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長阪さんはエナジーバンパイア  作者: 尾妻 和宥


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2.昆虫食と奈緒の話

 しだいに長阪さんの話は、湿っぽいものばかりになった。

 過去にああすればよかった、こんなことをすべきじゃなかったと、いまさら悔いても仕方のないことばかり蒸し返すのだ。

 そうかと思えば、ときおりお説教が入る。


「――それにしても里中さとなか君」と、長阪さんは眼鏡の位置を正しながら言った。「君が弁当を食べるのをそばで見ていて、いい気がしない。意見を言わせていただけば、あまりおいしくなさそうに食べる。僕の子どもの時分は、食糧難でね。いまでこそ飽食の時代となって、食品ロスも問題となっているが、当時はろくに食べるにも事欠いた。この平和がいつまでも続くとは限らない。今の瞬間をもっと大切にすべきです。もっと味わって食べなさい」


「はあ」


「こう見えて、僕は沖縄の出だ。いわゆるウチナーンチュさ。まったくなまりもないだろ? このとおり体毛も濃くないし、縄文系でもないが」


「そうなんですか。意外」


「故郷を捨て、内地へやってきて半世紀。今じゃすっかり内地人ナイチャーだ。一度も島に帰っていない」長阪さんはうつむいたまま苦しげに洩らした。故郷を捨て、一度も里帰りをしていないとなると、よほどの暗い過去があるのかもしれない。「子どものころは家が貧しくってね。食べるものがなかった。よく裏山に行っては蝉を捕まえてきたものさ。僕のいちばんの好物は、蝉をフライパンで炒めたり、素揚げしたものだったんだ」


 どうりで長阪さんは窓の外の銀杏の木を見やり、やかましい蝉の声に耳をそばだてていたわけだ。

 眼鏡の奥の眼は細められ、懐かしいものを見つめる眼差しだ。 


「いわゆる昆虫食って奴ですか。最近、話題になっていますよね。実家のじいちゃんは、いまだにまき風呂なんです。薪を割ると、よく木の内側にカミキリムシの幼虫を見つけるときがありまして、大きい奴は、こんな10センチもある。それを炭火で炙って、じいちゃんに食べさせられたことがあるんですよ。今思えば、ありゃ虐待じゃないか……」


「テッポウムシね。あれも美味ですな」


「見た目がグロいでしょ。こんなふしのあるクリーム色のイモムシじゃないですか。口の中に入れると弾力がある。奥歯でゆっくり噛むと、プツンって表皮が弾けるわけです。するとブワーって、なんとも言えない濃厚な甘ったるい味が広がって。まるでバタークリームみたいな味。――二度とあんな思いはしたくないけど」


「おいおい、そう言いなさんな。昔の人にとっちゃ、貴重なたんぱく源だったらしいぞ。子どもたちは獲り合いして幼虫を食べたと言ったもんさ」と、彼は顔をほころばせた。「話を戻そう――里中君、わかるかね? 蝉のオスは鳴くために、胴体はほとんど身が詰まっていないのだが、メスは産卵するための器官が占め、これがまた美味いんだ。仕上げに塩をまぶしたものをいただく。海老えびに似た香ばしさがあってね。蝉の幼虫など、ナッツのような味がするんだ」


「おえ! わざわざ現代人が昆虫食をしなくったって」


◆◆◆◆◆


 次の日曜にも、彼の部屋にお邪魔した。

 真昼間からサラミとチーズをさかなにビールを飲んだ。


「あれは僕が25のときだ」と、長阪さんは缶ビールをグラスに注ぎながら言った。彼のピッチはわりと速い。「僕は地元で少年野球のコーチをしていたんだ。こう見えて学生のころ、強豪校に入り、甲子園をめざしたこともあった。もっとも、他の部員が喫煙していたのが見つかって問題になり、泣く泣く出場を辞退した。夢は叶わなかったが――」


「ありがちなことです」


「少年野球のコーチの話だったな。――そんなとき、マネージャーをやってくれた、あるお嬢さんがいてね。奈緒なおって名前だった。今でもおぼえている。ちょうど僕と同い年だった。彼女とはウマが合ってね。いつしか恋に落ちた」


「へえ」


「子どもたちに野球の楽しさを伝えるかたわら、僕たちは恋にのめり込んだ。思えばあのときほど、夢中になったものはない。青春真っ只中だった」と、長阪さんはビールをあおり、酔った顔つきで遠い眼をした。8畳間に淡い恋の物語が甦る。「ところがある日、突然の別れとなってしまう。奈緒はとある財閥の娘だったんだ。急に父さんから、お見合いの話を持ちかけられた。それで仕方なしに相手と会い、彼女は僕のこともあり、縁談を断ろうとしたらしい。しかし先方は、彼女のことをいたく気に入ってくれた。銀行マンで、将来性のある男性だったそうで、親父さんは一も二もなく、結婚しろと勧めてきた。あのころの父親の威厳は、どこも絶対的でね」


「先が読めちゃうなあ」


「察しのとおりだ。奈緒は親父さんに逆らえなかった。泣く泣くその人と一緒になることになった。涙ながらにマネージャーを辞め、遠くへ引っ越すと僕に伝えてきたわけだ」


「引き留めなかった?」


「僕も当時は貧しくてね。とても縁談の相手に、かないっこなかった。虚勢を張りたい気持ちもあったのだろう。君だってわかるだろ?」


「ええ」


「むしろ突き放した」と、正座した長阪さんはグラスを手にしたまま、潤んだ眼をしばたたいた。窓の外を見た。「僕だってあのとき、引き留めりゃよかったと何度悔いたことか。なんであのとき、自分の気持ちを押し殺し、彼女を祝福したのか。本当はハラワタの煮えくり返る思いをしていたのに……。つまらない男の片意地さ。つまらないやせ我慢」


「今となってはどうにもならないじゃないですか。前を見るしかない」


 おれは励ましたつもりだったが、酔うにつれ、内省的に思いつめる長阪さんは耳を貸さず、


「正直、彼女と結婚したかった。駆け落ちしてでも、彼女を奪うべきだった。なんであのとき、やせ我慢をしたんだ」と、うつむき、しゃがれた声を洩らした。片手にはグラス、もう一方の手は握りこぶしで、自身の膝を殴った。虚しく肉を打つ音が部屋に響いた。「時間を巻き戻して、あのときに帰ることができたら。そして変えられるなら、運命を変えたい」


 慰めの言葉すら見つからない。

 長阪さんはうつむいたまま、そのままミケランジェロの石造になったんじゃないかと思うほど固まっていた。

 おれは天井を見あげ、どうやって部屋へ帰ろうか、必死で言い訳を探した。

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