第二十五話:箱庭の祈りと、滅びゆく現実 ―クレーマーは、世界の救済を問う―
「……痛てて。おい、ニーナ。お前の連れてきたこの男、本当にただの一般人なのか? 神界の物理保護を力技で貫通するなんて、バグにも程があるぞ」
鼻血を抑えながら、創造神――多元宇宙開発局の局長は、散らばったタブレットを拾い集めた。 周囲の神人たちが怯える中、インバは無機質な管制室の奥、巨大な円筒形の装置が並ぶエリアへと視線を向けた。
「……ニーナ。お前たちがやっているこの『シミュレーター』。ただの暇つぶしじゃなさそうだな。この『現実』……空気が死んでるぞ」
インバの言葉に、ジャージ姿のニーナは悲しげに俯いた。 管制室の窓の外。そこにあるはずの「神の都」は、灰色に濁った霧に包まれ、地平線まで広がるのは巨大な「墓標」のような鉄屑の山だった。
「……気づいたのね。そうよ、インバ。……私たちのいるこの『現実層』は、もうとっくに死んでいるの」
第一幕:多元宇宙開発局の使命
局長が、重い口を開いた。
「この宇宙は、エントロピーの増大によって修復不能な崩壊を始めている。星は冷え、資源は尽き、生命が存在できる『場所』はもうどこにもない。……だから我々は、この『多元宇宙開発局』を設立した」
彼が指差したモニターには、数千、数万という「箱庭」がリストアップされていた。
「シミュレーターの中で、新しい物理法則、新しい魔力、新しい生命の在り方を計算し、実験する。……崩壊した現実を捨て、人類の意識を『完全な新世界』へ移民させるための、いわば『ノアの方舟』の設計図を作っているんだよ。お前たちがいた世界はその824号……最も成功に近づいていたプロトタイプだった」
「……移住先、だったのか。あの場所は」
インバは、かつて自分が歩いたクリープ街の土、エルの淹れた紅茶の香り、モコの笑顔を思い出した。あれは、滅びゆく人類が夢見た「最後の理想郷」の雛形だったのだ。
「だが、お前が強くなりすぎた」 局長が冷たく言い放つ。 「お前の『実存の質量』が、シミュレーターの計算限界を超えた。システムは、このままでは方舟そのものが崩壊すると判断し、自浄作用として世界を消去し始めたんだ。……インバ。お前という一個人の存在が、数億人の『未来の家』を壊しているんだよ」
第二幕:モブキャラのクレーム
静寂が管制室を包む。 インバ一人が消えれば、世界は救われる。それが神界の導き出した「正解」だった。 しかし、インバは震えるニーナの肩を抱き寄せ、局長を一喝した。
「……ふざけるな」
「何だと?」
「数億人の未来だか何だか知らないが、そのために今あそこで笑ってる連中を消していいなんて理屈、どこの現場でも通らねえよ! ……設計が悪いなら直せ! 基礎が耐えられないなら補強しろ! それが技術者の仕事だろ!」
インバは、かつて最強の土木作業員として培った「眼」で、メインフレームの巨大なタワーを睨みつけた。
「俺がレベル25で得ようとしていたのは、壊す力じゃない。『事象の固定』……つまり、どんな負荷にも耐えられる『不滅の基礎』だ。……局長。お前の作ったシステムが俺の質量に耐えられないのは、お前の設計に『遊び』がないからだ」
「な……!? 私の設計にケチをつけるのか!」
「ああ、最大級のクレームだ。……ニーナ。このシステムの心臓部はどこだ? そこにある『自己破壊プログラム』という名の欠陥工事を、俺が叩き直してやる」
第三幕:管理者の覚悟
「インバ……。でも、それをするには、私の『管理者権限』をシステムに返上して、神としての資格を捨てなきゃいけないの。……そうなったら、私はもう、あんたを奇跡で助けることも、ポテチを無限に出すこともできない、ただの無能な女の子になっちゃうわよ!?」
ニーナが涙ながらに訴える。 神界での彼女は、ただの引きこもりニートだ。神の力を失えば、インバと共に「現実」の過酷な荒野に放り出されることになる。
「……いいじゃないか。ニート脱却だ」
インバは、さわやかな、けれど揺るぎない笑みを浮かべた。
「ポテチくらい、俺が働いて買ってやる。……神様としての仕事は終わりだ、ニーナ。これからは、俺の『助手』として、本物の世界を作っていくんだ」
その言葉に、ニーナの胸の奥で、神核とは違う「熱い何か」が爆発した。 彼女は、汚れたパーカーの袖で乱暴に涙を拭くと、局長の端末を奪い取った。
「……決めたわ。おっさん、退職願よ! 私は神様をやめて、インバの専属助手になる! ……その代わり、824号世界は『インバの質量』を前提にした新システムに再構築させてもらうわよ!」
「馬鹿な! そんなことをすれば、神界のメインフレームが物理的に――」
「物理的に無理なら、気合で通すのが……『インバ流』なんでしょ!」
ニーナが管理コードを叫ぶ。 インバは、実体化した「システムの壁」に向けて、再び右拳を構えた。 レベルはない。しかし、魂には八百万回の「会心の一撃」の記憶がある。
「……いくぞ、ニーナ。……これが、最後の『是正工事』だ!!」
インバの拳が、多元宇宙開発局のメインフレームへと叩き込まれる。 神界の冷たい静寂を、一人の日本人の咆哮が、粉々に砕き散らした。




