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21話

 株式会社エデンの快進撃は、もはや社会現象を通り越して、一種の神話になりつつあった。その富と影響力の象徴として、帝都大学の隣の一等地に、ガラス張りの巨大なR&Dセンター…通称『エデン・タワー』が竣工した。

 その日、俺たち創業者四人は、タワーの最深部に新設された『素材科学・薬理学部門』…通称、エリア51(と俺が勝手に呼んでいる)のフロアを訪れていた。


「今日紹介するのは、わたくしが三顧の礼どころか、土下座までしてスカウトした、正真正銘の天才よ」

 エレベーターの中で、輝夜が重々しく口を開いた。

「ただし…心して聞いて。彼女は、少し、いえ、常識という概念が著しく欠如しているわ。わたくしが前回面談した際、彼女は『思考が煮詰まったから』という理由で、液体窒素で自分の頭を冷やそうとしていたわ。寸前で止めたけれど」

 とんでもない逸材ヤバいヤツの気配しかしない。


 目的のフロアに到着すると、そこは無菌室に入るためのエアロックのような、物々しいゲートがあった。『これより先、理性、常識、その他もろもろの保証は致しかねます』という電子看板が、不吉に点滅している。

 ゲートを抜けた先、俺たちの目に飛び込んできたのは、地獄とカオスを煮詰めて固めたような、狂乱の実験室だった。


 床ではお掃除ロボが正体不明のピンク色の粘菌に捕食され、哀れな電子音を響かせている。壁には『神は死んだ。次は私だ』という殴り書きと共に、複雑怪奇な数式がびっしりと並ぶ。フラスコは怪しく泡立ち、遠心分離機は断末魔のような音を立てて高速回転していた。

 そして、その中央。白衣を虹色の染みだらけにし、防爆ゴーグルを装着した一人の女性が、巨大なビーカーをかき混ぜながら、悪魔のように高笑いしていた。


「フゥーハハハハ! できた! できたわ! 理想の粘弾性と、自己発熱による温度変化、そしてほのかなローズの香りを両立させた、究極の愛のアモルファスがぁ!」

「…彼女よ」

 輝夜が、頭痛をこらえるように紹介した。

「この魔窟の主、リリス・シュタインメッツ博士。薬学と素材科学にかけては、ソフィアと双璧をなす天才よ」


 リリスと名乗った女性は、俺たちに気づくと、防爆ゴーグルをカチューシャのように頭に上げた。眠そうな目に深いクマがあり、ボサボサの髪には何かの破片が刺さっている。

「あ、社長。と、聖杯様ご一行。お待ちしてました。ちょうど、わたくしの可愛いベイビーたちが産声を上げたところです。早速ですが、皆様にご紹介させてくださいまし」

 彼女は、足元に散らばる資料やら工具やらをガッシャンガッシャンと蹴散らしながら、一台のワゴンをごろごろと押してきた。


「まずはこちら!」

 リリスが、プレゼンの第一声と共に、自信満々に取り出したのは、いかにもヤバそうなドクロマークの付いた小瓶だった。

「対・聖杯様用・潜在能力解放霊薬! コードネーム**『オーディンズ・レイジ』**ですわ!」

「ば、バイアグラじゃないか! しかもドクロマーク!」

「失礼な! あのような、ただ血流を良くするだけの古典的な薬と一緒にしないでいただきたい!」

 リリスは、俺の素人意見に、心底軽蔑したような目で言った。

「これは、あなたの身体に眠る神の遺伝子を、分子レベルで再活性化させ、そのポテンシャルを115%まで引き出すための聖水! 硝酸塩化合物の最適化による血流増強はもとより、精子の生成速度と濃度を従来比で15%向上させ、射精後のクールタイムを実に30%も短縮させるのです!」

「いや、俺、本当に必要ないんだけど!? もう子供700人以上いるし!」

「必要? 必要ではありません、聖杯様。これは、人類の可能性ですの! あなたはまだ、強くなれる!」

「その通りよ、ヤマト」

 今まで黙っていたソフィアが、冷静に口を挟んだ。

「統計的に、あなたの生産性が15%向上すれば、我が社の10年後のデモグラフィック予測は、根底から覆るわ。科学の発展のため、そして人類の未来のため、あなたにはこれを飲む義務がある」

 妻にまで、ドーピングを強要される夫がどこにいる。


「次ですわ!」

 俺の心の叫びを無視して、リリスは次の製品を取り出した。それは、あまりにも雄々しく、禍々しいオーラを放つ、黒光りする二本の物体だった。

「聖女クララ様の『オナニーペン』は、確かに素晴らしい発明。ですが、あまりに臆病で、あまりに消極的すぎる! 真の解放は、内なるフロンティアを、力強く開拓してこそ得られるもの!」

「なんですって!?」

 クララが、ライバル心を燃やして一歩前に出る。

「わたくしの発明は、少女たちの繊細な心と身体に寄り添う、愛の福音ですわ! あなたのような、野蛮で、暴力的な思想とは違います!」

「フン、愛ですって? 快感とは、支配すること! 征服することですわ! ご覧なさい、この究極の**ディルド『グングニル』と、超弩級バイブ『ミョルニル』**を!」

 クララが「なんて、はしたないお名前…!」と顔を赤らめる。

「ご安心を。素材は、わたくしが先ほど発明したばかりの新素材『メモリー・ラバー』。人肌まで自己発熱し、内部の温度変化によって硬度と形状が僅かに変化し、持ち主の『最も気持ちいい形』を学習・記憶する、究極の生命体オーガニック・トーイですのよ!」


 聖女と魔女の、イデオロギー闘争が始まった。もはや、俺の入る隙はない。

 そして、リリスは最後に、一枚の、何の変哲もないナプキンを、まるで聖骸布でも掲げるかのように、恭しく取り出した。

「そして、これが、わたくしの半生を捧げた研究の集大成…**『愛液用ナプキン・アモーレシート』**です!」

「…え、ただのナプキン…?」

 俺が、思わず心の声を漏らすと、リリスは「愚か者めが」とばかりに、憐れみの目を俺に向けた。


「聖杯様。あなたや、私たちの製品が、あまりにも優秀すぎるせいで、今、世界中の女性が、ある深刻な社会問題に直面しています。それは…不意の愛液による、下着及び高級家具の汚損問題、通称『大洪水デリュージ』です!」

 リリスは、どこからか取り出した指示棒で、背後のモニターを指した。そこには、シミのついた高級シルクの下着や、イタリア製の高級ソファの写真が、悲しげに映し出されていた。

「これは、由々しき事態です! ですが、このアモーレシートがあれば、もう安心! 多層構造の超吸収ポリマーコアが、突然のダム決壊にも瞬時に対応! 蒸れにくく、かぶれにくい、シルクプロテイン配合の弱酸性トップシートは、デリケートゾーンにも優しい! これぞ、現代女性の新しい嗜み! 新時代の三種の神器なのです!」


 その瞬間、それまで腕を組んで黙っていた輝夜の目が、見たこともないほど、カッと見開かれた。

「……素晴らしい」

「え?」

「素晴らしいわ、リリス! このアモーレシートは、消耗品! つまり、リピート購入が前提! 一過性の売り上げではない、継続的な利益リカーリングレベニューが見込める! しかも、ターゲットは全女性! 市場規模は、青天井よ! あなた、本当の、本当の天才だわ!」

 輝夜の経営者としての魂が、リリスの変態的な発明と、がっちりと固い握手を交わした瞬間だった。


 会議の帰り道、俺の手には、リリスから「今夜の宿題ですわ、聖杯様!」と満面の笑みで渡された、『オーディンズ・レイジ』の試供品(一ヶ月分)が、ずっしりと握られていた。

「俺、ただ普通に暮らしたかっただけなんだけどな…」

 俺の呟きは、狂乱の天才たちが上げる勝ち鬨の声に、虚しくかき消された。

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