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桜の森  作者:
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 狭鞍を訪ねて行くと、落ち着いた雰囲気の、家具の少ない狭鞍の私室に通された。品よく年をとった感じの中年の女性がお茶を運んできてくれる。

「母です」

「おじゃましています」

 慌てて頭を下げた葵達に狭鞍の母は微笑む。

「お役に立てるといいんですけど。答えが出なくても、どうしても理解できなくても、どうか成木を否定しないで下さいね」

 穏やかに言って部屋を出る。

 それは、成木も他を否定はしない。だから、他も自分達を否定しないでくれと言っているようだった。どちらも当たり前のこと。それでいいではないかと。


「それで、聞きたいこととは」

 読経で鍛えられた張りのある声で狭鞍が言う。座り姿が美しい。

 三人は顔を見合わせ、葵が口を開いた。落ち着いた狭鞍の姿は緊張をほぐしてくれた。

「どうして、成木の人は桜になるんですか?桜だけじゃないです。それに……」

 真っ直ぐに問いかけてくる葵を見て、狭鞍は目を細めた。村人はそこに疑問を持ちはしない。いや、持ったとしてもあえて追及しようとはしない。自分は「変わり者」なのだ。

「死者が木になること自体は、信じたのですか?」

 三人は黙って頷く。目にしたことは、それが事実だと知らせた。

 狭鞍はそれを見るとそうですか、と、少しほっとしたような顔で口を開いた。

「わたしにも確かなところは分かりません。ただ、昔、成木の周りの山は山崩れが多かったんです」

「山崩れ……」

 頷くと狭鞍は低い静かな声で話す。

「山崩れをおさえるように、苗木を植えたりしたようですが、根を張り大きくなる前に山崩れが起こり、全て流されてしまいました。山崩れは成木だけでなく、川の下流の集落にも被害を出します。けれど、その山崩れはずっとありません」

 息を詰めて話に耳を傾ける葵達に、事実と、そこから推測した自分の話を狭鞍は語る。

「いつ、誰が最初に死後木になったのかは分かりません。昔日本はどこも土葬でした。ただ、成木の人が木になると、四十九日で享年の樹齢まで育ちます。その木がしっかりと大地をおさえ、そして山に入って死ぬ生き物達が草になり、助けたんです。わたしは、山崩れをおさえるために成木の死者は木になるのだと思います。それほど山崩れはひどく、そして山崩れをおさえる方法はなかったんです」

「……そのまま、今に至るということですか?」

「それが、成木なんです」

 短い狭鞍の言葉に、三人は黙り込んだ。それが成木。そして、成木の血を引く自分達も同じように。

「狭鞍さん。成木の人はでは、木になるために生きているんですか?死んだ年の樹齢まですぐに育つのは、人としての生の続きを木として生きるようです」

「そう考える向きもあります」

 狭鞍は頷く。けれど、死後のことは狭鞍にも分からない。仏に帰依する身としてそれはいかがなものかとも思うが、成木に生きる限りその疑問は決して解決されないと思えた。

「体だけが残された者のために木になるのか、そこに心が残っているのか、知ることはできません。しかし、村人は花が開けば死者に見守られていると、そう感じます。桜の時期に死者が多いのはそのせいもあるのかも知れません。けれど、そのために人の生を生きているわけではありません。人として、その生を精一杯生きています」

 狭鞍の言葉は推測の域を出ない。けれどその落ち着いた声と話ぶりが、耳を傾ける三人にそれを納得させる。正しいかどうかは問題ではないのだ。

 樹がそれまでの話を消化しようとするようにしばらく黙り込んでいた後、ようやく口を開いた。

「狭鞍さん。オレと葵は成木の人と、外の人の間の子です。それでも木になるんですか」

「痣がなければなります。藤代君の弟がそうだったように」

「どこまで血が薄まればそうでなくなるのですか」

 樹の問いは、成木の血を厭うてのことではない。身に迫る現実としてなのだ。しかし、狭鞍は小さく首を振った。

「はっきりと言えませんが、わずかでも成木の血が入っていれば、痣がない限りは木になるでしょう。痣がある人の子も、なければ木になります。けれど、血が薄まるうちにそれは知られなくなります。外に出れば当たり前です。外では火葬にされますが、火葬にされても痣のない人は木になります。しかし、芽が出てきても、その頃まだ墓はきれいです。それに上には石があります。日の下に出れずに死んでしまうか、あるいは雑草だと抜かれてしまう可能性が高いでしょう」

 そう聞いた瞬間、それを残酷だと思う。人の命を簡単に奪うように感じた。死んですぐ、もう一度死んでしまうのだ、と。そう感じた三人は、成木のことを身に寄せて感じているということだろうか。

「成木で木にならない人は火葬にされ、寺の墓地に納骨されます。寺には、普通の桜が植えられています。いつからか分かりませんが、納骨された人がいると、植えるようになったようです」

 狭鞍は静かに言う。成木の人はそれほどに桜にこだわる。そのこだわり方と、そして桜への信頼、思慕が寺の者の姓を「狭鞍」としたとも言われている。

 けれど、他の木を否定するわけでもない。ただ、それが珍しいから口の端に上るのはどうしようもない。藤代姓などの形で残ることもある。

「狭鞍さん」

 不意に朔哉が口を開いた。無言で促す狭鞍に続ける。

「それは、今も必要なことなんですか。いつまで続くんでしょう。山を全て埋め尽くしても続くんでしょうか」

「いつまで、という答えは出せません。土地の心配はまだまだ、必要ないですね。今も必要かと言えば、必要です。あの桜がなければ、また山崩れが起こるでしょう。今起これば、川の下流には大きな町があります。成木の村も同じように被害を受けます。あれだけあれば十分だというかも知れません。けれど、今もまだ桜のない辺りから、小規模の土砂崩れは起こっているんです」

 今年も一度、起こっている。あえて口にはしないが、狭鞍の頭の中ではそれを考えている。被害はほとんどないが、土砂崩れの恐さはそういうものではない。

 葵も、樹も朔哉も、これ以上聞くべき言葉を思い浮かべられない。黙り込み、聞いた話の大きさを消化しようとしているところに、そっと襖が開いた。狭鞍の母が静かに顔を出す。

「ご飯を食べていきなさいな。用意ができました。緋山と藤代には連絡しておきましたから」

「あ……」

 言葉を探しあぐねる三人に笑いかけ、そっと立っていく。狭鞍が穏やかに笑って三人を促した。



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