1話
静かな夏の神社で、
僕は“神様”に出会った。
それが、すべての始まりだった。
何度も繰り返す季節の中で、
ひとつだけ確かなのは——
あの声だけが、消えないこと。
高校2年の夏、久しぶりに祖母の実家へと泊まりに来た。祖母の家は田舎の山奥にあり小さい頃はよく遊びに行って虫を捕まえたりして遊んでいた。しかし、中学に入ってからは部活や課題で忙しかったためなかなか来られず久しぶりの訪問となった。
「いらっしゃい環、よくきたね。」
聞き慣れた祖母の声と変わらない笑顔に懐かしさを覚える。
「お久しぶりです。お邪魔します。」
久々に感じる年季の入った木の匂いと、クーラーが効かない風が生ぬるく肌を撫でる。
セミの鳴き声と共に微かに響く風鈴の音に身を委ね、冷たい麦茶を一気に飲み干す。そうすると火照った体の内に流れるように染み渡る。
そうだ、思い出した。
祖母の家はとても暑いのだった。クーラーの効きすぎた部屋で生活していた頃とのギャップからか、先程からにじみ出る汗が止まらない。
首筋から流れ落ちる汗を乱雑にシャツの胸元で拭った。
日が暮れると次第に気温は下がってゆく。
昼間の暑さはどこへやら、肌寒さも感じる程に夜風は涼しい。
お風呂から上がると、体からモヤモヤと湯気を経たせながら首に巻いたタオルで濡れた髪を擦る。
そのまま居間に入るとお酒を片手に談笑する父親と祖父の姿があった。
「近くにあった神社の住職さんが亡くなったらしいな。」
「跡継ぎもおらんからのう。そのまま荒れ果ててる状態じゃよ。」
子供の頃よく遊びにいった神社。こじんまりとした所ではあったが思い出深い場所のため少し気掛かりである。
「へぇ、なんだが罰当たりな気がしますね」
その夜見た夢は不思議なものだった。大きなケモノ耳に切れ長の目、派手な装飾の着物を身にまとった少年と楽しそうに遊ぶ夢だ。
「たまき〜ちょっと待ってくださいよ〜」
「あははっこっちですよ!」
神社を駆け回る僕を少年は少し遅れて追いかける。鬼ごっこをしているようだ。
すると遠くの方で彼の声が響く。
「─────!」
え?今なんて…………?
ハッと気がつくように目が覚める。勢いよく現実に引き戻された感覚と見慣れない天井に少し気が動転する。
そうか、祖母の家に泊まりに来ていたんだった。
とても懐かしい夢を見ていた気がする。
先程まで見ていたと言うのにまるで遠い昔のように思い出せなくなるのだから夢というものはほんとに不思議だ。
少し喉が乾いたので軽く剥いだ跡のある布団を避け台所に水を飲みに行く。
窓から青白い光が差し込んでおり朝を知らせていた。今からもう一度寝るのにも変な時間なので早起きと考えそのまま起きることにした。
少し外に出て散歩でもしようか。
軽く身支度を済ませ外に出る。深呼吸すると澄んだ空気で肺が満たされる。木々の青々とした香りとじめっとした土の匂いに昔、朝早くから虫取りに行ったことを思い出す。
あの時もこのくらいの時間に起きて取りに行ったなぁ。そんなことを考えながらぶらぶらと思うがままに足を進める。
ふと、昨日の神社のことが頭を過り行ってみることにした。
家の裏の山を少し登るとけもの道のようなものが出てくる。少し行くと石畳になっており長い階段を登りきると神社が現れる。
鳥居の向こうに苔の生えたおキツネ様が参道を跨ぎ並んでいる。首にかけられた赤い布は黒くくすんでしまっていた。本堂も汚れが目立ち、人の管理がされていないことがわかる。
それなのに参道の左側にある大きな神木だけが今も生き生きと育っていた。
全体をぐるりと見渡してみたが、こじんまりとした神社だとは思っていたがこんなに小さかっただろうか。自分が大きくなったことを少し実感した。
懐かしいな。
ここに来てよく鬼ごっことかしたっけ………
ん?あれ。
一体誰と───
突然、ぶわああっと風か吹き、咄嗟に身を縮こませ目を瞑る。
神木から吹き荒れた朝露が頬に触れ、目を開くと参道の真ん中に本堂を見上げる1人の青年が立っていた。
あれ、いつの間にそこにいたんだ?
さっきまで誰もいなかったような……。
この人も朝の散歩だろうか。
着物を身にまとっており狐色の長い髪が風に揺れてなびく。
「おはようございます、散歩ですか?」
僕が声をかけるとビクッと肩を揺らし彼は振り返る。
「ぇっあぁっおはようございますっ!?」
切れ長の目を大きく開きとても驚いた表情でこちらを見る。
「驚かせてしまってすみません。こんな朝に人がいるの珍しくて…つい」
ははは、と頭を搔く。
「いやいや大丈夫!……ところでキミ、オレのこと見えてるの?」
……え?一体どういうことだ?と掻いていた頭を撫で下ろしぽかんとした顔で彼を見る。
よく見てみると彼の頭にはひょこひょこと動く獣耳。先程は見逃していたがしなやかに揺れるきつね色のしっぽ。頬には紅くラインが引かれていた。
着物の装飾も派手で見れば見るほど人間味の無い彼の姿に冷や汗が流れる。
「全然、見えてますけど……あなたは一体…………」
僕の問いかけに対しううんと少し悩む素振りを見せたあと、ふふんっと笑い、こう答えた。
「オレは御影!見ての通りきつねの神さ」
耳としっぽをひょこひょこと動かしながら首を傾げ目を細める。まるでキツネの顔である。
「……きつねの……神……?」
目の前の現実に驚きが隠せない。どうも現実味がない出来事に寝起きの頭では理解が追いつかない。
「うん、そう。……って言っても、まあ信じられないよね」
御影は目を細め、くすりと笑う。
その仕草が妙に懐かしく感じて、胸の奥がかすかにざわついた。
「でもさ、キミがオレを見えてるの、ちょっと変なんだよね」
さらりと言ってのけるその声音は軽いのに、言葉だけがやけに重く残る。
細めた目は真っ直ぐ環を見つめじっとその奥を見つめる様だった。
「……変、ですか」
目線を逸らし俯く。
足元の石垣に落ちた葉っぱが風に揺れる。風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが境内に満ちる。
しばらくの沈黙の後
「……あの」
気づけば、自然と口を開いていた。
「僕たち、どこかで会ったこと、ありますか」
目線を上げ、じっと御影を見つめる。
自分でもよく分からないが、ただそんな言葉が出ていた。
まるで導かれるように。
知らないはずなのに、どこか懐かしい。そんな感覚があった。
御影の瞳が、一瞬だけ揺れる。
「……ああ」
小さく、息を吐く。
「やっぱり、少しは残ってるんだね」
「え?」
聞き返したときには、もう遅かった。
御影はふっと目を伏せてどこか困ったように笑う。
「環、ごめんね」
その声はひどく優しくて、
同時に、胸の奥を鋭く引き裂くような痛みを残した。
「えっ……」
次の瞬間、強い風が砂埃を絡ませ吹き抜ける。
思わず目を閉じ、腕で顔を庇う。
葉が擦れる音と、乾いた土の匂い。
ひんやりした風が、頬をかすめる。
風が止み、ゆっくりと目を開ける。
そこには、誰もいなかった。
……いや
確かにさっきまでそこにいたはずの気配だけが、不自然に残っている。
心臓の音が耳から鳴って頭の奥でどくどくと響いた。
思い出さなければいけない何かが、すぐそこまで来ているのに、手を伸ばした先で、砂のようにさらりと流れていく。
「……さっきのは一体……」
視線の先には本堂の前に並ぶ稲荷狐が、じっと静かにこちらを見ていた。
あれから、何度か似たような夢を見た。
神社の石垣を蹴る感覚と誰かの声が聞こえる。
はしゃぐ声が反射して光に包まれて内容ははっきりしない。
目が覚めると、ぼんやりして忘れてしまうが
ただ、ひとつだけ。
呼ばれている気がする、ということだけがいつも胸に残っている。
夏休みが明け、学校が始まると、
時間はあっという間に過ぎていった。
気づけば冬が終わり、また春が来る。
何も変わらない日常。
少しの違和感を残したまま、それでも日々は続いていく。
そして
僕はまた、
『高校2年生』になった。
……あれ?
どうして、“また”なんて思ったんだろう。
「ねえねえ、このクラスのウワサ知ってる?」
「2年A組にいる幽霊でしょ?」
「そうそう、毎年変わらずこのクラスにいるらしいよ。」
「へぇ……」
つまらなそうに頬杖をつき、軽く相槌を打ちながら、窓の外に目を向ける。
春の風がふわふわとカーテンを揺らし淡い光が教室を差し込む。
脳裏にあの時の神社の景色がよぎる。
ざわざわとした胸さわぎが喉をつたう。
「……毎年?」
小さく呟いた自分の声が、やけに遠くに居るように感じた。




