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19話

 帝都大学のキャンパスは、桜並木が美しい、歴史と気品に満ちた場所だった。

 …と、入学案内パンフレットには書いてあった。しかし、俺が足を踏み入れたその場所は、気品とは程遠い、欲望と狂乱が渦巻くカオスな空間だった。


「新入生! そう、そこの君! 男だろ!? ちょっと、いい身体してるじゃないか! うちのサークルで汗を流さないか!?」

「いや、こっちに来い! うちはインカレだ! 他の大学の男もいるぞ! 選び放題だ!」

 俺の周囲には、屈強なラガーシャツを着た女性や、日焼けした肌が眩しいテニスウェアの女性たちが群がり、まるでマグロの競りのように俺を品定めしている。そう、今日はサークル勧誘の日。そして、この大学で唯一の新入生男子である俺は、絶滅危惧種のパンダよろしく、注目の的となっていた。


「あの、ちょっと、やめてください…!」

「照れるなよ! さあ、このビラだけでも受け取ってくれ!」

 俺が押し付けられたビラを見て、絶句した。


【帝都大学 子作り研究会】

『君の遺伝子、無駄にしない。最高の母体、最高の環境、最高の夜を、我々と共に!』


「こ、子作り研究会!?」

 俺が叫ぶと、勧誘してきた快活なショートカットの女性が、にっこり笑った。

「そう! 私たちは、いかに効率よく、健康な子を成すかを日夜研究している、真面目な学術サークルだよ! 毎週金曜の夜には、OBの産婦人科医を招いて、実践的なレクチャーもある! 君のような優秀な遺伝子の持ち主は、大歓迎だ!」

 真面目な顔で、とんでもないことを言っている。


 俺は、その場から逃げるように駆け出した。だが、行く手にはさらなる地獄が待ち受けていた。


「そこのキミ! オナニー、好き?」

 次に声をかけてきたのは、ふわふわのニットを着た、気弱そうな眼鏡の女性だった。彼女が差し出すビラには、こう書かれていた。


【オナニー技術向上サークル ~未知の自分に出会う旅~】

『一人でするのが、なんだか虚しい夜。そんな夜はありませんか? 私たちと一緒に、自分の身体と向き合い、新たな快感の扉を開きましょう。初心者歓迎。ぷるぷるエンジェルちゃん持参の方、部費半額』


「お、お、おなにー…!?」

「はい。私たちは、エデン社様が提唱する『自己肯定感を高めるためのセルフプレジャー』の理念に基づき、いかにして最高のオーガズムに至るかを、論文や実技を通して研究しています」

 気弱そうな見た目で、言っていることは超ド級の変態だ。しかも、我が社の製品がちゃっかり割引に使われている。


 もうダメだ。この大学、頭がおかしい。

 俺は、もはやキャンパスを全力疾走していた。だが、耳には容赦無く、卑猥な勧誘の言葉が飛び込んでくる。


「ボクシング部でーす! 最高の胎教は、母の闘争本能にあり! 強い子が欲しいなら、まず母が強くなれ!」

「映像研究会だよー! 君を主役にした、最高の出産ドキュメンタリーを撮ってみないかい!?」

ESSイングリッシュ・スピーキング・ソサエティです! レッツ・メイク・ラブ! ウィズ・アス!」

 最後のは、もう意味が違う気がする。


 俺は、人混みをかき分け、ついに静かな場所…大学の図書館の裏手にある中庭にたどり着いた。

「はあ、はあ…なんなんだ、この大学は…。品性のかけらもない…」

 俺が息を整えていると、木陰のベンチに、一人の先客がいることに気づいた。

 長い黒髪を風になびかせ、難しい哲学書を読んでいる、知的な雰囲気の女性だった。

(よかった…この大学にも、まともな人がいたんだ…)

 俺は、その女性の存在に、心の底から安堵した。


 彼女は、俺の存在に気づくと、本から顔を上げ、にっこりと微笑んだ。

「あら、ごきげんよう。あなた、噂の新入生の殿方ね」

「あ、はい。そうです」

「ふふ、勧誘は大変だったでしょう。あの方たち、少し、がっつきすぎですものね」

 なんて穏やかで、常識的な人なんだ。俺は、感動のあまり涙が出そうになった。

「はい…。皆さん、その…子作りとか、オナニーとか、平気で…」


 すると、彼女は、くすくすと上品に笑った。

「まあ、無理もありませんわ。この国では、それらはとても大切なコミュニケーションですから」

 そして、彼女は読んでいた本を閉じると、優雅な仕草で立ち上がり、俺に手を差し伸べた。

「わたくし、この大学の風紀委員長を務めております、一条院 撫子と申します」

「ふ、風紀委員長!」

 やっぱり! この人こそ、この狂った大学の最後の良心だ!


「ええ。わたくしたちは、この大学の乱れた風紀を正すため、日々活動しておりますの」

 撫子さんは、きりりとした表情で言った。

「最近の学生は、少々、はしたない。子作りも結構、オナニーも結構。ですが、もっと奥ゆかしさがなくては。例えば、そう…」

 彼女は、俺の耳元に顔を寄せると、甘い声で、こう囁いた。


「…『膣内鍛錬』や『肛門括約筋による筆記』といった、古来より伝わる、より高尚で、芸術的な性の嗜みについて、あなたも一緒に学んでみませんか?」


 俺は、白目を剥いて、その場に崩れ落ちた。

 この大学、トップが一番の変態だった。

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