魔王のペットにされたけど、気づいたら魔王が私のペットになってた
異世界に召喚され、私が最初に聞いた言葉は
「お前は今日から私のペットだ」
だった。黒く染まった玉座に腰掛け、威圧的な視線を向けてくるのは、魔王ヴァルター。絶世の美女としか言いようのない美しい姿に目を奪われてしまう。女性らしいくびれまである銀の髪をさらりと手で払い、ぼうっとしている私を視線で射抜いて、もう一度言った。
「……えっ?」
思わず間の抜けた声が出る。突然の出来事に頭が追いつかない。気づけば、私は広大な城の玉座の間に立たされ、目の前の魔王に「ペット」と宣言されていた。
「おい、聞こえなかったか? お前は私のものだ。今日からここで暮らすがいい」
威厳たっぷりの声が響く。左右には武装した魔族たちが並び、誰一人として疑問を抱いていない様子。いやいや、普通に疑問を持ってほしい。
「いやいや、どうして私がペットになるんですか?」
「召喚魔法でこの世界に来た異世界人は、強大な力を持つと聞く。ならば、お前は私の配下にふさわしいだろう?」
「いや、そんな力……」
と、言いかけたところで私は思い出した。私にはひとつだけ、特殊な能力があった。
「撫でると相手が絶対服従する」
この能力、もともとは私の家で飼っていた猫をしつけるために身につけたスキルだ。いや、厳密には「撫でると猫がめちゃくちゃ懐く」というだけだったのだが……。異世界に来たせいで、効果が強化された可能性がある。
彼女はどうも狼っぽさがあるし。
「……もしかして、いける?」
私は、試しに魔王ヴァルターの黒い外套に手を伸ばした。
「なっ……貴様、何を――」
その瞬間、ヴァルターの体がビクンと震えた。
私はためらわずに、彼女の頭にそっと手を乗せる。そして、優しく撫でる。
「~~~ッ!?!?」
ヴァルターの全身がびくびくと震え、耳まで真っ赤になった。
「お、おい……やめ……いや、だめだ……」
「ん? 気持ちいい?」
「…………」
魔王は沈黙した。そして、気づけば彼女はトロンとした目で私を見上げていた。
「……もっと……」
えっ。
「な、何を言って……?」
「もっと、撫でろ」
私の手を掴み、自ら頭をぐりぐりと押し付けてくる魔王ヴァルター。あの冷酷そうな魔王が、甘えるように私の手を求めてくる。
周囲の魔族たちも、驚愕の表情を浮かべている。
「ま、魔王様……?」
「ま、まさか、服従の呪いを……!?」
「違う! これは……ただの……うぐっ……もっと……」
魔王が玉座にもたれ、私の手を離そうとしない。彼女の銀色の尻尾は千切れんばかりに振られている。その様子は、完全に「撫でられて喜ぶ大型犬」だった。
「やば……」
何がやばいって、魔王が完全に私に懐いてしまったことだ。
それから数日後。
私は魔王城の中で、一番贅沢な部屋を与えられ、自由気ままな生活を送っていた。
「リリア、起きろ」
「うー……あと五分……」
「だめだ。朝の撫でを要求する」
「……犬か」
朝、目を覚ますと、ヴァルターがベッドの横に正座して待っている。もうすっかり懐いてしまったらしく、私を起こすのが日課になったらしい。
「ほら、撫でろ。昨日は三回しか撫でてくれなかっただろう?」
「はいはい……」
仕方なく、彼女の髪を撫でる。すると、ヴァルターは目を細めて喉を鳴らした。
「……ん……」
「……」
これ、どっちがペットなんだろう?
一方、その様子を見ていた魔王軍の幹部たちは、静かに会議を開いていた。
「このままでは……魔王様が完全に飼いならされてしまう……」
「一体どうすれば……」
「いっそ、リリア殿を魔王に据えるべきでは?」
「いや、もう実質そうなっているようなものだ……」
かつて恐怖の象徴だった魔王ヴァルター。だが今や彼女は、リリアに撫でられないと機嫌が悪くなる「忠犬」と化していた。
そして、それに気づいているのは魔王軍だけではなかった。
「勇者よ! 魔王の様子がおかしいのだ! 一体何があったのだ?!」
人間の国の王が困惑の表情で勇者たちに問いかける。
魔王討伐のために集まった勇者たちもまた、異変を感じていた。
「魔王が……丸くなった?」
「最近、攻めてこないどころか、魔王自ら人間界に贈り物を送ってくるらしい」
「あの傲慢な魔王に何があったんだ……!?」
戦場ではなく、和解へと向かう世界。かつて憎しみあっていた魔族と人間が、少しずつ歩み寄り始めていた。
すべての始まりは――
「リリア! そろそろ撫でる時間ではないか!?」
「ちょっと待って、今お茶淹れてるから!」
魔王ヴァルターが、すっかりリリアのペットになってしまったことだった。