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記憶喪失

作者: 十一橋P助

 目の前に老人がいる。白人男性だ。歳の割にはすこぶる体格がいい。僕よりも背は高いし、胸板だって厚い。彼はじっとこちらを見つめている。眼光は鋭く、威圧感は半端ない。

 机の上に広げた調書を前に、思わずため息が漏れた。どうすればいいのだ。

 ここは近畿のおまけといわれるW県の片田舎にある派出所だ。迷子ですと連れて来られたのがこの老人だった。英語を話せるのは僕一人だったので、必然的に対応することになった。ところが話を聞いてみれば、彼は記憶喪失だった。

 同僚が県警本部に問い合わせている間、とりあえず話を聞いてみるのだが、先ほどから彼の身元に繋がりそうな情報は引き出せていない。

 国籍や住所、滞在地や来日目的などは思い出せないようなので、角度を変えた質問をしてみる。小さなことでも思い出せば、そこから他の記憶も導き出されるかもしれない。

「じゃあ、お仕事は何をされていたか、覚えていますか?」

 しばらく思案していた彼は、不意に表情を明るくした。

「刑事。そうだ。若い頃、私は刑事で、悪い奴を捕まえたことがある」

「え?僕と同業者じゃないですか。それならどこの署にいたとか、思い出せませんか?」

 期待を胸に質問をしたけど、彼は難しい顔で首を振った。

「いや、思い出せない……。というのも、刑事はすぐに辞めてしまったようだ」

「ようだ……って、どういうことですか?」

「消防士をやった記憶もあるんだ。ただ……」

 そこで彼は顔を顰めて口ごもった。苦い記憶がよみがえったようだ。

「何か思い出したのですか?」

「それもすぐに辞めてしまったように思う。家族がテロに巻き込まれた影響で……」

 よりによってまずいことを思い出させてしまった。どんな言葉をかけようか迷っていると、老人は打って変わって勇ましい顔になる。

「そうだ。それから兵役に就いた。そして特殊攻撃部隊として海外に派遣された。そこで見えない敵と戦ったんだ」

 見えない敵?ってなんだそりゃ。ステルス戦闘機か?それともゲリラ戦の相手だろうか。それにしたってすごい職歴だ。刑事に消防士に軍人とは……。

 と思っていたらもっと驚く言葉が出た。

「そういえば、スパイもやったかな」

 やったかなって、バイト歴を紹介するような言い方だ。まさかとは思うが、口からでまかせを言っているんじゃないだろうな。

「あの、それって本当のことなんですよね?」

「もちろんだ。一つ思い出すと、そこから鎖のように連なって記憶が出て……」

 そこで老人は目を丸め、大きく息を飲んだ。

「また思い出した。私には兄がいる」

「お兄さんですか。どんな方です?」

「双子の兄だ。彼はチビでハゲでデブだった」

 そんなことがあるのか?目の前の老人と間逆の容姿じゃないか。ますます記憶の信憑性が疑わしくなってきた。もしかしたら混乱しているのだろうか。

「すみませんけど、思い出したことを一度整理してみましょうか」

 ところが彼は僕の提案を無視して、「剣士」と呟いた。

「はい?」

 問い返す僕に、彼は棒状のものを振る仕草を見せる。

「こうやって敵と戦ったんだ。だから私は剣士でもあったはずだ」

 何がなんだか分からない。もしかしたらフェンシングのことか?しかし両手で剣を握ったポーズをとっているのだから剣道だろうか。

 呆れつつ老人を見ているうち、彼は急に動きを止めた。それからじっと掌を見つめはじめる。指先がかすかに震えていた。

「どうかしましたか?」

「大変なことを思い出した」

 まさか人を切り殺したとか言うんじゃないだろうなと訝る僕の予想の、斜め上を行く言葉を彼は口にした。

「私は、ロボットだ」

 これは記憶喪失じゃない。単に頭がおかしくなっただけだ。身元を調べるよりもまず病院に連れて行くべきじゃないのか。と思っていた僕の目の前で、唐突に老人が立ち上がった。

 何事かと見上げる僕に、

「また来る」

 と言い残して派出所を出て行こうとする。

「ちょっとちょっと、待ちなさい」

 慌てて引きとめようとする僕を振りほどきながら、彼は意味のわからないことを口走りはじめた。

「離してくれ。私は行かなければならない。将来この世界の救世主となるべき少年を守らなければならないんだ」

 老人とは言え彼の体格は僕よりも大きい。必死に縋りつくけどずるずると引きずられていく。本当にロボットなのではと思えてきた。

 そのうちに彼は入り口の扉に手をかけた。それを開き、まさに外に出ようとした瞬間、同僚の声が飛んできた。

「わかったぞ。その人アーノルド・シュ……」

 それをかき消すほど凄みのある声で老人が言った。

「アスタ・ラ・ビスタ、ベイビー」

 スペイン語だろうか。意味はわからないが、その迫力に僕は思わず手を離してしまった。

 老人は夕陽に向かって颯爽と歩き始めた。振り向きもせず、彼は高々と右手の親指を立てて見せた。


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