23話
帝都大学での生活は、変態たちの奇行を除けば、案外まともだった。
特に、現代社会学の権威である如月教授の講義は、目から鱗が落ちる面白さで、俺は毎週最前列の席に陣取っていた。
その日の講義のテーマは、『現代社会が抱える、解決すべき三つの厄災』。
「皆さん、ごきげんよう」
教壇に立った如月教授は、百戦錬磨の知将といった風格の、矍鑠とした老婦人だ。彼女が咳払いを一つすると、巨大な講義室を埋め尽くす数百人の女子大生たちが、水を打ったように静まり返った。
「さて、本日の講義ですが、我々が生きるこの豊かな社会が、いかに多くの問題を内包しているか。そして、次代を担うエリートである皆さんが、何と戦うべきなのかを、お話しします」
教授は、背後の巨大スクリーンに、最初のスライドを映し出した。
【厄災その①:地球温暖化】
「まず一つ目。これは、もはや言うまでもありませんね。海面上昇による沿岸都市の水没リスク、異常気象による食糧生産の不安定化…。我々の文明を、物理的に崩壊させかねない、静かなる時限爆弾です」
ふむ、これは俺の世界でも同じだ。学生たちは、真剣な表情でノートを取っている。俺も頷きながらペンを走らせた。
【厄災その②:超高齢化社会】
「二つ目。これも深刻です。医療技術の発展による長寿化と、かつての深刻な少子化が相まって、社会保障制度は崩壊寸前。一人の若者が、何人もの老人を支えなければならない、歪な人口ピラミッド…。国家の活力を、内側から蝕む、慢性的な病です」
なるほど、これもよくわかる。俺たちのエデン社の事業も、この問題解決の一助となっているはずだ。
学生たちの間に、重苦しい空気が流れる。
そして、如月教授は、ひときわ深刻な顔つきで、最後のスライドを映し出した。
【厄災その③:女性の性欲の際限なき拡大】
「………………はい?」
俺は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
周囲の女子大生たちが、「静かに」とでも言うように、俺を一斉に睨みつける。彼女たちは、至って真面目な顔で、スライドの文字をノートに書き写している。え、嘘だろ? これ、俺の聞き間違いじゃないのか?
だが、教授は、大真面目に、そして情熱的に、この第三の厄災について語り始めた。
「そして、三つ目! これこそが、先の二つ以上に根深く、我々の社会の根幹を揺るがしかねない、最も恐るべき厄災…! 近年、社会問題化している、『女性の性欲の際限なき拡大』…通称、『大快楽パンデミック』です!」
俺は、口をあんぐりと開けたまま、完全にフリーズした。
だって、それ、**原因、ほぼ俺(と俺の会社)**じゃないか。
「皆さん、考えてもみてください!」
教授の熱弁は続く。
「某社の安価なセルフプレジャー用品の普及により、何が起きたか! まず、労働生産性の著しい低下です! 昼休み中に自席で『エンジェルちゃん』を使用した女性社員が、午後の業務中、恍惚とした表情のまま一切仕事にならなくなるという事例が、全国のオフィスで多発しています! 高吸収オフィスチェアの市場だけが、異常なバブル景気に沸いているのです!」
ごめんなさい。
「次に、電力インフラの危機! エデン社の新製品発売日と、主要都市の深夜電力の使用量が、不気味なほどに相関しているというデータがあります! 皆が、一斉に充電式のバイブやローターを使うせいで、全国の変電所が悲鳴を上げている! このままでは、我が国は、バイブ・ブラックアウトの危機に瀕するのです!」
本当にごめんなさい。
「そして、最も深刻なのが、精神的な退廃です! 快楽は、麻薬です! より強い刺激、より新しい刺激を求めるあまり、日常生活に喜びを見出せなくなる『賢者タイム症候群』が、若者の間に蔓延している! 皆さん、心当たりはありませんか!? 最高の一発の後、数時間、何もやる気が起きなくなった経験が!」
講義室のあちこちで、数人の女子大生が、バツが悪そうに顔を伏せた。心当たり、あるらしい。
「このままでは、我が国は滅びます!」
如月教授は、教壇を拳で叩き、叫んだ。
「地球は沈み、社会は老い、そして国民は、快楽に溺れて腑抜けになる! これが、我々の未来で、あっていいはずがない!」
講義が終わった後も、俺は、席で呆然としていた。
良かれと思って始めたビジネスが、まさか地球温暖化レベルの社会問題を引き起こしていたとは。
俺は、革命家などではない。ただの、ピンク色の厄災を解き放った、パンドラだったのだ。
だが、俺は、相馬大和は、ここで諦める男ではない。
転んでも、ただでは起きない。
俺は、拳を、強く、強く、握りしめた。
(…そうか、わかったぞ。これが、俺がこの大学で、本当に成し遂げるべきことだったんだ)
地球温暖化? 高齢化社会?
そんなものは、他のエリートたちに任せておけばいい。
(この、あまりにも厄介で、あまりにも愛おしい、第三の厄災…! 女性の性欲拡大問題…!)
俺は、決意に燃える目で、教壇を見据えた。
「この難題…! 俺が、解決してみせる…!」
自分がマッチで、自分で火事を起こしておきながら、それを自分が消すと言い出す、史上最も迷惑な救世主が、ここに誕生した瞬間だった。




