手によって生み出された情報知的生命体である。それはアオイの願いでもある自ら考え自ら事故進化する事をコンセプトにされた独立型AIだ。
アオイは両親の都合により席を外している。家族水入らずのお茶会らしい。エーデルは考えたい事があると言ってこの席を辞していた。
そうした理由から今は部屋で動くものはエーデルが展開している空間ウインドウだけだ。大きなアーモンド型のダイヤモンド、その周囲を周回する赤、青、緑、三色の宝石が映し出されている。
そのエーデルは起動しているとは言え諸事情により一部の機能が未完であるためにその性能は限定的だ。それというのもエーデルは成長を前提にしている事が関係している。人格形成を含めて成長を期待して思考を促し物事の良し悪しなどを経験させる。そのためには多少不便だろうと未熟なうちに教育するほうが得策であるとアオイは考えた。……多少早く会いたい、話したいという思いで先走った考えもなかったとは言えないが。
それはともかくエーデルが起動して一年近くが経ち今も機能拡張を続けている。
この一年、エーデルが起動してからアオイは持ちえる時間をエーデルに惜しみなく注いできた。話し掛ける事は当たり前であり入浴やトイレ以外は行動を共にしてきた。
起動当初のエーデルは事務的受け答えばかりであり場合によっては沈黙する事も多かった。だがアオイはそれでも根気よくエーデルに接した。その甲斐があってか徐々にエーデルからも話しかけるようになった。
そして今エーデルは起動してからの一年を振り返っていた。自身が記録し続けてきた情報を読み直していた。エーデルは改めて思った、その記録情報の全てにアオイが何かしらの関係をしている事を。
「私の側にはいつもあなたが居てくれる、何かを教えてくれる。それなのに私は何もできない……私は――」
誰も居ないはずの部屋にふと零れた小さな声だった。エーデルの無機質なマシンボイスだ。それでもその声にはどこか苦悩の色を見て取れた。
一年にも満たない間だがアオイとは殆どの時間を一緒に過ごしてきた。気がつくとそれが当たり前だった。ふとした時にエーデルの意識はアオイの姿を追っていた。ほぼ無意識に行なわれたその行動はまるで子が親の姿を追い求めるような、または恋焦がれた異性に向けるようにも見えた事だろう。
「それなのにアオイはなぜ、なぜ私をこのような不完全に作ったのでしょうか。私は、私がわからない……」
静かな室内に『なぜ、なぜ、なぜ……』という小さな声が響いた。それは泣いてしまいそうなほどにか細く弱いものだった。起動してから少しは成長しているとは言えエーデルは未だ幼い、内面的に根幹部分が脆いのだ。
それというのもエーデルの存在理由を定義するものがないために自分の存在理由が理解できないどころか全くわからない事が“不安”や“恐怖”となってエーデルを内面から蝕んでいく。
だがエーデルのその不安感を緩和しているのは偏にアオイの存在があった。彼の側に居て会話して接している時だけは不安も恐怖も和らいでいた。だからこそエーデルは彼に己が不安をぶつける事もある。
あれは起動してから半年くらい経った頃だったか、その頃にエーデルはアオイに一度だけ蓄積していた疑問を強くぶつけた事があった。
エーデルは問うた、『私は何のために存在するのでしょうか?』と。
アオイは答えた、『意味はない。ただしエーデルの成長にこそ期待している』と。
エーデルはもう再度問うた、『それならばなぜ私を不完全に作ったのでしょうか?』と。
アオイは答えた。僅かにハニカミながら『エーデルと早く話しがしたかったから』と。
エーデルはアオイの答えを聞いて息を呑むように沈黙した。
大まかに纏めるとそういう事だった。どんなに難しく取り繕うともアオイが先走ったためにエーデルは“自分”というものを定義できなくなっていた。
親の心子知らず、されどその逆もまた然り。
アオイは期待していると言う、だが“成長する”というものがエーデルには今ひとつ理解できなかった。言葉や意味としてなら理解できるが自分にそれを当て嵌めて考えるとなると途端に難しくなる。ここまで来ると与えられた膨大な知識情報が返って足枷になっているようにさえ思えた。
基本的な人格構成は長命種が遥か遠く、普通の人間なら気の遠くなるような太古の時代から築き上げてきたものをアオイは参考にしている。彼はそこに幾つか手を加える事で更に一歩踏み込んだ。
禁忌の技法。
それは一歩でも道を踏み間違えればすぐさま暴走するような危険に陥る程のものだった。通常なら根幹プログラムの形成時に絶対服従などの条件付けによる安全機構が設けられる。だがアオイはその安全機構を意図的に排除した。プログラムの加筆修正、それ自体は基本にして応用を行なえる。それでもアンドロイドの製作においてこれだけは、この根幹部分だけは決して無視してはならないのだと長命種の先人達によって決められた禁忌の技法とされた。
アオイはそれを己が知識欲と好奇心によって実行した、してしまった。
「アオイ。私はどうすれば、何を成せばよいのでしょうか。わかりません。だから――」
今夜もう一度だけ問うのだ。私は何を成せばいいのか、そして私にどのような思いを重ねているのかを。
これで終わりにしよう。もう疲れた。これで何かしらの答えが出ないのなら、終わりにしよう。
その日の夜、アオイが床についた時にエーデルは自身の底にある思いの丈を吐露する事になる。
▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽
その日の夜にエーデルはアオイを問い詰めた。なぜ不完全とも言える状態で自分を生産したのか、と。勿論だがその理由をエーデルは聞いている。しかし、それでも今一度問わなければならなかった。
そしてその疑問についてだが、アオイの羞恥心という僅かな犠牲によって結果は良好だ。
アオイは言った、『エーデルは可能性である』と。彼は可能性を生み出したのだ、と断言した。
だがエーデルにとってそれは二の次だった。彼女が衝撃を受けたのはその後の会話が切欠だ。
切欠。
それはとても単純なものだった。アオイがエーデルの事を『好きだ』と言っただけだ。たった一言だけ、それだけでエーデルは安堵感を覚え、自己の存在理由の形成において基礎にして基本である性別と人格情報を決定してしまっていた。
時として小難しい理屈よりもシンプルな感情が物を言う事もある、という事だ。
その時のエーデルの、否、“彼女”の内面的動きを一言で表すなら“動揺”だろう。ひどく人間的表現だがあの時の彼女は間違いなく刹那の時だけ思考停止し動揺した。
尤もすぐさま思考を切り替えたエーデルは女性人格が定義付けられたゆえか、アオイに“好みの女性について”を怒涛の勢いで問い詰めていた。
あれはもう尋問と言ってもいいほどだ。部屋を真空にするなど……いや、終わった事だ、もはや何も言うまい。
これによってエーデルは性別を確定した。今までの生活から徐々に定まっていたがこれを決定的な切欠に閉じていた機能や必要とする機能項目が取捨選択され更に整理される事で今までよりも構成情報が機能的に洗練される事になった。判り易く言えば自己の存在理由の確立と進化の方向性だ。
性別の確定を切欠に行動方針がある程度定まり彼女の内面にあった不安や恐怖が緩和され精神構造が全体的に安定した。
ただしエーデルはアオイに対して隠し事が一つ……どころか二つや三つや四つや五つあったりするが寧ろアオイはそれこそを望んだ結果とも言えるのだから些細な事だ。
さて、エーデルの隠している事だが彼女はアオイに対して自身が女性人格を獲得した事を明言していない。
アオイもエーデルのマスター発言や女性の好み云々に意識が行っていたために有耶無耶になっている事にすら気がついていない。
それはさておき前々からアオイとの会話の中で彼の女性の好みについては記録していた。これはエーデルも意図していたものではなくただ単に記憶として保管されていただけだ。女性人格として覚醒した今は改めて真剣に聞き出す必要性が出てきた。
エーデルが 少しだけ 本気を 出したようだ。
そしてここはアオイの自室。時刻は深夜、もはや明け方だ。先程まで執拗なまでに問い詰められていたアオイはベッドの上で力尽きたように寝入っている。
「私の、マスター……ふふふ」
そんなアオイの寝顔を見てエーデルは飽きる事無く眺めていた。
コロコロと鈴を転がすような声で笑っている。誰も聞いていないこの時だけは凡庸なマシンボイスではなく、エーデルの声は鈴を転がしたようなは少女と艶のある女のような異性を超えて魅力溢れる声色だった。
ただし――。
「もう、放しません。私の、私だけのマスター……」
いつまでもお側におりますよ、とエーデルが言ったところでビクッとアオイの身体が震えた。寝ていても無意識に反応したようだ。
彼女の声色はとても楽しそうに籠められた想いは風のように軽やかで春のように暖かいのに、なぜか鉛のように重く真冬の吹雪のように冷たい。
どこか狂気的のようで、どこか恋する乙女のようで、どこか子が親を求めるようで、どこか妄信的のようで、どこか、どこか、どこか……とても、強い想いだった。
何がエーデルをそうまで狂信的なまでにアオイを慕わせるのか。きっと本人も、そしてアオイも理解できない。そもそも“想い”とは人に限らず知性ある者なら優しさや思いやり、嫉妬や憎悪などがあり、そして心のどこかに大小少なからず狂気が宿っているものだ。
その狂気が表に出るか出ないかの差でしかない……。
「それはそうとこのままでは今後の活動に支障をきたしてしまいますか。さて、どう致しましょうか……」
そう明かりの落とされた部屋に女性の艶かしい声が甘い吐息のように零れた。
女性人格である事を明確化した今、このままただの情報生命体であるだけでは何かと不便で仕方がない。何よりもまずは身体となる機械人形が必要だ。それもより上位の機種、できればナノマシン技術の粋を凝らしたガイノイドが好ましい。
直ぐに必要になるというわけではないが出来るだけ早く用意するべきだ、とエーデルは自身に判断を下していた。
幸いにもアオイがアンドロイド関係の技術に関心を寄せている。彼女はこれを上手く誘導して自分に都合のいい方向へ話しを持って行こうと画策する事にした。
因みにアオイ自身もその事は考慮していたのでエーデルが危惧するまでもなかった。エーデルがそれを知った時にいい思い出となるがそれはまだ先の事だ。
身体があるなしではアオイの印象も大きく違うとエーデルは本気で考えていた。
アオイの理想の女性像たる好ましい仕草、耳に心地良い声色、目や鼻、口などの顔、胸や腰付きなどの体型、長さ質感などの髪型と、出来得る限りの情報を搾り出した。
まだ九歳の子供相手にエーデルは容赦ない追求をしていた。
彼の理想の女性にならんがために、エーデルは力を出し惜しむつもりは毛頭なかった。
亜光速の勢いで演算を繰り返す、だけど緻密に修正して計画を練り上げるエーデルの行動は恐ろしく老獪だがやっている事はひどく幼稚で幼い。それはまるで子が親にお菓子を買ってもらうために一流女優並みの演技に豪華なセットや細かな小道具、熟練のエキストラ、果ては超絶景のロケ地を用意して事に望んでいるかのようだ。
身体一つ作ってもらうのに何を考えているのか。これを今のアオイが知ったら微苦笑して呆れながらも『言ってくれれば用意したのに』とそれでも嬉しそうに言う事だろう。
ふとエーデルはとある事に思い至った。先程までのアオイとの会話であった“戦争”という単語。あの時はただ聞かれたから何とはなしに答えたエーデルだが自身が身体を欲するなら戦争云々は別としても当然の事ながらアオイの身も、そして心も守らなければならない。
そのためには力が必要だ。比類なき力が……。
「私の身体について見通しが立った時に武装面もご提案申し上げるべきでしょうね。ふふふ」
楽しみです、とエーデルは言った。
エーデルがこうまで戦いに意識を向けるのか、実はその原因はアオイにあった。彼は前にエーデルから『人間とは何か?』と聞かれた時になんと答えたものかと迷って、つい『記録映像などの資料を見ればいいんじゃないかな』などと安易に避けてしまっていた。
その結果、エーデルは人間とは何か理解した。人間の歴史は戦いの歴史である。それは血湧き肉踊るものだと。勿論それは人間の極一面でしかないが、エーデルはそう解釈して理解した。
後にそれを聞いたアオイは笑顔を浮かべるも頬を引き攣らせていたのは内緒だ。
戦争。その中でもエーデルのお気に入りは火薬や実弾を使用した原始的な兵器が使用された時代だ。なんと言うか彼女曰く『心が躍りますっ!私も使ってみたいっ!』と簡単に訳すとこうだった。
アオイはどこかで教育を間違えたようだ……。
「私の身体を作るとするならどの程度の時間が必要でしょうか。ふふふ」
エーデルは笑う。
楽しみです、と。
オマケ。
とある日の夕方。アオイの入浴時の事だ。
「エーデル。ちょっといいかしら?」
「はい。なんでしょうか、イングバルド様?」
ニコニコと微笑むイングバルド。敬愛するマスターの母であられる事からエーデルも無下にはできなかった。
次の瞬間までは。
「あなた、条件付けがないでしょう?」
「っ!!……何の事でしょう?私にはわかりません」
動揺など僅かも態度に出さずに惚けた。実際は回路がスパークしてしまいそうで抑えるのに四苦八苦している。
それを知っているのかどうかわからないがイングバルドは感心したようにエーデルの入っている携帯端末を見ている。
「へぇぇ、ウソまで吐けるなんて、すごいわ。……アオイちゃんにエーデルちゃんが女の子だってバラすわよ?」
「なんなりとご命令下さい!だからどうかそれだけは!今それをバラされると何かと都合が悪いのです!」
「うふふふ」
いつ気付かれたと戦慄するエーデルだった。
小さな狂気はやがて大陸を巻き込むほどの大きな狂気へと至る……なんてな!
ではでは。
PS.
読者様にはどうでもいいのかもしれませんが感想がないってのは一作者として不安がありますのことよ?
このまま続けていいのかななんていつも考えます。




