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曰く、都に鬼が出た。
突然の出来事であり、人々はその日のことを『現魔』と呼び、未だに忘れぬ過去として語り継がれている。
初めに確認されたのは、人の身の丈の八倍ではきかないほどの体躯を有し、棍棒を担いで暴れ回る鬼だった。
鬼は目につく人々を押し潰し、家屋を蹴り壊す。
すぐに警察と呼ばれていた治安維持組織が挑み、数人の死傷者を出しながらも、鬼の退治に成功した。
しかし、鬼は斥候に過ぎなかった。
次に現れたのは大蜘蛛だ。石の楼をよじ登り、糸で街を縛り、腹が減れば人を食った。
そいつを倒すよりも先に、次の鬼が現れた。
今度は人の体の十や二十ではきかないほどの大きさの鬼が徘徊し、鉈を振り回して虐殺の限りを尽くした。
その次は鷲に似た巨大な怪鳥が、その次は百本足の烏賊が、その次は千を超える数の小鬼たちが。
警察は簡単に蹂躙され、遂に自衛隊と呼ばれる国の懐刀まで出てくることになった。
当時の日本の代表は、海の向こうに助けを求めたそうだが、あろうことか『現魔』は世界中で起きていた。
そして、都の次は日本の西の土地にも現れた。そして、北にも、南にも。
遂には空を飛ぶ蜥蜴の群れが現れ、その鱗を自衛隊の武器が貫くことは永遠に無かった。
奴らに対抗するためには、当時の武器では、つまりは人の叡智では足元にも及ばなかった。
たったの五日で、都は火の海に沈んだそうだ。
日本の各地で人が死に、土地が奪われ、嘲笑うかのような火の手が夜空を照らしたせいで、星の一つも見えなかった。
都で唯一残ったのは、都の中心にある皇の城だけ。
そこを中心としたわずかな範囲だけは、どれだけ強い鬼だろうと、どれだけ巨大な虎でも、決して近づくことができなかった。
暴風とは程遠い春のような風。されど、絶対的な力を秘めた風。
そして、遂に人類に「天賦の才」を持った者が現れる。
曰く、その者は徳川の最後の将軍の血を引く者であり、現代の武者として立ち上がった武士であった。
それを皮切りに、各地で「天賦の才」に目覚めた者と、「宝具」に選ばれし者たちが反撃に転じた。
徳川の末裔が馬に乗り、都を取り戻さんと駆けたその時、皇の城を覆っていた風が行き先を変え、「神風」となって都に流れ、化物たちを蝕んでいく。
まさに好機。
徳川の子は四晩と五日で都を取り戻し、「天賦の才」と「宝具」を集め始める。
力を得た者たちは、皆祖先に歴史ある者たちがほとんどであり、その血に感謝し、かつての「氏」を名乗り始める。
「氏族」の長となった徳川の当主は、化物どもを「魔の物」と呼び始め、それらが棲家とする新たに現れた深淵のことを「迷宮」と呼び始める。
時は流れ、魔物と人々の争いは続く。
都は京都の地へと移り、最も力ある氏族たちは十一の席に収まり、朝廷の下で民を救うために、今日も駆ける。
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「ほんと、夢物語だよなぁ……」
小田原城城下の屋敷、春馬院の一室。
書院造というやつだろうか。格式高い座敷は、高級旅館を彷彿とさせる。金属ではなく、木だけで組まれている建築物独特の自然な匂いが心を落ち着かせた。
ここは時久からハルヤに与えられた部屋だ。その縁側に座り、今日聞いた話を整理する。
時系列的には、魔物の出現――『現魔』と呼ばれる事象は二〇二六年の初夏であり、春頃に起きたハルヤが異世界転移の後に起きたことになる。
その後、東京を含めた首都は陥落。
日本各地だけでなく、世界中で魔物が暴れ始め、同時期に徳川の末裔が"天賦"と呼ばれる魔法を手にした、と。
そして、現在の政府は朝廷を中心としたまるで戦国時代の様相を呈し、名のある武家として十一の"氏族"が「元老院」を組織して今に至る。
……大雑把に言えば、そういう世界になってしまったらしい。
その元老院の一席を担うのが、ハルヤを捕らえた源家を従える北条家。
現代に蘇った武家たちが作り出す日本なんて、まさに夢物語。
しかし、つい昨日まで異世界という夢物語の渦中にいたハルヤにとっては、この現実が逃げ出せないことであることも承知していた。
『そういえばマスター、ご結婚おめでとうございます』
「いや、まだ結婚してないから」
どこか拗ねたようなエコの祝福の言葉に、ハルヤは困ったように眉を顰めた。
『しかし、死刑から免れるためには、政音様とご結婚なさるしかないのでは? 義香様でも良いとのことでしたが』
「勘弁してくれよ……」
そう、問題はこれである。
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「さて、君は現在元老院より"特異点"として位置づけられている」
「"特異点"?」
日本の現状を語り終えた時久の言葉に、ハルヤは首を傾げた。次から次へと疑問ばかりな話であるが、今の彼の現状に深く関わることらしいので、当主の話に耳の穴をかっぽじる。
「君の話通りならば、こちらの世界に戻ってくる時に開いた"門"とやらの反応を、朝廷に直接仕える藤原家が観測し、元老院に知らせたんだ。勿論、朝廷は世俗に干渉することはないから意向は表明しなかったが、なにせ常人の二十倍を遥かに超える魔力の反応が一度に起きたんだ、元老院も知らせを聞いて何もしないわけにはいかない」
時久曰く、気絶している間にハルヤの体を調べたそうなのだが、結果として「そこらの魔物のほうがまだ現実味がある」レベルの魔力総量が発覚してしまったらしい。
確かに、ハルヤは向こうの世界でも魔力総量は多い方だった。それこそ、俗に言う英雄クラスの量だ。
元々は常人程度ではあったのだが、度重なる実験の果ての結果でもある。ちなみに、一番効いたのは魔物の肉を食べるというやつだが、不味いのでもうやる気はしない。
「元老院は君を既存の枠組みを打ち壊すほどの可能性を秘めた"特異点"として認定し、先程処遇に関わる会議があった」
「そこで、死刑と……?」
「そうだ。義香から聞いたのかな? 徳川家が君を死刑に処せと、発議し始めたんだ」
徳川といえば、家康のか? さっきの話では首都を奪還した一族として崇め奉られているような存在だったが、ハルヤにとってはただの死神だったらしい。
とはいえ、彼とて命を狙われるのは初めてのことではない。かつて、少々事情があってとある国の城に忍び込んだ結果、大陸を横断するような天下の逃走劇を繰り広げたことだってある。
つまり、「じゃあその首もらうね」なんて言われて、実は後ろの義香が刀を振り上げて迫っていたり……
……は、しないようだ。索敵魔法で検知する限りは、この部屋にいる全員が最初の位置から動いていない。
「ああ、大丈夫だよ。徳川当主の家正殿は元老院の総大将ではあるけれど、あくまで代表ってだけだ。元老院では緊急の事案以外は必ず多数決によって議決が行われる。我が北条家は当然死刑には反対だ」
時久の声音は、確かにハルヤを安心させた。
どうやら、この人は味方らしい。なんか、疑ってすみませんでした。
「現在賛成を表明しているのは、徳川と平だけで、反対は我が北条と織田、そして安倍だけだ」
つまり、反対派が優勢ということらしい。織田って、あの織田信長か? それに安倍ってことは……
『恐らく、今までの話から察するに安倍晴明の末裔なのでしょう』
晴明って、陰陽師とかだったか? 確かに、魔法とは相性が良さそうだった。
「あとは豊臣、伊達、上杉、武田、足利、島津の六票で決まる。期限はあと三日だね」
「もし、賛成ということになったら?」
「その場合は、君の身柄を徳川家に引き渡さなければならない。あそこは国内で最も多くの"天賦"と"宝具"を保有していてね。残念ながら、君一人を守るために戦をするわけにもいかないんだ」
そんな……。
さすがにそうなったら、全力で逃げ出そう。
『逃走経路はお任せください! 最悪、迷宮とやらに隠れるという手もありますね!』
頼もしい相棒も協力的だ。しかし、可能ならば腰を落ち着けて茶を啜るような生活をしたい。
「そこで、我々としては君を守る大義名分を作りたい」
パチンと手を打ち鳴らした時久の顔を見て、ハルヤは少し不安になる。なんだか守ろうとしてくれているのはありがたいのだが、この笑顔は裏を感じる笑顔だ。
「僕の娘の政音と婚姻を結ばないかい?」
「はぁ!?」
「…………はい?」
何故かハルヤよりも先に驚きの声を上げたのは、遥か後ろにいる義香だった。
畳が割れてしまうのではないかと思うほどに荒っぽい足音を立てながらこちらに来た彼女は、ハルヤを押しのけるようにして前に出る。
「ちょ、ちょっと待ってください時久様! いったいどういうことなんですか!?」
「おや? ……ああ、義香でも構わないよ。どちらにせよ、形式的には婿入りということになってしまうが」
「なっ……絶対に嫌です!! なんであたしがこの不審者変態野郎と!!」
非道い。
しかも、どさくさに紛れてハルヤを膝で蹴り飛ばしていた。
なんでこんな嫌われてるんだ? あれか? 貧乳発言か?
『殺し合いをした相手に加えて、彼女のコンプレックスを逆撫でするからですよ』
相棒の冷静な分析に、ハルヤは、仕方ないじゃないか、という言葉が出かけたがやめておいた。否定できないのだ。
「何もおかしい話ではないさ。政音と婚姻を結べば、彼は晴れて我が北条家の人間だ。元老院の氏族とはいえ、簡単に手出しできまい。忠臣の源家に婿入りであっても、我々が庇う理由としては十分だ」
「それ、は……そうかもしれませんが! っていうか、こんな奴とっとと首を刎ねればいいじゃないですか!! 時久様が庇う必要なんてありません!!」
その通り。
その通りなんだが、ハルヤとしてはできれば庇って欲しかった。死刑宣告なんて、受けないに越したことはないのだ。
「あの、自分で言うのもなんですが、どうしてそこまでしてくれるんですか? 彼女の言う通り、そこまでしてくれる必要はないんじゃ……」
むしろ話を聞く限り、ハルヤは防衛線のど真ん中に転移した上に未知の攻撃魔法を使って竜と戦った男だ。牢から出され、まともな護衛もつけていない当主と話をしているこの状況の方がおかしい。
「それは、簡単なことだよ」
ハルヤの疑問に、時久は懐から出した扇を開いて答える。
三つ鱗の紋が薄夜の下地に描かれている。北条家の家紋だ。
「我が北条家は鎌倉の世で力を失い、戦国の果てに滅んだ。そして、蘇りし我が一族が掲げる命題はただ一つ。『この世が魔に沈んだ理由の究明』だよ」
なぜ、この世に魔物が生まれたのか。
なぜ、迷宮は現れたのか。
そしてなぜ、人々は魔法を手にしたのか。
「君は異界からやってきた。なのに、変な話じゃないか? 先ほど君がれいずふるどらごんと呼ぶ魔物は、こちらでは翔紅龍と呼ばれている。違う世界の生物のはずなのに、君が語った特徴は、翔紅龍と完全と言っていいほどに合致している」
「レイズフルドラゴンも、翔紅龍も、同じ存在ってことですか?」
「もしそうだとするならば、僕は君を手放すわけにはいかない。君の力と知識があれば、この世界の核心に迫れるはずだ」
確かに、ハルヤも気になるところだった。
この世界に魔物と魔法が生まれた理由を知りたい。そして、今度こそ本当に帰りたかった。
「でも、だからって政音とこいつが婚姻なんて……!!」
義香も反論のできない理由だったようだが、納得はいっていないらしい。当然か。
「できることなら、子を為して欲しいところではあるけれどね。男ならば責任を取って、この地に骨を埋める覚悟くらいはしてくれるだろう?」
「子!? ちょっと政音! あんたはそれでいいわけ!?」
埒が明かない、と義香は政音に矛先を変えたようだが、返ってきたのは不満の何一つ無さそうな笑みだった。
「ええ。一族のためになるならば、全く構わないわよ」
「あんたはまたそうやって……」
「義香こそ、昔から『あたしより強い奴』が好みだと言っていたじゃない。ハルヤ様はそれに叶うのではないの?」
そりゃ、一応勝ちましたけども。
状況から考えて、森での戦いはハルヤの勝利と見て間違いないのだろう。実際、政音の介入が無ければ何事もなく義香を気絶させられていた。
「あたしの条件は偉丈夫で、顔が整ってて、それであたしより強い奴って言ったのよ! だいたい、あたしは負けてないんだから、こいつは一つも当てはまってないわよ!!」
散々な言われようだった。当事者のくせに蚊帳の外状態のハルヤからしてみれば、好き勝手に言われたい放題で泣きたい気分になってくる。
「あら、私はハルヤ様のようにお強い方ならば、欠片の憂いもないわよ? ご安心くださいハルヤ様、生まれてこの方、身は清いままでございますから」
「そうだぞハルヤ君。政音は一通り花嫁修業は終えているし、そして何より百五十年以上前に北条家が元老院の席を得るに至った武勲を上げた当主と同じ"天賦"、『瑞祥の白鷺』を持った子だ。血筋も安泰、その上君の首が繋がったままでいられるように後ろ盾までついてくる。断る理由は無いと思うよ」
「いや、そりゃ魅力的ですけども……」
"天賦"云々や、後ろ盾に関しては一旦置いておくとして、政音のような美人と結婚した上に子を為す、要は童貞卒業宣言みたいなものだ。六十七歳の老賢者(見た目は若いが)もこれにはにっこりである。
だが、それはそれ、これはこれである。確かに向こうの世界ではこんな政略結婚みたいなことも貴族の間では日常茶飯事であったが、かつての日本の感覚があるハルヤからしてみれば、結局慣れることなく帰還した内容だ。当然「はい、そうですか」とするわけにはいかない。
「義香でも構わないよ。源家の前当主の直系な上に、彼の一族秘伝の"宝具"『膝丸』に選ばれた天才武士だ。剣術ならば当代一との呼び声も高い。この子は花嫁修業こそ終えていないが、大丈夫、半月もあれば仕上げるさ」
「それはお断りします」
「こいつと婚姻なんて――なんであんたが断るのよ!!」
自分が拒否する分にはいいが、されるのはお気に召さないらしい。なぜかハルヤの背中に回し蹴りが入った。理不尽。
ハルヤにしてみても、こんなのと結婚したら毎日首に結界を張って過ごさなきゃいけない。子どもができる前にイチモツを斬り落とされそうだった。
「ちょっと……考えさせてください……」
結局、ハルヤに出せた答えはそれだけだった。
「それは構わないが、元老院の決議が出揃う前で頼むよ。ああ、妾を設けることに関しては、二人と相談して正妻を決めた後なら好きにして構わないからね」
「し、しません!!」
時久の快活な笑いに、政音の微笑み、そして義香の断頭台のような視線の中で、ハルヤは頬を引き攣らせるしかなかった。




