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14/24

14話

 その日の夜、俺たちは珍しく、四人揃って外食をしていた。

 場所は、輝夜が経営する月読グループ傘下の、最高級個室焼肉店。テーブルに埋め込まれた無煙ロースターの上で、A5ランクの霜降り肉が、じゅうじゅうと心地よい音を立てている。


「いやあ、たまには外で食べるのもいいものだな!」

「ええ、本当に。ヤマト様、お肉が焼けておりますわよ。はい、あーん」

 俺は、クララが差し出す一切れ数千円はするであろう高級肉を、満面の笑みで頬張った。隣ではソフィアが、「この肉のサシの入り方、脂肪と赤身の黄金比率は、まさに芸術ね…」と、肉の断面をうっとりと眺めている。

 俺たちの帝国は盤石。事業は絶好調。愛する妻たちに囲まれ、もうすぐ父親にもなる。まさに、順風満帆な人生だ。


 だが、そんな和やかな雰囲気を切り裂くように、輝夜が重々しく口を開いた。

「…皆様、少し、深刻なご相談がありますの」

 彼女は、いつになく暗い表情で、懐から一通の手紙を取り出した。それは、可愛らしい猫のキャラクターが描かれた、子供向けの便箋だった。

「先日、わたくし宛に、一人の少女から手紙が届きました。…読んで、わたくし、胸が張り裂けるような思いがしたわ」


 輝夜は、震える声で、その手紙を読み上げ始めた。

『かぐや社長さまへ。はじめまして。わたしは、中学一年生のミカといいます。わたしは、いつもエデン社さんのことを応援しています。せいじょクララ様が開発したおもちゃも、アイドルグループのニジアルさんの歌も、ぜんぶ大好きです』

 そこまでは、微笑ましいファンレターのようだった。だが、内容はここから衝撃的な方向へと舵を切る。

『でも、わたしには悩みがあります。わたしは、お小遣いが少なくて、500円の「ぷるぷるエンジェルちゃん」を買うことができません。でも、バイブルを読んで、わたしも自分のからだを愛したくなりました。だから…だから、わたしは…』


 輝夜の声が、詰まる。彼女は一度、天を仰いでから、絞り出すように続けた。

『…わたしは、お母さんが冷蔵庫に入れている、キュウリやトマトで、自分を慰めています。でも、時々、お野菜が中で折れてしまわないか、すごく怖くなります。それに、なんだか少し、かゆい気もします。かぐや社長さま、わたしは、間違っているのでしょうか…?』


 じゅうううううう………。

 個室には、高級肉が焦げる音だけが、虚しく響いていた。

 俺たちは、全員、完全に固まっていた。


「……きゅ、きゅうり…?」

 ソフィアが、震える声で呟く。

「…トマトは、ミニトマトかしら? それとも、大きな桃太郎かしら…?」

「ソフィア! 論点はそこじゃないわ!」

 輝夜が叫ぶ。

「問題は、私たちの製品が届かない、幼い少女たちが、このような危険で、非衛生的な行為に走ってしまっているという、この悲しい現実よ! しかも、手紙によれば、彼女のクラスでは『キュウリ派』と『ナス派』で派閥争いまで起きているというじゃありませんか!」

「なんてことだ…!」

 俺は絶句した。俺たちのピンク色の革命が、思わぬところで、野菜たちの受難と少女たちの健康危機を招いていたとは。


 その時だった。

 それまで黙って話を聞いていたクララが、カタン、と静かに箸を置いた。

 彼女は、ゆっくりと顔を上げた。その美しい青い瞳には、涙が浮かび、頬は怒りで紅潮している。その姿は、罪なき子羊たちの過ちを憂う、本物の聖女そのものだった。


「…許せません」

 クララの、鈴の鳴るような、しかし鋼の意志を秘めた声が、個室に響き渡った。

「未来ある若草たちが、野菜で貞操を危険に晒しているというのに、わたくしたちは、ここで高級焼肉に舌鼓を打っている場合ではありませんわ!」

 彼女は、すっくと立ち上がると、高らかに宣言した。

「わたくし、開発いたします! 全ての少女たちが、お小遣いを気にすることなく、安全に、そして安心して、自分を愛することができる…究極の入門用デバイスを!」


「究極の…デバイス…?」

「はい! 価格は、うめえ棒10本分! 誰でも購入できる、100円グッズをです!」


 100円。

 その言葉の衝撃に、俺たちは息を呑んだ。

「ま、待ちなさい、クララ! 100円で、どうやって安全な製品を作るというの!? 採算が取れないわ!」

 輝夜が、経営者として当然の懸念を口にする。

 だが、聖女クララは、もはや誰にも止められない。


「いいえ、輝夜様。これは、ビジネスではありません。救済ですの」

 彼女は、恍惚とした表情で、天を仰いだ。

「…見えましたわ。神の啓示が…。素材は、医療用シリコンではなく、安全なこんにゃくで代用します。振動機能は諦め、代わりに、指の動きを補助する人間工学に基づいたフォルムに。その名も、『こんにゃくエンジェルちゃん・ファーストタッチ』! これで、もう誰も、野菜で涙を流す必要はなくなります…!」


 もはや、彼女の周りには、後光が差しているようにすら見えた。

 利益度外視。ただ、悩める少女たちを救いたいという、純粋で、あまりにも暴走した善意。

 俺たちは、顔を見合わせ、そして、深く、深く、ため息をついた。


 俺たちの会社に、また一つ、とんでもない伝説が生まれようとしていた。

 そして、全国の八百屋から、キュウリとナスの売り上げが激減するのは、また少し、未来の話である。

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