サヨナラは言いませんわ、殿下
「セルーシュア・アントン公爵令嬢!其方との婚約は破棄する!アリオット・サウスウェルズはこのヨルダ・ニードル男爵令嬢に愛を告げよう!!」
豪華絢爛なパーティーの一幕で、セルーシュアは長年に渡り婚約者であったサウスウェルズ王国の第二王子であるアリオットに婚約破棄を言い渡されていた。
アリオットの隣には勝ち誇ったように微笑むヨルダの姿があった。セルーシュアは動揺することも、憤慨することもなく、優雅に一礼する。
「殿下、婚約破棄承知致しました。どうぞ、ニードル男爵令嬢様とお幸せに」
その気品溢れる姿に、野次馬のように見物していた貴族達は息を呑んだ。背筋を伸ばし、決して表情を崩さず凛とした態度を貫いたセルーシュアは、会場を後にし乗り込んだ馬車の中で倒れるようにその身を崩した。
苦し気に息を吐き、胸を押さえる。化粧で誤魔化しているがその顔色は真っ青に染まり、血色が悪かった。
──ああ、最後までやり遂げられたわ……
セルーシュアに残された時間はもう幾ばくも無い。霞む視界にアリオットから贈られた指輪が最後に映り込む。
──アリィ、どうかわたくしのことは、忘れてくださいね……
セルーシュアは祈るようにアリオットの幸せを願い、そのまま意識を手放したのであった──
◆◆◆
「きみがぼくの婚約者のセルーシュア?」
幼い頃に王宮に連れられ、父とはぐれ膝を抱えて泣いていたセルーシュアを一番に見つけてくれたのは婚約者と姿絵だけ見せられていたアリオットだった。
「ほんとうに、お姫様みたい。どうして泣いているの?」
「っ!?」
それを言ったらアリオットこそ物語に出てくる王子様のように美しかった。ドキドキと胸が騒がしく鼓動を刻み、先程まで溢れ出ていた涙がピタリと止まってしまった。
「その、おとうさまと、はぐれてしまって。はしたなく泣いてしまってごめんなさい」
「一人ぼっちはこころ細いよね。ぼくもね、おかあさまが亡くなって、さびしくてここでよく泣いたから、いっしょだね!」
ニッコリと微笑まれ、頭をヨシヨシと撫でられる。瞬時に初恋に落ちたセルーシュアは、それからずっと変わらずアリオットを想い続けていた。
政略的な婚約だったが、セルーシュアの猛アタックが功を奏し、二人はいつしか心を通わせ、互いを想いながら長い年月を仲睦まじく過ごしてきた。
「ルーシュ、大好きだよ。君を早くお嫁さんにしたいよ。この指輪、貰ってくれる?」
「まあ!アリィったら。気が早いですわよ」
アリオットの瞳と同じ蒼い宝石が埋め込まれた指輪を贈られた時は天にも昇る気持ちだった。二人の未来を誓った指輪は片時も離さず身に着けるほど大事な宝物となった。何時でもセルーシュアを愛し、慈しんでくれたアリオットを、セルーシュアも心から愛していた。しかし、幸せな時間は突如奪われたのだ。
「お、お嬢様!その痣はっ……!」
メイドが見つけた黒い禍々しい痣は、最初は鎖骨の下あたりにポツンとあったが、やがてジワジワと浸食するように胸まで広がり、その後範囲を広げていった。
痣のある部分は締め付けられるように痛み、セルーシュアの命を蝕んでいった。医者は治療方法は無いと匙を投げ、国中のあらゆる伝手を使い辿り着いた占い師に、この痣は呪術であり、あと幾ばくもせずに命を奪うだろうと告げられた。
呪術は呪術をかけた術師本人が持つ術具でしか解けないとされている。第二王子の婚約者であるセルーシュアの地位を狙い、命を狙う輩は星の数ほど居る。誰が呪術を使用しセルーシュアを害そうとしているのかは、いくら調べても見つけることが出来なかった。
「セルーシュア、諦めないでくれ。必ず父がこの呪いを解く方法を見つけてみせる」
「い…いえ、お父様…、わたくしはもう、長くはありません。どうか…残りの時間を…穏やかに、過ごさせてください…」
セルーシュアの呪術を解くために、湯水のようにお金を使い、怪しい宗教にのめり込む両親を、セルーシュアは必死に止めた。もう既にセルーシュアの身体は呪いの所為で強めの薬を飲まなければ思うように動かせない程だった。自分の身体だからこそ分かる。もう残された時間は少ないと。
──わたくしには、まだやらなければいけないことがある。
セルーシュアは必死に父を説得し、体調を理由に休学していた王立学園へ復学した。全ては、アリオットの為だった。
「ルーシュ、身体はもういいのかい?」
「ええ、大丈夫ですわ。殿下」
「ルーシュ……?」
アリオットは急によそよそしい態度を取るようになったセルーシュアを怪訝そうに見つめ返した。その日から、セルーシュアは人が変わったかのように横暴に振舞い、我儘を言い、アリオットを困惑させた。
「わたくしは未来の王子妃ですわよ?何故特別待遇が受けられませんの?」
「どうしたんだい?いつもの君らしくない」
「あら?わたくしは、わたくしですわ。殿下こそ、位が低い者と何故そんなに親密にされるのですか?信じられませんわ」
身分の低い者を卑下し、傲慢に振舞うセルーシュアにアリオットは徐々に距離を置くようになった。そして、取って代わったように男爵令嬢と爵位は低いが優しい心根を持ったヨルダにアリオットは心を寄せるようになる。
──これで、いいのですわ。わたくしを、どうか嫌いになって……
優しすぎるアリオットが、セルーシュアを切り捨てられるように。セルーシュアを失っても、心を痛めない様に。幼い頃に母親を亡くしたアリオットは愛する者が死ぬことを極端に恐れている。そんな彼に同じ苦しみを与えたくはなかった。
誰か別の人を代わりに愛して欲しい。
セルーシュアは、大量の薬を飲み、血を吐く思いで学園に行き、悪女を演じ続けた。そして、やっと……卒業パーティーで婚約破棄されたのだった。
もう命の灯は燃え尽きそうだった。公爵家の自室の寝台で目を覚ましたセルーシュアは全身を管で繋がれ、泣き叫ぶ両親に見守られていた。
──ああ、わたくし、死にますのね。
指先から冷たくなっていく。悲壮感漂う両親は泣き崩れ、長年仕えてくれていたメイドもその顔を涙でぐちゃぐちゃにさせている。
──どうか、悲しまないでちょうだい。意外と幸せでしたのよ。
ああ、最期に見る幻覚だろうか。セルーシュアの閉じかけた瞳に、愛して止まない最愛の人が映る。
「……サヨナラは、言いませんわ……殿下……」
ふっと微笑みながら、セルーシュアは目を閉じたのだった──
◆◆◆
「な、なんで……っ!!」
驚愕の声を上げ、縋るように見つめる女…ヨルダを、アリオットは冷たい瞳で見下ろしていた。
「お前は私の最愛を手にかけた。許すはずがないだろう?」
「な、何のこと…」
「調べは付いている。セルーシュアを呪い、私に魅了の呪術をかけたのは、お前だろう?王族への術の使用は斬首刑と決められている。でも簡単には殺してあげないよ。彼女が苦しんだ分、お前も苦しめないと。じわじわと、ゆっくり時間をかけて殺してやる。覚悟するのだな」
ヨルダの背筋が凍り付くほどの怒気を感じ、そのまま全身が震え出した。ヨルダは呪術師の家系に生まれ、男爵家に養子として迎え入れられた。邪魔なセルーシュアを呪い殺し、優秀な第二王子であるアリオットを手に入れた筈だった。
しかし、何故完璧だった魅了の術が解けているのだ。何故…と何度も口にするヨルダの頭を容赦なくアリオットは踏みつけた。
「地べたに這いつくばり、無残に残りの時間を過ごせ。二度と、顔は上げさせない」
──ルーシュはもっと…辛く苦しかったのだから……
冷たく言い捨て、深い暗闇が広がる粗末な牢屋にヨルダを放り込んだ。ヨルダの地獄は始まったばかりである─……
◆◆◆
「あ、あの、殿下、これは──」
「病み上がりで無茶はいけないよ、ルーシュ。僕を散々心配させたんだ。当分はここがルーシュの特等席だよ!」
──な、何故わたくしは殿下のお膝の上に!?
戸惑うように視線を泳がすセルーシュアの唇を無遠慮にアリオットは奪い去る。
「殿下なんて止めて、アリィっていつもみたいに呼ばないと、もっと口付けするけど、いいのかな?」
「なっ!!」
ちゅっとリップ音をさせ、再度口付けされると、セルーシュアは顔を真っ赤にさせ黙るしか出来なかった。
あの時、セルーシュアは呪いに身を蝕まれ息を引き取る寸前にアリオットに救われたのだ。アリオットは婚約破棄の後にやっと尻尾を出したヨルダを取り押さえ、呪いを解呪する術具を持ってセルーシュアの元へ駆けつけたのである。
アリオットはセルーシュアの嘘に最初から気付いていた。そしていつの間にか自分も魅了の呪術が掛けられていることも。王族には魅了は効かないように宝玉を持たされているから無効化されていたが、術を掛けてきた人物がセルーシュアにも呪術を使用していることを突き止めた時には、セルーシュアは既に呪いに浸食されていたのだ。
人を呪うには対になる術具を使う。一つは呪術を掛けたときに壊し、もう一つは術を解くときに壊す。ヨルダは術具を巧妙に隠し、今まで手出しが出来なかった。アリオットはヨルダの呪術にかかった振りをしてセルーシュアの呪いを解く術具をずっと探っていた。
婚約破棄をしてヨルダに偽りの愛を囁き、篭絡すると、ヨルダはすんなり術具を差し出した。
その瞬間、ヨルダは取り押さえられたのだった──
呪術が消え──…
セルーシュアを苦しめていた忌々しい痣は消えた。あの骨を灼くような痛みも、苦しみも、泡のように消え、血の気の通っていなかった顔に赤みが差した。
目を開けた瞬間、セルーシュアの目の前にはポロポロと涙を流すアリオットが居た。嗚咽しながら今までの事を独白し謝罪するアリオットをセルーシュアはそっと抱き寄せた。
「ごめんなさい、アリィ…、わたくしも、貴方に嘘を吐いていましたの。貴方に嫌われてでも…悲しんで欲しくなかった…。大好きですわ。……っ、望んで良いのなら…、貴方と生きたい……」
「君の嘘なんて直ぐにわかったよ。君が僕を想って身を割く様な辛い決断をしてくれたことも。……僕も、君としか生きられない。愛しているよ、ルーシュ」
ずっと、ずっと、嘘ばかり吐いていた。そんなセルーシュアとアリオットは、やっと素直な言葉で罪を告白し、謝罪し、愛を確かめ合った。
二人で散々泣いて、最後には泣き笑いのように微笑みながら唇を重ねた。
もう二度と離さない。そう心に強く誓って──
◆◆◆
「今度の歌劇、素晴らしかったですわね」
「ああ、あの王子殿下と婚約者の嘘から始まるロマンティックな物語でしょう?お互いを想い合うって、本当素敵!!この物語のモデル、アリオット王子殿下とセルーシュア王子妃殿下って本当かしら!?」
仲睦まじいことで有名な二人の馴れ初めが歌劇として上演され、後世まで語り継がれるのは、また別のお話──
END
最後までお読み頂きありがとうございました^^
セルーシュアはきっとこの先もアリオットの膝の上が定位置で甘々に甘やかされるのでしょうね笑
しかしアリオットの二面性が少し怖いと思うのは作者だけでしょうか……汗
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