12話
クララとの初夜は、ある意味で、輝夜やソフィアとのそれよりも衝撃的だった。
長年、貞操観念という名の分厚い鎧をまとってきた彼女は、一度その鎧を脱ぎ捨てると、まるで堰を切ったように、自らの欲望に対してどこまでも素直になった。俺が教える一つ一つの快感を、乾いた砂が水を吸うように吸収し、その青い瞳を潤ませて喜んだ。清楚な聖女が、俺の腕の中で快楽に堕ちていく姿は、正直、とてつもなく興奮した。
そして翌朝。俺が目を覚ますと、隣で眠っているはずのクララは、すでに豪奢なドレスに着替え、寝室の片隅のデスクでペンを走らせていた。その表情は、まるで神の啓示でも受けているかのように、真剣そのものだ。
「クララ? もう起きてたのか。何をそんなに熱心に…」
「ヤマト様…! 昨夜は、その…ありがとうございました。わたくし、開眼いたしました」
「かいがん…?」
「はい。今までわたくしが『ぷるぷるエンジェルちゃん』で得ていた快感は、いわば小川のせせらぎ。ですが、ヤマト様が教えてくださったのは、全てを飲み込む大河、いえ、太平洋そのものでしたわ!」
すごいスケールの例えだ。彼女は、潤んだ瞳で俺を見つめると、手にしていた書類の束をぎゅっと握りしめた。
「この感動と興奮を、ビジネスに昇華させたく、不躾ながら企画書をまとめておりました。数日中に、皆様にご提案させていただきます」
その時の俺は、まだ知らなかった。彼女が開いたのが、悟りの扉ではなく、パンドラの箱だったということを。
数日後、俺、輝夜、ソフィア、そしてクララの四人は、初めて役員として一堂に会していた。
クララは、緊張した面持ちでプレゼンテーション用のモニターの前に立つ。
「それでは、わたくしが考案いたしました、エデン社の新商品ラインナップについて、ご説明させていただきます」
俺たちは、にこやかに頷いた。新人が頑張って考えてきた企画だ。温かく見守ってやろう。そんな、甘っちょろい考えは、次の瞬間、木っ端微塵に粉砕された。
モニターに、最初の企画書が映し出された。
【企画①:可変式ローター『トランス・エンジェル』】
「こちらは、スマホアプリと連動し、先端の形状と振動パターンを自由自在に変えられる次世代機です。蝶の羽ばたきのような繊細な刺激から、工事現場の削岩機のような激しい刺激まで、その日の気分でカスタマイズ可能。わたくしの昨夜の経験から、快感の波には緩急が重要であると学びました」
俺たちは、まだ笑顔だった。「なるほど、面白いアイデアだ」
次に映し出されたのは、禍々しいオーラを放つ、黒光りする一品だった。
【企画②:超弩級電マ『つよつよエンジェルちゃん・ブラックゴッド』】
「こちらは、既存の電マ『雷神』では満足できなくなった、いわゆる『上級者』向けの製品です。軍事用の超小型モーターを搭載し、最大出力はコンクリートを粉砕するレベル。購入時には『長時間の使用は感覚麻痺を引き起こす可能性があります』という誓約書へのサインを必須とします」
俺たちの顔から、少しずつ笑みが消えていく。
「さ、三つ目ですわ!」
クララは、頬を上気させ、楽しそうにプレゼンを続ける。
【企画③:愛撫特化型『なでなでエンジェルちゃん・マザー』】
「振動だけが快感ではありません。こちらは、人間の指の動きを完全再現した、複数のシリコンアームが、優しく、ねっとりと、愛撫してくれる製品です。寂しい夜、まるでそこに誰かがいるかのような、温かいぬくもりと官能的な時間を提供します」
ソフィアが、ごくりと喉を鳴らした。「…その指の動きのアルゴリズム、非常に興味深いわ…」
もはや、俺たちの感情は、感動を通り越して、別の領域に達していた。ドン引き、という言葉が一番しっくりくる。
そして、とどめの一撃が放たれた。
【企画④:次世代ローター『ぷるぷるエンジェルちゃん二世・ウィスパー』】
「わたくしたちの原点であるエンジェルちゃんの正統後継機です。デュアルモーター、ヒーターによる人肌温め機能はもちろん、最大のウリは、内蔵された超小型スピーカーから、囁き声が聞こえることです!」
「さ、囁き声…?」
「はい! 例えば、『いいよ、クララ…』『綺麗だよ、クララ…』『もっと感じてごらん…』といった、肯定的な言葉を囁きかけてくれるのです! 昨夜、ヤマト様がそうしてくださったように! 肉体的な快感と、精神的な肯定感。この二つが合わさった時、女性は真のオーガズムに至るのだと、わたくしは確信いたしました!」
しーん……。
会議室は、水を打ったように静まり返った。
俺は、冷や汗が背中を伝うのを感じた。俺は、この純粋無垢な令嬢の中に眠っていた、とんでもない怪物を、目覚めさせてしまったのではないか。
経営の天才である輝夜は、そろばんを弾く代わりに、指で利益計算をしているようだったが、その顔は引きつっている。
「…市場規模は、莫大ね…。でも、倫理観が…倫理観が追いつかないわ…」
科学の天才であるソフィアは、ぶつぶつと呟いている。
「ユーザーの精神的充足度を定量化し、製品にフィードバックするシステム…恐ろしい。恐ろしいほどに、合理的で、革新的よ…」
プレゼンを終えたクララは、やりきったという表情で、天使のように無垢な笑顔を俺たちに向けた。
「以上が、わたくしの提案です。いかがでしたでしょうか?」
そして、彼女は小さなノートを取り出した。
「ちなみに、昨夜の経験から閃いたアイデアは、まだ70個ほど残っておりますの。続けてご説明いたしましょうか?」
その言葉を聞いた瞬間、俺、輝夜、ソフィアは、三人同時に、力なく首を横に振ることしかできなかった。
株式会社エデンに、最強にして、最恐の、企画開発本部長が誕生した瞬間だった。俺たちの穏やかで、ちょっとだけエッチな革命は、この日を境に、制御不能な領域へと突入していくことになる。