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16話

 季節は巡り、輝夜とソフィアは、臨月を迎えていた。

 俺が今いるのは、月読グループが誇る超高級マタニティ・ホスピタルの、スイートルームよりもなお豪華な特別室。壁一面が巨大なスクリーンになっており、世界中の美しい風景をリアルタイムで映し出している。今は、ハワイの穏やかな波の映像と音が、リラックス効果を高めていた。


「んん……っ!」

「……心拍数、正常。ヤマト、心配ないわ。計算通りよ」

 分娩台の上に横たわる輝夜の隣で、同じく巨大なお腹を抱えたソフィアが、冷静にバイタルデータを確認している。そう、この二人の天才は、なんと出産予定日を完全にシンクロさせてみせたのだ。「どうせなら、育児休暇も一緒に取得した方が合理的でしょう?」というのが、彼女たちの言い分だった。


 この世界の出産は、科学技術の進歩により、痛みが大幅に軽減されているとはいえ、やはり大変なものに変わりはない。俺は、ただただ二人の手を握り、励ますことしかできなかった。

「頑張れ、輝夜! 頑張れ、ソフィア!」

「当たり前よ。月読家の女は、この程度のことで音を上げたりしないわ…!」

「私の計算によれば、あと5分23秒で生まれるはずよ…!」


 そして、ソフィアの予言通り、二つの小さな産声が、ほとんど同時に部屋に響き渡った。

「おぎゃあ、おぎゃあ!」

「おめでとうございます! お二人とも、元気な女の子ですよ!」

 助産師の声に、俺は感極まって涙が溢れた。差し出された小さな、小さな赤ちゃん。俺の指を、か細い力で握り返してくる。俺の、娘だ。


 輝夜は、汗で濡れた髪のまま、満足げに微笑んだ。

「…女の子ね。いいわ。私を超える、最高の経営者に育ててあげる」

 ソフィアも、愛おしそうに我が子を見つめている。

「…私の知識と、ヤマトの遺伝子を受け継いだ子…。将来が楽しみね」


 俺は、二人の娘をその腕に抱き、父親になったという実感に、打ち震えていた。この子たちが、俺の最初の子供だ。

 その時だった。

 病室のドアが、そっと開いた。入ってきたのは、クララだった。彼女は、俺たちの様子を微笑ましく見ていたが、やがて、少し恥ずかしそうに、もじもじと俺のそばに寄ってきた。


「あの…ヤマト様、輝夜様、ソフィア様。皆様が大変な時に、申し訳ございません」

「どうしたの、クララ?」

 俺が尋ねると、彼女は、頬をぽっと赤らめて、こう言った。

「実は、わたくしのお腹の中にも…新しい命が宿りましたの」

 彼女は、そっと自分のお腹に手を当てた。

「先ほど、わたくしが開発した『こんにゃくエンジェルちゃん』の最終チェックをしておりましたら、急に気分が悪くなって…。検査をいたしましたら…」


 おめでたいニュースのはずなのに、俺たちは、全員、若干引きつった顔で彼女を見つめていた。

(こんにゃくエンジェルの開発中に、自分の妊娠に気づいたのか…)

 さすが、俺たちの聖女様は、やることが違う。

 ともあれ、これで俺は、三人目の子供の父親になることが確定した。


 だが、俺個人の幸福なニュースなど、霞んでしまうほどの、巨大な社会的インパクトが、その頃、世界を揺るがしていた。

 エデン社の『聖杯様 精子提供キャンペーン』で、奇跡の種を授かった女性たちの出産ラッシュが、始まっていたのだ。

 そして、日本中、いや、世界中が、その結果に度肝を抜かれた。


『速報です! エデン社提供の精子から、本日までに生まれた赤ん坊325人のうち、なんと160人が、男児であることが判明しました!』

『専門家は「ありえない奇跡だ」「人類史の転換点だ」と、興奮を隠せません!』

『二百年ぶりの男児誕生ラッシュ! 日本各地で、母親たちの歓喜の涙!』


 テレビをつければ、どのチャンネルもこのニュースで持ちきりだった。街には号外が配られ、ネットは祝福と驚愕のコメントで溢れかえった。これまで、生まれてくる子供の9割以上が女児だったこの世界で、男女比がほぼ1:1という、常識外れの事態。それは、まさに天地がひっくり返るほどの大事件だったのだ。


 俺は、生まれたばかりの二人の娘を抱きながら、病室のスクリーンに映し出される、熱狂する社会の様子を、どこか他人事のように眺めていた。

「…すごいことになっちまったな」

「ええ。私たちのビジネスは、次のステージに進んだわ」

 輝夜は、早くも経営者の顔で、未来を見据えている。

「これから、世界は変わる。いえ、私たちが、変えるのよ」


 俺の腕の中では、二人の娘が、すやすやと穏やかな寝息を立てている。

 俺の娘たち。そして、これから生まれてくる、クララの子供。さらには、顔も知らない、700人の俺の子供たち。

 この子たちが大人になる頃、世界は、一体どんな形になっているのだろうか。


 俺が始めた、ほんのささやかな革命。

 それは、新しい命の産声と共に、もはや誰にも止められない、歴史の大きなうねりとなって、世界を飲み込もうとしていた。

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