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花を飾る隣人

作者: 2Bペンシル

 大きな伸びを一つして、視界を遮るものが山積みの段ボール以外にない部屋の空気を吸い込む。清浄な、生活の匂いよりも木とか紙とかの匂いが強い空気が鼻腔を満たした。

「さーて、こいつらをどうにかしないとなー」

 とりあえず、部屋の上の方からやっていこう。

 そう思って"カーテン・布"とマジックで殴り書きした段ボールを開けてカーテンを取り出し、カーテンレールに取り付ける。単調な作業故、ある程度慣れてくるとあたりの風景を見る余裕が出てきた。そうはいっても、一軒家に囲まれたアパートなので見えるものは窓か壁くらいなものなのだけれど。

 と、数メートルくらいしか離れていない隣家の窓際に置かれているものに気が付いた。

──この時期にコスモスか。

 窓際に置かれた円筒状のシンプルな花瓶に挿してあるのは、一輪の白いコスモス・ベルサイユだった。

 高校の頃に花屋でアルバイトをやっていた──友人たちは「野郎がなにやってんだよ」と笑うけれど──経験から言わせてもらえば、コスモスは秋ごろに咲いて出回る花だ。今時期に咲く花じゃない。

「……造花かな?」

 もう少し近くで見られれば、造花かどうかわかるのだけれど。まあ、『優美』とか『謙虚』とかそういう綺麗な花言葉のある花だから、コスモスが好きな人なのかもしれない。それで飾っているだけなのかも。

 そんなことを考えていたらカーテンを取り付け終えた。

──次はデスクでも組み立てよう。

 私は窓際から離れて、別の段ボールにとりかかった。


 三日後の午後、カーテンを開けた先にある隣家の花は別の花に変わっていた。なんとなく家に帰ってから見ていたけれど、一日ごとに──恐らく正午くらいに──コスモスの色は変わっていた。白の翌日は紫だったり、そうかと思えば赤になったり。でも、花の種類が変わったのは初めてだった。

 赤いハワイアン・ハイビスカス。

 言わずとしれた夏の花。普通は鉢植えで木ごと売られている花だけれど、花の咲いている幹だけをわざわざ剪定して花瓶に挿してある。目を引くそれは、暖かい春の日差しを浴びて燦々と輝いていた。

「うーん……」

 珍しい花の趣味をしている人がいるものだ。

 花の色味や日の光を反射する様子からして、造花ではなさそうだ。コスモスも夜になると花弁が閉じていたから造花じゃなかった。

 ただ、ハイビスカスのような南の花を春頃に咲かせるにはかなり暖かい家とか温室とかが必要になる。それに咲かせるための調整もかなり大変だ。

 そう思うと、こんな時期にハイビスカスを見られるなんて運がいいのかもしれない。私はデスクの上からクロッキー帳と2Bの鉛筆を取って──本当はもっと柔いといいけれど手元になかった──ハイビスカスの花を速写し始めた。元々絵を描くのは好きだから、その題材としてちょうどいいと思ったのだ。春の日差しに照らされる一輪の真っ赤なハイビスカス、いいじゃないか。

 一通り書き終えたところで、スマートフォンのアラートがバイトの存在を知らせてきた。

 私は手元の絵具をデスクの上において、ユニフォームなんかを雑多に詰め込んだカバンを掴んだ。


 更に三日後。講義を終えて家に帰ってから見てみると、今度は一輪の黄色いジニア・アングスティフォリアに変わっていた。

 ジニアは花屋さんでも買える花だから、ハイビスカスとかコスモスとかよりは納得ができる。ただ、ブーケやアレンジメントで使うことは多いけれど、一輪挿しで使うことはあまりないのでやっぱり珍しい。それにアングスティフォリアはまとまって咲く品種だから、わざわざ剪定したということになる。

 いつの間にか日課になっていた速写をしていると、なんだか違和感を覚えた。花屋でよく見ていたジニアっぽくない。いや、花弁の形とか色とかは間違いなくジニアなのだけれど、なんというか言い表せない違和感があるのだ。何かが足りないような。

「なんかおかしい気がする……」

 スマートフォンで検索をかけてみて見比べてみると、あることに気が付いた。

 絵をよく見ると、花弁が12枚しかない。

 花弁の枚数はほぼ必ず、フィボナッチ数列かリュカ数例に合う枚数になる。フィボナッチ数列は0、1、1、2、3、5、8、13、21……、リュカ数列は2、1、3、4、7、11、18……となる数列のことだけれど、12はこの中に入らない。

 コスモスは8枚、ハイビスカスは5枚の花弁を持つ花でフィボナッチ数列と合致する。ジニアも品種によりけりだけれど、あの品種は13枚あるはずだ。

 つまり、意図的に12枚とした可能性があるということ。

──いや、持ち運びの時に落ちただけかもしれない。

 花も生ものだから、お客さん側で扱いが悪ければ花弁の一つや二つ落ちてしまうことはままある。今回もそのパターンかもしれない。かなり剪定しているから、その時に落ちたのかも。

 ただ観察は続けよう。何か気になるから。


 2日後の夕方、ジニアは赤いものに変わっていたけれど、一昨日、昨日と同じく花弁の数は12枚だった。

 私はクロッキー帳の紙面に鉛筆の先を置いたまま、考え始めていた。

 二項対立なら2回までは偶然だと言える。25%の確率なんて割とある話だから。

 ただ、三回目は12.5%の確率だ。おおよそ8回に1回を偶然というのは難しい。

 おそらく花弁の数に意味があるはずだ。だが、いったい何の意味があるのか?

 12である必要がある。おそらく順番にも意味があって、8、5、12の順である必要がある。そうなると十二支とか月の数とかだけれど、それらしい解釈はできない。未、辰、亥やAugust、May、Decemberを繋げてもアナグラムにしても、意味のある様な文はできなかった。

──そうか。

 換字式暗号の可能性。よくある手だ。ただ、五十音にしたら、『くおし』で意味がわからない。

 ならアルファベットだ。

──hell、held、hello……。

「……『助けて』?」

 Helpもこの条件に当てはまる。だとしたら、毎日色が違う理由も花の種類にも納得がいく。

 窓際という見にくい場所に置いたとしても目立つように。コスモス・ベルサイユやジニア・アングスティフォリアを選んだのは花弁がしっかり分かれていて、その枚数が何かを意味しているのを分かってもらうために。

 これは隣人からのメッセージかもしれない。

 今すぐ警察を呼ぼうと思ったけれど、なんていえばいいのか。馬鹿正直に「隣人が花を通して『助けて』と言っています」なんていったら、良くて無視、悪くて任意聴取だろう。

 なにか決定的な証拠、せめて悲鳴が聞こえたとかそういうきっかけが必要だ。そうすれば、警察だって動いてくれるはず。

 もう一度頭を巡らせる。

 証拠を探さないといけない。

 これまで部屋で生活していて、隣人のことで気になったことは、花のことを除けばない。

 ならば、私がいない時間ならどうだったのだろう。これでも講義は真面目に出ているから、昼間にこの部屋に私はいない。

 昼間の時間帯……いつも講義に出ている時間なら、なにか聞こえるかも。そのタイミングで電話すれば、動いてくれるかもしれない。

 私は急いで友人に、明日講義を休むとメッセージを送った。


 翌日の昼頃。ついさっき少しみすぼらしさを覚える16枚しか花弁のない白いマーガレット・風恋香へと変わった花瓶を眺めながら──変えている人が見えるかと思ったけれど、腕が見えただけだった──息を潜めて耳を澄ませていた。アルファベットの16番目はP、だからこれまでのと合わせて"HELP"だと考えていいだろう。

──あのみすぼらしさが隣の人の状態を表していなければ……。

 11時を過ぎた頃だろうか、車のドアを閉める音が響き渡る。さらによく聞くと、玄関ドアを開ける音が聞こえてきた。

 それから一分としないで、男の「また花なんか弄りやがって」というくぐもった怒号と何かが割れる音、そして微かで短いけれど女性の悲鳴が聞こえてきた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 花弁の数を使った暗号。オシャレですし、よく考えられていてすごいなと思いました。
[良い点] 企画から拝読しました。 飾った本人もまさか本当に気づいてもらえるとは思ってなくて、ほとんど神頼みの状態だったかもしれないですね。
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