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10話

 『聖杯様 精子提供キャンペーン』の実施日は、厳戒態勢の中で訪れた。

 場所は、株式会社エデンの地下深くに建造された、純白のメディカルラボ。ここは、ソフィアの科学技術の粋を集めた、世界で最も安全で、最も清潔な空間だ。

 俺は、少し緊張しながら専用のガウンに身を包んでいた。これから俺は、顔も知らない100人の女性を、母親にするのだ。その途方もない事実に、武者震いがする。


「ヤマト、準備はいいかしら?」

「あなたのコンディションは、データ上、完璧よ」

 監督役として、白衣姿の輝夜とソフィアがラボに入ってきた。その表情は、いつものビジネスパートナーとしての顔と、俺の妻としての顔が、絶妙に混じり合っている。


「まあ、心配しないで。最新鋭の自己採取サポートデバイスを用意したわ」

 ソフィアが指差した先には、SF映画に出てくるような、流線型のカプセルがあった。

「内部のVRシステムで、あなたの最もリラックスできる環境を再現します。映像の相手も、古今東西あらゆる美女のデータから自由に選べるわ。まあ、私か輝夜のデータを選んでくれると、妻としては嬉しいけれど」

「こら、ソフィア! なんてことを!」

「ちなみに、三人同時という破廉恥なデータもあるわよ」

「ソフィア!」

 この期に及んでしょうもない言い争いをしている二人のおかげで、俺の緊張はすっかりほぐれた。俺は笑ってカプセルに入ると、「じゃあ、お言葉に甘えて、三人で」とリクエストした。


 そして、全てが終わった。

 採取された俺の「分身」は、速やかにオートメーション化された分析装置へと送られていく。俺たちは、固唾を呑んでメインモニターに表示される結果を待った。


『精子濃度:基準値の580%』

『運動率:99.9%』

『奇形率:0.01%以下』


「信じられない……」

 ソフィアが、科学者として感動の声を漏らす。

「遺伝子情報に、一点の曇りもない。エラーはおろか、僅かなノイズすらないわ。完璧すぎる。まさに、神の遺伝子…!」

 輝夜も、自社の「最高の商品」の品質に、満足げに頷いている。

 だが、俺たちを本当の意味で震撼させたのは、最後に表示された項目だった。


【採取量:7.0 ml】


 瞬間、ラボの空気が凍りついた。

「……ななっ!?」

 ソフィアが、信じられないというようにモニターに駆け寄る。

「ななななな、7ミリリットルですって!? 一般男性の平均は1ミリリットル前後、多くても2ミリが限界よ! 7ミリなんて、そんなの…そんなの、象かクジラの量じゃないの!」

 輝夜も、経営者としての冷静さを失い、震える指で計算を始めた。

「待ってちょうだい。私たちの換算では、1mlあたり100人の子供ができる計算だったわ。それが7mlということは……700人分? 今回のキャンペーンは、100人分だったはずじゃ……」


 予想を遥かに、遥かに上回る、奇跡的な大収穫。

 俺たちは、ラボの隣にある会議室で、緊急役員会議を開いた。


「どうするの、この余った600人分は。技術的には、数十年単位での長期冷凍保存が可能だけれど…」

 ソフィアの提案に、輝夜が経営者として即座に首を横に振った。

「いいえ、ソフィア。この『奇跡』は、鮮度が命よ。世間が、そして市場が、私たちのビジネスに熱狂している今こそ、畳み掛けるべきだわ」

 彼女の瞳は、巨大な商機を前に、ギラギラと輝いていた。

「500人分は、『緊急追加!ご懐妊キャンペーン』として、即座に募集を開始します。抽選に外れて絶望している女性たちへの、これ以上ない福音となる。株式会社エデンの、慈悲深さと圧倒的な供給能力を、世間に知らしめるのよ!」

 そして、彼女は指を一本立てた。

「そして、残りの100人分。これは、私たちの『切り札』よ」

 輝夜の声に、底知れない凄みが宿る。

「これまで私たちのビジネスに反対してきた、保守派の政治家。喉から手が出るほど跡継ぎの男児を欲しがっている、旧財閥のトップ。そんな『お客様』にだけ、この貴重な100人分を、『特別に』ご提供するの。見返りは、金銭ではないわ。未来永劫にわたる、エデン社への『忠誠』よ。これで、私たちの帝国は盤石になる」


 清濁併せ呑む、完璧な戦略。俺は、改めて妻の恐ろしさと頼もしさに感服した。


 会議が終わると、輝夜とソフィアは、俺の前に並んで立った。

「ヤマト」

「私たちも、あなたの子供が欲しいわ」

 その表情は、経営者でも科学者でもなく、一人の女性、俺の妻の顔をしていた。

 俺は、もちろん、力強く頷いた。


 その日のうちに、二人の体内にも、俺の遺伝子が移植された。俺は、ふと心配になって尋ねた。

「なあ、出産って、すごく痛いんだろ? 俺の世界じゃ、『鼻からスイカを出すような痛み』って言うんだけど……大丈夫なのか?」

 すると、ソフィアがにっこり笑って解説してくれた。

「心配ないわ、ヤマト。二百年前とは違って、現代の出産は、無痛分娩技術が確立している。それに、私たち女性の身体そのものが、長い年月をかけて出産に最適化されてきたの。特に骨盤の可動域が広がり、産道の柔軟性も増しているから、痛みは大幅に軽減されているわ」

「へえ、そうなんだ! よかった!」

「ええ。今の時代の出産の痛みは、そうね……だいたい、『交通事故で複雑骨折した上に、骨が皮膚を突き破る』程度のものよ」

「『程度』!?」

 俺は絶叫した。この世界の女性、逞しすぎるだろ!


 数日後、エデン社から、『緊急追加500名様ご懐妊キャンペーン』の告知と、輝夜、ソフィア両名の懐妊が、同時に発表された。

 世間は、三度、熱狂の渦に叩き込まれた。

 俺は、自分がこれから、702人の子供の父親になるという、想像を絶する事実に、少しだけ目眩を覚えた。


「俺の革命、とんでもない方向に転がり始めたな……」

 窓の外の喧騒を聞きながら、俺は乾いた笑いを漏らすしかなかった。

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