第十九章:女神の視線と、規格外の衝撃 ―夢と現実の境界線―
私はニーナ。元・救世の女神にして、現在は……まあ、インバの「お世話係」兼「夢の師匠」ってところかしら。
あの夢の中での初デート未遂以来、私の胸の奥にある神核は、もうポテチの揚げたてどころか、太陽の表面温度くらい熱くなっている。 この世界で、一歩歩けば地形が変わるほどの「質量」を持ってしまったインバ。彼はその力を隠し、ただの土木作業員として生きるために、夜な夜な私の指導で明晰夢の修行を積んでいる。
「……はぁ。今日も格好いいわね、私のインバ」
始まりの街クリープの街道沿い。私は少し離れた木陰で、インバが働く姿を眺めていた。 今日の現場は、大雨で崩れた石壁の修復。インバがシャベルを一振りするたび、鍛え上げられた背中の筋肉が躍動し、泥にまみれたツナギ越しでもその強靭な肉体美が伝わってくる。
いけない。以前は「不器用な人間」なんて思っていたのに、今はその一挙手一投足に目がいってしまう。重い石材をミリ単位の精度で積み上げる彼の真剣な眼差し。 ……ああっ、もう! 心臓がもたないわ!
「ニーナ、どうした? ぼーっとして。また昼寝の時間か?」
「失礼ね! これは、次の修行メニューを考えていたのよ! ほら、さっさとその石を積み上げなさいよ!」
私は動揺を隠すように叫び、インバに駆け寄ってその隣を陣取った。リリィやクラリスが遠くから羨ましそうな……いえ、殺気立った視線を送ってくるけれど、知ったことじゃないわ。 インバの隣は、この私の特等席なんだから。
衝撃のエンカウント:規格外の「質量」
現場仕事が終わり、自宅に戻ったときのこと。 夕食前、汗を流すために風呂場へ向かった私は、不注意にも扉の鍵が空いているのを確認せずに開けてしまった。
「ふふーん、一番風呂……って、あ」
脱衣所の扉を開けた瞬間、私の思考は停止した。 そこには、ちょうど風呂から上がったばかりの、一糸纏わぬ姿のインバが立っていた。
「あ、悪いニーナ。鍵をかけ忘れてた」
湯気の中に立つ、濡れた黒髪のインバ。彫刻のように無駄のない、完璧な肉体。 ……けれど、私の視線は、彼の腰から下にある「それ」に釘付けになった。
「…………え?」
女神として五百年、いろんな人間を見てきたわ。でも、インバの「それ」は、文字通り規格外だった。 歩くだけで地形を変え、空気すら爆発させる彼の「過剰なまでの質量」は、どうやらそこにも容赦なく集中していたらしい。 それは、もはや人間という枠組みを超えた、何か巨大な鈍器か、あるいは地脈を司る御神体のような威容を放っていた。
「……ねえ、インバ。あんた……それ……人として大丈夫なの?」
「ん? 何がだ? ……ああ、重いから少し肩が凝るんだよな。じゃ、先に出るぞ」
インバは平然とした顔で私の横を通り抜けていった。 一人残された私は、顔から火が出るどころか、神格が蒸発しそうなくらい真っ赤になり、その場にへなへなと座り込んだ。
(な、なにあれ……!? あんなの……あんなの、設定ミスどころの話じゃないわよ! 神様、私の設計ミスじゃないの!? ……って、私が神だったわぁぁぁ!!)
明晰夢の修行:煩悩の暴走
その夜、逃げるように眠りにつき、明晰夢の領域へと逃げ込んだ私だったけれど、そこにも試練が待っていた。
「……よし、ニーナ。今夜は空中での『事象の固定』の修行だろ。早く始めてくれ」
修行場の中心に立つインバ。 けれど、今の私には、彼が服を着ていようがいまいが、昼間の脱衣所での光景が脳内に鮮明なイメージとして焼き付いて離れない。
「(……だめよ、集中しなきゃ。私は女神。高潔なる師匠……)」
そう思えば思うほど、夢の世界は私の煩悩を忠実に反映してしまう。 インバが空中を一歩踏み出すたび、私の想像力のせいで、彼のツナギが不自然に透けて見えたり、上半身が裸になったりと、イメージが暴走を始める。
「おい、ニーナ。なんかさっきから、空間がピンク色に歪んでるし、なんだか足元が柔らかい気がするんだが……」
「わ、わわわ、私のせいじゃないわよ! ほら、もっと真面目に空気を踏みなさいよ!」
インバが空中を蹴る。その逞しい太腿の筋肉。そして、その付け根にある「規格外の質量」を想像してしまい、私は鼻血が出そうになるのを必死に堪えた。 修行にならない。 レベル20から25への道のりは、私の邪念のせいで、かつてないほど険しいものになろうとしていた。
忍び寄る「淫夢」の刺客
しかし、そんな私のパニックを嘲笑うかのように、夢の境界線が不気味に波打った。 夢の夜景の端から、紫色の霧が染み出してきたのだ。
「フフフ……。ようやく見つけたわ。最強の男の、最も無防備な聖域を」
霧の中から現れたのは、コウモリの翼を持ち、露出の激しい黒い革の衣装を纏った美女。 魔王軍四天王の一人、絶望のサキュバス【リリス】。
「な、なによあんた! ここは私とインバの修行場よ!」
「あら、女神様? 私はただ、この男が見ている『夢』を、もっと心地よいものに変えてあげに来ただけよ。……例えば、貴女には決して見せられないような、淫らで甘美な夢にね」
サキュバスが妖艶に微笑み、指先から紫色の香煙を放つ。その煙はインバを包み込み、彼の意識を「別の夢」へと誘おうとしていた。
「お兄ちゃんに、変な夢を見せようとするのは……メッ、だよ」
不意に、夢の中に場違いな声が響いた。見れば、いつの間にかモコが、インバの足元に立っていた。彼女もまた、インバとの深い絆ゆえに、この夢の世界に引き寄せられたらしい。
「モコ!? あんたまで……。……でも、助かるわ。このお姉さん、敵よ!」
サキュバスは冷酷な笑みを浮かべる。 「ふん、子供一人増えたところで何が変わるかしら。……さあ、インバ。私と一緒に、終わらない快楽の夢へ堕ちましょう?」
「……おい、ニーナ。この霧、邪魔だ」
インバが、静かに目を閉じたまま呟いた。 サキュバスの誘惑を受けながらも、彼の精神はレベル20の修行で培った「集中力」によって、寸分も揺らいでいなかった。
「……こいつ、私の『最高の修行場』を汚そうとしたな。……掃除していいか、ニーナ」
「え、ええ! やっておしまい、インバ! そのサキュバスを、ゴミ捨て場まで吹き飛ばしなさい!」
インバが、ゆっくりと目を開ける。 彼は右足を深く引き、夢の地面を、これまでで最も強く踏みしめた。
「……いくぞ。『空気砲・連射』」
インバの拳が、音速を超えてサキュバスへと放たれた。 ニーナの恋路を邪魔する者への、最強の土木作業員による「不法投棄」が今、始まった。




