2. 家族
昼になると、エリサの両親が自宅に戻ってきた。両親の話によると、集会所での会議にはハンスの話の通り、山賊側の人間が来ていたようだ。しかし、リーフの身元が一切不明であることや、人々が混乱から醒め切っていないこともあり、話し合いがなかなか進まないらしい。両親はこの後も会議へ行くとのことだった。エリサは再びリーフに会いに行くことにした。ハンスの家へ行くと、彼もそのつもりだったらしく、すぐに中から出てきた。
「会議のこと、聞いた?」
リーフのところへ向かう道中、ハンスがエリサに声をかけた。
「うん、あまり進んでないって聞いた。今のこの村の状況が一番分かってるの、私たちかもね」
「このことを隠してるの、少し罪悪感を感じたよ。まあ、話したら大変な事になるだろうし、絶対言えないけど……それはそうと、エリサに聞きたいことがあるんだ」
「え、何?」
「こんな時に聞くのはどうかと思うけど、やっぱり確認しておきたい。エリサはリーフと『あの人』を……」
「ちょっと待って、リーフ?」
リーフを見つけたエリサはハンスの質問を忘れてしまった。なぜならリーフが剣の刃を自分の喉元にむけていたからだ。
「ダメダメダメ! ストップ! ストーーップ!」
エリサは大声を上げながらリーフの元へ走った。その声に気づいたリーフは剣を下ろした。リーフの元へたどり着いたエリサは呼吸を整えた。ハンスも後から追いついた。
「自殺はやめて、絶対やめて!」
「お前らまた来たのか。別に俺がどうなろうがお前らには関係ないだろ」
リーフは平然な顔をして言った。
「関係ないわけない!」
「なぜそう言える?」
「なぜって……」
エリサは、説明しなければならない事に戸惑いを感じたが、リーフのそばに座って話を始めた。
「そうだね……私、小さい頃、この森に一人で住み着いてたある人と友達になったの。戦いから逃げてきてここにやってきたみたい。その人はとても優しくて、器用で、おもちゃをたくさん作ってくれて、大好きだった。私が家からなかなか外に出してもらえないことを相談すると、抜け穴も作ってくれた。私はそのお礼に森の中の私のお気に入りの場所を教えてあげたの。
……でも、村の人たちがあの人のことを知ると、あの人を追い出すために、森に人を集め始めた。それを止めるために私も森に入って行ったら……あの人が血を流して倒れてた。どうやら、村の人が見つけた時には既にそうなってたみたいで……つまり自殺だったの」
リーフは森の奥を眺めながら聞いていた。
「私、悲しかった。もう一生、あの人に会えないと思うと、悲しくて仕方なかった。それに、それ以上に悔しかったの。あの人がいなくなる前、少し辛そうにしていることがあった。『私は悪いことをたくさんしてしまったんだ』って言ってた。あの人の心の傷に、あの時少しでも気づけていたら……そう思った」
「エリサ……」
ハンスが心配そうに見つめた。
「だから、えっと、何が言いたいかっていうと、死ぬっていうのは、その人と過ごせたかもしれない大切な時間も、作れたかもしれない大切な思い出も、全部消えてしまうってことなんだよ。だから、リーフも死んじゃダメ。約束して」
「……大したお人好しだな、お前。……お前に言われなくたって、俺は死ぬつもりなんてない」
リーフは寝そべりながら言った。
「え、だったらさっき何で……」
「……説明は難しい。ただ言えるのは、俺は俺のするべき事が分からなくなっていた。実は、俺にはまだ取り戻せてない記憶があるんだ」
「どうして忘れていることがあるってはっきり言えるの?」
ハンスが尋ねた。
「その忘れたのが『現在に繋がる記憶』だからだ。俺が今持っている記憶と、現在の状況が、まだ噛み合わない。かなり重要なものである気がするんだが、どうしても思い出せないんだ」
「そうだったのね。だったら、私たち手伝うよ。君が記憶取り戻すの」
エリサが言った。
「手伝う? どうやって?」
「忘れたことって、全然関係ないことしてる時に急に思い出したりするでしょ? 私たちと色々話ししてたら思い出せるかもよ?」
「なんだ、そういうことか。だがまあ、案外それも悪くないかもしれない。記憶が無いまま迂闊には動けないからな」
「あ、そうだ。おやつ持ってきたんだった。はいこれ」
エリサが籠から芋を取り出し、リーフに差し出した。
「ありがたい」
リーフは軽く手を合わせてから受け取った。
「では何から話そうか」
「さっきの続きを聞きたいかな。キルシュ団に入ってからのこと」
「そうか……」
リーフはそういうと、肘を太ももに置いて話し始めた。
「キルシュ団に入ったばかりの頃は、毎日ひたすら訓練をさせられた。試験の時よりも何倍も重い砂袋を担いで、延々と歩いたり、重しのついた棒でデク人形を殴り続けたり……休憩時間なんてものは全くなかった。少しでも休もうとすると容赦なく教官に殴られたよ」
リーフはエリサたちの表情をチラリと見て、それから話を続けた。
「ただ、俺にとってはあんなこと全然苦にならなかった。それまでにも死にそうな思いをしたことは何度もあったからな。むしろ、食事と寝床を保証されてたあの環境にこの上ない幸せを感じていたよ。まあ、それでも……」
「それでも、何?」
「訓練中に教官が言葉をぶつけてくるのは、今思い返してみても、少し、きつかったな。俺たちの訓練中は、あいつら、俺たちを罵倒し続けたんだ。こんな事に限って、はっきり思い出せるよ。……暴言ってのはよく言ったものだよな。言葉の暴力。心を直接痛めつけられた感じがした」
「どんなこと……言われたの?」
「『お前らには何の価値もない。掃き溜めの糞以下だ』『不幸をばら撒く害虫野郎』『泣く事しか能のない赤子』『この世の誰もお前らを……』」
「も、もういいよ。ごめん。話、続けて」
「……まあ、俺は、何を言われようが耐えたよ。そうするしかなかった。……あ、そういえば、一回だけ教官に殴り掛かったことがあったな」
「え!? 何があったの?」
「ただ、こう言われただけだよ。『遊びで生まれた望まれぬ子』ってね」
「……ひどい」
「あの時は俺の他にもう一人教官に歯向かった奴がいて、二人で殴りかかる形になった。これは後で知ったんだが、そいつは末っ子で、家族に楽させるために自ら傭兵になることを選んでいたらしい。俺より少しだけ先輩だった。でも、二人掛かりでも教官には全然かなわなかった。あの時の俺はそれくらい無力だった。逆に全身あざだらけにされて、食事抜きにされた。その次の日は空腹と痛みで意識を失いながら訓練したよ」
リーフはおやつを頬張りながら話し続けた。
「今思えば……あの時の俺はとても浅はかだったと思うよ。あの後フリッツが言ってたんだ。『訓練させてもらえるだけまだマシだ』って。あの経験をしてから、俺はちょっとのことじゃ動じなくなったし、悔しさを力にしてより一層訓練に励むことができた。あれがなかったら、俺は生き残れなかったと思う」
話を終えると、リーフは鳥の囀りに釣られるように頭上を見上げた。太陽が高く、まだまだ沈みそうになかった。
「リーフの家族は、どんな人たちだったの?」
エリサが尋ねた。
「父さんと母さんは……」
リーフは目を少し細めて話し始めた。
「父さんと母さんのことは、あまりよく覚えていない。ただ、どんなくだらない話もちゃんと聞いてくれて、悲しい時は抱きしめてくれて、どんな時も優しくて、温かくて……そんな人たちだった」
この時だけ、エリサにはリーフが悲しそうにしているように見えた。
「俺の名前も、父さんたちからもらった大切な宝物だ」
「『リーフ』ってどういう意味なの?」
「葉っぱのことらしい。父さんたちは、木漏れ日が差し込む森の景色が好きだったんだ。だから、そう名付けたんだと思う。俺も、父さんたちと見るその景色が大好きだった」
リーフはまだ頭上を眺め続けていた。まだ木々は葉を付けていないが、彼には太陽に照らされて輝く青葉が見えているのかもしれない。
「話を戻そうか」
「そうだね……じゃあ次からはリーフが印象に残っていることを教えてくれる? できれば順番に」
「それなら今度は……初任務のことを話すか」
「初任務?」
「キルシュ団は街の治安維持活動もしていると前に言ったよな。その一環として街の強盗集団の始末を任された。これには先輩の傭兵数名と、フリッツと組んで行った。相手の人数も、アジトの場所も調べがついていたから、簡単な仕事だった。相手が全員集まるのを待ってから、俺たちはアジトに乗り込んだ」
「不安じゃなかった?」
エリサが尋ねた。
「それが、むしろ心地よいくらいだった。フリッツがいたし、何だかこれが初めてではない気がした。それに、訓練の成果を試せるのが何より嬉しかった。それから、俺とフリッツは指示通り、アジトの裏口に陣取った。先輩たちが正面から突入し、裏口から逃げようとした者を俺たちが処理するという流れだった」
エリサとハンスは、話を聞いているだけでなぜか緊張し始めていた。
「先輩たちが突入すると、次々と奴らの悲鳴が聞こえてきた。相手は武装していたが、訓練を積んだ俺たちの敵にはならなかった。結局、裏口から出てきたのは2人だけだった。俺とフリッツは手分けして二人を斬る事にした。でもその時……俺が斬ろうとした相手が、命乞いを始めたんだ。『家族のための事で仕方なかったんだ、どうか見逃してくれ』って、泣きながら、震え声で頼んできた。あの時、俺は、その言葉で、何というか、集中を切らしてしまったんだ。それで、剣を下ろしてしまった。どうしてそんなことになったのか、今でもよく分からない」
「それで、どうなったの?」
「相手の男はそれを見るやすぐに斬り掛かって来た。その時、様子を見ていたフリッツが俺に『斬れ』って叫んだんだ。その言葉で俺は我に返って、そのまま背中押されるように相手を斬った。剣は一撃で急所を捉えて、倒れた相手は二度と起き上がらなかった。訓練の成果だった」
リーフは軽く鼻で笑いながら話を続けた。
「あの後フリッツに説教されたよ『何考えてんだ』って。それから、俺に命乞いをしたあの男のことを色々教えてくれた。あの男に家族はいなかった。それどころか、あの男は自分の両親を殺していた。それがあいつの初めての強盗だったらしい。家族にすら手にかける奴がいるってことを、無知だった俺はその時初めて知ったよ」
「リーフは、その時に初めて人を斬ったの?」
「ああ、そうだ」
「どう……思った?」
「何も……感じなかった」
「何も? 本当に?」
「あえていうなら、初めて狩りをした時のことを思い出した」
「狩り?」
「アッピ村にいた時のことだ。相手を追い詰めて、仕留める。狩りと似ている気がしたんだ。初めて狩りをした時は、怖かったけど、役立たずって思われたくなくて、生きるためだって思って獲物と戦った。狩りの後、罪悪感に沈んでいた時は、獲物に感謝しなさいって教えられた。傭兵の任務は、街の人たちを守るために必要で、街の人が生きるためには仕方ないことだ。それが分かってたから、何も感じなかったんだと思う」
「そういう、ものなの……?」
エリサに構わず、リーフは話を続けた。
「その後、何度もこういった任務に当たったけど、どいつこいつも醜かったよ。人を食い物する奴ばかりだった。そのくせ追い詰められたらすぐに被害者面してきて。図々しく情けを求めるんだ。あいつらの何倍もの苦しみを背負わされた人たちが大勢いるっていうのに」
リーフは剣を握りしめた。エリサもハンスも、怯えながら様子を見守る事しかできなかった。
「そのうち俺は、もう標的の背景を調べるのはやめた。時間の無駄に感じてね」
「……リーフは、そうやってずっと頑張って来たんだね」
エリサが言った。
「うん? ああ」
リーフはばつが悪そうに返事をした。
「……私たち、そろそろ帰らなきゃ。今日はありがとう、リーフ。おかげであなたのことを知ることができた」
「……そうか」
「また明日来るね」
そう言い残すとエリサとハンスは立ち上がり、村の方へと向かった。
赤みが増していく太陽の下で、二人がしばらく歩き続けた。しかし突然エリサ歩みを止めた。俯いたまま、動かなかった。
「エリサ?」
ハンスが心配して声をかけると、エリサの体が震え始めた。
「ごめん、私、やっぱもうムリ……」
たちまちエリサの瞳に涙が溢れ、ぼろぼろとこぼれ出した。
「ごめん、ごめん……」
「え、何で謝るの!?」
ハンスが狼狽ながら尋ねた。
「だって、気を遣わせちゃうと思って……」
「俺は平気だよ。とりあえず、座る?」
「うん……」
二人は木にもたれかかった。
「リーフのことだろ?」
ハンスが尋ねた。
「うん、もう辛くて辛くて……」
エリサはハンカチで涙を拭きながら答えた。
「俺も聞いてて、辛かった」
「私、何にも知らなかった。あんな想いして生きてる人がいるなんて。私なんて、何の苦労もしないで、のうのうと生きて来ただけなのに、死んじゃダメとか偉そうなこと言って……リーフは、私の何倍も! 何十倍も! 頑張って生きてたんだ……」
「そう自分を責めないで。俺にしてみれば、君は彼に負けないくらい立派に生きてる」
「私が?」
「そうだよ。君はいつだって……今でも、周りのみんなのために頑張り続けてるじゃないか。そんな生き方できる人はそうそういない。リーフにも君の思いは届いているはずさ」
「本当?」
「ああ、今日の話で何となく分かった。リーフは元々、優しくて、正義感の強い人間だったんだ。長い傭兵生活が彼を変えてしまったんだろうけど、まだその心はリーフの中に残っている気がする」
「私、リーフに幸せになって欲しい。でもどうしたら……」
「まだ彼のことについて全部わかったわけじゃない。もっと情報を集めないといけないと思うけど……細かいことは明日考えよう? ね?」
「………」
エリサは立ち上がると、ハンスの足を蹴飛ばした。
「痛っ!? 何で?」
「……屈辱を受けたから」
(……元気になったみたいだね)
二人はそのまま、それぞれの自宅へ戻った。