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第十章:掃き溜めの決戦 ―そして日常という名の現場へ―

 始まりの街クリープ。その西側、老朽化した石造りの橋が架かる街道沿いに、不穏な冷気が立ち込めていた。


「――出たな、魔王軍の眷属め!」


 叫んだのは、昨日インバにワンパンで沈められたはずの勇者ガリウスである。彼は一晩で(高価な薬草をガブ飲みして)復活し、折れた聖剣の代わりに新調した大剣を構えていた。  彼の目の前に立つのは、漆黒の霧を纏った巨大な影。魔王軍が誇る隠密暗殺部隊の指揮官、死神の鎌を持つ魔人【デス・クロウ】だった。


「ククク……。この街に、我が主の計画を阻む不穏な『力』を感じて来てみれば……。勇者などという出来損ないの生ゴミがまだ生きていたか」


「貴様ぁ! 今の私は昨日までの私ではない! 見よ、この秘奥義――『聖十字・神光裂斬セントクロス・バスター』!」


 ガリウスが叫び、街道一帯を飲み込むほどのまばゆい光が爆発した。レベル50を誇る勇者の全力。街の住人たちが窓を閉め切り、震え上がるほどの魔力。  一方の死神デス・クロウも、その鎌を振り下ろし、空間を切り裂く漆黒の断層を放つ。


「無駄だ、人間! この一撃でお前も、この街もろとも冥府へ――!!」


 光と闇、世界を揺るがす二つの極大エネルギーが激突し、爆発が街を飲み込もうとした、その瞬間だった。


「――おい、邪魔だ。そこ、今日の作業現場なんだよ」


 あまりにも緊張感のない、しかし芯の通った声が爆心地の真ん中に割り込んだ。


 光と闇の激流が混ざり合うその中心に、一人の青年が立っていた。  いつもの泥まみれのツナギ。肩にはシャベル。首には手ぬぐい。  そしてインバの背後からは、ニーナが「やれやれ」といった様子でひょっこりと顔を出している。


「ちょっとインバ! 早くどかさないと、ここの地盤がボロボロになって、私の今日のお昼寝場所がなくなっちゃうじゃない!」


「わかってる。……ったく、朝から派手な花火打ち上げやがって」


 ガリウスとデス・クロウは、眼を剥いた。  自分たちが命を削って放っている極大魔法の真っ只中に、平然と歩いてくる男。  インバにとって、彼らの放つエネルギーは、昨夜の「一万個の生卵をジャグリングしながら殻を剥く」修行に比べれば、あまりにも「大雑把」で、避けるまでもないスカスカな力に過ぎなかった。


「な、なんだ貴様は……! 死ねぇ!!」 「インバ!? 昨日の借りを今ここで――!!」


 死神の鎌と、勇者の聖剣。  両側から迫る死の挟み撃ち。


 インバは、深く息を吐いた。  昨夜の修行の成果。レベルは上がっていない。だが、彼の脳は、一秒を数万分の一に切り分ける「ドリーマー」の領域に到達している。


「(撫でるように……掃き出すだけだ……!)」


 インバの両手が、残像すら残さぬ速度で動いた。  それは攻撃ですらなかった。  ただ、邪魔なゴミを横へ払いのけるような、ごく自然な動作。


 ――ッパァン!!


 破裂音が一つ。  インバの左手が死神の顔面を、右手が勇者の頬を、ほぼ同時に「裏拳」で捉えた。    そこには、10倍速の加速と、土木作業で鍛えられた「重心移動」の全てが乗っていた。   「ぎぇっ!?」 「あぶっ!?」


 二つの叫び声が重なり、光と闇の魔力は、インバの衝撃波によって文字通り「霧散」した。  勇者ガリウスは街道の反対側にある森の奥まで一直線に吹き飛び、死神デス・クロウは地面を百メートルほど転がりながら、クリープ街の貯水池へと豪快にダイブした。


 静寂。  舞い上がる砂埃。  街道に残されたのは、ただ呆然と立ち尽くす爆裂魔法使いのリリィと、ポテチの袋を抱えたニーナ、そしてモコだけだった。


「……あ。またやっちゃったかな」  インバが自分の手を見つめる。  昨日の決闘よりは手加減したつもりだったが、修行の成果か、最小の動きで最大の出力が出てしまう。


「あーあ、二人とも場外ホームランね。ま、ゴミ掃除が終わったところで、インバ! 仕事仕事!」  ニーナがパンパンと手を叩く。


「……そうだな。……おい、リリィ。いつまで口開けてんだ。ほら、そこにある石材運ぶの手伝え。魔法で浮かせるくらいできるだろ?」


「……。……。……あ、あんた、今、魔王軍の幹部とこの国の勇者を、同時に、ハエ叩きみたいに……」


「そんなことより、石垣の修繕の方が大事なんだよ。日が暮れるぞ」


作業開始:最強たちの土木工事

 それからの光景は、歴史書に記されるべき異常なものだった。  魔王軍の襲撃があった場所で、世界最強の戦力(候補)たちが、泥にまみれて石を積んでいる。


「リリィ、その石をもっと左だ。重心がずれてる」 「うるさいわね! 私はビッグバン級の魔力を、このちっぽけな石を浮かせるためだけに使ってるのよ! 末代までの恥だわ!」


「ニーナ、サボるな。土砂を運べ。創造神様にチクるぞ」 「わ、わかってるわよぉ……! 神の御手が、泥でふやけちゃう……っ!」


 インバは、20倍速の精密動作で石垣を組んでいく。  彼が石を置くたび、まるであつらえたパズルのように隙間なくハマり、一切の接着剤なしで、城壁をも凌ぐ強度の壁が出来上がっていく。  その速さは異常だった。  普通なら一ヶ月かかる石垣の再構築が、太陽が少し傾く頃には、ほぼ完成形を見せていたのだ。


「……お兄ちゃん、お茶持ってきたよ」 「おう、サンキューな、モコ」


 穏やかな夕暮れ。  街道の先、森の奥からボロボロになったガリウスが這い出そうとし、貯水池からはびしょ濡れの死神が「お、覚えていろ……」と呪詛を吐きながら退散していくのが見えたが、インバは一瞥もくれなかった。


「なぁ、ニーナ。やっぱり、この仕事の方が落ち着くわ」


「アンタねぇ……。ま、いいわ。その『日常』を続けるために、アンタが世界を掃除しなきゃいけないんだから。……さ、仕事が終わったら、今夜も地獄の生卵修行よ!」


「……はぁ。やっぱり、今日の日当でポテチ買うのは無しだな」


 最強の男の、あまりにも「平均的」な価値観による平和。  魔王軍の脅威すら、彼の日常の「ノイズ」として処理されていく。  インバは、完成したばかりの美しい石垣を満足げに眺め、夕焼けに染まる街へとゆっくり歩き出した。

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