2 アレクセイ
「あーあ、いやになっちゃうわね。あの強欲ババア、いつもより鼻息荒いわ」
寝室でニーナと一緒にベッドメイキングを手伝っていたクリスティーナは手を止めて、ため息をついた。
「しゃべってばかりじゃなく、手を動かした方がいいわよ」
ニーナはちょっと困った顔で言った。
「どうせ、ここの仕事が終わっても、次の仕事を押し付けてくるんだから、たまったものじゃないわ」
完全に手を止めてしまったクリスティーナは、ニーナに構わずおしゃべりを続けていた。
「ねえ、ねえ、それより、アレクセイ様ってどんな人だと思う」
クリスティーナはメイドの中では1番の親友である。彼女はニーナと対等に接してくれる、とても気さくな人だった。
「さあ」
ニーナは関心なさげに答える。
「だってだって、国民皆から愛される第三王子様なんだよ。こんな機会は滅多にないじゃない。ちょっとだけでもお話ししたいとか思ってないの」
「私は仕事が忙しいから、そんな暇はないわ」
「まあまあ、そんなこと言って、本当は少し気になっているんじゃない?」
「気になっているのはクリスの方でしょ」
「う、バレたか」
「でも、王子様は女嫌いだっていう話よ」
「うーん、勿体無いなあ」
「まあ、私たちには関係ないことでしょ、そろそろ始めましょう」
「はいはい」
◇
王子アレクセイが到着したという報告を聞き、アンジェリカは急いで玄関まで向かった。
そこには、金色の長い髪をなびかせた、長身の男が立っていた。上品な黒い礼服に身を包み、青みがかった翠色の瞳が優しげに輝いていた。
「どうもわざわざ、こんなところまでいらしていただいて、誠にありがとうございます」
「お初にお目にかかります。これから一週間ほどお世話になります。僕が第三王子 アレクセイです」
(とても人が良さそうに見えるわ。王国中の娘が夢中になるほどのオーラは感じないけど)
アンジェリカは心の中でそう思った。
ふと視線を横に移すと、そこに、王子と同じくらいの背丈、小汚い農民のような格好をした青年が立っていた。服も泥だらけなら、顔も埃まみれで、髪もボサボサしている。
「あの、その方は」
「ああ、従者のキールだよ。彼のこともよろしく頼むね」
「他にもう従者の方はいらしていないんですか?」
「ああ、彼一人だ。彼にも部屋を用意してやってください」
アンジェリカは少しムッとした。あんな小汚い従者を連れてくるなんて。公爵家を舐めているのではないかと思ったからだ。彼はとてもじゃないが、綺麗に磨き上げた屋敷にあげていいような人物には見えない。
(本当にこの人たち大丈夫なのかしら)
王子の方まで怪しいように見えたが、観察している限りではそれほど問題あるようには見えなかった。しかし、この従者を屋敷にあげる気には到底なれなかった。
「ベロニカ、ここにきて」
「はい、奥様」
アンジェリカはベロニカに何事かをささやいた。ベロニカは従者キールの方を見ながら頷いていた。
◇
「はいはい、お二人さん、ここはもう終わりよ」
メイド長のベロニカさんが、ニーナたちが作業をしている寝室に入ってきた。
「寝室の用意はもう必要ないわ。お客さん、たった二人なんだもの」
「えっ、どういうことですか?」
「どうもこうもないわね。従者の方がたった一人なので、これ以上ベッドメイキングする必要はないってことよ」
「ねえねえ、ベロニカさん。アレクセイ様どうでした?」
クリスティーナは興味深そうに問いかけた。
「どうって言っても…… 噂ほどではないような。あっ、今の話は誰にも言わないでくださいよ」
「はい」
「そうそう、ニーナ様。一つ奥様から仕事を仰せつかっています。従者の方のお世話にするようにと。そして、その方には自分が令嬢であることは決して喋らないようにと言っておりました」
「何よそれ、あんまりじゃない」
クリスティーナがベロニカに食ってかかった。
「命令ですからしょうがないでしょう。それから、奥様はその方を馬小屋のそばの納屋で寝泊まりさせろと言っておりました。食事は晩餐会の残り物を使うこと、そして、できるだけ、屋敷の中には入れないようにと」
「どうしてそんなひどい扱いをしろと言っているんですか?」
「見ればわかりますよ。今、連れてきますので、待っていてください」
ベロニカはそそくさと寝室を出て行った。クリスティーナは少し憤った顔で言った。
「本当はあなただって、王子様に選ばれる権利があるのに」
「私には無理ですよ。こんな格好だし、化粧っ気もなくて見栄えも悪いし」
「何言ってるのよ。あんな性格悪い見てくれだけの二人なんて目じゃないわ」
ニーナは持ち物全てを強欲なアンジェリカに取り上げられていた。だから、着飾るどころか化粧すら全くできない。
「私は幸せになりたくないの。それが私の呪いだから」
ニーナは諦めた顔で寂しげにつぶやいた。
そのとき、ベロニカの声が外から聞こえてきた。
「ニーナ、早く来て。キールさんがいらしたわ」
ニーナは急いで外に出ていった。