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第二十四話:神界という名の開発室 ―剥がれ落ちた世界の真実―

 眩い光が収まったとき、インバの鼻腔を突いたのは、慣れ親しんだ「土の匂い」でも「現場の汗の臭い」でもなかった。  それは、鼻の奥がツンとするような、強烈な消毒薬と機械油、そして乾燥したエアコンの風の匂いだった。


「……ここが、神界か?」


 インバが目を開けると、そこには大理石の宮殿も、雲の上の楽園もなかった。  視界に広がるのは、無数の巨大なモニターが壁一面に並び、見たこともないような複雑なコードが流れる、無機質な**「管制室」**のような空間だった。


「……嘘。戻ってきちゃった……」


 隣で膝をついているニーナが、震える声で呟く。  インバが彼女を見守ろうとして――異変に気づいた。


「ニーナ、お前……」


 そこにいたのは、神々しいドレスを纏った女神ではなかった。  少しよれたスウェットに、ポテトチップスのカスがついたパーカー。ボサボサの髪を適当なゴムで括った、どこにでもいる「引きこもりのニート女子」のような姿のニーナだった。


「あ……見ないで! 設定テクスチャが剥がれちゃったんだから!」


 ニーナが慌てて顔を隠す。しかし、変わったのは彼女だけではない。  インバ自身も、自分の手を見つめて絶句した。  一歩歩けば地形を変えたあの「質量の塊」のような感覚が、綺麗さっぱり消えている。身体が異様に軽く、鏡のようなモニターに映る自分は、どこにでもいる、さわやかな顔立ちの「普通の日本人青年」そのものだった。


「……なんだ。レベル20の身体も、あのツナギも、全部ただのデータだったのか」


 インバが自嘲気味に呟いたその時、部屋の奥から数人の男女が歩み寄ってきた。  彼らは「神人」と呼ばれているが、その実態は、白衣を着た研究員や、眠そうな目をこするエンジニアにしか見えない。


「おいおい、ニーナ。勝手に『接続アクセス』を切るなよ。おかげで第824号シミュレーターが完全にクラッシュしたじゃないか」


 中央に立つ、一際だらしない格好をした中年男性――彼こそが、この「世界再生シミュレーター」の開発責任者であり、ニーナが「おっさん」と呼んでいた創造神だった。


「……おっさん」  ニーナが恨みがましい目を向ける。


「おっさん言うな。これでも一応、多次元宇宙開発局の局長なんだぞ。……で、そこの『不純物』は何だ? なぜ人間がここにいる。ここは現実世界の層だぞ」


第一幕:管理者の怠慢と、インバの「パンチ」

 創造神と呼ばれた男は、インバをゴミを見るような目で見つめ、手元のタブレットを操作した。


「……なるほど。ニーナ、お前。本来は『過酷な環境での生存率』をテストするための魔王軍設定を、勝手に『恋愛シミュレーション』に書き換えて運用していただろ。リソースがパンクした原因はそれだ」


「ち、違うわよ! 私はただ、インバが住みやすいように環境を整えただけで……」


「結果として、この男一人のデータ量が世界の80%を占めるまでになった。物理法則を無視した『質量』設定……。お前、こいつに愛着を持ちすぎて、数値をいじりすぎたんだよ」


 インバは、二人の会話を黙って聞いていた。  あの世界で流した汗も、仲間たちと守った街も、すべてはこの「局長」という男が管理する箱庭の中の、数値遊びに過ぎなかった。


「……おい。局長だか神様だか知らないが」


 インバが静かに、しかし威圧感を持って一歩前に出た。  「現実」に戻ったはずの彼の身体には、もはやレベル20の覇気はない。筋肉も、一般人のそれだ。


「なんだ、日本人。……お前は運良くここに辿り着いたが、本来は記憶を消去して元の東京にポイされる運命だ。ニーナの不始末に感謝するんだな」


「記憶を消す? ……ふざけるな。あそこで生きてる連中はどうなるんだ。モコや、エルや、リリィたちは」


「データだよ。サーバーを初期化リセットすれば、また新しい『キャラ』として再生される。それだけのことだ」


 創造神が鼻で笑った瞬間。    インバの右拳が、何の予兆もなく放たれた。


 ――ガッ!!!


 それは、レベルも魔法もない、ただの「人間のパンチ」だった。  しかし、神界の頑丈なセキュリティゲートを揺らすほどの衝撃が、創造神の顔面にめり込んだ。


「……ぶっ!? がはっ!?」


 創造神が、スピンしながら数メートル後方のモニター群に突っ込む。  周囲の神人たちが悲鳴を上げ、警備システムが真っ赤に点滅し始めた。


「な……な、なんだ!? なぜ『現実』で、これほどの威力が出る!? お前はただの一般人のはずだぞ!」


 鼻血を流しながら起き上がる創造神に対し、インバは拳を握り直した。


「……確かに、レベルなんてものはもう無い。身体能力も、ただの日本人のままだ。……だがな、俺はあっちの世界(箱庭)で、毎日何万回と『一撃』を放つ修行をしてきたんだ。その『打ち方』、筋肉の使い方の『記憶』は、魂に染み付いてるんだよ」


 インバの瞳には、かつての最強のモブとしての光が宿っていた。  たとえシステムに補助されなくても、彼が積み上げた「工学」と「努力」は、神の理すら貫く。


「……ニーナ。説明しろ。この『世界崩壊』の原因、本当のところは何なんだ」


第二幕:世界崩壊の真実

 震える創造神を尻目に、ニーナが涙を拭い、巨大なメインモニターを指差した。  そこには、ノイズにまみれたあの異世界の地図が表示されていた。


「……インバ。おっさんの言う通り、リソース不足も原因の一つだけど……本当の理由は違うわ」


 ニーナが震える指で操作すると、モニターに「異物混入:緊急排除プロセス」という赤い警告文字が浮かび上がった。


「あんたが『レベル25:事象の固定』に近づいたせいよ。……このシミュレーターは、中にある存在が『神の権能』に等しい力を持ち始めると、システムそのものがそれを『ウイルスの侵入』だと誤認して、世界ごと自己破壊するように設計されているの」


「自己破壊……?」


「そう。神人たちが作ったこの箱庭は、自分たちを脅かす存在が現れるのを何より恐れている。……インバ。あんたが強くなりすぎたから、世界が、あんたを殺すために壊れ始めたのよ」


 インバは、無機質なモニターを見つめた。  自分が愛した世界を壊しているのは、皮肉にも、自分がニーナを守るために手に入れた「力」だった。


「……なら、話は早い」


 インバは、再び創造神の方を向き、その胸ぐらを掴み上げた。


「おい、局長。……この『自己破壊プログラム』、今すぐ書き換えろ。できないなら、お前の顔を工事現場の更地にしてやる」


「ひ、ひぃぃ!? む、無理だ! プログラムは神界のメインフレームに直結している! 書き換えるには、管理コードを持つニーナが、自分の『神権』を完全に初期化するしかないんだぞ!」


 創造神の叫びに、インバの動きが止まった。    神権の初期化。  それは、ニーナが神でなくなることを意味していた。

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