9話
テレビ局のスタジオは、放送開始前から異様な熱気に包まれていた。
こちら側には、白いパンツスーツに身を包んだソフィアと、後見人として控える俺と輝夜。対する向こう側には、『純潔を守る乙女の会』の会長である白髪の老婦人、ベアトリーチェを筆頭に、鉄壁のディフェンス陣のような禁欲主義者のご婦人方がずらりと並んでいる。
「ソフィア、本当に大丈夫なの? あなた、口下手じゃない」
「問題ないわ、輝夜。私の脳内には、ヤマトが予測したあらゆる反論パターンとその最適解がインストールされている。論理で、あの感情論者たちを粉砕してみせるわ」
ソフィアは眼鏡の奥の瞳を、挑戦的に光らせた。そう、今回の討論会における我が社の代表は、一見すると一番向いていなさそうなソフィアだ。だが、彼女こそが俺たちの秘密兵器。感情に左右されない、データと事実だけを武器とする彼女の弁舌は、誰よりも雄弁なのだ。
そして、生放送が始まった。
案の定、ベアトリーチェ会長は火の出るような勢いで俺たちのビジネスを糾弾してきた。
「ソフィア代表! あなた方のやっていることは、この国の美しき伝統と貞操観念を破壊する、悪魔の所業です! 女性に自ら快楽を求めさせるなど、はしたないにも程がある!」
スタジオの空気が一気に緊張する。だが、ソフィアは全く動じなかった。
「ベアトリーチェ会長。質問に質問で返して申し訳ありませんが、そもそも『快楽』は悪なのでしょうか?」
「当たり前です! 快楽に溺れれば、女性は身を持ち崩し、国家の秩序は乱れます!」
「なるほど。では、こちらの映像をご覧ください」
ソフィアが手元のリモコンを操作すると、スタジオの巨大モニターに、一枚の美しい女性の肖像画が映し出された。
「こちらは、二百年前に『大災厄』から人々を救い、この国の礎を築いたとされる、初代女王アウロラ様です。会長、あなたは彼女を尊敬していますね?」
「もちろんです! 国母であらせられるアウロラ様を、敬わぬ者などおりましょうか!」
ソフィアは、そこで悪戯っぽく微笑んだ。
「実は最近、アウロラ様が遺した日記が発見されましてね。その中の一節を、ご紹介します」
モニターに、古びた日記のページが映し出される。
『…今宵も夫の腕の中で、我は天にも昇る悦びを知る。この悦びこそが、明日を生きる力となり、国を導く活力となるのだ。性の交わりは、子孫繁栄の義務であると同時に、神が与え給うた、最高の祝福なのである…』
スタジオが、しんと静まり返った。
ベアトリーチェ会長は、口をパクパクさせている。
「そ、そんな…国母様が、こ、このようなはしたないことを…!」
「はしたないこと、でしょうか?」
ソフィアは畳み掛ける。
「むしろ、初代女王は、性の喜びが生きる活力になるとおっしゃっている。あなたの主張は、国母様の教えに真っ向から反することになるのではありませんか?」
「ぐっ……!」
ベアトリーチェ会長が、言葉に詰まる。見事なカウンターだ。
そして、ここからがソフィアの独壇場だった。
「さて皆様! 『ぷるぷるエンジェルちゃん』が、いかに健全で、皆様の生活を豊かにするか、今から実演をお見せいたしましょう!」
突然、スタジオにさわやかなBGMが流れ始め、アシスタントの女性が、商品を載せたワゴンを押してきた。番組は、討論会からテレビショッピングへと、完全に様変わりした。
「こちら、ご覧ください! シンプルで可愛らしいフォルム! お部屋に置いても、まさかあんなことやこんなことに使うだなんて、誰も思いません!」
ソフィアは、まるで通販番組の司会者のように、商品を手に取ってにこやかに説明を始める。
「今回は、特別にモデルさんをお呼びしました! どうぞ!」
現れたのは、フィットネスウェアに身を包んだ、スタイルの良いモデルの女性だった。
「さあ、まずは肩に当ててみましょう! あ~、効きますね~! この微細な振動が、凝り固まった筋肉を優しくほぐしていきます!」
モデルの女性が、恍惚とした表情で「んぅ…」と声を漏らす。
「もちろん、腰にも、足の裏にも効果的! しかし! このエンジェルちゃんの真骨頂は、そこではありません!」
ソフィアは、モデルの女性の耳元で何かを囁いた。すると、モデルは少し顔を赤らめ、エンジェルちゃんを手に取ると、おもむろに自分の股間に、服の上からそっと当てたのだ。
次の瞬間、モデルの女性は「ひゃんっ!」と甘い悲鳴を上げ、その場にへなへなと崩れ落ちた。
「…ご覧の通りです」
ソフィアは、涼しい顔でカメラに向き直った。
「エンジェルちゃんは、皆様の人生に、ほんの少しの潤いと輝きをご提供します。お値段は、なんとワンコインの500円! さあ、今すぐお電話を!」
スタジオは、カオスだった。ベアトリーチェ会長は失神寸前だし、テレビ局のプロデューサーは「誰かこいつを止めろ!」と叫んでいる。だが、もう遅い。電話回線はパンクし、エデンのウェブサイトはサーバーがダウンするほどのアクセスが殺到していた。
そして、ソフィアはとどめの一撃を放った。
「さらに! 本日、この番組をご覧の皆様に、特別なキャンペーンのお知らせです!」
彼女がモニターに映し出したのは、白と黒の、奇妙なまだら模様だった。
「これは『QRコード』。私が、二百年前に失われた技術を、現代に蘇らせたものです。お手持ちの情報端末でこれを読み込んでみてください」
視聴者が、半信半疑で端末をかざすと、ウェブサイトの応募フォームに繋がる。
「ただいまより、『第一回・聖杯様 精子提供キャンペーン』の応募受付を開始します! 対象は、18歳以上の全ての女性! 抽選で選ばれた100名様に、我が夫、ヤマト様の貴重な遺伝子を、前代未聞の安価でご提供することをお約束します!」
その瞬間、日本中が、いや、世界中が震撼した。
これまで富裕層の独占物だった『聖杯』の奇跡が、一般庶民にも手の届くものになる。それは、この国の歴史が、根底からひっくり返るほどの、大事件だった。
応募サイトのカウンターは、テレビショッピングの比ではない、天文学的な速度で回転を始めた。
ソフィアは、呆然とするベアトリーチェ会長に、にっこりと微笑みかけた。
「会長。私たちのビジネスは、貞操観念を破壊するのではありません。むしろ、全ての女性に『母になる』という希望を与え、この国の未来を救う、崇高な事業なのです。ご理解、いただけましたか?」
もはや、誰も彼女に反論することはできなかった。
一人の天才科学者が、たった一人で、国家の電波をジャックし、そして、世界の常識を塗り替えた瞬間だった。




