25メートルの片想い
「今日、タイム測ってくれる?」
そう言って笑った咲の髪は、午後の陽射しに濡れて光っていた。プールサイドに立つだけで、胸が少し痛くなる。水泳部のエースで、いつも明るくて、誰とでも仲が良い。
僕は、そんな彼女がずっと好きだった。
「うん、いいよ」
ストップウォッチを持つ手が少し震えた。
咲は、スタート台に立つと、すっと表情を変える。緊張と集中が混ざった横顔に、僕はまた息をのむ。
ピッ、とホイッスルが鳴る。
25メートルを咲が泳ぎ切るのは、ほんの十数秒。でも僕には、その時間がとても長く感じられた。水を割って進む彼女の背中を、ただ見ていた。
「タイム、どうだった?」
「…前より、0.3秒縮まってる」
「やったー!」
咲が濡れた髪をかきあげて、僕の顔を覗き込む。こんなに近いのに、どうしてこんなに遠く感じるんだろう。
「ねえ、日曜、試合なんだけど……」
一瞬、心臓が跳ねる。まさか、デートの誘い?と思った自分が恥ずかしい。
「応援、来てくれる?」
「……もちろん」
咲がうれしそうに笑う。ああ、この笑顔を、いつか僕だけのものにできたらいいのに。
けれど、それはたぶん、叶わない。
彼女には、もう別の誰かを見ている気がするから。
でも、それでもいいと思った。僕のこの想いは、プールの水の中みたいに静かで、少しだけ、あたたかい。
咲が僕に手を振る。「じゃあね、ありがと!」
その背中を見送りながら、僕はそっと胸にしまう。
25メートルの距離。それは、近くて、遠い。
だけど、僕の片想いはきっと、今日も少しだけ前に進んだ。