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3. 故郷

「リーフ、リーフ! いる?」

 早朝、わずかに光を感じ始めた頃、リーフは自分を呼ぶ声で目を覚ました。

「エリサ?」

 そう言ってリーフが起き上がると、近くの木にのぼり、周りの様子を探った。そして二人の影を見つけたリーフはそれに目掛けて跳躍した。

「わああ!」

 目の前に現れたリーフを見て、エリサは大声を上げながらひっくり返った。

「エリサ、声が大きいよ」

 後ろからハンスも現れた。なぜだかいつもより荷物が多かった。

「いや、幽霊が現れたのかと……」

 エリサは胸に手を置きながら立ち上がった。

「俺は幽霊じゃないぞ」

「いや、そういうことじゃなくて……」

「それより、何なんだこんな時間に」

「えーと、説明するとちょっと長くなるんだけど、実は、私たちの村の近くでちょっとした小競り合いがあって、もうそれはとっくの昔に終わってるんだけど、そのせいで今、村の人たちが神経質になってるのね? それで、この森の中で大規模な見回りが行われることになったの」

 「小競り合い」というのは、エリサの考えた嘘であった。実際は、事件の日、リーフが北の森の方へ去って行ったという村人たちの目撃情報から、森の中の大捜索が行われることになったのだ。エリサたちは自宅に戻った後、両親からこのことを知らされた。

「そんな状態であなたがみんなに見つかったら、誤解されて追い出されるかもしれないでしょ? そうなったら、話を聞けなくなっちゃうじゃない。だから、それを何とかするために村をこっそり抜け出してきたの」

「話が聞けなくなる、か。お前も懲りない奴だな」

 リーフが呟くように言った。

「協力、してくれる?」

「それは構わん。で、何をすればいい?」

「今身につけているものを脱いで、これを着てくれ」

 ハンスがリーフに衣服を手渡した。

「これは?」

「俺のお古だ。君にはエリサの家に隠れてもらう」

「なるほど、村人に扮するわけだな」

「そういうこと。体に血はついてないよね?」

「ああ、池で流した」

「じゃあすぐ着替えて」

 リーフは服を手際よく着替えた。

「大きさは大丈夫か?」

「少し緩いが、まあ問題ない」

「あとこれ被って」

 エリサは円錐状で天辺に毛玉のついたニット帽を渡した。

「顔の輪郭が隠れれば、リーフが余所者だってことが多少バレにくくなると思う」

 リーフは言われた通りに帽子を被った。リーフの服と持ち物は持参した袋にまとめて入れ、3人は村へ向かった。村の中には見張りがちらほら見られたが、暗闇のおかげで無事にエリサの家へ辿り着くことができた。

「ハンス、ありがとう。それじゃ」

「ああ」

 ハンスと別れると、エリサとリーフは抜け穴を使って、エリサの自室に入った。

「ここから屋根裏に上がって」

 エリサはハシゴを指差した。リーフはそこから天井の蓋を開け、屋根裏に上がった。中は空気が澱んでいて、埃っぽかったが、過ごすには十分な広さだった。しかも、寝台まで置いてあった。

「ずいぶん用意がいいな」

「私が生まれる前、ここに村の外から来た人を泊めてたみたい。今の宿屋ができてから、使わなくなったみたいだけどね。リーフの持ち物もここに置いておけばいいと思う。それじゃあ、とりあえず、夜が明けきるまではここにいてね」

 エリサがそう言って自室に戻ると、リーフは寝台の上に寝転がり、眠りについた。


 夜が明けると、エリサとハンスは大捜索の支度を手伝うことになった。リーフに食事を持っていくついでにそのことを伝えると、エリサは自分の持ち場に向かった。

 休憩時間中に、ハンスがやってきた。

「やあ、昨日はあの後大丈夫だった?」

 エリサは少し声を抑えて尋ねた。

「窓を潜る時に少し頭ぶつけたのと、少し眠いことくらいかな。まあ、どっちも大したことじゃないね」

 ハンスはそういって欠伸をした。

「リーフの様子はどう?」

 ハンスが尋ねた。

「大人しくしてるよ。今朝も寝台のうえでゴロゴロしてた」

 ハンスは周りの様子を見た。武器を持った山賊たちが数人、遠くで見回りをしていた。

「今日から門限、早くなるらしいね」

 ハンスが言った。

「うん、先に手を打ててよかった」

「それにしても、思い切った事を考えたよね。リーフをこっちに連れてくるなんて」

「あの事件の時は夜だったし、リーフの顔をよく見られた人はほとんどいなかったと思う。だから、服さえ変えればまずバレないはず」

「俺はリーフに山賊のことがバレないか心配だよ」

 広場の死体は既に無くなっていたが、それがあった場所にはまだ赤い染みがうっすらと残っていた。耳を澄ますと、その周りにいる人たちは、皆あの夜のことを話題にしているようだった。

「……広場にはリーフを近づけない方がいいかもね」


 午後になると、村のほとんどの大人たちは森の大捜索へ向かった。エリサとハンスはリーフの話を聞くために集まったが、家にはまだエリサの母がいるので、リーフを連れて村の裏路地に向かうことにした。

「大丈夫、だよね?」

 ハンスは周りをキョロキョロしながら歩いた。

「ハンス、そんなに顔を動かすな。目立つぞ」

 リーフが言った。

「いやでも……」

「大丈夫だ。さっき用を足しに外を出歩いたが、問題なかった」

「外出たの!?」

「無論、人目は可能な限り避けた。抜かりはない」

「まあ、でも、それならちょっと安心かもね」

「ところで、あの武器を持った奴らは村の警備をしているのか?」

 リーフは遠くにいた山賊を見て尋ねた。

「う、うん、そうなの」

 エリサやハンスのようなこの村に住み慣れた人たちは、雰囲気で大体山賊と村人たちの違いが分かったが、リーフにはまだ分からないようだった。

「ここら辺でいいかな」

 3人は無事に目的の裏路地に辿り着いた。大捜索中のせいか、ほとんど人気が無かった。リーフは近くにあった木箱に腰掛けた。

「今日話すことなら実はもう考えてある。今朝、エリサが俺を幽霊呼ばわりしただろう?」

「え、もしかして気にしてた?」

「いや、あの時ふと思い出してね。俺は幽霊を見たことがあるんだ」

「幽霊を!?」

「聞きたいか?」

 エリサとハンスは首を縦にブンブンと振った。堅物な印象だったリーフがこんなことを言い出すのが意外で、興味が湧いたのだ。それを見て、リーフは話を始めた。

「これは俺がキルシュ団に入る前、第二の故郷のアッピ村にいた時のことだ。青葉が茂る気持ちいい朝の森で、俺とギンは木苺を採っていたんだ。その日は面白いくらい実を採ることができて、夢中で採り続けたら、知らないうちに森の深いところまで入り込んでた。その時、ギンが何かに向かって唸っていることに気づいたんだ。だから、ギンが見ていた方を見上げると……」

「見上げる……と?」

 エリサたちは無意識に顔を近づけていた。

「真っ赤な髪の女性が、横になって浮いていた。始めは、ロープか何かを張って横になっているのかと思ったが、何度探してもそんなものは見えなくて、目がおかしくなったのかと思った。結局俺は、手品を見破るのを諦めて、声をかけることにした。3回くらい叫んで、やっとこちらを向いてくれた。そしてすごい早口で色々問い詰められたよ。最初は何を言ってるのかもわからなかったけど、そのうち『私のことが見えるのか』とか『何をしに来たんだ』とか『その木苺美味しそうだね』とか脈絡のない内容を話されているということが何となくわかってきた」

「何か、私の思う幽霊とちょっと違うかも……」

「30回くらい相槌打ったらようやくバテてくれて、詳しいことを聴くことができた。彼女の名前はソーナと言って、戦士だったらしい。大昔の戦いに敗れて命を落として、気がついたら幽霊になってたそうだ。話し相手を見つけたことに喜んでたみたいだったから、村の友達を呼んであげようとしたら、『祟り殺すぞ』って何故か言われた。

 ……後になって分かったんだが、彼女と話できるのは俺だけみたいだったんだ。通りがかる村人に何度話しかけても、その声は届かなくて、悲しい思いをしたらしい。そのうち無視され続けているように感じるから、近くに人が来るのが嫌になったって言ってた。動物たちは気配を感じる程度で、撫でようとしても手がすり抜けるし、移動しようとしても少しの間しかその場を離れることもできないしで、次第に彼女は意欲を失っていって、毎日ただ森の中を漂うだけになっていたみたいだ」

「かわいそう……」

「俺もアッピ村に流れ着いたばかりの頃は、村の人たちから冷たい目で見られることがあった。だから、相手にしてもらえない悲しさは、よく分かる気がした。だから、その日から、できるだけソーナに会いにいくことにしたんだ。彼女は色々な話をしてくれた。戦争のこととか、『果ての壁』のこととか……」

「果ての壁?」

「確か、世界の果てにある巨大な山脈だって言ってたな。彼女の話は聞いたことないものばかりで、とても面白かったよ。それに、歌を歌ってくれたこともあった。とても澄んだ、綺麗な声だった。あの時は、世界が何倍も美しく感じることができた」

「その、興を削ぐようで悪いんだけど……」

 ハンスは口を挟んでこう言った。

「この話って、リーフの作り話じゃないんだよね? あるいは夢の中の話とか。 あまりに現実味がなさすぎて……」

「まぁ、そう思うのも無理はないな。俺自身がこの記憶を疑うくらいだ。でも、この話は紛れもない真実だ。何故なら、ソーナがいなかったら、俺はここにいないからだ」

「どういう意味?」

「ある時、ソーナが慌てた様子で俺に知らせてきたんだ。もうすぐ火山が噴火して、村が火に飲み込まれるって。何でソーナがそれを知ってたかは分からなかったが、彼女は、俺よりずっと物知りだったから、俺は彼女の言葉を信じた。

 ……俺とギンは、ソーナに噴火から逃れられそうな場所を聴いて、村の人たちを誘導しようとした。でもまあ、当然だけど、ほとんどの人は俺の言葉を信じなかった。だから結局、村の宝を片っ端から盗んで、そのまま避難場所に逃げたら、みんな追いかけてきてくれた」

「よく一人でそんなことできたね」

「いや、正確には面白半分で俺に付き合ってくれた奴らが何人か居たよ。……とまあ、そんな感じで上手くいきそうだったんだが、火山が噴火した時、地面が揺れて、ギンが崖から落ちてしまったんだ。俺はすぐに追いかけてギンのところへ行ったんだが、あっという間に避難場所への道を火で塞がれて、戻れなくなった」

「え!? じゃあどうやって……」

「ソーナが、来てくれたんだ。俺は彼女が示した場所の地面を掘って、中から出てきたペンダントを身につけた。それから彼女に導かれて、何の変哲もない場所に着いたんだが、彼女は『これで炎から逃げられる』と言った。そして、『ここでお別れだ』とも。

 ……ソーナは、俺とギンのこと、褒めてくれたよ。そして『人としての幸せを思い出させてくれてありがとう』って言って、俺のこと抱きしめた。抱きしめるふりしかできなかったけど、そうすると人の温もりを少し思い出せるんだって言っていた。そうしていたら、急にペンダントが輝き出して……俺とギンは見知らぬ土地にいた。ペンダントは無くなっていたし、ソーナも、村のみんなも、どこにもいなかった。俺はそこでやっと、ソーナの言っていた『お別れ』の意味を理解して、胸が苦しくなった。この後に流れ着いたのが、お前らも知っている、ワーゼル市だ」

 話の余韻に浸った後、エリサはこうリーフに声をかけた

「ソーナにまた会いたい?」

「会えるなら、な」

「会えるよ」

「え?」

「生き続けてれば、ね? 生きていれば、可能性はなくならない。生きるって、そういうことだと思う」

「……どうだろうな」

 リーフは、遙かな空を見上げ、遠い故郷に思いを馳せているようだった。

「もしかすると、あれも幽霊の仕業だったかもしれないな」

 リーフが独り言のように言った。

「何のこと?」

「父さんと母さんが死んだ日のことだ」

 その言葉で、エリサとハンスは寒気を感じたが、リーフは話を続けた。

「あの時のことは断片的にしか思い出せないが……雨風が強い夜、目を覚ましたら、父さんと母さんが瓦礫に潰されて、血を流してた。そして突然閃光と轟音に包まれて——まるで雷みたいな。そうして気がついたら、俺の村が消えていた」

「村が消えた!?」

「その時の俺はそう思ったが、もしかしたら俺は、噴火から逃げた時みたいに、どこかに飛ばされたのかもしれない。……その後、俺は一人で食べ物を取ることもできなくて、力尽きて倒れたんだが……その後運良く、狩りに出ていたアッピ村の人に拾われたんだ」

「それが、リーフが故郷を失った経緯?」

 ハンスが尋ねた。

「ああ」

「でも、一瞬で消えたって……そんなのあまりにも、現実味がないって言うか、理不尽って言うか……」

「理不尽、か。確かに当時の俺にとって受け入れ難いものではあった。だが、アッピ村で起きた噴火のように、災難に道理なんて無い。いつ誰にだって起こりうるものだ。だからあの日の出来事は、むしろ、未熟な俺が招いた必然とさえ思える」

 エリサとハンスは、かける言葉が見つからなかった。エリサは、周りの、村の中の景色を眺めた。見慣れた景色に、見慣れた人たち。それらを一瞬で失ったら、自分は正気を保てるだろうか、と、彼女は思った。

「まだ話を聞きたいよな?」

 エリサとハンスは頷いた。

「もう話すべきことが少なくなってきた気がする。今度は……俺が初めて戦場で戦った時のことを話そう」

「戦場?」

「領主たちの土地の奪い合いで起こる戦いだ。今までの任務とは違って、何千人もの人々がぶつかり合うものだった。出立の前の日、シュラーが俺を訪ねてやってきた」

「シュラー? 誰?」

「俺が傭兵になる前に世話になった人だ。俺が彼と初めて出会ったのは、食べ物を探して、彼の家に忍び込んだ時のことだった。俺は彼にうっかり出会して、捕まってしまったんだが、その時シュラーは『俺の子分になれ』って言ってきた」

「どういうこと?」

「シュラーは鍛冶屋の弟子だったんだが、ろくに剣を作らせてもらえなかったから、自力で鍛冶場を作ろうとしてたんだ。それで、人手が欲しかったらしい。それで俺に寝床と食べ物をくれるというから、俺は喜んで子分になったよ。俺は彼の指示通り資材を盗んできたり、森から不思議に輝く鉱石を持ってきたりして彼の役に立った。

 ……だけど、もうすぐ鍛冶場が完成するって時にいきなり賊がやってきて、何もかも奪われそうになった。どうやら、鍛冶場を奪って、武器を手に入れて、色々悪さしようとしてたみたいだ。でも、その時はキルシュ団が騒ぎを聞きつけてやってきてくれて、俺たちは助かった。でも、その時の騒ぎが原因でシュラーが隠れて鍛冶場を作っていたことがバレて、俺は彼のところに居られなくなった。俺がキルシュ団に入ることを決めたのはその後だ」

「前に、ワーゼル市に入ったばかりの頃も色々あったって言ってたけど、そんなことがあったんだね」

「そのシュラーが久しぶりに会いにきて、何かと思ったら、俺に剣を持ってきてくれたんだ。その時の彼は、もう腕前を師匠に認められて、自分の剣を作れるようになっていた。それで、以前俺が見つけた不思議な鉱石を使って剣を作ったんだ。完成までかなり苦労したそうだが、重くて、鋭くて、何より、何人斬っても切れ味が落ちない、素晴らしい剣だった。今エリサの屋根裏に置いてあるあれがそうだ」

 エリサはその青白く輝く刀身を思い出した。

「剣をもらった後、ちょうどフリッツが近くにいたから、シュラーに紹介した。色々助けてもらったことを教えたら、『リーフのことよろしくお願いします』って頭下げてた。フリッツは、まあ、いつも通りそっけない態度だったな」

「シュラーって人、そこまでリーフに気を掛けてたんだね」

「シュラーに応援された俺は、その後初陣へと出発した。そこからは、町の任務よりも単純な流れだった。命令された通りの場所へ行って、戦う。ただ、傭兵が戦う場所は常に最前線だった。領主としては、金を払った分働かせたいだろうから、それは当然のことだった。その頃の俺は剣の腕に多少自信をつけていたが、それでも、荒野に両軍が並んだ時には少し圧倒された。あれだけの人数を一箇所に見るのは、あれが初めてだった。俺はレヒルとフリッツを含む5人の小隊で行動することになっていた。レヒルとフリッツは開戦直前も落ち着いていた。特にアベントロートのレヒルがそばにいたのは、とても心強かった」

「前にも聞いた気がするけど、そのアベントロートって何なの?」

「キルシュ団の中でも特に武功を立てた精鋭のことだ。赤い外套をその証として身につけていた。アベントロート1人は100人の戦力に相当すると言われていて、その言葉に何の誇張も無いことを、実際に彼らの働きを目の当たりにした俺は知っていた。彼らに仲間入りすることが、傭兵になったばかりの俺の目標だった」

「そんな人がリーフの部隊に加わるなんて、随分面倒見がいいね」

「キルシュ団は若い新人をなるべく死なせない方針をとっていた。俺に対して厳しい訓練を行ったことや、比較的簡単と思われた任務から参加させたことは、全てこの方針に基づくものだった。戦場でも同様に、新人にはなるべくアベントロートや、それに近しい熟練の傭兵の支援を与えるように人員を配置していた。こうした新人への徹底した支援のおかげで、キルシュ団は練度の高い傭兵を確保できて、世界最強の傭兵団と言われるまでになったらしい」

「仲間を大事にしてたんだね。なんかかっこいい」

「攻撃の合図の銅鑼が鳴ると、俺たちは雄叫びをあげながら突撃した。それを見た敵軍も、同じようにこちらに向かってきた。両軍がぶつかると同時に、金属のぶつかり合う音が響き始めた。その音の数があまりにも多すぎて、ある種の嵐の中にいるみたいだった。俺は始め、戦場の熱に浮かされて、ひたすら相手を斬りまくった。多少深入りしてしまっても、フリッツが支援してくれたから何とかなった。それにレヒルは戦いながら周りをよく見ていて、攻めるべき場所とタイミングを的確に支持してくれたから、俺は存分に戦うことができた。ある程度戦場の空気に慣れると、俺はあることに気づいた。相手が弱すぎたんだ。そう感じた理由はすぐにわかった。彼らはろくに武器を扱えていなかったんだ。傭兵になりたての俺を思い出す、どう見ても素人の動きだった。前にフリッツの言った、『訓練できるだけまだマシ』という言葉の意味を俺はその時実感した」

「それで、どうしたの?」

「別にどうもしないさ。戦場はそんなに甘くない。少しでも隙を見せれば、仲間も自分も、一瞬で命を刈り取られる。向こうもこちらを殺す気で来ているのだから、文句は言えないだろう?」

(その人たちは、自ら望んで戦場に立ったの? リーフはそのことを考えなかったのかな)

「やがて、戦いの決着がついた。俺たちの圧勝だった。俺は生き残れたことに心底安心したけど、素直に勝利を喜べなかった」

「どうして?」

「俺がよく知る友達が、その戦いで死んでしまったからだ」

「その友達って……」

「そいつの名はデルベ。訓練中に俺と一緒に教官に殴りかかったやつだ」

「それって、家族のために傭兵になったって人? そんな……」

「戦いの中のある時、味方の一人が敵の鉤爪にかかって、敵の軍勢の中に引き込まれたんだ」

「鉤爪? そんなの戦場で使うの?」

「戦場では意外といろんな道具が使われる。金槌で相手の盾を割ったり、網を相手の鎧に引っ掛けて馬から引き摺り下ろしたりな。俺はそれらの道具が扱えるように一通り訓練を受けた。そして、それら全てに対する対処法も教えられた。

 ……だがその時デルベは無謀にもその味方を追って敵の軍勢の中に突っ込んで、あっという間に敵に囲まれた。そして、何度も敵に刺されて死んでしまった。俺はたまたま近くにいて、これを目撃したんだが、あまりに一瞬の出来事で、どうすることもできなかった。

 ……戦いが終わって、本拠地に戻った後、デルベの両親がやって来て、デルベの遺体を見せてもらっていた。遺体を運よく回収できたとはいえ、状態は悲惨だった。それでも彼らは、デルベの最期の姿を目に焼き付けているようだった。俺はなんだかやりきれなくて、ギンと一緒にワーゼル市を一望できる場所で、無為に景色を眺めていた。そうしていたら、フリッツがやってきて……」



「おいリーフ、やっぱりここにいたか。お前に招集がかかってるぞ。すぐ来い」

「ねえフリッツ、フリッツは死ぬの、怖い?」

「お前またいらんこと考えてるな?」

 フリッツは額で手を押さえながらため息をついた。

「答えてよ」

「んなもん誰だって嫌だろ」

「そうなんだ、意外。俺、自分が強くなったら怖く無くなるのかなって思ってたけど、そうだよね、やっぱり死ぬのは誰だって怖いよね……でもさ、俺、前住んでた村で、いろんな人が死ぬの見てきた。苦しそうな人もいたけど、笑って最後を迎える人もいたんだ。イケニエってのに選ばれた人も、泣いてる俺を見て、何故か笑ってた。どうしてあの人たちは笑ってられたの? キルシュ団もそう。みんな、仲間が死ぬと『立派な死に様だった』って言うけど、立派な死って何? 死は嫌なものでしょ?」

「………」

「デルベは、デルベは、なんで仲間を助けようとしたの? もうほとんど手遅れだったのに! デルベは俺より強かった。あんなことしなければ、生きてたはずなんだ……」

「……死っていうのは誰にも避けられないものだ。だから、どうにかして良い方に解釈しようとする奴らがいるんだろうさ。……デルベのことに関しては、俺に言わせてみれば、生きる意志が足りなかったんだよ」

「生きる意志?」

「何があっても、どんなに惨めでも、生き続けてやるって思う心だ。その点で、あいつはお前より弱かったんだよ」

「デルベは……弱かった? 本当に?」

 リーフは再び街を眺めた。

「……」

 フリッツが静かなことに気づいて、リーフが振り返ると、彼がペンダントを眺めていることに気づいた。

「それ何?」

「うるさい。いいからさっさと来い」

 フリッツはペンダントを懐にしまいながら言った。



「それから俺は、何度も戦場で戦って、着実に戦果を挙げていった。その頃になると、相手の姿が訓練で使うデク人形と重なって、どう剣をふれば殺せるのか、一目でわかるようになっていった。そしてある時、俺はいつも通り戦場へ向かった。だけど今回は何だか雰囲気が違った。まず、俺は団長と行動を共にするように言われた。そんなことはこれが初めてだった」

「団長? 初めて話に出てきたね」

「ヴァール団長。キルシュ団で一番偉くて、一番強い人だ。敵将を騎馬ごと吹き飛ばして討ち取ったこともあった」

「ひえ〜、世界最強の傭兵団の、そのまた最強の人物か……」

「そして俺たちは戦場に着いたんだが、そこには敵軍が見当たらなかったんだ。代わりに村があった。そこで俺は団長から事情を知らされたんだ。それによると、その村で反乱が起きたとのことだった。だが、もう反乱部隊はすでに領主の直属の部隊に倒されていた」

「だったらリーフは何のために……?」

「俺たちに命じられたのは残った村人の鏖殺、皆殺しだ」

 その言葉を聴いて、エリサも、ハンスも、口を開けて固まってしまった。

「村に残っていたのは、戦いに参加しなかった連中、女や子供ばかりだった」

「な、何でそんなこと……」

「『敵は悉く切るべし』」

 それを聞いた瞬間、エリサの脳裏にあの日の光景がよぎり、体が震えた。

「反乱部隊を力で黙らせた時点で、村人たちの心には怨念が生まれた。その恨みを断つには斬るしかない。俺はそう言われたよ。こういった、いわゆる汚れ仕事が、傭兵にはよく回ってきた。今回の仕事に乗り気だった人は、キルシュ団にもほとんどいなかったと思うけど、やらなければいけなかった。俺たちは動きを察知される前に村を包囲して、静かに乗り込んでいった。そして火を放って、炙り出して、確実に処理していった。白旗を掲げる子供たちもいたが、まあ無駄なことだったよ」

「白旗?」

「降参の合図だ」

 ハンスが説明した。リーフは話を続けた。

「俺はなぜか団長から、村の側で待機するよう命じられていた。言われた通りに待っていると、団長が、捕まえた村の男児を俺の前に持って来た」

 エリサは嫌な予感を感じて、思わず顔を顰めた。

「団長は俺にその子を斬れと言ってきた。団長の意図はよくわからなかったけど、俺を試そうとしているみたいだった。男児は団長の手から離れても、その場にうずくまるばかりで、生きる意志を失っているようだった。どう剣を振るっても、殺せそうだった。でも俺はその気が起きなかった。その子がアッピ村での友達や、シュラーとかと、何故か重なって、すぐに剣を振れなかった。

 ……その時、団長からの冷ややかな視線を感じたんだ。失望の視線。アッピ村や、キルシュ団に入ったばかりの頃によく浴びた視線。……俺はもう強くなっていた。あの頃には戻りたくなかった。だから、俺は平然を装って、男児の首を斬り落とした。……それを見届けた団長は、ただ『よくやった』と言って、仕事に戻っていった。そのあとの事は、全部団長と仲間たちがやってくれた。

 ……本拠地に戻ってからまもなく、俺はアベントロートに任命されることに決まった。その噂を聞いた人たちは、みんな俺を祝ってくれた。でも俺は、ずっと憧れていたあの赤い外套が、その頃は少しくすんで見えて、それで、団長に、『受け取れません』って言ってしまったんだ。……それを聞いた団長は俺にこう言った。『あの外套は褒美として渡すものじゃない。あれは栄誉ではなく、力を持つ者の責任を示すものだ。お前は既にそれに見合うだけの力を身につけた。辞退は許さない』と。団長にそこまで言われたら、もう退けなかった。結局俺は、式典で外套を受け取った。そしてその夜……」



 リーフはまたギンと共にワーゼル市を見下ろせる場所へやって来ていた。そこで、式典で身につけた赤いケープを外して、しばらく手元でそれを眺めた。そうしていると、背後に気配を感じた。

「フリッツ……?」

 リーフの予想通り、フリッツが来ていた。彼も赤いケープを身につけていた。

「おめでとう」

 リーフが彼のケープを見て言った。

「お前は嬉しくなさそうだな」

 リーフはワーゼルの街を眺めた。ほのかに灯りが見える程度で、周りには広い闇が広がっていた。

「あの街もこうして見ると、とてもちっぽけに見えるよね。でも、あの街を守るのが、俺の精一杯だった」

「………」

「俺さ、実は、生きるのがずっと辛かったんだ。自分が食べるために、何かを狩らなきゃいけなかった。街を守るために、誰かを斬らなきゃいけなかった。そして俺は、俺の仲間と何ら変わらない、普通の人たちも、斬らなきゃいけないことを知った。生きるために、誰かを犠牲にしないといけない。こんな世界おかしいってずっと思ってた。でも、やっと分かった。おかしいのは自分だったんだ。みんなを守るなんて、都合が良すぎたんだ。

 ……だから、もう俺は迷わない。俺はワーゼルの街と、キルシュ団の仲間のためだけに戦う。仲間を脅かす敵は、『敵は悉く斬る』。俺はそれを、この外套に誓う!」

 リーフが腕を天へ突き上げると、赤い衣が夜空に広がり、星々を赤く染めた。そして、リーフはそれを首に回し、強くその身に結びつけた。

「……フリッツ?」

 フリッツはいつの間にかその場を立ち去っていた。



「……こうして色々話してみると、昔の俺は本当に未熟だったな。ちょっとしたことですぐ立ち止まって、悩んで」

 エリサは奥歯を噛み締めて涙を堪えていた。それに気づいたハンスは代わりに声をかけた。

「俺たちからしたら、どれもとんでもない経験だよ」

「……お前らは幸運だな」

 エリサとハンスはそれを聴いて思わず俯いてしまった。それを見たリーフは話を続けた。

「別にそのことを恥じる必要はないさ。俺のような経験を、お前らにもして欲しいとは思わない。俺が守る人々が、争いと無縁の世界で平和に暮らす。それこそが俺の願いだ」

「リーフ……」

「さて、時間は大丈夫か?」

「あ、そろそろまずいかも、今日はもう帰ろっか」

 3人はエリサの家へ向かった。家の前まで着いた時、中からエリサの母親が現れた。

「あらエリサ、おかえり。ハンス君と一緒だったのね。あら? その子は誰?」

(まずい、そういえば母さんはリーフを近くで見ていたはず……!)

「変ねぇ。村の外から来る人は大体宿屋に寄るから、私が見てないはずがないんだけど……」

 服のおかげで正体はバレていないようだったが、よくない流れだった。

「え、えっと……」

 エリサもハンスも、この場を切り抜ける言い訳が思いつかなかった。その時、リーフが静かに一歩前へ進み出た。

(リーフ、一体何を……?)

「……おばさん、はじめまして。ボクはグユンといいます。」

 リーフは、高く、焦ったいほどゆっくりな口調で話し始めた。子供のふりをしようとしているようだった。エリサとハンスは悲鳴をあげそうになったが、リーフは話し続けた。

「エリサねーちゃんがボクをひろってくれて、こっそりこの村にすまわせてもらってました」

「まあ、そうだったの?」

「う、うんそうなの! 4日くらい前かな? に、行き倒れてたのを見つけて」

「かくれててごめんなさい。でもボク、父さんも母さんもいなくて、もうここしかいるところがなくて……おねがいします。ボクを追い出さないでください!」

 リーフは涙声で話し、頭を下げた——涙は出る気配がなかったが

「大丈夫よ。誰もあなたを追い出したりなんかしないわ」

 エリサの母親はかがんでリーフにそう言った。

「でも、どうして今まで黙っていたの? 相談してくれれば、宿屋の方で引き取ったのに」

「……」

 リーフはエリサの近くへ寄り、服を掴んだ。

「え!? えーと、この子、過去にえげつない経験していて、私たち以外の人は怖がっちゃうのよ。それに、最近色々あって村中バタバタしてたし……あの、だから、父さんとか、村の他のみんなには秘密にしてもらえないかな……?」

「うーん、父さんなら分かってくれると思うけど……ははーん、さてはエリサ、その子が可愛くて自分で守りたくなっちゃったのね?」

「いや、そんなことは……」

「私に似たのかしらねぇ。いいわ。秘密にしといたげる」

「あ、ありがとうございます!」

 リーフは頭を下げた。

「ふふ、気にしなくていいのよ」

「あの、俺の親にも秘密にしてもらえると……」

「分かってるわ、大丈夫。ハンス君はエリサのわがままに付き合ってくれてたのね。申し訳なかったわねぇ」

「い、いえ、自分が望んだことですので」

「あ、いけない。私宿屋に忘れ物があるんだった。エリサ、いつもの夕ご飯の支度進めておいて。それじゃ」

 エリサの母親は宿屋へ走り去っていった。

「……何とか誤魔化せた、のか?」

 エリサとハンスは胸を撫でおろした。

「……リーフ、あんなこともできるんだね」

「任務で敵を欺くためによくやらされてな。これも訓練の賜物だよ」

 3人はそれぞれの自宅へと戻った。

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