表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/8

名前を呼んでくれたから

「お疲れー!」


部室のドアを開けながら、わざとちょっと大きめに言った。律の気配が中にいるのをわかってたから。

声をかける理由なんて、もうほとんど習慣みたいなもの。


大会、いよいよ明日だ。


部長もコーチも「落ち着いて」って何度も言うけど、落ち着いてたら今ごろこんなに呼吸浅くなってない。

でも、不安って言葉を言いたくなくて、口を閉じた。


タオルをカバンにしまってたら、背中から声が聞こえた。


「……咲は?」


律だった。


「私も。今日は早く寝なきゃって思って」


そう答えるだけで、心臓が忙しくなる。

ああ、これだけで幸せになれるって、ずるい。


体育館の横を抜けて昇降口に向かうとき、並んで歩くのが不思議なほど自然で、でもたぶんそれは“ふたりきり”だから。

部活中はいつも誰かがいて、こんな風に話す時間なんて、なかなかないから。


「明日、ちゃんと泳げるかなあ……」


ぽろっと出た言葉は、ほんとうは“こわい”って意味だった。けど、そんな弱さ、律になら見せてもいい気がした。


「大丈夫だよ。咲は、練習ちゃんとしてるし」


少しうつむいて言ったその声に、心がじんとした。

その“咲”って名前を、ちゃんと呼んでくれたこと。

それだけで、胸の奥が温かくなる。


「そういうの、もっと堂々と言えばいいのに。今の、ちょっと照れてたでしょ?」


ちょっと意地悪を言った。

本当はうれしかっただけなのに。


靴箱に着いて、上履きを脱ぎながら、ふと彼が名前を呼ぶ声が聞こえた。


「咲」


振り返ったら、律がこっちを見てた。

表情は変わらないけど、どこかいつもと違う。


「……明日、応援してるから」


……その一言だけで、涙が出そうになった。

律の声が、まっすぐ届いたから。


「……うん。ありがと」


笑ったつもりだったけど、ちゃんと笑えてたかな。

不安も、緊張も、どこかに吹き飛んでいった。


律の背中が扉の向こうに消えて、私はそっと、手を胸に当てた。


言ってくれた。名前を。

応援してくれるって。

それだけで、明日、きっと泳げる気がする。


でも、ほんとは私も言いたかった。


「頑張る」じゃなくて、「好きだよ」って。


でもそれは、きっともう少し先でいい。


好き、の手前で――

今日はちゃんと、名前を呼んでもらえたから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ