プロローグ
遠足は帰るまでが遠足というらしいが、それならば異世界転生だなんていう"不慮の事故"の終着点だって、帰るまでなんだと思う。
『マスター、遂に完成ですね!』
「ああ……ったく、まさか五十年もかかるとはなぁ」
ハルヤは目の前で唸りを上げる巨大な"門"の前に立って感慨深く息を吐いた。
ちょうど五十年前、ハルヤはこの世界にやってきた。剣と魔法の、所謂ライトノベルでよく聞く世界だ。中世の町並みと、そこで住む人々が魔物と隣り合って暮らしている、そんな語り尽くされた世界。
十七歳の時から成長していない体は、きっと彼がこの世界の元々の住民ではないからなのだろう。おかげで、中年過ぎて感じるとよく聞いていた腰痛にも悩まされないで済んだのだから、それはありがたいのだが。
この世界に来ることになったきっかけはなんだっただろうか。
五十年も前のことだ、もうほとんど覚えていない。人生を過ごした長さはやはりこちらの方が圧倒的に長くて、元の世界よりも思い出はたくさんある。
それでいて故郷の世界に帰りたいと、ずっと研究をしてきたというのもおかしな話だ。でも、何十年も都心に住んでいても、たまには故郷の田舎に帰りたくなるような、そんな感じなのだ。
いやまぁ、その研究の過程で魔王を二、三人倒しているのだから、強ち馬鹿にできない感覚なのかもしれない。
この"門"を潜れば、ハルヤは帰ることができる。
そうと決まれば、挨拶回りが必要だ。こっちの世界でお世話になった人はたくさんいる。仲間もいる。残念ながら恋人はいないが……。
もしかしたら、何人かはついて行きたいと言い始めるかもしれない。
…………それはそれで面倒くさいな。
『マスター?』
頭の中に響く少女の声が不安げだったので、ハルヤは首から下げた赤い宝石のネックレスを優しく手で包んだ。
「大丈夫だよ。エコを置いていくわけないだろ?」
『マスター!』
"自立型魔力演算コア"。名称はエコ。
三十年以上も前にハルヤが開発した、簡単に言えば魔法で作った人工AIみたいな存在だ。
文字通り親より長い付き合いの相棒であり、きっと目の前の"門"もエコがいなければ完成はあと二百年は先になっていただろう。
「むしろ、エコと離れて元の世界に戻るほうが不安だよ」
『お任せください! マスターの記憶領域の情報から、元の世界――地球については学習済みです!!』
相変わらず頼もしい限りである。
「よし、行こうか」
『挨拶回りはよろしいのですか?』
「うーん……考えたんだけど、なかなか面倒なことになりそうじゃないか?」
『試算では、ハロルド様が九十二%、レイラ様が八十五%、その他十二名の方が七十%以上の確率で同行を申し出ると思われます』
「だよなぁ……」
『ついでに、アンシュミット様が百二十%の確率で別れの晩餐会を開き、もはや試算の必要無く七日は長引くと思われます』
「ここまで来て一週間も拘束されるのかよ……」
『あのお方の宴会好きは筋金入りですからね。人類の英雄が元の世界へ去るとなれば、予想されるイベント数は十が最低値です!』
元気にハルヤがげっそりしてしまう結果をはじき出すエコはどこまでも正しい。たまにドジをやらかすことはあれど、その精度は制作者であるハルヤのお墨付きだ。だからこそ、眉間のシワも深くなる。
「行こう。書き置きだけ残すよ」
『承知しました!』
盛大に別れを告げて、結果として失敗したので帰れませんでした! とかになったら目も当てられない。魔法の研究者としても、人間としても恥ずかしくて確実に引き篭もる。今まさに引き篭もって研究に没頭していたのだから、あまり変わらないのかもしれないが。
なら、何も言わずに去っていくほうがいい。どっちみち、元の世界に帰ることが目的であることは何十年も前から話をしているのだ。
ハルヤは手早く研究室としていた洞穴の中を整理する。元の世界は魔法なんて無い、争いなんて無い平和な世界だ。この世界でかき集めた武器や道具は全て置いていく。向こうで銃刀法違反になるなんて笑えないからな。
知り合いや友人、仲間たちに向けて書き置きを残していく。一人一人に手紙でも残そうかと思ったが、それを成し遂げるには、ハルヤが関わった人間の数は多すぎた。だから、みんなに宛てて一通だけ。そして、きっとこの洞穴の中身をそっくりそのまま引き継ぐであろうあの子には、名指しで一通。
着慣れた黒いローブと、エコの宿ったネックレス、そして杖代わりの特殊な素材でできた指輪二つ両手にはめる。装備はそれくらいだ。
ローブのポケットの中身は迷ったが、転送座標がズレて外国に行き着くという可能性も十分ある。純金でできたコインを数枚放り込み、大量の魔力が宿った魔石を詰めて蓋をする。向こうで魔法が使える可能性は低いが、もしほんの少しでも使えれば、水くらいは出せるだろう。
「よし! 帰ろう!」
『はい! "門"の起動を開始、帰還転送回路を展開します!』
"門"の唸りが加速し、光の道が観測できないほどに無限の彼方に伸びて行くのが見える。
ありがとう。
ハルヤはたった一歩だけ前に出た。
――――――――――――――――――――
川のせせらぎ。鳥の囀り。木々の木漏れ日。
ついでに、足を這う虫の感触。
「どわっ!!」
ハルヤは飛び起きた。足を襲った違和感を払い除けると、どうやら正体はただのアリだったらしい。
「どこだ……ここ……」
周囲を見渡してみても、広がっているのはただの森だ。向こうの世界では見慣れた自然であるが、記憶が確かならば、大規模な転送魔法を使った後のはずだ。
ハルヤはどこか慌てた様子で自分の身体を確かめた。
服は着てる。ローブも体に巻き付いている。ポケットの中身も無事だ。四肢も問題なさそうだし、指もきっちり五本ずつで、指輪も健在。
『んぅ……』
聞き慣れた声が頭に響き、同時にハルヤは自分の首元にネックレスの感触を認めた。
「エコ!? 起きてるか?」
『マスター……?』
エコの意識がはっきりしていない。彼女(性別などないが)は生物ではない。故に寝起きという概念も存在しないはずなのであるが、この反応は高濃度の魔力に晒されて"酔っている"状態に近い。
「大丈夫か?」
『うぅ……はい……マスターはご無事ですか?』
「一応五体満足だ。魔力不足で内蔵の一つや二つ消える可能性もあったが……今のところは問題なさそうだ」
少なくとも、体を触っても不自然な凹みがあるわけではない。中身はしっかり詰まってそうではあった。
『大気組成、重力などの物理係数……すべてマスターの記憶領域にあった情報と多少の誤差はありますが、一致します。地球と判断して……問題ないかと……思います』
「本当か!?」
ということは、あの"門"は成功したということになる。今までいくつも魔法の研究を成功させてきたが、すべてはこの転移魔法のためと言っても過言ではない。それが実を結んだ、ということだ。
『ですが……一部大気に違和感を覚えます……。原因……解析能力不足……転移魔法による魔力乱流の影響が大きく……自己修復機能で調整します……五分ほどください……』
「ああ。別に喉元に剣を突き立てられてるような緊急状態でも無いんだ。ゆっくり立ち直ってくれ」
起き上がったハルヤは体についた土を払い、軽く伸びをする。
運動機能に問題なし。魔力は……ある。
僅かにだが、魔力が体に残っているのを感じる。感覚的には、総量の一割も無いくらいだ。
今回の転送魔法には、幾つもの魔石を連結させた魔力で開通させ、最終的にはハルヤ自身の魔力を使って調整と移動を行う計画だった。
魔力量には自信のあるハルヤではあるが、足りるかどうかはギリギリではあった。だが、いざやってみれば、意外にも余裕はあったようだ。
こちらでも魔法が使えるかどうかを試したいところではあるが、恐らく大気中の魔力の元である元素の魔素はこの地球には皆無だろう。
つまり、魔力の自然回復は起こらない。
一度魔法を使えば、消費した分は戻らないのだ。名残惜しいが、まだここが地球のどこなのかも判明していない。もしかしたら、魔法が助けになることも考慮して、温存しておくべきだろう。
エコは自力で僅かではあるが魔力生成ができ、それで十分稼働できる。
「ん?」
違和感がハルヤを襲った。
なんだ? 魔力が増えているような……?
その時、太陽が翳った。
ハルヤが見上げた直後、雷のような咆哮が轟く。
「グギャァァァアアアア!!」
鈍い赤に光る鱗。雄牛を容易く踏み潰せるほどの体躯。空を覆い尽くす翼。
「なんで……レイズフルドラゴンがいるんだよ!?」
突如として現れた生物――いや怪物に、ハルヤは見覚えがあった。
ハルヤが研究室にしていた洞穴から北へ何百キロと進んだ山岳に生息する、凶暴なドラゴンだ。
硬質な鱗に地盤ごとひっくり返し得る筋力。一度現れれば、一晩で小さな村くらいは焼け野原に変えられる凶暴性を持つ。
いや、そんなことよりも、あり得ない。
だってこいつは、あっちの世界の生物だ。
レイズフルドラゴンは大きく体を捻ると、槍のように長い尾を叩きつけてくる。
「エコ!!」
そうだった……! 今は修復作業で休眠中だった……!!
解析により何かしらの情報が欲しかったハルヤだったが、返事のない相棒を思い出して右手に魔力を込める。
無詠唱による物理防護結界。
右手の指輪を中心として展開された半透明で六角形の障壁が、尾の一撃からハルヤの体を守る。
衝突の衝撃波で周囲の木々が揺れ、その威力を物語る。
くそっ、魔力の残量も大して無いってのに!!
本来、ハルヤに魔力切れは存在しない。
卓越した魔力操作とエコの演算によりロスを限りなくゼロに近づけているため、周囲の魔素を吸収して蓄積する、人間なら誰しもが持つ魔力の自然回復と釣り合いが取れるのだ。
それこそ、強敵との戦闘で使うような大魔法を使うのであれば話は変わってくるが、それでも魔力残量を気にする場面なんてほとんどない。
だが、今は全く状況が異なる。
大幅に魔力を消費した状態に加え、エコは休眠中で助けを得られない。その上、自然回復もまともに出来ているかわからない(というより、この世界では出来ていないのが普通なのだが)。
「省エネでいくしかねぇな……!」
魔力を研ぎ澄ませる。
竜種の弱点は眉間だ。
体表は硬い鱗に覆われ、特に翼は魔力の嵐状態で狙えたもんじゃ無い。
ドラゴンは目を狙え。
あっちの世界の騎士団では、竜種討伐隊にそう教える。
しかし、ドラゴンの装甲が薄いところを正確に言うなら、それは眉間なのだ。
「『ウィンド・スパイク』!」
圧縮した空気の杭を空に向かって射出する。
それはレイズフルドラゴンの頬を掠め、青空に消えていく。ドラゴンは一瞬それに気を取られた様子だが、すぐにハルヤへと視線を戻すと、体勢を立て直して全身甲冑すら容易く引き裂いてしまう鋭い爪を振り下ろしてきた。
それに対して、ハルヤは避けない。結界をもう一度張り直すこともしない。ロスが大き過ぎるからだ。
ハルヤが空を掴んで引き戻す動作をすると、ヒューっと甲高い音が近付いてくる。
ストンッ
そんな軽い音を立てて、トンボ帰りしてきた空気の塊で作られた杭がドラゴンの眉間に突き刺さった。
「術式変更『ニードル』!」
掴んでいた手を離すと同時に、眉間に突き刺さっていた空気の杭が爆散する。
無数の空気の棘へと変わったそれは、内側から相手の脳を貫き、内臓を荒らし回る。鋭いが小さな棘は、竜種の装甲を貫いて出てくることなどなかったが、対象を死に至らしめるには十分な働きだった。
ドラゴンの巨体が崩れ落ちる。喉までも貫かれているせいで、絶命の咆哮すらなかった。
「おわっ!」
危うく倒れてきた龍の頭で潰されかけたハルヤだったが、なんとか後ろに飛び退くことで回避した。
効率化のために魔法を変化させることでロスを抑えたが、一つの魔法で誘導と攻撃を両立させるために、余計な軌道操作を余儀なくされた。
消費といえないほどに微々たる魔力であるが、この状況ではそんな魔力も惜しかった。
「いったいどうなってんだ……?」
いまだにエコが休眠中のため解析が出来ないが、ハルヤが軽く見ただけでも、目の前の死骸はレイズフルドラゴンのそれだ。
転移魔法に巻き込んで連れてきてしまった?
いや、あり得ない。
このドラゴンはもっと北に棲んでいるはずだし、何よりあの転送魔法は起動後は自分の魔力で座標操作をする必要がある。エコの助けを借りたハルヤならばまだしも、ただの竜種が偶然同じところに転送されるなんて考えられない。
そうハルヤが頭を捻っていると、休む暇もなくエコの切迫した声が彼の脳内に響いた。
『警告! 魔力をお借りします! 自動術式!!』
即座にハルヤの首元に物理防護結界が五重で展開される。
エコにしては乱雑な構築だった。魔力をありったけ注ぎ込んだ、素人魔法使いでもやらないような粗雑な結界。
しかし、強度だけに極振りしたのか、直後に襲った衝撃を見事に防いでみせた。
キンッ!!!!
甲高い音が鳴り、五枚の結界のうち三枚が砕け散る。
目で追うのがやっとの速度で通り過ぎた影は、地面を蹴ってドラゴンの死骸の上で停止した。
「ちっ、仕留めたと思ったのに。随分勘がいいじゃない」
それは和袴に身を包んだ少女だった。
歳はハルヤの見た目に近く、高校生くらいだろう。短く切り揃えた髪を流し、その下にある瞳はくっきりとしていて、荒っぽいが人を振り向かせる整った顔立ち。
肩と胸部に蛇腹のような形状をした鎧を身につけており、そして、何よりも目を引くのは、両手で握られている日本刀――太刀である。
黒漆で整えられた柄に、周囲を鏡のごとく反射する流麗な刀身。
それが、今まさに自分の首元を斬りつけた犯人であることを察したハルヤは、ゾッと首を抑えて身構える。
すでに結界は解除している。あれを維持するには効率が悪すぎた。
「おいおい……本当にどうなってんだよ……」
「それはこっちの台詞ね。急な魔力反応があったから来てみれば、あんたいったい何者?」
「そっちこそ、いきなり斬りつけてくるなんてイカれてんのか? 銃刀法違反だぞ、銃刀法違反!」
ハルヤは指差しで抗議する。
かつてであれば、刃を向けられて正気で言い返すなど出来なかっただろうが、ハルヤももう実年齢は六十七歳である。こんな危機あっちの世界でいくらでも経験してきた。
「うっさいわね! 質問してるのはこっちよ! この小田原の地の防衛を任されてる、この源義香のお膝元で、小狡い真似なんかさせないわよ!」
義香と名乗った少女はそんなハルヤがお気に召さなかったらしい。
キッと目を釣り上げて、鋒を相手に向け、それよりも遥かに鋭い視線で睨みつける。
そんな彼女に、ハルヤは少なからずの安堵があった。
懐かしい和名と、日本人らしい顔立ち。
そして、小田原という地名。そこはかつて、ハルヤが異世界へ導かれる際に最後にいた地だ。
よかった。あの魔法は成功していたんだ。
「エコ、いけるか?」
『うぅ……申し訳ありません、全体機能の八十%を喪失状態です。先ほどはマスターが戦闘状態となったことを検知し、増援の警戒のために索敵関係の回路を無理やり復旧しましたが……まだ術式補佐はほとんどできません……』
「ここは地球、でいいんだよな?」
『それは……間違い無いかと思われます。物理係数は一致しており、大気組成や磁場を考慮してもマスターの記憶と一致しています……しかし、目の前の対象は、魔力を纏っており、空気中に魔素も確認できます……』
「あの速度、どう考えても魔力による肉体強化だな。自然回復はできそうか?」
『濃度は希薄です……以前のような魔力消費を実質ゼロにする運用は不可能かと思われます……』
「要は、この残量でやるしかないってことか」
『現在の魔力残量、総量の約四%……』
「索敵魔法の範囲を大きく狭めてくれ。リソースを弾道演算に回してくれ」
『しかし……敵の増援があった場合に……』
「その時は仕方がない。ギリギリで避けるさ」
「何をブツブツ独りで言ってるのか知らないけど、やっぱり危険人物みたいね!」
エコの声はネックレスの装着者にしか聞こえない。故に、義香からしてみれば、独り言を繰り返すヤバい奴にハルヤは映ったらしい。
義香は刀を下段に構えると、レイズフルドラゴンの死骸を強く蹴った。
鱗を振るわせるほどの踏み込みは、一瞬で二人の間を埋め、刃がハルヤに肉薄する。
「『天通眼』!」
ハルヤの知覚が拡張され、迫る攻撃の速度が一気に落ちる。
正確には、そのように見えるだけだ。魔力によって動体視力を無理やり拡張させ、知覚速度を百倍に跳ね上げるハルヤのオリジナル魔法だ。
「(なのに、めちゃくちゃ速ぇじゃねぇか!!)」
義香の一撃は、百分の一の速度になって尚、ハルヤを驚愕させる速度をしていた。
ハルヤは自分の目の前に風の爆発を発生させると、その勢いで後退する。爆発に義香を巻き込んだこともあってか、僅かに間合いが逸れ、刀は空を斬る。
魔力がほとんどない以上、『天通眼』の常時使用はできない。元々、この魔法は脳への負荷も大きい。初撃を躱わせれば御の字である。
すかさずハルヤは身を低くして地面に触れると、土に魔力を注ぎ込む。
エコの解析が正しければ、ここは地球であり、日本である。
さすがに、日本刀を持った半狂乱者に襲われたため正当防衛で殺した、というのは問題になる気がした。手法が魔法であれば尚更だ。
ならば、選択肢は一つ。ギリギリの暴力で無力化させ、制圧することだけだ。
「『アストラルバイン』!」
土が変形する。
圧縮されることで金属並みの強度となった土が数本の鎖の形となり、義香の足に絡みつく。
次の踏み込みで再び刀を振おうとしていた義香を、鎖たちは見事に仕事を果たす。
――しかし、
「『膝丸』!」
「……はぁ!?」
彼女の持つ刀が妖しく煌めいたかと思うと、土の鎖が容赦なく砕かれる。ほんの一瞬ですら、義香の前進を止めることは叶わなかった。
バラバラになった鎖を踏みつけ、ハルヤの喉仏を狙った的確な刺突。
『自動術式オートスペル!』
再び、エコの張った結界が刀を阻んだ。先ほどより術式構築を丁寧に行ったのか、結界にヒビは入ったが一枚で持ち堪えた。
とはいえ、大きく魔力を消費するのは変わらない。
魔力不足による脱力感をハルヤの体が覚え始める。
『申し訳ありません! 残量三%!!』
「いや、助かった!!」
今の一撃で、義香には明確な隙ができていた。
もう一度……!!
「『アイスアンカー』!!」
ハルヤが魔力を解き放つと、背後に五本の腕ほどある太さの氷の槍が生成される。
槍たちはハルヤの指先に従って整列し、義香に向かって突進していく。
「風の次は土、その次は氷!? いったいどんな"天賦"なわけ!?」
驚愕に目を剥く義香だったが、目にも止まらぬ速さで五本中三本を叩き落とす。
そして、二本が彼女の両の足に着弾し、氷の枷へと変わるが……
「『膝丸』。邪魔よ」
バキンッ
再び刀が妖しく煌めき、氷の拘束を砕く。
「どうなってんだ……」
『まだ解析不足ですが、恐らくあの刀です。煌めくたびに、魔法の中和反応が検知されています』
「槍は叩き落としたってことは、触れてないとダメなのか……?」
『もしくは、中和させる数に限度があるのか、もしくは別の条件が……申し訳ありません、現段階の解析能力では……』
「いや、いい。プランBでいくぞ」
距離をとって魔力を練り直すハルヤに、義香は苛立たしげに刀を担いで舌打ちをする。
「あんた、本当に何者なわけ? まさか、どこかの"氏族"の間者じゃないでしょうね?」
「は? さっきから何言ってんだ?」
「あんたの主は誰かって聞いてんのよ。その複雑な魔法……伊達? 織田? まさか、平じゃないでしょうね?」
「だから何を言ってんのかわかんねぇよ。なんでそんな歴史の教科書から引っ張ってきた候補なんだよ」
「口を割る気はないってことね。なら、四肢をもいでゆっくり割らせれば良いわ」
「なんでそうなるんだよ!?」
義香が再び斬りかかってくる。先ほどと違い、真っ直ぐに首を狙った動きではない。
腕や足、どこに刃が向けられてもおかしくない軌道だ。
「(あぁくそ! もう本気でやるしかねぇ!!)」
ハルヤにはもう、手加減して目の前の暴力に対応できる余裕は残っていなかった。
かといって、殺すわけにもいかない。
プランBを全力で成し遂げる!!
もはやハルヤは、魔法名すら口にしない。普段は唱えることで呼吸を整えて魔力効率を上げるのだが、今はそれは放棄だ。
義香の足元がぐにゃりと歪み、ぬかるみに足がはまる。拘束が無理なら地形を変えて姿勢を崩す。エコの案だ。
「無駄なことを! 『膝丸』!」
刀の煌めきと共に、義香のもう片方の足はしっかりとぬかるみを踏みつけて、何事もなく確かな地盤に裏打ちされたような踏み込みで迫ってくる。
「だけど、下に気を取られたな」
エコの案はダメ元の試行と誘導だ。それで済めば良し。ハルヤは既に、済まない前提で動いている。
「なっ!」
先程まで攻撃に対して逃げるか守るかだけだった動きから一転、ハルヤは自分から近づいて拳を握りしめる。
プランB「殴って気絶させる」である。動きを止められないなら、その動きを制御している脳を止める。
魔力で強化した筋肉を駆使して、顎に一発ぶちかます。
「舐めんなぁ!」
しかし、義香はそれでも怯まない。刀で斬るには近すぎる間合いを離すために、泥のついた足で無理やりブレーキをかけて離れようとする。
「その速度で動けるんだ。これにも反応するよな……っと!」
あえて大振りで拳を振り抜いたハルヤだったが、隙は欠片もない。これすらも「それで済めば良し」の動きだった。
ハルヤは拳を開く。そこには、指先サイズまで高密度に圧縮された炎の塊があった。
「『フレイムブレス』!!」
指向性を持った火炎が解き放たれる。
義香は声をあげる間も無いほどに動揺していたが、本能的に膝から力を抜いて地面に倒れ込むことで間一髪回避した。
日焼けした義香の肌を熱い空気が殴りつける。
直撃すれば一溜りも無かった。だが、直撃しなかった。
「残念! 外したわね!」
「ああ、こんなの当てたら死んじまうからな!」
この軌道はエコに計算させた、義香がギリギリで回避できつつ、確実に体勢を崩すものだ。
そのままハルヤは義香の足を蹴り払うと、ドサッと彼女は地面に倒れ込んだ。
怯んだ一瞬を逃さず刀を持つ腕を足で押さえつけたハルヤは、馬乗りのような姿勢になって体の自由を封殺した。
膝の下で義香は抜け出そうとジタバタと暴れている。魔力で強化された膂力は重機ですら持ち上げられそうだが、強化しているのはハルヤも同じで、この体勢なら負けることはない。
あとはこのままぶん殴るなり、風魔法か何かで酸欠にさせて気絶させるなり……
「はぁなぁせぇ!!」
…………ん?
これは……もしかしなくても、だいぶやばい絵面なのではなかろうか。
相手は恐らく十代の少女。近くでよく見れば、ただ整った顔立ちなだけでなく愛らしさもあって、どこかの読モとか言われても全然おかしくない。……読モって言葉も久々に使ったなぁ。
そんな相手に馬乗りになり、気絶させようとしている。
めちゃくちゃ犯罪現場だった。
いやいやいや、そもそもはこの女が刀を振り回して襲ってきたわけで……それをハルヤは仕方なしに押さえているわけで……。
余談だが、ハルヤはものの見事に童貞である。あちらの世界では大賢者だなんだと持ち上げられたこともあったが、それは六十七年も経験がなかったからなのかもしれない。
『魔力残量一%切りました!』
エコの声が、ハルヤの意識を引き戻した。
そうだ、仕方ないのだ。今、風魔法で意識を……
「天賦『瑞祥の白鷺』」
風鈴のような囁き。
ハルヤが咄嗟に振り向いたのと、彼の指示で狭められた索敵魔法が接近してくる魔法を感知したのはほぼ同時だった。
直後、雪原と見紛うほどに視界を純白が埋め尽くす。
やばい――
防御のための結界魔法の構築。魔力切れによる視界の暗転。身体強化の解除。拘束から逃れた義香の拳。衝撃による意識の消失。
何もかもが同時に起こった。
そして、目の前が真っ暗になった。




