3 星の空、月の光
従者キールの様子は、一種異様な感じだった。
とてもじゃないけれど、王子付きの従者には見えない。神経質なアンジェリカが屋敷の中に入れないでと言った意味もわからないではなかった。
「やあ、僕は従者のキールっていうんだ。よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いいたします。ニーナと申します」
「そうか、じゃあ、早速色々案内してくれたら嬉しいな」
ニーナは早速、彼を庭に案内した。物珍しそうに見ていたクリスティーナはあっさり興味を失って、すぐにどこかにいなくなってしまっている。
一つ一つ丁寧に説明するニーナの言葉にいちいち感心して頷くキール。見た目よりはしっかりしていそうな印象だった。質問も的確で、意外と教養も高いようだ。
一通り説明が終わると、彼が泊まる予定の納屋に連れて行った。そこは人が泊まるところというよりは、むしろ、物置小屋だった。馬小屋も近いため、結構匂いも流れてくる。
(お客様をこんなところに泊めるなんて)
アンジェリカの命令とはいえ、ニーナは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「うん、こんなところに泊まるのは初めてだな」
キールは特に怒った顔も見せず、興味深そうに納屋の中を覗き込んでいた。
「少し、待っていただけますか。すぐに準備いたしますから」
ニーナが納屋に急いで入り、次々と不要なものを持ち出した。キールもすぐに彼女を手伝い、だんだんと部屋の中も片付いてくる。
ニーナはシーツや毛布がないのがわかったので、屋敷に取りに戻った。
◇
屋敷中がメイドたちによる王子様の話題で持ちきりだった。ニーナはそんなことには構わず、寝具類と掃除道具を持ち出した。
「ニーナ」
振り返るとクリスティーナが立っていた。
「大丈夫?」
心配そうに声をかけるクリスティーナにニーナは笑顔で答えた。
「意外といい人よ。色々準備をしなくてはいけないから。私、もう行くわ」
「あなたには王子様の方がお似合いなのに」
クリスティーナはまだ残念そうな顔をしていた。
◇
「うん、なかなかいい感じになったね」
部屋の準備が出来上がった頃には、すっかり遅い時間になっていた。もう夕食の時刻だ。キールは出来上がったベッドの上をお尻でとび跳ねて喜んでいた。
(不思議な人だな)
ニーナはそう思った。
「君もこっちにおいでよ」
「いえ、今から夕食を運んでこなくてはいけません」
「いいから。いいから」
ぐいと手を掴まれると、彼のすぐそばに座らされた。
「えっ」
ドキッとして彼の顔をまじまじと見てしまった。彼の瞳はすごく澄んだ藍色をしている。あまりにこちらを真っ直ぐ見てくるので、恥ずかしくて思わず視線を逸らしてしまった。
「ねえ、上を見て。もう星が見える」
彼に言われて、ニーナが上を見上げると、なんと、屋根に大きな穴が空いていた。
「大変、やっぱり屋敷の中に泊めてもらうように言ってきます」
立ちあがろうとしたニーナを彼はとめた。
「大丈夫、こうして、星を眺めながら寝るのが昔からの夢だったんだ」
ニーナも上を見上げた。夕暮れの空はまだ星が見えてきていない。でも、雲ひとつない空にはやがて星が現れてくるだろう。
彼女は昔、幸せだった時、父と一緒に星空を眺めていたことを思い出した。
ニーナの前で父は星空を指差し、星と星とを繋ぎ合わせるように優雅に手を動かした。すると、ただの星屑の集まりが、見る間に星座の形へと生まれ変わっていく。幼い彼女は夢中になって、父の魔法に酔いしれたものだった。
いつの間にか涙の一雫が頬を伝って流れてきた。ニーナはそれを見られないようにして立ち上がり、夕食を取りに行くため屋敷に向かった。
◇
「ご馳走様。すごく美味しかったですよ」
優しく笑いかけるキールに対して、とても罪悪感を覚えた。彼は晩餐会の残り物だとは夢にも思っていないに違いない。
すると突然、ニーナは、あることをひらめいた。
「その、湯浴みができる場所があるんです。今から案内しますから、入ってみてはいかがですか?」
屋敷のすぐそばには天然の温泉が湧いているところがある。そこなら、アンジェリカも文句は言うまいとニーナは考えた。
「うん、いいねえ。早く行こうよ」
◇
温泉に案内すると、ニーナは少し離れた場所で待機することにした。そして、彼が温泉に入っている間、ニーナは脱いだものを回収し、その場に新しく着替えを用意しておいた。
待っている間、ニーナは自分がいつになく楽しい気持ちになっていることに気がついた。こんなことは久しぶりだった。
見た目はともかく、彼はとても好ましい男性だった。教養もあり話し方も柔らかく、そして、ちょっと少年の面影を残しているところも、彼女の心をくすぐっていた。何よりあの澄んだ藍色の瞳がとても印象的だった。
(一週間で帰ってしまうのね)
あまり浮かれるわけにはいかなかった。幸せであればあるほど、失った時の哀しみが深いことを彼女は知っていた。
(決して、好きになっちゃいけない。別れが辛いもの)
あくまで、仕事として対処していくのだ。そう彼女は心に決めた。
「あのー、僕の服がないんですけど」
「着替えはそこに置いてありますよ」
しばらく、ゴソゴソやってから、彼が近づいてきた。
「前の服の方が都合がいいんだけど。これじゃあちょっとまずいなあ」
振り向くと、そこにはキールがいた。少し濡れた金髪、滑らかな肌に彫りの深い整った顔立ち。間に合わせで用意した服も、背の高い彼にピッタリ合い、上品な顔立ちにとてもよく映えていた。
月明かりに照らされた彼の姿は、まるで古の神話に出てくる男神さまみたいで、息が止まりそうなくらいに美しかった。魅入られてしまって、身動きが取れない。ニーナは先ほどまでの決意が音を立てて崩れていくのを、もう止めることができなかった。