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第九章:静寂を切り裂く爆音と、精密なる日常

 始まりの街クリープに、また一つ、朝という名の受難が訪れた。  インバの家の玄関先には、早朝五時から真っ赤なローブに身を包み、身の丈を超える杖を背負ったリリィが陣取っていた。


「さあ起きた起きた! インバ、冒険の始まりよ! まずは小手調べに、西の森に巣食うワイバーンをあんたの拳で肉片に変えて、そのあと北の氷穴で魔王軍の幹部を『ビッグバン』で消し飛ばす……。完璧なスケジュールじゃない!」


「……朝からうるせえよ。あと、俺の今日のスケジュールは『西の区画の崩落した下水管の交換』と『北のジャガイモ農家の石垣積み』だ。お前のワイバーンより、下水が詰まってる方が街にとっては死活問題なんだ」


 インバは欠伸を噛み殺しながら、使い古したツナギのベルトを締めた。  その隣では、ニーナがよろよろと壁を伝って現れる。彼女の目は虚ろで、髪は寝癖で爆発していた。


「……インバ、今夜の修行……一万個の生卵……次は『空中でジャグリングしながら殻を剥く』にするわ……。私、もう眠い……。あと、ポテチ、もう無いわよ」


「修行の内容がどんどん狂ってきてるだろ! 寝てろよ、ニート女神!」


 こうして、世界を救うはずの「最強パーティ(候補)」は、魔王城とは真逆の、街の最も汚くて重労働な現場へと向かうことになった。


第一幕:精密なる修繕と、爆裂の誘惑

 最初の現場は、街の端にある古い下水管の埋設エリアだった。  長年の劣化で地盤が沈下し、管が破裂。放置すれば街中に悪臭が漂い、疫病の元にもなりかねない。


「いいか、リリィ。ここで『ビッグバン』なんて言ってみろ、文字通り街中が『汚物』で吹き飛ぶからな。大人しくしてろよ」


「わかってるわよ! 私は高貴な魔道士なんだから、そんな汚い仕事手伝わないわよ。ほら、その代わり特等席で私の美貌を拝ませてあげるから、さっさと終わらせて旅に出るわよ!」


 リリィは現場の隅に置かれた石の上にふんぞり返り、不満げに杖を回している。  一方、ニーナは「労働? 死んじゃうわ」と言いながらも、創造神の呪いで「働かないと激痛が走る」ため、渋々シャベルを握っていた。


「……やるか」


 インバは深く息を吐き、意識を集中させる。  現在の彼のレベルは10。身体能力は常人の10倍だが、それは「10倍の力で動く」ことではなく、「1秒を10秒に分割して認識する」領域に近い。


 作業開始。  インバの手が動いた。リリィの目には、インバの姿が複数の残像に分かれたように見えた。


「――っ!? 何よ今の動き!」


 インバは、10倍速の精密動作で、地中の土を「指先」だけで掘り進めていた。  シャベルを使えば、その速度と質量に耐えられず道具が折れる。だから、彼は自分の指を最強の掘削機へと変えたのだ。  泥の一粒一粒を認識し、壊れかけた土管に一切の衝撃を与えず、周囲の土だけを吸い出すように取り除く。


「(昨夜の生卵に比べれば、土管なんて鉄の塊みたいなもんだ……!)」


 パシュッ、パシュッ、と空気を切り裂く音だけが響く。  わずか数分で、本来なら大人五人で一日かかる掘削作業が完了した。  新しい土管を据え付ける際も、インバは「倍化」した反射神経を使い、土管が着地する瞬間の振動を、逆方向の微細な振動で相殺キャンセルするという、もはや神業に近い技を披露した。


「……嘘でしょ。魔法……じゃないわよね? 身体強化の術式も感じられない。ただ、あいつが『異常に速くて正確』なだけ……」


 リリィは戦慄した。彼女の知る「勇者」たちは、派手な魔法や剣技で敵をなぎ倒すが、こんなにも「地味で、残酷なまでに無駄のない洗練された力」を見たことがなかった。


「ふふん、驚いた? あのインバの『撫でるような手つき』、私のスパルタ教育の賜物なのよ」  ニーナがドヤ顔で言ったが、彼女はまだ穴の端を一センチも掘れていなかった。


第二幕:珍騒動、勃発 ―ジャガイモ畑の攻防―

 下水の仕事を昼前に終わらせ(本来は一週間の工程だ)、一行は次の現場である北の農場へと向かった。  そこでは、巨大な害獣「アイアン・ボア(鋼鉄猪)」が畑を荒らし、石垣をなぎ倒しているという。


「ようやく私の出番ね! 猪なんて『ビッグバン』で消し炭にしてあげるわ!」  リリィが意気揚々と杖を掲げる。


「待て! 猪ごと畑を焼いたら農家さんが泣くだろ! ニーナ、お前の『神託のバーゲンセール』で、この猪にヘンな加護とか与えてないだろうな?」


「え、えっとぉ……。五百年前、お酒の勢いで『絶対に太らないし、肌も硬くなる美容の加護』を、その辺の動物全員にバラ撒いた記憶が……」


「アンタのせいか!!」


 現れたアイアン・ボアは、ニーナの余計な加護のせいで、皮膚がオリハルコン並の硬度を持ち、おまけにどれだけ動いても疲れないという、最悪の永久機関モンスターと化していた。


 猛然と突進してくる巨大な猪。  リリィは、インバにいいところを見せようと、杖を構え詠唱を始める。


「見てなさい! 宇宙の真理を凝縮し、無に帰す! 『ビッグバン』――っ!」


「あ、こら、リリィ! 止めろ!」


 インバが叫んだが遅かった。杖の先から放たれた極大熱線が、アイアン・ボアに向けて一直線に伸びる。  だが、その猪は、ニーナの「美容の加護」により魔法耐性までバグっていた。  魔法の光は猪の硬い毛皮で屈折し、反射。あろうことか、街の貯水池を支える「超巨大な石積みのダム」に向かって飛んでいった。


「あ。」  リリィが間の抜けた声を出す。  あのダムが壊れれば、クリープ街は一瞬で水没する。魔王に滅ぼされる前に、幼馴染の自爆で全滅だ。


「……ニーナ、モコを連れて逃げろ」 「え、インバ、どうする気!?」


 インバは、すでに走っていた。  10倍速ではない。今、この瞬間の危機に対し、彼の深層意識が「ドリーマー」の力をさらに引き出す。


『警告:一時的にリミッターを解除します。レベル20――**「20倍化」**を開始』


 視界から音が消えた。  周囲の景色が静止画のように固まる。  リリィの放った魔法の光が、まるでゆっくり泳ぐ光の魚のように見える。


 インバは、20倍速の加速状態でダムの壁面に先回りした。  普通にぶつかれば、インバの体の方が砕け散る。  だが、昨夜、一万個の生卵を割らずに移し替えた彼の指先は、すでに「衝撃を受け流す」極意を掴んでいた。


「(撫でる……空気を、魔法の熱を……卵の殻よりも、優しく……!)」


 インバは、飛来する**『ビッグバン』**のエネルギーの塊に対し、掌を添えた。  そして、その爆発的なエネルギーの「回転」を読み、指先で少しだけ方向を上へと逸らす。


 ――ヒュンッ!!


 ダムに激突するはずだった極大魔法は、インバの手のひらの上でくるりと弧を描き、垂直に空へと跳ね上がった。  遥か上空、雲を突き抜けた先で、音のない光の華が咲く。   「……ふぅ。……危ねえな、本当によ」


 時間が等倍に戻った。  インバは、ダムの壁面に背中を預け、冷や汗を拭った。


第三幕:嵐のあとのポテト・パーティ

 結局、アイアン・ボアはインバが「10倍速のしっぺ」で脳震盪を起こさせて気絶させ、一件落着となった。


 その夜。  インバの家には、なぜかリリィまで居座っていた。


「……信じられない。私の『ビッグバン』を、手で……手で上に投げた……。あんた、本当に人間?」


「だから、ちょっと逸らしただけだって。それよりリリィ、今日の日当は全部ダムの緊急点検代で消えたからな。飯は抜きだぞ」


「ひどぉい! 私はインバの才能を認めてあげたのに!」


「ポテチ……ポテチ……。インバ、私、もうポテチ無しじゃ生きていけない体になっちゃった……」  ニーナはテーブルに突っ伏して、禁断症状のように震えている。


「ニーナさん、はい。お兄ちゃんが今日、農家さんから貰ってきたジャガイモで、私が作った『手作りチップス』だよ」  モコが、揚げたてのポテトをどっさりと盛った皿を運んできた。


「モコちゃん!! 貴女は女神よ! 私の代わりに神界に座るべきだわ!」


 ニーナが泣きながらポテトを頬張り、リリィがそれに横から手を伸ばして喧嘩を始める。  インバは、その騒ぎを遠くで見ながら、自分の右手の感覚を確かめていた。  20倍速。あの一瞬、確かに自分は世界の法則を「夢」のように書き換えた感覚があった。


「(……レベルが上がらなくても、できることは増えてる。……でも、これじゃいつまで経ってもモブには戻れないな)」


 インバは深い溜息をつき、モコが淹れてくれた温かいお茶を飲んだ。    窓の外では、夜の闇が深まっている。  彼らが笑い合っているこの瞬間も、王都では「勇者の敗北」と「謎の土木作業員」の噂が、王の耳にまで届こうとしていた。  そして、遥か彼方の魔王城では、最強の魔法を「デコピン」で弾く男の存在を、魔王が静かに観測し始めていた。


「……ま、いいか。明日は明日の現場があるしな」


 最強の夢を見る男の日常は、明日もまた、泥と爆音と、そして少しの笑いと共に続いていく。

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