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桜の森  作者:
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 家の裏から山に登る道があるのに葵は明るいうちに気づいていた。桃色に煙る山に惹かれるように葵はその道を登っていった。

 その山は途中から桜の森に変わった。ふくらみかけた蕾が山に彩りを添えていたのだ。その桜の下にも春の花が可憐に咲いている。

(そうか……ここだ)

 あの記憶の中の桜が咲き誇る光景。裏の山がこのように桜の森になっているのなら、桜の時期に来れば記憶にも残るだろう。

 ゆっくりとその木々の間を歩いていた葵は一本の若木の前に人影を見つけて思わずビクッと足を止めた。

 人影は気配に気づいたように立ち上がって振り返った。葵とそれほど年が変わらないように見える少年だ。目を細めるようにして葵を見ていた少年は、ああ、と納得したように言う。

「緋山の子か」

 それなりの人数がいても村人の大半は顔見知りだという。見ない顔の自分は見ればすぐに分かるのだろうと思い葵は頷いて近づいた。

「三崎葵です。……えっと、親戚じゃないですよね?」

 確か紹介はされていないはずだと思いながらも、人数が多かったので自信がない。少し困ったような顔で微笑って言う葵に少年は笑みを見せた。

「藤代朔哉。血縁はないけど遠縁かな。オレも村外から来たんだ。さっき通夜の席で見かけたから」

「すごい桜ですね」

 上を見上げてため息をこぼしながら言う葵を朔哉は不思議な目で見る。それには気づかずに葵は明るい顔で笑った。

「花の時期には花見の人たくさん来そうですね」

「来ないよ」

 朔哉は短く言った。その眼差しは厳しい。葵はその顔に気づいて笑みを納めて首を傾げた。朔哉は葵を手招きして、先程まで座っていた若木の前に並んで座る。

「この村では花見はできないんだよ」

「え?何で?それにできないって言ったって、勝手に来ちゃうでしょう」

 行ったことはないが、花見のばか騒ぎの話は葵も聞いたことがある。そんなものが花見ならしなくてもいいか、と思っていた。

「勝手に入れば不法侵入になるよ」

「え?」

「ここは、墓地だから」

 葵は無言で朔哉の顔を見つめた。墓地と言うにはあまりに美しすぎる。こんな墓地は聞いたこともない。

「この向こうにお墓があるの?」

「いや、ここ自体がだよ」

「……そうか。お墓で花見はしないよね」

 納得したように葵は周りを見回す。そう考えると、しかし少しこのきれいさがかえって怖くなった。

「なあ」

 朔哉は葵に声をかける。振り返った葵は、つかみどころのない朔哉の顔に首を傾げた。

 村外から来た葵を見て、朔哉は少し口をつぐむ。何も知らないのは分かった。三年前の自分と同じ。だから、話したくなったのかもしれない。それとも、仲間を増やしたかったのか。この村の者は自分のような違和感も葛藤も何もなく受け入れている事実。

「桜の下には死体が埋まってるんだ」

 ここが墓地だと言った後では洒落にならない。そう思いながら葵は朔哉をまじまじと見たが、ああ、と頷いた。

「何かで読んだことあるよ、それ。だから桜の花は桃色なんだって」

「そういう意味じゃない」

 朔哉は言って、目の前の桜の若木に手を当てた。

「この桜は、オレの双子の弟だ」

 何か言おうと口を開いた葵を遮って朔哉は続ける。

「弟はここに埋められて、桜になったんだ。他の桜も、みんなこの村の死んだ誰かだよ」

「そんな……まさか」

 少しひきつった顔で笑い飛ばそうとする葵は、朔哉の冗談を言ったとは思えない顔を見てそのまま表情が固まった。全く信じられないが、冗談にしてはたちが悪い。まずは話を聞こう。一つ大きく息を吸い込んで朔哉の方を向いて座り直す。

「そう言われても全く信じられないんだけど、でも話を聞く。どういうこと?」

 少し意気込んだような真剣な葵の顔を見て朔哉は少しほっとして頷く。誰か一人葬式に行かなくてはいけないとなり、弟の墓参りついでに自分が来たが、相変わらず、ここでは自分は異端だった。

「ここでは土葬するって、聞いた?」

「え?ううん」

 朔哉はこの村は基本的に土葬をすると葵に話す。ただし、役所の届けには火葬になっている。それを悪びれもせずに村中でやっている。村出身の者がいる村役場にもそれに抵抗はない。

「土葬をすると、初七日で苗木くらいになる。四十九日で享年の樹齢にまで育つ」

 呆気にとられたように言葉を失っていた葵はちょっと待ってというように片手をあげて頭を抱え込んだ。

「ちょっと待って。ってことは、その墓所に桜の木を植えるわけじゃないの?」

「そう。人だけじゃない。家で飼ってるペットも、他の動物もみんな山に入って死ぬ。そこのすみれも何かだよ」

「…………」

 葵は無言で考え込んだ。死んで人が植物になるなんて考えられない。四十九日で普通人は地上を離れてあの世での行き場所が決まるという。そこを四十九日で死んだ年の樹齢にまで成長するというのはどういうことだろうか。まるで最初から植物として生きるために動物として生きていたようにも聞こえる。

「大体何でそんなことになるの?」

「オレにも分からないよ。ただ、オレは見ちゃったから」

 朔哉は言うと、双子の弟だと言った若木を見る。


 朔哉は三年前を思い出す。それまでこの村には来たこともなかった。父の実家があるが、就職の関係で父は村を出ていた。

 三年前、一五の時だ。双子の弟が死んだのは夏の終わり頃だった。酔っ払い運転で突っ込んできた車に跳ねられた。打ち所が悪いだけで即死。その顔を見ても、全く傷はなくて寝ているようにしか見えなかった。

 打ちひしがれたように肩を落としていた両親は、しかし朔哉には理解できない行動に出た。何とか気を引き立て、その日のうちに引き取った遺体を棺に納めるとそれを車に乗せたのだ。朔哉をせかし、この村まで来た。

 既に連絡は行き届いていたように、通夜が始まり、葬式になる。火葬場には行かず、山に棺を男衆が担いで入る。

 緋山の分家でも、藤代姓はまた墓地の場所が限られるのだと、父は聞いてもいないのに話す。桜に限ったわけではないのだ。時々違うのも出るのだ、と、その時の朔哉には分からないことをぶつぶつと朔哉に話して聞かせる。昔、藤が出たから藤代姓に分家になったのだと言う父は、弟の棺に最初の土をかけた。

 父の言う話は全く分からなかった。母は、複雑な顔で埋葬に出ている。母は父と職場であった人だ。

 その後、足繁く埋葬場所に足を運ぶ母に朔哉はついて行った。そこは土がむき出しになっている。三日目、そこに緑色の芽が生えていた。

 雑草か、と、抜こうとする朔哉を慌てて母は抑え込んだ。後で、母も父の話は半ば以上信じていなかったと言った。しかし、あの芽を見た瞬間、全ては真実だったのだと悟ったという。埋葬された死者は桜になるのだと、母は朔哉に話して聞かせた。

 一週間、その芽は苗木ほどに成長していた。四十九日には若木にまで成長している。それを見るに至り、朔哉も信じるしかなかった。その成長の早さは常識をはずれていた。

 父はその若木を見て、無言で涙を見せた。死んだ息子の年を思い知らされたのだろう。


 訥々と、切れ切れに話す朔哉の言葉を聞いて、葵は相手の顔をまじまじと見つめる。それでは、確かに誰かが植えたのではありえない。

「村の外でも、村の人以外との間の子供でも桜になるの?」

 ようやく口にした葵の問いかけに朔哉は首を振る。

「いや。場合によるらしい。村の人でも桜にならない人もいる。他の木になるというわけでもなく。そういう人は火葬にされて、寺の墓地に普通に埋葬される」

 その人達との間に何の違いがあるのかは分からない。

「寺の若さんに聞いたんだ。体のどこかに、桜の花びらのような痣がある人はならないらしい」

 それを聞いて、葵は樹の左肩の後ろにそんな形の痣があるのを思い出した。あまりに鮮やかにきれいな形の痣で、珍しいと言っていたのだ。思えば詩緒も祐一もその話には入って来なかった。

「でも、火葬にしちゃえば木にならないんじゃ」

「だったら、弟をあんな風に運んだりしなかったよ、きっと。骨だけでも、木になるんだ。それに、早くしないと埋葬する前から木になり始めてしまう」

 葵は朔哉に聞いた話を思い返しながら考え込んだ。どうやっても、その話の通りだとしたら信じないわけにはいかない話だ。ただ、朔哉の話が最初から作り話ならそれはそれで通る。あれで嘘だとしたら、朔哉はすごい役者だと思う。けれど、信じるよりは欺されたと思う方が簡単で、楽だった。

「明日になれば、緋山の婆さんが土葬にされる。それを見れば少しは信じられるだろう。それに、葵の家は直系だから最低でも初七日間まではいないといけないはずだから」

 見もせずに信じろと言うのは無理な話だと、朔哉にも分かっていた。そう言うと朔哉は立ち上がり、葵を促す。

 朔哉は藤代姓分家の本家筋の家に泊まっていたが、こんな話をした後で山道を一人で帰すのは心配だった。遠回りになるが、送った方が気が楽だ。



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